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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

TMWO 第9回定期演奏会

2021-10-31 14:48:07 | 音楽関係
先日(10月2日)、千葉市民会館・大ホールにおいて、
ザ・ミューズ ウィンド オーケストラ(以下、TMWO)による、
第9回定期演奏会が開催されました。
毎回、オープニング・プログラムとして、
拙曲 “ フレデリック・ファンファーレ ” を演奏して下さっています。
TMWOの皆様には、心より感謝を申し上げます。

今回は、TMWOメンバー・じゅんトラさんのYouTubeチャンネルで、
その演奏風景が視聴できるとの連絡を頂戴致しましたので、
TMWOの創立メンバー・笠川由之氏を通して了承を得た上で、
ここにシェアさせて頂きます。

指揮:須藤信也 / 演奏:ザ・ミューズ ウィンド オーケストラ

シェア元の “ じゅんトラさんのYouTubeチャンネル ” には、
吹奏楽が一層楽しくなる動画がたくさん上げられています。
是非ご覧ください。

               

トロンボーン奏者の笠川由之さんについては、
当ブログにて何度か触れさせて頂いておりますが、
早川が千葉県市川市在住時には大変お世話になりました。
その円満な人柄、卓越した演奏技術、企画を実らせる行動力等々、
正に「心・技・体」の揃った演奏家であります。

コロナ禍という、非常時における演奏会の開催は、
そもそも開催できるのか?という不安に付きまとわれ、
いざ開催するにしても、非接触の工夫、密を避ける工夫、
ソーシャルディスタンスを保つ工夫、換気の工夫等々、
平常時では考えなくて良いことに神経を擦り減らされます。
笠川さんを始め、TMWOメンバーの方々は、
様々な御苦労の上で演奏会を開催されたことと思います。 

コロナ禍が収束し、TMWOの方々と多くの聴衆の方々とが、
何の不安もなく音楽を通して結ばれる日が来ることを、
切に願うものであります。

               

さて御承知置きの通り、オーケストレーションには、
シンフォニー・オーケストラを対象とした管弦楽法と、
ウィンド・オーケストラを対象とした吹奏楽法とがあります。

管弦楽法を得意とする人が、吹奏楽法に長じているか?と言えば、
これがそういうわけでもなく、
吹奏楽法に腕を揮う人が、管弦楽法にも長けているか?と言えば、
これがまた中々そうはいきません。

同じ “ 麺料理 ” とは言え〈ラーメン〉と〈日本そば〉とでは、
麺粉・製麺工程から出汁取り等の調理方法までが全て異なり、
同じ “ カレー ” とは言え〈インドカレー〉と〈日本カレー〉では、
香辛料を始めとして、レシピには大きな違いがあります。
事程左様に、同じ “ オーケストレーション ” とは言っても、
管弦楽法と吹奏楽法とは、似て非なるもの。

冒頭にシェアさせて頂きました楽曲の原曲は、
オーケストラ・アンサンブル金沢による演奏を想定して作曲し、
管弦楽法を用いてスコア(総譜)を書きました。

その後、金沢市内の中高ブラスバンド部の演奏を想定した、
吹奏楽化の依頼を頂戴し、スコアを書かせて頂いたのですが、
これが大変に苦心致しました。

そもそも吹奏楽器は呼吸を源としているため、音符を紡ぐに当たり、
息継ぎを念頭に置かなければならないこと。
吹奏楽で用いられる木管楽器・金管楽器の多くが、
B♭調・E♭調・F調・A調等々の移調楽器である為、C調楽器に比べて、
転調の度に生じる臨時記号の増減が混乱しがちで注意が必要なこと。
何よりも、
クラリネットパートの声部分け、ユーフォニウムの効果的な用い方、
サキソフォンパートの扱い、唯一の弦楽器であるコントラバスを、
安易にチューバとユニゾンで重ねてよいものかどうか?等々、
いささかなりとも培ってきた管弦楽法の技術・考え方が通用せず、
つくづく管弦楽法と吹奏楽法とは別物・・・の感を深くしました。

