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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

第24回NHKハート展in名古屋

2019-08-25 17:34:18 | イベント・展覧会
精神科医・神田橋條治先生は、こう記されています。

「ヒトは、
 生体とコトバ文化との併存を生きることで人となった。」
   (神田橋條治著「精神医療面接のコツ」岩崎学術出版」)

寝ても覚めても、上記の至言が頭の中を巡っています。
と言うより、故意に巡らせています。なぜなら、鈍い頭の私は、
故意に巡らせていないと、至言の真意に到達できないからです。

あらゆる言語活動および言語と共にある全ての生活活動に際し、
それらの一つ一つが、又それら一連の流れが、
生体の求めるところに従っているのか?
コトバ文化の求めるところに従っているのか?
生体とコトバ文化の、どちらの割合が大きいのか?等々、
生体とコトバ文化との葛藤という視点が、
自身と他者の命を考える上で極めて重要な鍵となることを、
神田橋先生の御著書から学んでいる次第であります。

               

様々な障害と共に生きる方々が紡いだ詩と、
その詩にインスパイアされた各界の方々が創造したアートと、
二つが響き合って一つの世界を醸し出す作品展。

第24回NHKハート展in名古屋(~28日)に行ってまいりました。

視覚に障害があるにもかかわらず、

「顔を上げると
 目いっぱいの 緑 緑 緑」

と、全身で緑を感じ、緑を謳われる方。

聴覚に障害があるため、コミュニケーションに悩み、

「まるで相手が氷の中にいるよう
 氷の表面を私は掻く」

と嘆かれる方。

日常生活の中で、私自身が感じ得ないことを、
チカラの凝縮された言葉によって感じさせて貰える、
貴重な時間となりました。

               

ただ名古屋開催のハート展は、どういうわけか、
地下鉄駅の改札に隣接する、
地下通路「セントラルギャラリー」の壁に並べられいて

これは「ギャラリー」ではなく雑踏空間であります。

関東在住時、ハート展には何度も伺いましたが、
どこの会場でも、会場面積の大小に差こそあれ、
適切なスペースが設けられ、
訪れる人々が作品と向き合える空間作りが施されていました。

人通りの多い地下街通路の壁に作品を並べておけば、
通行人の眼に止まるだろう、という発想かも知れませんが、
そうした発想は、
商業広告や宣伝ポスターの類に対して為されるべきで、
障害者の方々が紡いだ〈言の葉〉と、
その〈言の葉〉と共に揺れる各界の方々との協同作品は、
千人が一回見ればいい、というようなものではなく、
一人が千回観て考える、という性質のもの。

もう少し落ち着いた空間で、
作品の数々と向き合いたかったなぁ、と思うものであります。

               

冒頭に引用させて頂いた神田橋條治先生の至言

「ヒトは、
 生体とコトバ文化との併存を生きることで人となった。」

この〈コトバ文化〉を形成している「コトバ」・
ハート展で出会った「ことば」・
日々使用している「言葉」。

言葉の語源は、事実のほんの一端しか伝えられない・・・、
という意味を表す「事の端(ことのは)」だったと聞きますが、
それはともかく、コトバの始源というものを考えますと、
どうにも分からなくなります。

これは「蓮・はす・ハス」と呼び慣わされているものですが、

実は「蓮」でも「はす」でも「ハス」でもないのではないか、
そのように思えてきます。


ではLOTUSでしょうか?

それともサンスクリット語系のパドマでしょうか?






