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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

森鴎外「高瀬舟」

2022-03-27 13:56:45 | 
よく「若者の活字離れ」などと言われますが、
職場で触れ合う若い方々(18~22歳程度)の中には読書家が多く、
彼ら彼女たちから様々なことを学ぶばかり。
早川は自分自身の活字離れを恥じ入ることはありこそすれ、
「若者の活字離れ」を感じたことはありません。
先日も、新旧の小説を月15~20冊は読むという青年が、
学び舎を巣立つに当たり、別れの挨拶に訪れて下さり、

『いやぁ早川さん、「高瀬舟」いいっすよねぇ・・・』

と感に堪えたように話しかけてくれました。
これを「タイカイ、高瀬舟を読め」との天声人語と受け止めました。

               

森鷗外(1862~1922)の短編小説「高瀬舟」。
江戸時代、京都町奉行所に勤める同心・羽田庄兵衛は、
“ 弟殺し” の廉で遠島(島流し)となる罪人の喜助を、
高瀬川を上り下りする小舟、通称「高瀬舟」に乗せ、
港まで護送する役目を命じられます。
ベテラン同心の羽田庄兵衛は、
それまで幾度となく高瀬舟での罪人護送を経験していて、
多くの場合、遠島となる罪人と、同船を許された親族との間では、
悲嘆と後悔が交わされ、涙と呻吟に暮れるのが常でした。

ところが喜助は違っていました。
どこかこう落ち着きの中に在るように見受けられるのです。
尤も、それは同船する親族もなく単身島流しに向かう境遇の為、
悲嘆の涙を流し合うことすら出来ないからなのかも知れません。
そのように思ってみたとしても、
庄兵衛の中に芽生えた、喜助に対する好奇心は拭えません。
その好奇心は、自ずと二つの疑問を生じることに。

一つめは、喜助の表情に見え隠れする晴れやかさからくる疑問、
遠島の憂き目に遭っていることをどう感じているのか?
二つめは、喜助の佇まいに滲み出る穏やかさからくる疑問、
これが本当に “ 弟殺し ” を犯した人間なのだろうか?

ついに庄兵衛は尋ねます。
自分は多くの遠島罪人を見てきた。
皆一様に島流しを嫌がり、船上に苦衷の涙をこぼすものだが、
喜助、お前は少しも嫌がっているように見えない。
それどころか、まるで行楽の旅にでも出かけるかのように見える、
なぜだ。

庄兵衛が抱く一つめの疑問に、喜助は概ね次のように答えます。

「そのように見えましたか。お声がけありがとうございます。
 遠島となって悲嘆の涙に暮れるのは、それまでの生活が、
 それなりに豊かで楽しかった人々なのだと思います。
 自分が嘗めてきた辛酸は、他の方々の想像を超えるもので、
 それに比べたら遠島の罪で流される先の島の暮らしが、
 どうにも楽しみに感じられてくるのです。」

そして彼が幼少期に両親を亡くして以来、
誰にも守られず、世間の中に自分の居場所が無かったこと。
働いても働いても、食べてゆくのが精一杯だったこと。
どのような仕事であっても、骨身を惜しまずに働いたが、
稼いだ金銭は、借財などもあって右から左へと消えたこと。
しかし今、一命だけは助けて貰った上に、
島流しとは言え、自分の居場所を与えられ、
尚「二百文の鳥目(ちょうもく)」までをも授かった。
これ以上に有難いことはない。

といったことが語られるのでした。
「二百文の鳥目」とは、遠島罪人に支給される “ 給付金 ” で、
一概に貨幣換算は出来ませんが、現在の2千円程度でしょうか。

喜助の言葉を聴いた庄兵衛は、自身の身の上に引き比べて、
人間の在り方というものに想いを凝らします。
自分を含め人間というものは、いつも不安の中に在り、
常に “ 渇き ” を覚えながら生きている。
例えば、
今はまだ収入があるけど、仕事が無くなったらどうしよう。
収入のある内に、もっと収入を上げて蓄えが欲しい。
今は健康だけど、明日病気になったらどうしよう。
健康な内に、もっと健康を謳歌したい。
今は愛されているけれど、やがて飽きられたらどうしよう。
愛されている内に、もっと愛を獲得しておきたい。

