若い命たちと共に、
蒲公英(たんぽぽ)の花の構造を学びました。
初等~中等教育における学習項目なので、
皆様におかれましては既に良く御存知のこととは思いますが、
早川はすっかり忘れておりました上に、
今回の学びには何か大切なものがあるような気がして、
帰宅後、
自らの心の水田に苗を植えるようなつもりで復習致しました。
タンポポの花と申しますと、
私は概ね下図のような姿を思い浮かべます。

しかし、これはタンポポの花ではないのですよね。
タンポポ(セイヨウタンポポ)の花は、こちら。

この小さな短冊状の花が200~300程度、
ぎっしりと密集したものがタンポポなのでありました。
つまり私たちが目にするタンポポとは、
“ タンポポの花 ” の集合体。
私たちは “ 何か ” を遠目から見て、
「あぁ、 “ 何か ” であるな・・・」と判断しますが、
実は、その “ 何か ” は “ 何か ” ではなく、
“ 何か ” を構成する “ 何か ” の集まりであると、
そういったケースが多く見受けられるかと思います。
有り体に申せば、
「誤認」
ということであります。
「海は広いな大きいな」と唄いはしても、
海とは水の一滴、ひとしずくが集まったもの。
夜空を見上げて「あそこに星が瞬いている」と思っていても、
実は夥しい数の星々の集まりという場合もあるでしょうし、
「あの企業はさぁ」と言っても、企業そのものが在るわけではなく、
在るのはそこで働く人々と系統化された労働力の集合体。
広く想ってみますと、
私たち人間も便宜上「〇〇さん」として認識されてはいるものの、
その実態は、およそ40兆~60兆個の細胞の集まりであり、
しかもそれら膨大な数の細胞は日々に生死を繰り返しています。
一体何が「〇〇さん」の実態実相なのでしょうか?
冒頭「今回の学びには何か大切なものがあるような気がして」、
と記しましたのは、その辺りのことなのですが、
書いているうちにテーマが大き過ぎることに気が付きました。
仏教哲学に説かれる「空観」や「唯識」の森に分け入る必要があり、
現況の早川には及びもつきません。
タンポポの花の構造に小さな感動を覚え、
「心の水田に苗を植えるようなつもり」での復習なれば、
いつか苗が育つことを期して稿を改めます。



今回、タンポポを復習する内に分かったことを記します。
先ずは「タンポポ」という不思議な名前の由来。
江戸時代、この植物の茎を裂いて水に浸けると反り返り、
その形状が邦楽器の “ 鼓(つづみ)” に似ることから、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫・・・で、
「タンポポ」と呼ばれるようになったのだとか。
いやホンマかいな?と思わぬでもありませんが、
タンポポの古名は「鼓草」・・・ま、一説として。
次に、なぜタンポポを「蒲公英」と漢字表記するのかですが、
その昔、中国大陸から或る薬草が伝えられたと謂います。
胃を丈夫にし強壮作用に優れるという薬草は、
その名を「蒲公英(プー・グォン・イン)」。
我が邦の漢方医が調べたところ、それは他ならぬ「鼓草」、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫
つまりは「タンポポ」だったということで、
そのまま「蒲公英」と当てられたそうです(諸説あります)。



仏教詩人、坂村真民(1909~2006)の詩「タンポポ魂」
(坂村真民「タンポポの本」春陽堂書店刊 / 改行原文のまま)
『踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする』

皆様、良き日々でありますように!






蒲公英(たんぽぽ)の花の構造を学びました。
初等~中等教育における学習項目なので、
皆様におかれましては既に良く御存知のこととは思いますが、
早川はすっかり忘れておりました上に、
今回の学びには何か大切なものがあるような気がして、
帰宅後、
自らの心の水田に苗を植えるようなつもりで復習致しました。
タンポポの花と申しますと、
私は概ね下図のような姿を思い浮かべます。

しかし、これはタンポポの花ではないのですよね。
タンポポ(セイヨウタンポポ)の花は、こちら。

この小さな短冊状の花が200~300程度、
ぎっしりと密集したものがタンポポなのでありました。
つまり私たちが目にするタンポポとは、
“ タンポポの花 ” の集合体。
私たちは “ 何か ” を遠目から見て、
「あぁ、 “ 何か ” であるな・・・」と判断しますが、
実は、その “ 何か ” は “ 何か ” ではなく、
“ 何か ” を構成する “ 何か ” の集まりであると、
そういったケースが多く見受けられるかと思います。
有り体に申せば、
「誤認」
ということであります。
「海は広いな大きいな」と唄いはしても、
海とは水の一滴、ひとしずくが集まったもの。
夜空を見上げて「あそこに星が瞬いている」と思っていても、
実は夥しい数の星々の集まりという場合もあるでしょうし、
「あの企業はさぁ」と言っても、企業そのものが在るわけではなく、
在るのはそこで働く人々と系統化された労働力の集合体。
広く想ってみますと、
私たち人間も便宜上「〇〇さん」として認識されてはいるものの、
その実態は、およそ40兆~60兆個の細胞の集まりであり、
しかもそれら膨大な数の細胞は日々に生死を繰り返しています。
一体何が「〇〇さん」の実態実相なのでしょうか?
冒頭「今回の学びには何か大切なものがあるような気がして」、
と記しましたのは、その辺りのことなのですが、
書いているうちにテーマが大き過ぎることに気が付きました。
仏教哲学に説かれる「空観」や「唯識」の森に分け入る必要があり、
現況の早川には及びもつきません。
タンポポの花の構造に小さな感動を覚え、
「心の水田に苗を植えるようなつもり」での復習なれば、
いつか苗が育つことを期して稿を改めます。



今回、タンポポを復習する内に分かったことを記します。
先ずは「タンポポ」という不思議な名前の由来。
江戸時代、この植物の茎を裂いて水に浸けると反り返り、
その形状が邦楽器の “ 鼓(つづみ)” に似ることから、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫・・・で、
「タンポポ」と呼ばれるようになったのだとか。
いやホンマかいな?と思わぬでもありませんが、
タンポポの古名は「鼓草」・・・ま、一説として。
次に、なぜタンポポを「蒲公英」と漢字表記するのかですが、
その昔、中国大陸から或る薬草が伝えられたと謂います。
胃を丈夫にし強壮作用に優れるという薬草は、
その名を「蒲公英(プー・グォン・イン)」。
我が邦の漢方医が調べたところ、それは他ならぬ「鼓草」、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫
つまりは「タンポポ」だったということで、
そのまま「蒲公英」と当てられたそうです(諸説あります)。



仏教詩人、坂村真民(1909~2006)の詩「タンポポ魂」
(坂村真民「タンポポの本」春陽堂書店刊 / 改行原文のまま)
『踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする』

皆様、良き日々でありますように!





