先日のブログに貼りましたものとは別映像の“ LOTUS ”。
また蓮か・・・と私自身思わぬでもありませんが、
ひとときお楽しみ頂けましたら幸いに存じます。



気ノ池の一角に命を営む蓮を眺めております内に、
ふと、平安時代に生きた一人の僧侶が思い浮かびました。
僧の名は「命蓮(みょうれん)」。
国宝・信貴山縁起絵巻の主人公として知られる人物であります。
この夏、ずっと心を寄せ続けてきた気ノ池の蓮と、
折に触れて思い出す信貴山・朝護孫子寺での体験とが相俟って、
法名を「命の蓮」とする命蓮法師のことが、
自ずと意識の水面に浮かび上がってきたものと思われます。
ご承知置きの通り、信貴山縁起絵巻は三巻構成。
第一巻「飛倉」では、法師の絶大な法力が示され、
第二巻「延喜加持」では、その優れた祈祷力が活写され、そして、
第三巻「尼公」では、その温かな人間性が描かれます。
絵巻に表されているような異能を発揮する人物というものは、
その異能ゆえに、得てして傲岸不遜な人格に傾斜してゆきがちで、
また異能ゆえに、とかく自らの権威を高めようとするものですが、
命蓮は違っていました。
第二巻「延喜加持」において、醍醐天皇の病気平癒祈願を成就させ、
その異能ぶりに感激した天皇は、「僧都・僧正」の“ 位 ”を授け、
加えて「荘園」などの不動産を寄進する旨を伝えますが、
命蓮は、
『私は一介の修行者に過ぎません。抑々“ 出家 ”という存在に、
「僧都・僧正」といった“ 位階・肩書き・役職 ”などは、
本来的に不必要なものと心得ます。
また「荘園」等の不動産を持てば、資産管理業務に追われて、
仏道精進がおろそかになり、仏罰が当たる恐れがあります。』
(宇治拾遺物語「信濃國聖ノ事」より早川意訳)
として、全ての申し出を辞退します。
第三巻「尼公」では、はるばる信貴山を訪れた姉の尼公が、
弟のためにと用意してきた温かい上着を着て喜び、
それを大切にする命蓮の姿が差し挿まれていて、
姉弟の情愛はもとより、命蓮の質素な暮らしぶりが伝えられます。



蓮の花びらが水面に浮かび、

小舟のように見えました。



絵巻の作者が、
他にも大勢の主人公候補がいたであろうにも拘わらず、
何ゆえに命蓮上人の活躍譚を取り上げたのか?・・・その理由は、
ただ単に物語として面白いから、というだけではなかったはずです。
絵巻作者の中に、まず熱い“ 想い ”というものが在って、
その“ 想い ”に照らしつつ様々な故事・古譚に当たってみた時、
命蓮上人の事績を辿ることが“ 想い”の本懐を遂げるのに、
最も相応しいと、そう考えたからではなかったのでしょうか。
では、その“ 想い ”とは何か?
それは“ 想い ”としか言いようのないものであり、
それはまた、バッハの音楽に、モーツァルトの音楽に、
ベートーヴェンやブラームスの音楽に、ドビュッシーの音楽に、
バルトークの、ストラヴィンスキーの、ガーシュインの、
ジェリー・ゴールドスミスの、ジョン・ウィリアムズの、
ロイド・ウェバーの、アラン・メンケンの音楽に、
およそ時や場所を超えて命脈を保ちゆく全ての作品に込められ、
人種や世代を超えて受け継がれゆく全ての作品に宿っているものと、
本質的に同等のものと思います。



信貴山縁起絵巻「飛倉の巻」内で指示を出す命蓮上人。

「はい、それではこれから“ 鉢 ”を飛ばしますので、
“ 鉢 ”の上に米俵を置いて下さいねぇ・・・」



命蓮上人が生きた時代から、およそ千百年、
絵巻が描かれてから、およそ九百年(いずれも諸説あります)。
そこに活写されている人間の姿を観る限り、
当時を生きた人々も、現代を生きる私たちも、
同じ事象に喜び、同じ事態に苦しみ、同じ現象に驚きと、
生老病死・喜怒哀楽において何ら変わるところがありません。
その意味においては、千年という歳月は須臾に等しく、
また刹那に過ぎないと、そのようにも感じられます。
絵巻作者が、その圧倒的な作画技術・描画技法を駆使し、
命蓮上人の事績に託して世に問うた“ 想い ”の光は、
コロナの時代を生きる私たちにも届いているはず。
只、その光を感受する“ 感性の受容器 ”とでも言うものを、
果たして私自身は持ち合わせているのかどうか?
心もとない想いで、蓮ゆれる池畔に立ち尽くします。
命蓮上人は平安時代中期頃(西暦8~900年代)の人、生没年不詳。

