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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

阿難(アナン)

2021-10-03 16:18:07 | 仏教関係
秋晴れの覚王山・日泰寺









写真両脇、柵囲いの中に、二体の木像が御覧頂けるかと思います。



向かって左側が、十大弟子の一人「摩訶迦葉(マカカショウ)」。

釈迦が率いた教団の最長老であったとされ、
釈迦入滅後の教団をまとめ “ 仏教第二祖 ” とされます。


向かって右側が、同じく十大弟子の一人「阿難(アナン)」。

若い頃から釈迦に付き従うこと25年。
諸説あるようですが、この阿難という人は、
誰よりも長く師のそばに仕え、師の教えを聞き、教えを守り、
一生懸命修行に励んだものの、
ついに “ 悟り ” を得ることが出来なかったとされます。
師の最期を看取ったのも、この阿難でありました。
臨終の師に、阿難は言います。

「私は愚鈍に過ぎ、25年の長きに亘り師の教えに触れながら、
 悟ることが出来ませんでした。
 さぞ私のことを憎んでおられましょう。」

釈迦は絶えてゆく息の中、阿難に告げます。

「いいや、阿難よ、おまえのそういうところをこそ、
 私は心から愛してやまないのだよ。」

阿難は慟哭します。
そしてこの慟哭の瞬間、阿難は悟りを得たとも伝わります。

数ある仏教説話の中でも、特に心を揺さぶられる場面でもあり、
私自身、阿難の “ 在りよう ” というものに心惹かれます。

               

自治体からワクチン接種の予約券が届き、
かかりつけの医療機関で接種が受けられることを知り、
予約の電話を入れたのが8月。
その時点で「接種を受けられるのは2ヶ月先・・」とのことで、
昨日ようやく第1回めのワクチン接種を受けてまいりました。

早川は、ワクチン接種を「受ける」という選択をしましたが、
持病、アレルギー体質、個人の信条等々、諸般の事情により、
ワクチン接種を「受けない」という選択をされる方々もおられます。

どちらもが尊重される社会、
どちらもが不利益を被らない世の中であることを切に願います。


               








お砂踏み

2021-03-14 14:48:40 | 仏教関係
松坂屋・名古屋店で開催されております(~15日)、

四国八十八箇所霊場“ お砂踏み ”に行ってまいりました。
(ブログ内の写真は全て撮影許可を頂いております。)

御承知置きの通り“ お砂踏み ”は、
四国八十八箇所霊場それぞれの境内地から採取された“ お砂 ”が、
遍路の順に並べて敷かれ、その上を歩くことによって、
実際には四国巡礼に行けずとも、その一端に触れられるもの。

日本各地に、こうした言わば「簡易巡礼・疑似遍路」の場が有り、
関東在住時、足繁く通った深川不動堂の内仏殿2階にも、
各霊場が祀る本尊が描かれた円筒を回しながら、
短い時間で八十八箇所を巡拝できるスペースがありました。
今(令和3年3月現在)は、コロナ禍の影響で閉鎖中と聞きます。

              =◯◯◯=

四国八十八箇所霊場・第19番札所・
立江寺の協力監修の下に整えられた会場には、
八十八箇所霊場寺院の本尊仏を描いた軸絵が掛けられ、
その斜め前方下に延べられた赤い絨毯の下に“ お砂 ”が置かれ、

参拝者はその上に立ち、歩み、
足裏に“ お砂 ”を感じながら手を合わせます。

お参りされる方々の中には、
白衣(はくえ・びゃくえ)に輪袈裟(わげさ)という方も。

折りしも3月。
東日本大震災でお亡くなりになられた方々へ鎮魂の祈りを捧げ、 
またコロナ禍の早期収束を願います。

              =◯◯◯=

四国八十八箇所霊場に祀られる尊格の多くは、
大日如来・阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩・地蔵菩薩といった、
おおよそ誰しもが知るポピュラーな尊格でありますが、
第55番札所・南光坊(なんこうぼう)の御本尊は、
“ 大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)”という、
あまり御名前を耳にすることのない、ある意味レアな仏尊で、
こちらの軸絵が、南光坊の“ お砂 ”の前に掲げられていました。

御覧頂いてお分かりのように、これは〈金剛界・大日如来〉の尊容。
この絵姿が、実際に南光坊で祀られている、
大通智勝如来を写したものであるとは思われませんが、
大通智勝如来なる尊格は、
仏教美術史上においても造像例や描画例が極めて少ない尊格で、
もしも造られたり描かれたりする場合には、この軸絵の如く、
〈金剛界・大日如来〉の尊容を以って表されます。