               

管弦楽法にせよ、吹奏楽法にせよ、
オーケストレーションの技法というものは、
作曲技法の中でも醍醐味中の醍醐味と言えるもの。

ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、
レスピーギ、ラベル、ドビュッシー、マーラー、バルトーク、
ストラビンスキー、ホルスト、コルンゴルト、武満徹等々、
そのオーケストレーションの技法は、
旋律を紡ぐ技法や響きを創る技法といったものと同様に、
作曲家の内的世界を強く表出しているものでもあります。

スコアには、大師匠の方々が編み出した、
オーケストレーションの秘密が明らかにされています。
オーケストレーションに限らず、スコアというものは、
作曲家の音楽世界が視覚化されたものであり、
その作曲家の内界で、その時、何が起きていたのか?
その謎を知るのに最も重要な “ 地図 ” でもあります。

こちらはオットリーノ・レスピーギ(1879〜1936)作曲、
「教会のステンドグラス」のスコアでありますが、

楽曲を通して聴かれるのは〈グレゴリオ聖歌〉。
レスピーギ先生は、奥様がグレゴリオ聖歌の研究家だったことから、
グレゴリオ聖歌に傾倒し、この名曲が生まれました。
つまり、この楽曲が醸している崇高な響きの中には、
レスピーギ先生の、奥様への愛をも聴くことが出来ると言えます。

スコアという、
宝の在りかと謎を解く鍵が示された “ 地図 ” を読むことは、
その音楽を聴くことと共に、至福の音楽体験と申せましょう。


               









一之御前神社

2021-10-24 16:41:11 | 神社仏閣
熱田神宮を参拝してまいりました。



こちらは熱田神宮・御本殿前の遥拝所。
熱田神宮の主祭神は、熱田大神(あつたのおおかみ)であります。

週末に加えて〈七五三〉ということもあり、
大勢の参拝客で賑わっていました。


御本殿の手前で右側へ進路を取りますと、

〈こころの小径〉と名付けられた細い道に入ります。

鬱蒼と茂る樹々に昼なお薄暗い熱田の杜。
〈こころの小径〉を道なりに歩んでまいりますと、
以前にも当ブログで触れさせて頂きましたところの、
龍神社あり、



星霜を経た御神木あり、



楊貴妃ゆかりの泉あり、

(泉の霊験に与ろうと長蛇の列が出来、近づけませんでした)

更に奥へと歩みを進め、杜を出て御本殿の真裏を通り、
やってまいりましたのは、こちらの社殿。

〈一之御前(いちのみさき)神社〉であります。

御祭神については諸説あるようですが、一説には、
熱田大神の “ 荒魂(あらみたま)” が祀られているのだとか。

“ 荒魂 ” が祀られていると聞きますと、想起されるのは伊勢神宮。
御承知置きの通り、伊勢神宮・内宮には、
正宮から少し離れた場所に荒祭宮(あらまつりのみや)が建ち、
天照大神(あまてらすおおみかみ)の “ 荒魂 ” が祀られています。

熱田神宮の主祭神・熱田大神とは、天照大神のことと伝わります。
それゆえに・・・と申して良いのかどうか分かりませんが、
伊勢神宮・荒祭宮に天照大神の “ 荒魂 ” が祀られる理由と、
熱田神宮・一之御前神社に熱田大神の “ 荒魂 ” が祀られる理由とは、
おおむね同じなのだと思われます。

               

御存知の方も多いこととは思いますが、
幕末から明治初期にかけて現れた神道思想の中に、

「一霊四魂(いちれいしこん)」

と呼ばれる特殊な考え方があります。「一霊四魂」の「四魂」とは、

“ 荒魂(あらみたま)”
“ 和魂(にぎみたま)”
“ 幸魂(さちみたま・さきみたま)”
“ 奇魂(くしみたま)”