もっと欲しい、もっと得たい。
人間は、いや少なくとも私や私の妻は、未だかつて、
“ いま・ここ ” に満足したことが無いのではないか・・・。

『人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。
 それを今、目の前で踏み止まって見せてくれるのが此喜助だと、
 庄兵衛は氣が附いた。』
        (引用元:森鴎外「高瀬舟」新潮社刊、以下同)

喜助の晴れやかさの正体が、辛酸にまみれた半生と、にも拘らず、
辛酸に引きずり込まれることなく堕落しなかった事に由来する、

“ 足るを知る ”

の精神に在ったことに深く感銘を受けた庄兵衛は、
尚のこと、二つめの疑問を抱かざるを得ません。
この男が本当に “ 弟殺し ” の罪を犯したのだろうか・・・。

『色々の事を聞くようだが、お前が今度島へ遣られるのは、
 人をあやめたからだと云ふ事だ。己(おれ)に序(ついで)に
 そのわけを話して聞かせてくれぬか。』

幼少期に両親を亡くした喜助兄弟は助け合って生きてきました。
西陣織の作業場に職を得た二人は、
粗末な小屋に住みながら職場通いを続けていましたが、
やがて弟が病気にかかり働けなくなります。ある日、
仕事を終え帰宅した喜助は、血だらけで倒れている弟を発見します。
不治の病を得て働けなくなった弟は将来を悲観し、
兄に迷惑をかけたくない一心から、剃刀で喉を切ったのでした。
掠れた声で弟は言います。

『すぐ死ねるだらうと思ったが
 息がそこから漏れるだけで死ねない。』

見れば、剃刀は喉笛に深々と刺さったままになっています。
痛がり、苦しむ弟。
医者を呼ぼうとする喜助に弟は懇願します。

『医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』

刺さったままの剃刀を抜けば大きな血管が切れて、
自分は死ぬことが出来る、楽になれる、だから早く抜いてくれ。
弟はそう訴えているのです。
激痛が増し、いよいよ苦しいのでしょう。

『弟の目は「早くしろ、早くしろ」と云って、
 さも怨めしそうにわたくしを見てゐます。』

なぜ兄は剃刀を抜き、死なせてくれないのか。
早く楽にしてくれ・・・喜助を見る弟の目は、

『とうとう敵(かたき)の顔をでも睨むような、
 憎々しい目になってしまひます。』

喜助も事ここに及んでは、もはやどうすることも出来ません。

『わたくしは「しかたがない、抜いて遣るぞ」と申しました。』

喜助の手により弟の喉から剃刀が抜かれ、噴き出る大量の血液。
弟は、すぐに息を引き取ります。
しかし折悪しく、偶々訪れた隣家の住人がその現場を目撃します。
経緯、事情、事の流れを何も知らない隣人の目に映ったのは、
“ 弟殺し ” の大罪を犯す喜助の姿でしかありません。
すぐさま捕縛され、裁かれ、遠島が申し渡されました。

語り終えて俯く喜助。
聴き終えて俯く庄兵衛。

船が漕ぎ出された頃には耳に届いていた入相の鐘も止み、
夕闇せまる京の町。
高瀬川の水面には、いつしか岸辺の灯火が映り始めています。
庄兵衛には、あらたな疑問が湧いていました。

『これが果たして弟殺しと云ふものだらうか、
 人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、
 話を半分聞いた時から起って来て、
 聞いてしまっても、其疑を解くことが出来なかった。』

               