信貴山中興の祖と伝えられています。




また蓮か・・・と私自身思わぬでもありませんが、
ひとときお楽しみ頂けましたら幸いに存じます。



気ノ池の一角に命を営む蓮を眺めております内に、
ふと、平安時代に生きた一人の僧侶が思い浮かびました。
僧の名は「命蓮(みょうれん)」。
国宝・信貴山縁起絵巻の主人公として知られる人物であります。
この夏、ずっと心を寄せ続けてきた気ノ池の蓮と、
折に触れて思い出す信貴山・朝護孫子寺での体験とが相俟って、
法名を「命の蓮」とする命蓮法師のことが、
自ずと意識の水面に浮かび上がってきたものと思われます。
ご承知置きの通り、信貴山縁起絵巻は三巻構成。
第一巻「飛倉」では、法師の絶大な法力が示され、
第二巻「延喜加持」では、その優れた祈祷力が活写され、そして、
第三巻「尼公」では、その温かな人間性が描かれます。
絵巻に表されているような異能を発揮する人物というものは、
その異能ゆえに、得てして傲岸不遜な人格に傾斜してゆきがちで、
また異能ゆえに、とかく自らの権威を高めようとするものですが、
命蓮は違っていました。
第二巻「延喜加持」において、醍醐天皇の病気平癒祈願を成就させ、
その異能ぶりに感激した天皇は、「僧都・僧正」の“ 位 ”を授け、
加えて「荘園」などの不動産を寄進する旨を伝えますが、
命蓮は、
『私は一介の修行者に過ぎません。抑々“ 出家 ”という存在に、
「僧都・僧正」といった“ 位階・肩書き・役職 ”などは、
本来的に不必要なものと心得ます。
また「荘園」等の不動産を持てば、資産管理業務に追われて、
仏道精進がおろそかになり、仏罰が当たる恐れがあります。』
(宇治拾遺物語「信濃國聖ノ事」より早川意訳)
として、全ての申し出を辞退します。
第三巻「尼公」では、はるばる信貴山を訪れた姉の尼公が、
弟のためにと用意してきた温かい上着を着て喜び、
それを大切にする命蓮の姿が差し挿まれていて、
姉弟の情愛はもとより、命蓮の質素な暮らしぶりが伝えられます。



蓮の花びらが水面に浮かび、

小舟のように見えました。



絵巻の作者が、
他にも大勢の主人公候補がいたであろうにも拘わらず、
何ゆえに命蓮上人の活躍譚を取り上げたのか?・・・その理由は、
ただ単に物語として面白いから、というだけではなかったはずです。
絵巻作者の中に、まず熱い“ 想い ”というものが在って、
その“ 想い ”に照らしつつ様々な故事・古譚に当たってみた時、
命蓮上人の事績を辿ることが“ 想い”の本懐を遂げるのに、
最も相応しいと、そう考えたからではなかったのでしょうか。
では、その“ 想い ”とは何か?
それは“ 想い ”としか言いようのないものであり、
それはまた、バッハの音楽に、モーツァルトの音楽に、
ベートーヴェンやブラームスの音楽に、ドビュッシーの音楽に、
バルトークの、ストラヴィンスキーの、ガーシュインの、
ジェリー・ゴールドスミスの、ジョン・ウィリアムズの、
ロイド・ウェバーの、アラン・メンケンの音楽に、
およそ時や場所を超えて命脈を保ちゆく全ての作品に込められ、
人種や世代を超えて受け継がれゆく全ての作品に宿っているものと、
本質的に同等のものと思います。



信貴山縁起絵巻「飛倉の巻」内で指示を出す命蓮上人。

「はい、それではこれから“ 鉢 ”を飛ばしますので、
“ 鉢 ”の上に米俵を置いて下さいねぇ・・・」



命蓮上人が生きた時代から、およそ千百年、
絵巻が描かれてから、およそ九百年(いずれも諸説あります)。
そこに活写されている人間の姿を観る限り、
当時を生きた人々も、現代を生きる私たちも、
同じ事象に喜び、同じ事態に苦しみ、同じ現象に驚きと、
生老病死・喜怒哀楽において何ら変わるところがありません。
その意味においては、千年という歳月は須臾に等しく、
また刹那に過ぎないと、そのようにも感じられます。
絵巻作者が、その圧倒的な作画技術・描画技法を駆使し、
命蓮上人の事績に託して世に問うた“ 想い ”の光は、
コロナの時代を生きる私たちにも届いているはず。
只、その光を感受する“ 感性の受容器 ”とでも言うものを、
果たして私自身は持ち合わせているのかどうか?
心もとない想いで、蓮ゆれる池畔に立ち尽くします。
命蓮上人は平安時代中期頃(西暦8~900年代)の人、生没年不詳。

信貴山中興の祖と伝えられています。



