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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

蒲公英(たんぽぽ)

2025-05-11 15:39:01 | 自然
若い命たちと共に、
蒲公英(たんぽぽ)の花の構造を学びました。
初等~中等教育における学習項目なので、
皆様におかれましては既に良く御存知のこととは思いますが、
早川はすっかり忘れておりました上に、
今回の学びには何か大切なものがあるような気がして、
帰宅後、
自らの心の水田に苗を植えるようなつもりで復習致しました。

タンポポの花と申しますと、
私は概ね下図のような姿を思い浮かべます。

しかし、これはタンポポの花ではないのですよね。


タンポポ(セイヨウタンポポ)の花は、こちら。

この小さな短冊状の花が200~300程度、
ぎっしりと密集したものがタンポポなのでありました。
つまり私たちが目にするタンポポとは、
“ タンポポの花 ” の集合体。

私たちは “ 何か ” を遠目から見て、
「あぁ、 “ 何か ” であるな・・・」と判断しますが、
実は、その “ 何か ” は “ 何か ” ではなく、
“ 何か ” を構成する “ 何か ” の集まりであると、
そういったケースが多く見受けられるかと思います。
有り体に申せば、

「誤認」

ということであります。

「海は広いな大きいな」と唄いはしても、
海とは水の一滴、ひとしずくが集まったもの。
夜空を見上げて「あそこに星が瞬いている」と思っていても、
実は夥しい数の星々の集まりという場合もあるでしょうし、
「あの企業はさぁ」と言っても、企業そのものが在るわけではなく、
在るのはそこで働く人々と系統化された労働力の集合体。
広く想ってみますと、
私たち人間も便宜上「〇〇さん」として認識されてはいるものの、
その実態は、およそ40兆~60兆個の細胞の集まりであり、
しかもそれら膨大な数の細胞は日々に生死を繰り返しています。
一体何が「〇〇さん」の実態実相なのでしょうか?

冒頭「今回の学びには何か大切なものがあるような気がして」、
と記しましたのは、その辺りのことなのですが、
書いているうちにテーマが大き過ぎることに気が付きました。
仏教哲学に説かれる「空観」や「唯識」の森に分け入る必要があり、
現況の早川には及びもつきません。
タンポポの花の構造に小さな感動を覚え、
「心の水田に苗を植えるようなつもり」での復習なれば、
いつか苗が育つことを期して稿を改めます。

                 

今回、タンポポを復習する内に分かったことを記します。
先ずは「タンポポ」という不思議な名前の由来。
江戸時代、この植物の茎を裂いて水に浸けると反り返り、
その形状が邦楽器の “ 鼓(つづみ)” に似ることから、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫・・・で、
「タンポポ」と呼ばれるようになったのだとか。
いやホンマかいな?と思わぬでもありませんが、
タンポポの古名は「鼓草」・・・ま、一説として。

次に、なぜタンポポを「蒲公英」と漢字表記するのかですが、
その昔、中国大陸から或る薬草が伝えられたと謂います。
胃を丈夫にし強壮作用に優れるという薬草は、
その名を「蒲公英(プー・グォン・イン)」。
我が邦の漢方医が調べたところ、それは他ならぬ「鼓草」、
ポンポン・ポポポン・タンポポ・ポン♫
つまりは「タンポポ」だったということで、
そのまま「蒲公英」と当てられたそうです(諸説あります)。

                 

仏教詩人、坂村真民(1909~2006)の詩「タンポポ魂」
(坂村真民「タンポポの本」春陽堂書店刊 / 改行原文のまま)

『踏みにじられても
 食いちぎられても
 死にもしない
 枯れもしない
 その根強さ
 そしてつねに
 太陽に向かって咲く
 その明るさ
 わたしはそれを
 わたしの魂とする』

皆様、良き日々でありますように!


               








気ノ池、気ノ森の桜 2024

2024-04-14 14:42:55 | 自然
皆様がお住まいの地域では、
桜の開花散花はいかがでありましょうか。

早川が住まう場所では1週間前頃が花期の盛りでした。



気ノ池のほとり



池畔に華やいだ桜も、



本日(2024年4月14日)時点では、

おおよそ葉桜へと移ろっています。

というわけで動画内の桜は、全て今春(2024年4月)のもの。
関東在住時に作曲しました組曲「うつろい」から、
“ 桜の章 ” と共に、ひとときお楽しみ頂ければ幸いです。


皆様、良き日々でありますように!