「高瀬舟」を読み直し、
あらためて「安楽死」を巡る問題を想いましたが、
この「安楽死」については、また稿を改めることとして、
むしろ今回考えさせられたのは、喜助の弟が自殺を図った経緯。
不治の病を得て働けなくなり、将来を悲観してのことですが、
自らの喉に剃刀を突き立てて倒れているところを発見し、
驚いて抱き起こす兄の喜助にこう告げているのです。

『済まない。どうぞ堪忍してくれ。
 どうせなほりさうにもない病氣だから、
 早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思ったのだ。』

私たちが暮らす社会は、
人間生命というものを経済的価値に換算して成り立っています。
有り体に言うならば、
稼ぐ人間には価値があり、稼がない人間には価値がない、
ということであります。
病気で働けなくなった弟は、自分の存在価値を見失い、
自己肯定感の低下から自殺に及んだのでしょう。
けれども、

『どうせなほりさうにもない病氣』

本人にも、どうせ治りそうにもない病気と分かっているのです。
ならば、
病気の進行に任せて自然死に至るという選択肢もあったはず。
しかし弟は、続けてこう言います。

『早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思ったのだ。』

自分が早く死ねば、少しでも兄が楽になると考えたわけで、
この発言の背景には、
自分は兄の “ お荷物 ” に違いないという思い込みがあります。

もしかしたら自殺を図った理由に占める割合としては、
病気そのものよりも、病気で稼げなくなったことで生じた、
兄に対する “ 申し訳なさ ” の方が大きかったのかも知れません。

               

確かに、稼ぐことは良い事ですし、稼げる人は立派です。
しかしながら “ 働くこと ” と “ 稼ぐこと ” とは、
次元を分けて考えるべきではないかと思います。

喜助の弟は、病気で稼げなくなりました。
けれども「働いていた」と、早川は思うのであります。
どういうことかと申しますと、
「生きている」ということは、生命が活動していることであり、
生命が活動しているということは、そこで活動電位が生まれ、
アデノシン3リン酸が生成され、ミトコンドリアが働き、
細胞が働き、細胞の集合体である脳が働き、
心臓を始めとした内臓諸器官が働き、それら働きの上に、
呼吸という働きが働き、摂取・消化・吸収・排泄の働きが働き、
私たち自身は「何もしていない」と感じている時でさえ、
自律神経系・ホメオスタシス系・新陳代謝系等々、
様々な働きが働き詰めに働いている・・・というのが、
私たちの生命の実態なのであります。

「 “ 働くこと ” と “ 稼ぐこと ” とは次元を分けて考えるべき」
と書きましたのは、そういうことからであります。

尤も、これは詭弁・屁理屈の類いに過ぎないのかも知れません。
只、稼ぐ稼がないに拘らず「働いている」のが生命の真実である、
というところに人間存在の根本を据え、そこを死守しないと、
この世界は、
稼ぐ人だけが生きる事を許され、稼ぐ人だけが認められる・・・、
という殺伐荒涼とした世界に堕するように思うのであります。

喜助の弟は、病気で稼げなくなりましたが、
間違いなく「働いていた」のであります。
生きられる限り、堂々と生きていれば良かったのです。
喜助にしても、負担はあったかも知れませんが、
病気の弟を心の支えにこそすれ、迷惑な “ お荷物 ” などとは、
ついぞ思いさえしなかったのではないでしょうか。

長々と駄文を連ねてしまいましたが、
実はこの辺りを足掛かりと致しまして、
コロナ感染した芸能人や著名人は、なぜ謝罪するのか?
「謝罪」という以上、コロナ感染は「罪」なのか?
病気にかかることは「罪」なのか?
「罪」だとしたら「病人」は「罪人」なのか?・・・という、
ずっと以前から抱く疑問について浅慮を巡らせるつもりが、
もはや紙幅も尽きました。
先の「安楽死」問題と同様、機会と稿を改めます。