の四種類の “ 魂 ” を指すとされ、おおよそのところ、

“ 荒魂 ” とは、活動をもたらす力
“ 和魂 ” とは、調和をもたらす力
“ 幸魂 ” とは、幸せをもたらす力
“ 奇魂 ” とは、霊感をもたらす力

という風にも伝えられており、
どこかこう “ スピリチュアル ” 的な趣があり、
この方面に興味を持つ方には大変奥深く感じられ、
この方面を嫌悪される方には随分うさん臭く感じられと、
この辺りは個々人の好みにより異なるものと思います。

               

「一霊四魂」の考え方は、
考案されて未だ150年程しか経たない新興の思想ですが、
天照大神の “ 荒魂 ” を祀った伊勢神宮・荒祭宮の創建は、
少なくとも1000年以上前のこととされています。

ということは、既に蒼古の昔から、
“ 魂 ” には幾つかの種類があり分類がある・・・、
という風に考えられていたことになります。
そうでなければ、正宮の他に別宮を建てる必要は無いはず。

そのように想ってみますと、
先に「一霊四魂」をして「特殊な考え方」と書きましたが、
“ 魂 ” に種類あり分類ありとする考え方自体は、
けっして「特殊な考え方」ではなかったのかも知れません。

或いはまた、
季節に春夏秋冬あり、気象に晴雨寒暖あり、
文明に栄枯盛衰あり、生命に生老病死あり・・・と、
たった一つの事象にも様々な側面があり、
たった一人の人間にも色々な性格が含まれていることを思えば、
“ 魂 ” にもまた4種類の性質ありとする「一霊四魂」は、
「特殊な考え方」と言うよりは、むしろ自然な考え方であり、
自然な考え方を特殊な言葉で語ったものなのかも知れません。

何にせよ、“ 荒魂 ” とは活動力、何かを起こす力、生み出す力、
立ち上がる力、抗う力等々、総じて “ 荒ぶる力 ” と受け取って、
さほど間違いではなさそうです。

               

さてその上で、熱田大神の “ 荒魂 ” を祀る一之御前神社。

社名の中に現れる「御前(みさき)」でありますが、
日本語の歴史上には、
“ 魂 ” と書いて「みさき」と読む用例があり、これを以って、
一之御前神社とは

「一之魂(いちのみさき)神社」

なのではないか?とする説があります。

真偽の程はさて措き、仮にそうであるとしたならば、
“ 荒魂 ” こそは「一之魂(いちのみさき)」であり、
幾種類もある “ 魂 ” の中で、
最も尊ぶべき “ 魂 ” 、特別な “ 魂 ” ・・・と、
そのような意味が秘められているような気もしてきます。

“ 荒魂 ” とか “ 荒ぶる力 ” と聞きますと、
早川は、つい暴力的でネガティブなイメージを抱くのですが、
それは「荒」という漢字に引きずられているだけのこと。
“ 荒魂 ” の力というのは、もしかしたらもっと本来的な力、
浅はかな例えで申すならば現代物理学で説かれるような、
〈重力・電磁気力・強い相互作用力・弱い相互作用力〉
といった根源的な力を指すのではないかとも思います。

               

今回、参拝致しました一之御前神社は、
その規模こそ “ こじんまり ” とした社殿でありましたが、
そこから唄い出されている凛然とした旋律、
そこから奏でられている高く清冽な響き、
そこから打ち出されている巨大なリズム、

全てが “ ただならぬ ” ものでありました。

神前に拝を為すうちに想われてまいりましたのは、
“ 荒魂 ” は、通常「あらみたま」と読むものの、
“ 荒魂る ” としてみれば「あらたまる」とも読めること。

何かをあらため、改革し、変容し、新しい何かを創造するのは、

『荒魂の力ぞぉ・・・』

熱田の杜を吹き渡る風の中に、
ふと声なき声を聴く想いがしました。





                







ツマグロヒョウモン

2021-10-17 15:09:40 | 日常
気ノ森に佇んでボーッとしておりますところへ、
先週は “ ツマグロキチョウ ” 、
今週は “ ツマグロヒョウモン ” が飛来しました。



よほど喉が渇いているのかして、

至近距離にいる早川にも気付かず、


気付いていたとしても、それどころではないという体で、

右へ左へ、下草に結ばれた朝露を一心不乱に飲んでいます。


その姿をカメラに収めようと、

早川も又、一心不乱に蝶を追うのであります。




                

こちらは城山八幡宮の連理木(れんりぼく)

“ 木食虫(キクイムシ)” から樹体を保護するため、
およそ3ヶ月に亘り巻かれていた養生テープが外されました。

その城山八幡宮境内の一角に、
おそらくは「花梨(かりん)」でありましょうか?