とは言え〈金剛界・大日如来〉のままでは見分けがつきませんので、
その作例の中には、〈金剛界・大日如来〉の結ぶ智拳印が、
通常は左手の人差し指を右手で握るのに対して、左右を逆とし、
右手の人差し指を左手で握るといった形姿によって、
それと判別できるようにした造像例や描画例が在ります。

大通智勝如来は、
法華経・化城喩品(けじょうゆほん)第七に登場する仏尊で、
寿命は五兆四千億劫とされています。
〈劫(こう)〉は、古代インド哲学における時間単位で、
具体的な数字として示されるものではありませんが、
「大智度論(だいちどろん)」という約二千年前の経典注釈書には、

“ 1辺が4000里(2000㎞)に及ぶ巨大な岩を、100年に1度、
 薄い布で撫で、それによって岩が擦り減り完全に消滅しても、
 まだ1劫に満たない・・・”

と説かれるほどの長大な時間。
つまり大通智勝如来の寿命とされる“ 五兆四千億劫 ”とは、
無限に近いくらいの気が遠くなるような時間ということであります。

大通智勝如来は、その長大な寿命を用いて仏道修行に励み、
〈阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)〉
を成就します。〈阿耨多羅三藐三菩提〉とは、
サンスクリット語の“ アヌッタラーサムヤックサンボーディ ”が、
漢字圏において音写されたもので「無上正等覚」と訳され、
仏教における、最高にして至上の覚りとされています。
大通智勝如来は、
自らが悟ったその境地へ人々を導くべく活動を始めるのですが、
なにせ〈阿耨多羅三藐三菩提〉に至る道のりは遠く険しく、
不信や疑いを抱く人、或いは修行に疲れて倒れる人が続出します。

その度に如来は、神通力という不思議な力を使って、
人々が休息できる〈心の城〉的な境地を仮に出現させ、
遠い目標に疲れた人々を、一旦「いま・ここ」へと誘導することで、
遥かなる〈阿耨多羅三藐三菩提〉へ至る旅のモチベーションを保ち、
人々から求道の情熱が失われないように図るのでありました。

法華経・化城喩品の「化城喩」とは、
「化(かり)に城を現す喩え」というほどの意でありましょうか。
先に〈心の城〉と書きましたが、〈城〉とは、言わば短期目標。
時代や場所に関わらず、人間誰しもが、
その歩みの途中で遭遇する大小様々なハードルを、
どうやって乗り越え、どうすれば歩みを続け得るのか?
仏教がどうの、悟りがどうのということとは関係なく、
大通智勝如来が現れる化城喩品・第七には、
普遍的かつ意外と身近なテーマが語られているように感じます。

              =◯◯◯=

年来書き溜めたところの写経を納めさせて頂くべく、
すぐにでも四国八十八箇所霊場巡礼の旅に出たいのでありますが、
今は思うに任せられません。

思うに任せられないことは、“ 仏縁 ”にお任せする他はなし。
霊場巡礼が叶わぬのならば叶わぬままに、
いっそ日々の全て、日常の一切を「生活巡礼」と心得て、
いま歩むこの道が遍路道と、そう思い定めるものであります。


♫ 遍路は続くよ、どこまでも ♫



               








「3密を避けよ」と聞く度に

2020-11-29 15:28:00 | 仏教関係
“ 天地・アメツチ ”という巨大交響曲は、

晩秋から初冬へと、その響きを変えてゆきます。
作曲技法の一つ〈転調〉の源は、紛れもなく自然界の移ろい。


水質が改善されつつある〈気ノ池〉の姿を観ることが、

いま最も嬉しく、有り難く感じることであります。

               

昨11月28日(土)は、不動明王の御縁日に当たり、

「名古屋、栄(さかえ)の成田山」として親しまれている、
成田山新勝寺・栄分院〈萬福院〉に参拝してまいりました。


本堂の外には、柄杓で水を汲んで明王像にかける、
所謂“ 水かけ不動 ”の石像が奉安されていて、

その手前には、般若心経が書かれた〈マニ車〉があります。


こちらは空海上人を祀る、弘法堂前の〈マニ車〉ですが、

御承知置きの通り〈マニ車〉なるものは、
回した数だけ読経したことになるという、修行不足の私にとっては、
もってこい?の仏具ということもあり、“ これ幸い ”と、
クルクルクルクル回してまいりました。