              








遍路は続くよ、どこまでも・・

2019-08-18 15:08:33 | 日常
気ノ池、その畔の一隅には蓮が命を営んでいますが、
しばらく訪れることが出来ない間に、暦の上では秋が立ち、
お盆も過ぎて、もう花期は終わっているものと思いつつ、
短い足を急がせて向かってみますと、

ありがたいことに、まだ咲いていました。


それどころか、

これから咲こうという蕾も。

               

蓮を目にするたび脳裏に浮かびますのは、関東在住時、
定期的に参拝しておりました東京都・上野の弁天堂。

徳川幕府の草創期、
天海僧正(1536~1643)が進めた江戸の都市計画は、
京都及び近江周辺地域を模したものであるのは周知のこと。
天海僧正は、
土地を穿ち水を引いて不忍池を造り、池を琵琶湖に見立て、
池に中之島を築いて、そこを弁財天の聖地・竹生島に重ね、
弁天堂を建てて、御堂を竹生島の宝厳寺に照応させます。

それから幾星霜、小さな琵琶湖・・不忍池は蓮の景勝地となり、
6月半ば~7月下旬にかけては、
白色・薄桃色・淡緑色等々の蓮が次々に咲いては風に揺れ、
堂内の音楽神が奏でる琵琶の調べに大きく小さく唱和する様は、
今も思い出すたびに心揺さぶられるものがあります。

琵琶湖の名称由来は、
湖を俯瞰した形状が楽器の〈琵琶〉に似ているから、
という説が最も有力とされていますが、
いささか即物的に過ぎる説のように思います。

竹生島の弁財天尊は、御手が八本の八臂(はっぴ)像で、
琵琶を抱えてはおられませんが、楽器を持つ持たないに拘わらず、
弁財天尊のシンボルが〈琵琶〉ゆえに「琵琶湖」なのであり、
琵琶湖のさざ波、琵琶湖の風・・・それら一波一風が、
弁財天尊の息吹であり、琵琶の弦の震えであると信じます。

と、早川の妄想はともかく、
東海地方に転居して既に歳月を経るものの、
不明にして〈蓮池に建つ弁天堂〉というような、
歴史と風情を感じさせる場所を、当地では未だ知り得ません。

               

こちらは昨日(2019.8.17)、気ノ池の蓮の花托ですが、

写真上ツブツブに見える部分に蓮の実が形成され、
花托は〈果托〉へと変じてゆきます。


こちらは今朝、気ノ池の畔で見つけたものですが、

もはや花托ではなく、黒い蓮の実(種)が形成された〈果托〉。
先の東京都・台東区・上野の弁天堂では、
この黒い蓮の実に、祈りの梵字を描き入れたものが、
御守として頒布されていたと記憶します。

               

お盆が明けて、天地を覆う蝉しぐれも少しずつ響きを変え、

明日からは又、勤労という名の〈遍路〉が始まります。
白装束に身を包み、金剛杖を突きながら霊場を巡る遍路旅は、
とても尊く、価値のある修行ですが、それ以上に大切なのは、
生活の場での日常遍路・職場での労働巡礼と心得ます。


生きるために働く人あり、働くために生きる人あり。



遍路は続くよ、どこまでも・・・

皆様、良き日々でありますように!


              









父祖の地へ

2019-08-11 15:19:33 | 神社仏閣
お盆を迎え、
祖霊の鎮まる伊勢・鳥羽の地へ行ってまいりました。

まずは豊受大御神(とようけのおおみかみ)に、

平素の感謝を捧げるべく外宮へ。


豊受大神宮(外宮)御正殿

夏ぞら、夏ぐも、夏みどり。


境内の別宮・多賀宮(たかのみや)

一見すると、儚げに揺れる紙垂(しで)ですが、
紙垂は稲妻を模したものであり(諸説あり)、
雷電の力を以って邪悪なものを退けると伝わります。


外宮参拝の度、耳を澄まして聴き入るのは、

根源一体・二幹同根の大樹が響かせている微細な歌。

二本の幹のそれぞれが、
大宇宙と小宇宙/生と死/神と仏/光と闇/心と身体・・等々、
異なる世界を象徴しつつ、根源においては一つと謳われます。
今回、大樹の歌を聴きながら、二本の幹のそれぞれは又、
科学的根拠と経験的蓄積/専門と普門/
知性と情動/理論と実践・・等を表しているようにも思われ、
どちらかに偏るのではなく、二つで一つの道を歩め・・・と、
そのような響きに打たれる感がありました。

               