『次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人 二人を載せた高瀬舟は、

 黒い水の面をすべって行った。』(森鴎外「高瀬舟」より)



               








失意によって開かれる扉

2022-03-20 18:02:26 | 神社仏閣
名古屋・大曽根の地に建つ山田天満宮を参拝しました。

言わずもがなのことながら、御祭神は菅原道真公(845〜903)。
公の学識・学徳に因んで、主に学問上のことに霊験ありとされ、
早川自身、名古屋転居に伴って御縁を頂いた職場の性格上、
自ずと天満天神信仰の道へと導かれました。

職場で触れ合う有縁の若武者たちは、
既に先月の半ば過ぎに国家試験への挑戦を終えています。
正式な合格発表はこれからなのですが、実は自己採点により、
受験者本人は既にして自らの合否が分かっています。

自己採点により “ 不合格 ” と判明した方の落胆、消沈、憔悴は、
察して余りあるもので、言葉の掛けようもありませんが、
不思議なことに、とでも申しましょうか、
“ 不合格 ” ゆえにこその「お礼参り」・・・

そういう世界が在るのであります。

               


“ 合否 ” とは、何でありましょうか。
確かに “ 合格 ” と “ 不合格 ” とは真逆の価値であり、それは、
一見すると “ 明 ” と “ 暗 ” 、外見上は “ 喜び ” と “ 苦しみ ” 、
目先のこととしては “ 得意 ” と “ 失意 ” でもありましょう。
しかしながら、それはあくまでも、
「一見すると」「外見上は」そして「目先のこと」であります。

アウシュヴィッツ収容所から生還し、
その体験から「ロゴ・セラピー(実存分析)」を完成させ、
人々の心を下支えする心理学理論を構築した精神科医、
V.E.フランクル博士(1905~1997)は言います。

『生きる事には意味がある。
 生きる事に意味がある以上、当然のことながら、
 生きる上で経験する苦しみや悲しみにも意味がある。
 喜びや楽しみ以上の意味が・・・。』
(フランクル著「それでも人生にイエスと言う」春秋社より取意)

人生は、
“ 暗 ” によって照らされ、
“ 苦しみ ” によって高められ、
“ 失意 ” によって開かれる、
そういう側面を持つということでありましょう。

合否判定としての “ 不合格 ” は、
資格認定を主宰する機関が判定するものであり、
つまるところ「人意」によって下されたものであり、
「天意」ではありません。
“ 不合格 ” という結果からもたらされる “ 失意 ” の中には、
「天意」に沿った意味、「天意」に基づく秘密が宿っているはず。
それは捉えようによっては “ 不合格 ” という名の “ 合格 ” であり、
そこから開かれる未来があり、“ 失意 ” によって開く扉があると、
そのように考える、いや、考えたいのであります。

勿論のこと “ 合格 ” によって開かれる道には価値があります。
しかしながら、
“ 不合格 ” から立ち上がり、“ 失意 ” から開かれる未来には、
それ以上の計り知れない価値があるということであり、

先に『“ 不合格 ” ゆえにこその「お礼参り」』と書きましたのは、
それゆえのことであります。


               







東日本大震災から11年

2022-03-13 14:46:14 | 日常
東日本大震災から11年。
震災でお亡くなりになられた方々に哀悼の祈りを捧げます。


                =◯◯◯=

被災された方々の御苦労には比ぶべくもありませんが、
早川自身、あの日のことは忘れることが出来ません。
11年前の3月11日、
早川は千葉県・市川市内の商業施設 3F 書籍店内におりました。
14時46分頃、ドーン、ドーン、ドドドドドォー、という音と共に、
商業施設が激しく揺れ始め、書棚から大小の書籍が飛び出します。
施設が崩れると感じ、咄嗟に階段を駆け下り外へ出ますと、
ビル・電柱・信号機等々、地面から上方へ向かって立つもの全てが、
左右に大きく揺れ動いていて、その様子たるや、
それまでの人生において一度たりとも見たことのないものでした。
すぐさま脳裏に浮かんだのは、