               

申し上げるまでもなきことながら、
萬福院は真言宗・智山派ですので、密教寺院であります。

顕教・密教、それぞれが尊い教えでありますが、
真言密教においては、教主を大日如来としていて、
この大日如来は、私たちの内界及び外界の全て、
素粒子や細胞等の極微から、銀河やブラックホール等の極大まで、
万事・万物・万象と、それら万事・万物・万象を、
万事・万物・万象たらしめている“ 縁 ”の働きとを象徴し、
つまり、大日如来とは“ 宇宙 ”そのもの、と説かれます。

巷間、大日如来をして、太陽の象徴と解説される場合があり、
無学の私はつい誤解しそうになりますが、上述の観点に立てば、
大日如来が太陽でも、太陽の象徴でもないことが分かります。

太陽を太陽たらしめている働きが大日如来であって、
太陽の誕生も、いずれ訪れる太陽の消滅も、
大日如来のシステム・・・と個人的には、そのように心得ます。

               

そもそも密教とは何か?
限られた紙幅の中に答えを示すだけの能力を持ち合わせません。
只、浅薄な私見として、
この宇宙たる大日如来、大日如来たる宇宙が時々刻々に行っている、
密やかにして微細、密やかにして壮大な活動を「密」と呼び、
この「密」を身体活動・言語活動・意識活動の三領域に分け、
それぞれを、
身密(しんみつ)口密(くみつ)意密(いみつ)の“ 三密 ”とし、
それら宇宙の“ 大なる三密 ”と、
人間の身体活動・言語活動・意識活動という“ 小なる三密 ”とを、
一つに融け合わせる為の理論と技法の体系・・・それが密教と、
概ねそのように捉えております。

“ 大なる三密 ”と“ 小なる三密 ”とが融け合うことで、
宇宙と人とが「二つのままに一つ、一つのままに二つ」、
このことが個々人の「身に即して」深く了知され得るがゆえに、

『即身(そくしん)』

と説かれ、また、
「宇宙」と書いて「みほとけ(御仏)」と読む密教なれば、
個々人が「その身に即して御仏と成る」がゆえに、

『即身成仏(そくしんじょうぶつ)』

と謳われていることは、既に知られているところ。
何にせよ、“ 三密 ”という概念こそは、
「密」の教えの中核を為しているということであります。

翻って現況、
新型コロナウィルス感染拡大を防ぐために推奨され、
私自身も日々に心掛けている行動様式の中の一つに、
密集・密接・密閉の“ 3密 ”を避けるというものがあります。

コロナ禍の重大性・危険性が指摘され始めた2月半ば頃から、
連日に亘り、

「3密を避けましょう!」
「3密に注意しましょう!」

という文言を目にし耳にする度、その「サンミツ」は、
密集・密接・密閉の“ 3密 ”であって
身密・口密・意密の“ 三密 ”ではないことは承知しつつも、
なぜなのでしょうか・・・身の縮むような思いが致します。

一日も早いコロナ禍終息を、心から祈るものであります。




              







命蓮

2020-09-06 16:51:55 | 仏教関係
先日のブログに貼りましたものとは別映像の“ LOTUS ”。
また蓮か・・・と私自身思わぬでもありませんが、
ひとときお楽しみ頂けましたら幸いに存じます。



               

気ノ池の一角に命を営む蓮を眺めております内に、
ふと、平安時代に生きた一人の僧侶が思い浮かびました。
僧の名は「命蓮(みょうれん)」。
国宝・信貴山縁起絵巻の主人公として知られる人物であります。

この夏、ずっと心を寄せ続けてきた気ノ池の蓮と、
折に触れて思い出す信貴山・朝護孫子寺での体験とが相俟って、
法名を「命の蓮」とする命蓮法師のことが、
自ずと意識の水面に浮かび上がってきたものと思われます。

ご承知置きの通り、信貴山縁起絵巻は三巻構成。
第一巻「飛倉」では、法師の絶大な法力が示され、
第二巻「延喜加持」では、その優れた祈祷力が活写され、そして、
第三巻「尼公」では、その温かな人間性が描かれます。

絵巻に表されているような異能を発揮する人物というものは、
その異能ゆえに、得てして傲岸不遜な人格に傾斜してゆきがちで、
また異能ゆえに、とかく自らの権威を高めようとするものですが、
命蓮は違っていました。

