昨日(令和6年6月8日)、日帰りで奈良~京都へ。
会期終了間近の展覧会を、どうしても観ておきたく、
朝早くに名古屋を発ち行ってまいりました。
近畿日本鉄道を利用し伊勢中川経由で奈良へ入り、
やってまいりましたのは近鉄・奈良駅から徒歩10分、

奈良国立博物館であります。
「空海 / 密教のルーツとマンダラ世界」展

かねてより連日の盛況ぶりは耳にしておりましたが、
この日は会期終了間際ということもあり、
入場券を購入するにも長蛇の列。
今回の展覧会、何が良かったと申して、
仏像・尊像の何体かが、ガラスケース越しではなく、
何の隔てもない空間で拝観できたこと。
無論、厳重な警備体制が敷かれた上での展示でありますが、
ガラスケースという隔てが無いことに加えて、
その尊像の回りを巡って拝観できるよう工夫されていて、
そうした工夫の数々によって、展覧会場でありながら、
寺院内部のような雰囲気が醸されていました。
仏像を運んで来て見せるというだけに留まらず、
その仏像が纏っている空間をも移設するという展示方法は、
今までとは違った視点をもたらすもの。
それが顕著に感じられたのが、
弘法大師・空海上人坐像(和歌山・金剛峰寺)、
通称「萬日大師」と呼ばれる、室町~桃山時代の名像。
過去に幾度となく拝観しておりますが、
尊像を周回し、つぶさに拝んだのは今回が初めて。
表情、眼差し、後頭部や背部の圧倒的重厚感等々、
どれもが拝む角度によって千変万化してゆき、
「生けるが如し」を実感するものでありました。



さて、奈良から京都へ移動し訪れましたのは、
京都駅から歩くこと、およそ15分、

龍谷ミュージアムであります。
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」展は、
武装勢力によって爆破され消滅した、
バーミヤン大仏の新たな “ 描き起こし図 ” を中心として、
バーミヤン大仏が鎮まっていた岩屈に描かれた、
ゾロアスター教の太陽神・ミスラが、
仏教に取り入れられ弥勒信仰へと繋がっていった流れを、
豊富な資料で明らかにしてゆくスケールの大きな内容。
今回訪れた二つの展覧会のテーマは、
かたや密教のルーツ、かたや弥勒信仰のルーツと、
どちらも “ 源流 ” を尋ね、“ 源泉 ” を探るものでした。

二つの展覧会については、
後日あらためて感想等を記したいと思います。
(左「空海」展フライヤー、右「文明の十字路」展図録)



さて、この日最後に訪れましたのは教王護国寺(東寺)。

講堂

堂内は、めくるめく “ 密 ” の宇宙。
金堂

薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られています。
特には月光菩薩。
その魅力たるや筆舌に尽くしがたいものが有り、
唯々、手を合わせ続けるばかりであります。
『スールダッタよ、
あのうたこそは わたしのうたで
ひとしく おまえのうたである。』
(宮沢賢治「竜と詩人」より)

皆様、良き日々でありますように!






会期終了間近の展覧会を、どうしても観ておきたく、
朝早くに名古屋を発ち行ってまいりました。
近畿日本鉄道を利用し伊勢中川経由で奈良へ入り、
やってまいりましたのは近鉄・奈良駅から徒歩10分、

奈良国立博物館であります。
「空海 / 密教のルーツとマンダラ世界」展

かねてより連日の盛況ぶりは耳にしておりましたが、
この日は会期終了間際ということもあり、
入場券を購入するにも長蛇の列。
今回の展覧会、何が良かったと申して、
仏像・尊像の何体かが、ガラスケース越しではなく、
何の隔てもない空間で拝観できたこと。
無論、厳重な警備体制が敷かれた上での展示でありますが、
ガラスケースという隔てが無いことに加えて、
その尊像の回りを巡って拝観できるよう工夫されていて、
そうした工夫の数々によって、展覧会場でありながら、
寺院内部のような雰囲気が醸されていました。
仏像を運んで来て見せるというだけに留まらず、
その仏像が纏っている空間をも移設するという展示方法は、
今までとは違った視点をもたらすもの。
それが顕著に感じられたのが、
弘法大師・空海上人坐像(和歌山・金剛峰寺)、
通称「萬日大師」と呼ばれる、室町~桃山時代の名像。
過去に幾度となく拝観しておりますが、
尊像を周回し、つぶさに拝んだのは今回が初めて。
表情、眼差し、後頭部や背部の圧倒的重厚感等々、
どれもが拝む角度によって千変万化してゆき、
「生けるが如し」を実感するものでありました。



さて、奈良から京都へ移動し訪れましたのは、
京都駅から歩くこと、およそ15分、

龍谷ミュージアムであります。
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」展は、
武装勢力によって爆破され消滅した、
バーミヤン大仏の新たな “ 描き起こし図 ” を中心として、
バーミヤン大仏が鎮まっていた岩屈に描かれた、
ゾロアスター教の太陽神・ミスラが、
仏教に取り入れられ弥勒信仰へと繋がっていった流れを、
豊富な資料で明らかにしてゆくスケールの大きな内容。
今回訪れた二つの展覧会のテーマは、
かたや密教のルーツ、かたや弥勒信仰のルーツと、
どちらも “ 源流 ” を尋ね、“ 源泉 ” を探るものでした。

二つの展覧会については、
後日あらためて感想等を記したいと思います。
(左「空海」展フライヤー、右「文明の十字路」展図録)



さて、この日最後に訪れましたのは教王護国寺(東寺)。

講堂

堂内は、めくるめく “ 密 ” の宇宙。
金堂

薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られています。
特には月光菩薩。
その魅力たるや筆舌に尽くしがたいものが有り、
唯々、手を合わせ続けるばかりであります。
『スールダッタよ、
あのうたこそは わたしのうたで
ひとしく おまえのうたである。』
(宮沢賢治「竜と詩人」より)

皆様、良き日々でありますように!