「南海トラフ巨大地震」

壊滅する故郷の光景が浮かび、
寡婦となって一人で暮らす母の安否を確かめるべく電話します。
もどかしいほど長く感じられた数回の呼び出し音の後、
「はいはい、どうしたん?」
電話口にいつもと変わらぬ調子の母が出てきました。

母が無事だった・・・、
泣けてくるような安堵感に包まれたのも束の間、
南海トラフ巨大地震ではなかったのか・・・では一体どこが?
「おふくろ、すぐにテレビをつけてくれ!」と促しますと、
テレビ画面を観たのであろう母が緊張した声で、
「速報が出てる、東北地方で大きな地震があったみたい」

                =◯◯◯=

市川市内を流れる江戸川には、
行徳(ぎょうとく)橋という長い橋が架かっていて、
現在は新しい行徳橋に架け変えられたそうですが、
震災発生当夜、交通機関の麻痺による帰宅困難者の方々が、
旧行徳橋の狭い歩行帯を埋め尽くしました。
夜が明けて尚、歩いて自宅を目指す方々がおられましたが、
見れば橋の上には、革靴・パンプス・ヒールが転がっています。
慣れぬ長距離歩行に足指から血が噴いたのかどうか、
歩くには適さぬ靴ゆえ脱ぎ捨てて行かれたのでありましょう。

停電・断水・風評を端とする買い占めによる生活物資不足等々、
被災地から遠く離れた市川市ですら混乱した状態が続きました。
いま思い出しても嫌な気持ちになるのは、
SNSを介して携帯電話に入ってくる流言飛語の数々。

“ 原発が壊滅したから間もなく放射能の雨が降るぞ ”
“ 千葉県内の石油コンビナートで火災が発生したから逃げろ ”
“ どこそこには足りていない物資が大量にあるから急げ ” 等々、

普段であれば即座に消去するはずの “ 誤った情報 ” が、
緊急事態には、さも “ 正しい情報 ” に思われました。
正直申し上げますと、それら “ 誤った情報 ” の内の一つを、
“ 拡散希望 ” の言葉に乗せられて早川は友人に送信しています。
しかも “ 良かれ ” と思って。
先に「いま思い出しても嫌な気持ちになる」と書きましたのは、
不安な状況下とは言え、情報に対する正誤の判断がつかなかった、
自分自身の脆弱性というものを思い出して嫌な気持ちになる・・・、
ということでもあります。

                =◯◯◯=

「福島災害被災者への精神保健支援~エビデンスに基づく電話介入」
(桃井真帆・前田正治 / 総合リハビリテーション第49巻3号 /
 医学書院刊 / 以下の引用は全て同論文)を読ませて頂きました。
同論文では表題の通り、2011年~2018年度までの8年間で、
延べ3万人以上に実施された電話支援の活動概要が報告され、
原発事故がもたらした傷跡の深さが浮き彫りにされています

明らかにされるのは、自然災害と原発災害の相違性。

自然災害においては、その影響が最も大きいのは初期の段階であり、
被災地域と非被災地域の判別なり境界なりが明瞭で、
災害に対する心理的受容は、人知を超えた災害であるとして、
比較的受け入れられやすい傾向があるものの、
原発災害においては事故の影響が、

「長期間持続しており、被災者の放射能への不安も長期にわたる」
「被災地と非被災地の境界を明確にすることが困難」
「災害に対する心理的受容については、
 家屋などの損壊が明瞭である津波被害などと異なり
 物理的な被害が不明瞭なため、
 物理的・精神的な損失を受け入れることが難しい」
「ソーシャルネットワークやマスメディアに影響を受けた
 一般の人々からの根拠のない噂や差別を受けやすい」
「避難者の多くは遠隔地に避難したため、
 元のコミュニティとのつながりが薄れている」