第二巻「延喜加持」において、醍醐天皇の病気平癒祈願を成就させ、
その異能ぶりに感激した天皇は、「僧都・僧正」の“ 位 ”を授け、
加えて「荘園」などの不動産を寄進する旨を伝えますが、
命蓮は、

『私は一介の修行者に過ぎません。抑々“ 出家 ”という存在に、
 「僧都・僧正」といった“ 位階・肩書き・役職 ”などは、
 本来的に不必要なものと心得ます。
 また「荘園」等の不動産を持てば、資産管理業務に追われて、
 仏道精進がおろそかになり、仏罰が当たる恐れがあります。』
        (宇治拾遺物語「信濃國聖ノ事」より早川意訳)

として、全ての申し出を辞退します。

第三巻「尼公」では、はるばる信貴山を訪れた姉の尼公が、
弟のためにと用意してきた温かい上着を着て喜び、
それを大切にする命蓮の姿が差し挿まれていて、
姉弟の情愛はもとより、命蓮の質素な暮らしぶりが伝えられます。

               

蓮の花びらが水面に浮かび、

小舟のように見えました。

               

絵巻の作者が、
他にも大勢の主人公候補がいたであろうにも拘わらず、
何ゆえに命蓮上人の活躍譚を取り上げたのか?・・・その理由は、
ただ単に物語として面白いから、というだけではなかったはずです。

絵巻作者の中に、まず熱い“ 想い ”というものが在って、
その“ 想い ”に照らしつつ様々な故事・古譚に当たってみた時、
命蓮上人の事績を辿ることが“ 想い”の本懐を遂げるのに、
最も相応しいと、そう考えたからではなかったのでしょうか。
では、その“ 想い ”とは何か?

それは“ 想い ”としか言いようのないものであり、
それはまた、バッハの音楽に、モーツァルトの音楽に、
ベートーヴェンやブラームスの音楽に、ドビュッシーの音楽に、
バルトークの、ストラヴィンスキーの、ガーシュインの、
ジェリー・ゴールドスミスの、ジョン・ウィリアムズの、
ロイド・ウェバーの、アラン・メンケンの音楽に、
およそ時や場所を超えて命脈を保ちゆく全ての作品に込められ、
人種や世代を超えて受け継がれゆく全ての作品に宿っているものと、
本質的に同等のものと思います。

               

信貴山縁起絵巻「飛倉の巻」内で指示を出す命蓮上人。

「はい、それではこれから“ 鉢 ”を飛ばしますので、
 “ 鉢 ”の上に米俵を置いて下さいねぇ・・・」

               

命蓮上人が生きた時代から、およそ千百年、
絵巻が描かれてから、およそ九百年(いずれも諸説あります)。
そこに活写されている人間の姿を観る限り、
当時を生きた人々も、現代を生きる私たちも、
同じ事象に喜び、同じ事態に苦しみ、同じ現象に驚きと、
生老病死・喜怒哀楽において何ら変わるところがありません。
その意味においては、千年という歳月は須臾に等しく、
また刹那に過ぎないと、そのようにも感じられます。

絵巻作者が、その圧倒的な作画技術・描画技法を駆使し、
命蓮上人の事績に託して世に問うた“ 想い ”の光は、
コロナの時代を生きる私たちにも届いているはず。
只、その光を感受する“ 感性の受容器 ”とでも言うものを、
果たして私自身は持ち合わせているのかどうか?
心もとない想いで、蓮ゆれる池畔に立ち尽くします。


命蓮上人は平安時代中期頃(西暦8~900年代)の人、生没年不詳。

信貴山中興の祖と伝えられています。


              









念珠の直し

2019-12-01 14:30:12 | 仏教関係
けっして粗末に扱っているわけではありません。
しかしながら、
日々に念珠を使い、念珠と共に歩み、念珠と共に雨に打たれ、
念珠と共に陽に焼かれ続けております内に、

念珠は、かくの如く傷んでまいります。

関東在住時に授かった際は真っ白だった紐は変色し、
房もボロボロになりましたので、名古屋・大須の地に、
永く御商売を営んでおられる老舗念珠店へ直しを依頼しました。

私は「念珠(ねんじゅ)」と呼んだり書いたりしておりますが、
数珠(じゅず)・珠数(じゅず)など、全て同じものを指します。
只、宗派によって呼び名・形状・珠(玉)の数等々が異なり、
仏具店においても、今回直しをお願いした老舗では、
「珠数」の文字を用いておられました。