縦15センチ・横10センチほどの大きな果実が生っていました。
もし花梨であったとしたならば、
古来、花梨の実は「香木瓜」と呼ばれるほど良い香りのはず。
晩秋に向けて、芳香が楽しみであります。





                









ふたりの「道真」

2021-10-10 14:26:57 | 神社仏閣
気ノ森・第二道場の桜も、すっかり葉を落としています。

これから冬枯れてゆくであろう樹影に、
一抹の寂寥を感じつつ佇んでおりますと、

少し離れた下草辺りに、ツマグロキチョウが飛来。



さらに寄ろうとした途端に気付かれて、



フワッ・・・



スーッと気ノ森へ消えてゆきます。


               

当ブログでは、予てより早川の天神信仰にお付き合いを願い、
「名古屋三大天神」と称されるところの、
上野天満宮・山田天満宮・桜天神社への参拝記事などを、
折に触れて書かせて頂いております。

こちらは、名古屋市・丸の内に建つ桜天神社。

創建は今を去ること484年前、天文7年(1537年)と伝わり、
言わずもがなのことではありますが、
天神・菅原道真公(845~903)が祀られています。

早朝、職場へ向かう途上に参拝させて頂きますと、
同じように出勤の道すがら詣でる方々が引きも切りません。
一般的に、天神は “ 学問の神 ” とされていて、
確かに受験シーズンともなれば近隣の専門学校生を始め、
東海地方の学生諸氏の参拝で賑わいもするのでしょうが、
名古屋市・丸の内は、東京・丸の内と同様のオフィス街でもあり、
日々に参拝される方々の多くは学生ではなく、所謂「勤め人」。

しかしながら、
「学んで生きる」人間のことを「学生」と呼ぶのならば、
“ 向学 ” の志を持つ者は、
老若を問わず、皆々が生涯「学生」でありましょう。

ビルの狭間に建つ桜天神社に日参するサラリーマンやOLの方々は、
そうした “ 一片の志 ” をお持ちの方々なのかも知れません。
そうでなくとも、現代における天神の守備範囲は学問に限らず、
仕事運・健康運から家内安全まで生活全般に及ぶということを、
あらためて想うものであります。

               

とは申せ、御承知置きの通り、
天神信仰の起こりは“ 怨霊鎮め ”でありました。
菅原道真公の死後、公を追い落とした側に変事・変死が相次ぎ、
それらの事象が、怨霊と化した公の仕業であるとされた為、
供養を営み官位を贈るなどして、言わば「怨霊の御機嫌」を取り、
“ 怨霊(おんりょう)” を “ 御霊(おんりょう)” として祀り、
あわよくば加護を授かろうとしたことを起源としています。

後世に言う「御霊(ごりょう)信仰」が、これであります。

「怨む」という心的行為は、大きなエネルギーを必要とします。
「怨み」続ける内には、次第にくたびれても来ます。
その辺りの事情は、人も神も同じこと。
いかな祟り神(たたりがみ)とて、丁重な供養を受けるうちに、

「怨み続けるのにも倦み疲れた。
 そこまで崇敬してくれるのならば怨みも忘れようぞ。
 のみならず今後は、汝らを守り導こうぞ・・・」

となったとしても何ら不思議ではありません。

祟り神としての菅原道真公が、
“ 学問の神 ” とされるようになったのは、
公の死後100年ほど経過した頃と伝わります。

               