母は外宮のすぐそばで生まれ育ち、常々、
「子どもの頃は外宮の境内が遊び場で、
 神職さんに遊んでもらったりもしてたのよ」
と話していました。

お忙しい神職のことゆえ、子供の遊び相手などを、
そうはしていられなかったろうと思いますが、
母はハナシを盛るというタイプの人では無かったので、
そういう大らかな時代だったのかなぁ、とも思います。


伊勢から鳥羽へと向かう列車から見える海。

複雑に入り組んだ海岸線と山から流れ込む滋養とが、
豊かな水産物の恵みをもたらす、伊勢志摩の海であります。




              












ヘンリー・マンシーニ

2019-08-04 14:16:06 | 音楽関係
梅雨が明け、晴天に蝉しぐれを聴けるのは有り難いのですが、
いざ夏の門が開いてみれば、東海地方は連日の猛暑日。

名古屋は、南側から湿った熱風が流れ込み、
その流れを北部の山々が堰き止める為か、暑熱が沈滞し、
市川市在住時には味わった事のない息苦しい暑さを感じます。

名古屋の中心部を訪れましたところ、

大通りの一画にヒマワリが咲いていました。


左手に「両」の看板を掲げたビルがありますが、

名古屋の老舗和菓子店「両口屋」の商標と思われます。


こうずっと向こうには、

名古屋・テレビ塔が見えます。

               

さても陳腐な連想・・・と、自身でも呆れるものの、
ワタクシめはヒマワリを目にしますと、条件反射のように、
名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901~1974)の、
イタリア・フランス・ソ連合作映画、
「ひまわり(原題 : I Girasoli)」を想うのであります。

戦争の悲惨さを訴える普遍的な名画でありますが、
何と言っても、名画を名画たらしめている要因の一つは、
ヘンリー・マンシーニ先生(1924~1994)の音楽。

1960~80年代の映画音楽には、旋律の饗宴という側面があり、
ジョン・ウィリアムズ先生(1932~)・
ジェリー・ゴールドスミス先生(1929~2004)を始め、
旋律職人の巨大恒星たちが天空を彩り強靭な光を放ちますが、
マンシーニ先生も又、旋律の力と実験的手法とで、
映画音楽という大銀河の一角に輝きを点じました。

マンシーニ先生が楽曲を担当した、おそらくは唯一のSF映画が、
「スペースバンパイア(原題 : LIFE FORCE)」。
ツッコミどころ満載のB級スペースホラーにもかかわらず、
マンシーニ先生は、壮大かつ重厚なスコアを書き上げ、
ロンドン交響楽団を指揮して印象に残るサントラを完成させます。

特にテーマ曲冒頭で、全弦楽器のユニゾンによって奏でられる
「ザンザカザカ・ザンザカザカ・ザンザカザカ・ザッザッザッ」
という、6連符の刻みは衝撃的で、後進の作曲家に影響を与え、
例えば、ジョン・オットマン先生(1964~)作曲の、
「X-men」シリーズ、特に「アポカリプス」エンドテーマには、
「スペースバンパイア」から受け継がれた6連符刻みによる、
マンシーニ先生へのオマージュを聴くことが出来ます。

マンシーニ先生が楽曲を担当したミュージカル映画に、
「暁の出撃(原題:Darling Lili)」があります。
興業的には失敗したそうですが、
ジュリー・アンドリュースが歌うテーマ曲は美しい逸品。

大作曲家の多くは気難しい性格であり、
ゆがんだ性質やイビツな個性の持ち主も少なくないことは、
ほんの少し音楽史を紐解けば一目瞭然の中、
マンシーニ先生は、温厚かつ人情に篤い人格者だったそうで、
大勢の音楽家が、ヘンリー・マンシーニという大樹を慕い、
そのもとに寄り集まったと伝えられています。

「LIFE FORCE(邦題:スペースバンパイア)」サウンドトラックCD

CDにはマンシーニ先生の楽曲だけが収められていますが、
映画本編では、
若き日のマイケル・ケイメン(1948~2003)が作曲した、
補助・追加音楽も使用されていて、後にケイメン先生が担当する、
「ダイ・ハード」シリーズに用いられることになります。