として、
あらためて原発災害の特異性と被害の多重性が説かれています。

東日本大震災から11年。
ロシアによるウクライナ侵攻により、
ウクライナ国内の原発が危険な状態に在るとの報道が為され、
また核兵器使用の可能性までが取り沙汰されています。
“ 広島・長崎 ” を経験した国、日本。
大地震による原発事故を経験した国、日本。
日本が味わった苦しみ、日本人が流した涙は、
人類の叡智を開く為のものではなかったのでしょうか。





               








「武」について

2022-03-06 15:03:40 | 雑感
ロシアによるウクライナへの武力侵攻から、およそ10日。
様々な報道や情報が錯綜し、また流言飛語も入り乱れる中、
信憑性は措くとしても、見聞する度に腹立たしさを覚えるのが、
ロシア軍による病院を始めとする民間施設への攻撃という情報。

これが “ 戦争 ” という “ 殺し合い ” の実態であり、
“ 殺し合い ” を “ いいオトナ ” がやっているということを、
全世界の子供たちは、どのような想いで観ているのでしょうか。

日本に限らず、いずれの国に於いても幼児教育の段階から、
「“ 人殺し ” は、よくない」と教えられます。
ところが “ 戦争 ” という名の下では “ 人殺し ” が奨励され、
どちらの国が、どれだけ多くの人間を殺せたのか?
その数が競われます。また同様に誰しもが学童期から、
「“ いじめ ” はよくない」とも教えられます。
ところが “ 戦争 ” という名の下では、
病院攻撃などという言語道断な “ いじめ ” が平然と行われます。

平時では強く非難されることが、有事では推奨される。
この矛盾を、チャールズ・チャップリン(1889~1977)は、
「独裁者」や「殺人狂時代」を通じて痛切に訴えました。

小さなお子さんをお持ちの親御さんや、
初等教育に携わる教員の方々は、この辺りについての問い、
つまり子供たちが抱くであろう、

「“ 人殺し ” は、よくないんでしょ?
 “ いじめ ” は、よくないんでしょ?
 なのにどうして戦争では、それが許されるの?」

といった疑問に、どうお答えになっておられますでしょうか。

「それが戦争だから」という開き直りの答えではなく、
またテレビコメンテーターや政治経済の専門家が繰り広げる、
大義がどうの、国益がどうの、歴史がどうの、EU加盟がどうの、
親米がどうの、親ロシアがどうの、といった評論家的解答でもなく、
子どもが感じるシンプルな疑問を解消するに足る、シンプルな答え。

平時では “ 殺し合い ” が断じて許されないのに、
有事ではなぜ “ 殺し合い ” が推奨されるのか?
裁かれる “ 人殺し ” と、
褒められる “ 人殺し ” の違いは何か?

少なくとも早川のお粗末な頭では答えることが出来ません。
疑問を抱く若い方々には、真っ直ぐな疑問を持ち続け、
答えは出なくとも模索し続けて頂きたいと願いますし、
私自身も青臭く考え続けてゆきたいと思います。

              =◯◯◯=

冒頭「武力」侵攻と書きましたが、
この「武力」の「武」という漢字の成り立ちには諸説あり、
一般的には、

「止戈(しか)」

「戈(ほこ)を止める」のが「武」であるとされていますが、
どうやらこの説は、漢字が誕生してから後の時代に、
儒教の立場から道徳的に解釈したものであり、本当のところは、
「止」という字形が「足が動く」ことを表わしていて、
「武」は「戈を以て進む」の意なのだそうです。
すると「武」の原義は、
ただの “ バイオレンス ” に過ぎないことになります。