飛鳥時代に仏教が伝来して以来、
次第に日本古来の神々と仏教の尊格との融合が果たされ、
〈神仏習合〉の概念が拡がり、いつしか日本古来の神々は、
インドから請来された仏尊が「権(かりに)現れた姿」、
即ち「権現(ごんげん)」であるという風に解釈され、
本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が生まれます。

「本地」とは、「本体」とか「正体」というほどの意で、
これを「本地仏(ほんじぶつ)」と呼ぶわけですが、
天神の本地仏は、文殊菩薩であるとされました(諸説あります)。

どちらも “ 智慧 ” を司る神仏であることから、
ごく自然に照応関係が結ばれたものと思われますが、
ここに一巻の経典があります。

『仏説文殊師利般涅槃経~ぶっせつもんじゅしりはつねはんぎょう』
(下泉全暁「諸尊経典要義」青山社刊より転載)

経題中の「文殊師利」は、文殊菩薩の正式名。
サンスクリット語 “ マンジュシュリー ” の音写で、
「その声は美しく力があり、その姿、雰囲気が堂々としている者」
という意味なのだそうです。

御覧頂きたいのは経典の漢訳者名。

「西晋居士 聶 道真(しょう どうしん)」

西晋(せいしん)は、西暦265年~316年まで存在した中国の王朝。
居士(こじ)は、在家の修行者や学徳の高い人物を意味します。
つまり今を去ること1700年ほど前、中国・西晋時代に、
「聶 道真」なる学徳高き修行者が存在したということですが、
「聶 道真」の「道真」・・・「道真(みちざね)」と読めます。

文殊菩薩と天神。
時を超え、場所を超え巡り会う、ふたりの「道真」。
偶然のようでいて、必然のようでもあり、
必然のようでいて、偶然のようでもあります。

偶然は必然を内包し、必然は偶然を装うもの。
世界に生起する有りとあらゆる事象は、偶然か?必然か?
ふたつには分けられないものと思います。





               









阿難(アナン)

2021-10-03 16:18:07 | 仏教関係
秋晴れの覚王山・日泰寺









写真両脇、柵囲いの中に、二体の木像が御覧頂けるかと思います。



向かって左側が、十大弟子の一人「摩訶迦葉(マカカショウ)」。

釈迦が率いた教団の最長老であったとされ、
釈迦入滅後の教団をまとめ “ 仏教第二祖 ” とされます。


向かって右側が、同じく十大弟子の一人「阿難(アナン)」。

若い頃から釈迦に付き従うこと25年。
諸説あるようですが、この阿難という人は、
誰よりも長く師のそばに仕え、師の教えを聞き、教えを守り、
一生懸命修行に励んだものの、
ついに “ 悟り ” を得ることが出来なかったとされます。
師の最期を看取ったのも、この阿難でありました。
臨終の師に、阿難は言います。

「私は愚鈍に過ぎ、25年の長きに亘り師の教えに触れながら、
 悟ることが出来ませんでした。
 さぞ私のことを憎んでおられましょう。」

釈迦は絶えてゆく息の中、阿難に告げます。

「いいや、阿難よ、おまえのそういうところをこそ、
 私は心から愛してやまないのだよ。」

阿難は慟哭します。
そしてこの慟哭の瞬間、阿難は悟りを得たとも伝わります。

数ある仏教説話の中でも、特に心を揺さぶられる場面でもあり、
私自身、阿難の “ 在りよう ” というものに心惹かれます。

               

自治体からワクチン接種の予約券が届き、
かかりつけの医療機関で接種が受けられることを知り、
予約の電話を入れたのが8月。
その時点で「接種を受けられるのは2ヶ月先・・」とのことで、
昨日ようやく第1回めのワクチン接種を受けてまいりました。

早川は、ワクチン接種を「受ける」という選択をしましたが、
持病、アレルギー体質、個人の信条等々、諸般の事情により、
ワクチン接種を「受けない」という選択をされる方々もおられます。

どちらもが尊重される社会、
どちらもが不利益を被らない世の中であることを切に願います。