               










冬の寒さがあればこそ

2024-04-07 16:36:27 | 自然
当ブログでは何度か触れてまいりましたところの

「休眠打破」

桜は、その花芽を夏頃には付けるものの、
開花を抑制する植物ホルモンの一種、
“ アブシシン酸 ” が樹葉から供給されるため、
花芽は花芽のまま秋冬を迎え休眠状態へ。

冬の寒さに一定期間さらされることで、
寒冷刺激が “ アブシシン酸 ” の開花抑制を解除し、
そこに加えて春の気温上昇を感受すると、
こんどは花芽(蕾)の中で作られる開花促進ホルモン、
“ ジベレリン ” が分泌され、一気に花を咲かせるというのが、
「休眠打破」の大まかな機序と伝わります(諸説あります)。

つまり、冬の厳しい寒さを通り越さないと、
“ アブシシン酸 ” の開花抑制が解除されず、
花は咲くに咲けないということなのでしょう。

いま桜の時期を迎え「休眠打破」という、
自然界の妙なる働きを目の当たりにしますと、
どうも桜樹と人間とが重なって観えてきて、
「冬の寒さがあればこそ」

そうだ、人の生涯においても、
冬の寒さにさらされるような時期にこそ、
意味が有るのだよなぁ・・・、
などと思われてくるのであります。

いや、こうした感想は前時代的な情緒かも知れません。
それでも「休眠打破」。

開花には “ 冬の寒さ ” が必須という桜の生態は、
失意、落胆、困難、逆境等々、
私たちが生きてゆく上で経験せざるを得ない、
言わば “ 冬の寒さ ” というものをして、
「それがあなたという花を開かせる・・・」と、
そんな視座を授けてくれるような気がします。


“ Cherry blossoms transform into the Dragon Ⅱ ”
~ 桜龍招福 ~

皆様、良き日々でありますように!


               








春愁

2023-04-02 15:35:51 | 自然
幾多の企業を始め、飲食・観光・娯楽等の商業施設に加えて、
大小のマンションが並ぶのは名古屋・栄(さかえ)の一帯。
その名の通り良く栄えた場所に林立するビル群の狭間に建つのは、
当ブログでは折に触れて参拝しておりますところの、
成田山・新勝寺・名古屋栄分院《萬福院》であります。

枝垂れ桜の花期に間に合いました(3月28日撮影)。

                 

花の盛りは過ぎゆきて、



桜やモクレンは散りそめるものの、



気ノ池・気ノ森と、その手前に広がる緑地公園には、



多くの桜が植えられているため開花時期に個体差があり、

割と長く桜花を楽しむことが出来ます。


それゆえ、ちょっとしたお花見スポットという風情で、



いまの時期、多くの家族連れで賑わいます。


                 

待ちに待った春の光を浴びつつも、ふと一抹の愁いを感じる。
いささか不可解なれど誰しもが覚えのある心情を詠う季語に、
「春愁(しゅんしゅう)」があります。

この「春愁」なる二字熟語を眺めていて視覚的に面白いのは、
「春」と「秋」の二文字が隣り合うところでしょうか。
春の明かりと秋の陰り、歓びと哀しみ、喧噪と静寂等々、
相対する二つの世界が分ちがたく並び、
二つで一つ、一つで二つの世界を醸しているように観えます。


これを例によって「二而不二(ににふに)」とか、

「陰陽太極」などと申せば大袈裟に過ぎるかも知れません。


とは言え、
人は希望だけで生きてゆくことはできず、

前進ばかりが許されるわけでもなく、
喜びのみにて日々を送ることも出来ません。

時に絶望し、時に後退し、時に愁いを抱くことが、
人間生命の在りようとしては自然な姿であり、

光と闇、慈愛と憎悪、歓喜と悲哀を行ったり来たりすることが、
人間生命の全体像としては健やかなものであるということを、
「春愁」は、その言葉の奥底に秘めているようにも感じます。


昨春から撮り溜めておりました気ノ池・気ノ森の桜を、
関東在住時に作曲しました「うつろい ~ 桜の章」と共に。

皆様、良き日々でありますように!


               







晩秋の龍影

2022-11-20 15:12:26 | 自然
当地の気温も朝晩は10度を下回るようになりました。



気ノ森は、蜘蛛の巣の森。

蜘蛛も落ち葉も、お互い「あれっ?」と戸惑います。


こちらはムラサキシキブの実。

黄色く色づいた葉は、実が生ったことを見届けてから、
秋の大気に身を踊らせるのでしょうか。


惜春の情、惜夏の情もさることながら、

冬の扉を前にして、惜秋の想いというのはまた格別なもの。

                 

星は晩年になると赤みを増し、
中にはオリオン座のベテルギウスのように、
“ 赤色巨星 ” へと移行する天体もあると聞きます。

枝を離れる間際の、赤く燃える樹々の葉を眺めておりますと、

人が紅葉に魅せられるのは、ただ美しいからというだけではなく、


散りゆくものが最後に唄う歌、言わば “ 命の絶唱 ” 、

その音色、その響きに、心奪われるからなのかも知れません。


“ 赤色巨星 ” は、やがて超新星爆発を起こして砕け散りますが、

その超新星爆発の際に生じた “ 元素 ” の数々が、
次世代の星、次世代の命の原材料となるように、


無数の落葉も大地に還り、次の命の “ 元素 ” となるのであれば、

遥かなる天体の営みと、今ここで紡がれる晩秋の営みとは相似形、
“ 事象のフラクタル ” という風にも思われてきます。


“ Autumn leaves and Dragon ” ~ 晩秋の龍影 ~

皆様、良き日々でありますように!