確かにそうなのかも知れません。
しかしだからと言って「武」は “ バイオレンス ” に過ぎないと、
漢字の原義に立ち竦んで引き下がるわけにはいきません。
漢字は、甲骨文・金文・篆書・隷書・楷書といった変遷を辿り、
現在にまで受け継がれている以上、字形の変遷に伴って、
そこに宿る、意味・想い・精神・心・願い、といったものも又、
変遷してきたに違いない・・・と個人的には思うのであります。
それはつまり、
元々の成り立ちや原義は尊重しつつも、そうしたものを超えて、
漢字が私たちに訴えるものを想い、漢字から醸されるものを感じ、
各々が自分自身の心身にとっての良い気付きや潤いといった、
何らか益するものを受け取ることの方が、余程大事なのでは?
ということであります。

例えば「氣」。
早川は、かつて能登半島は気多大社で授かりしところの、
「氣」と揮毫された額を玄関に掲げております。

早朝、出勤時に眺める度、この「氣」という字から、
何かこう響いてくるものを受け取っています。
けれども、
もし漢字の成り立ちや原義こそが重要というのであれば、
早川は「氣」の字を眺める度、ただ単に、
この漢字の成り立ちとして定説とされるところの、
「炊き上がった米から立ち昇る水蒸気」
といった即物的な様子ばかりを思い浮かべなければならず、
そのような連想を繰り返したところで得るものはありません。

               =◯◯◯=

さて、その辺りを踏まえた上で、
中国・春秋時代(紀元前770~紀元前476)に著された、
「春秋左氏伝」に登場する「武」の定義に想いを馳せます。

紀元前597年、当時敵対関係にあった楚の国と晋の国は、
邲(ひつ)という場所で、軍事衝突に及びます。激しい合戦の末、
楚の国が勝利した為、楚軍の上官は楚の国王・荘王に進言します。
晋軍兵士の屍を集め、その上に土を盛って小高い山を作り、
戦勝記念として子々孫々にまで楚軍の武勇を伝えましょうと。
それを聞いた荘王は答えます。

『汝の知るところに非ざるなり。
 夫れ文に、止戈を武と為す。
 武は、暴を禁じ、兵を収め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、
 衆を和らげ、財を豊かにするものなり。』

『おまえは何と酷いことを言うのか。そんなことはしない。
 「武」は「戈を止める」と書いて「武」なのだよ。
 「武」とは、暴挙・暴力・暴虐を禁じること、
 「武」とは、兵士・兵器を用いないこと、
 「武」とは、穏やかな世界を希求すること、
 「武」とは、お互いの理解に努めること、
 「武」とは、人々を安心させること、
 「武」とは、緊張を緩和すること、
 「武」とは、各々の財産を豊かにするもの。』(早川意訳)


思えば、私淑する老師も同じことを説いておられました。
曰く、

『「武」は、戦わない、
 「武」は、争わない、
 「武」は、競わない、
 「武」は、比較しない。』

早川は、この言葉を聴いた時、
自分が長年に亘り励んできた・・・と思い込んでいた、
武道という「武」の道が、
道を大きく外れた “ 外道の武 ” であったことに気付くと共に、
自分がいささかなりとも磨いてきた・・・と思い込んでいた、
武術という「武」の術が “ ケダモノの武 ” であったことを、
思い知らされました。
恥かきついでに申し上げますと、それまで早川が行っていたのは、
表面上は伝統的な武道・武術でありながら、内実は格闘技、
外見上は道着・道衣を着用して行いながら、中身は格闘術、
武道・武術の形を借りた “ 見せ物 ” に過ぎなかった、
ということであります。

非道な武力侵攻の報に接し、
つい “ 武 ” を巡って浅薄な考察に字数を費やしてしまいましたが、
たとえ漢字の成り立ちと原義からは離れようとも、
「武」は、けっして “ バイオレンス ” に非ず、
「武」は、やはり「戈を止める」の意と心得て、
一日も早く、戈が止められ、戦火の鎮まることを祈ります。

『夫れ文に、止戈を武と為す。

 武は、暴を禁じ、兵を収め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、
 衆を和らげ、財を豊かにするものなり。』(春秋左氏伝)