念珠を預けた老舗をあとにして、

名古屋・大須の富士浅間神社を参拝し、


大須観音へ

「大須観音」として親しまれる真言宗・智山派寺院の正式名称は、
「北野山 真福寺 宝生院(ほうしょういん)」。
山号「北野山」の「北野」は北野天満宮の「北野」を示し、
その名の通り、元亨四年(1324年)後醍醐天皇の勅命により、
尾張・長岡庄・大須郡(ごおり)現在の岐阜県羽島市の地に、
北野天満宮からの御分霊を祀る天神社が建立され、
その別当寺(神社を管理する寺)として発祥したとされます。

慶長17年(1612年)に徳川家康の命令によって、
現在の場所に天神社と別当寺が共々移転されたと伝わります。
こちらが、

現・大須観音の北北東に鎮座するところの北野神社。

               

寺伝によると鎌倉時代後期、別当寺の住職に任じられた
能信上人(のうしんしょうにん)が伊勢神宮に籠って神意を仰ぎ、
夢の中で「別当寺には観世音菩薩を祀れ」というお告げを得て、
観世音菩薩が御本尊になったのだとか。
一説に能信上人は、伊勢神宮・神官の子息として、
伊勢の地に生を受けた人物という風にも伝えられています。

神仏習合時代には、このように僧侶が神社に参籠したり、
神官が仏閣に参拝したりすることが当たり前のように行われ、
先の伊勢神宮で言えば、
多くの神職が神宮北東の朝熊山(あさまやま)に建つ寺院・
金剛證寺(こんごうしょうじ)に詣でていた記録が遺っています。

往時は、現代のように神道なのか仏教なのかという区別が曖昧で、
神(カミ)と御仏(ミホトケ)とが融合したところの

「カミホトケ」

なる存在として拝まれていたのでは?という説もあり、事実、
平安時代には〈巫僧(ふそう)〉という、文字通り、
巫女(神官)でもあり僧侶でもあるという職業さえ存在しました。

真偽・是非はともかく、実に大らかで寛容と申しましょうか、
近現代に蔓延する、「自分の考えや領分が一番正しい」とする、
排除の論理・分断の思想とは異なる感性を観る思いがします。

因みに古都・奈良においては今も尚、正月の伝統行事として、
興福寺の僧侶の方々が春日大社に参詣しての〈神前読経〉が、
時代を超えて厳修されています。

               

大須観音境内の一角、
堂宇なき露天に〈金剛界・大日如来〉が祀られています。
こちらは、

その〈金剛界・大日如来〉が結ばれる智拳印(ちけんいん)。
智拳印については、
グラフィックデザイナー・杉浦康平先生が、

「左手(胎蔵界を象徴する)の人差し指を上昇する流れが、
 右手(金剛界を象徴する)の人差し指から他の四指へと伝わる。
 金剛拳を握る右手の三指を下降する渦が、
 左手の三指に添って逆向きの渦を生み、舞い降りる。
 左手の掌をへて、ふたたび左手の人差し指へと回帰する。
 十本の指の渦巻く動きが、『二而不二』を具現する。」
 「宇宙を叩く~火炎太鼓・曼荼羅・アジアの響き」(工作舎刊)

と、この印相(いんそう)の本質を説いておられます。
引用文中の『二而不二(ににふに)』とは、
二つでありながら、二つではなく一つであり、
一つに見える世界も、実は二つの世界が結び合っている事の意。

私たち一人一人の生命を始め、生起する現象の全ては、
二つ、もしくは無数の相対するエネルギーが離合集散しつつ、
相互に働き合って成立しているとする考え方で、特に智拳印は、
右手と左手という二つの世界を螺旋状に結び合わせることにより、
『二而不二』の原理を身体的所作として説いているとされます。

また『二而不二』の思想は、
全ての事象を〈関係性〉において捉えようとするため、
対立・矛盾・葛藤は否定されず、むしろそれらに価値を見出し、
対立・矛盾・葛藤から、新たなる智慧・斬新な理論・深い洞察・
瑞々しい動き等々が生まれ出るものとします。

               

さて、冒頭に記しましたところの念珠が、
直しを終えて手元に戻ってまいりました。

広大な天地の間に在っては卑小に過ぎる私ではありますが、
念珠玉の青は、空と海の青。
念珠房の白は、空に浮かぶ白雲と海に立つ白波・・・と、
せめてイメージだけは大きく描きながら、
心新たに歩んでまいりたいと思います。

本日より師走。
皆様、御体調等崩されませんように!