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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

マニ宝珠

2022-08-21 14:02:52 | 仏教関係
本日(8月21日)は、覚王山・日泰寺の「弘法市」。

今朝8時半頃の様子ですが、参道には簡易店舗が設営され始め、
「弘法市」ならではの賑わいを予感させていました。

日泰寺門前・千躰地蔵堂に祀られる地蔵菩薩。



その左手に載っているのは “ マニ宝珠 ” であります。

“ マニ宝珠 ” の “ マニ ” 自体が、サンスクリット語で「宝珠」。
元々の語形は “ cinta mani(チンター・マニ)” で、
“ チンター ” が「意思」や「願い」を意味したところから、
後世において「如意(にょい)」と訳され、“ マニ宝珠 ” は、
一般的に “ 如意宝珠 ” と呼ばれるようになったと伝わります。

杉浦康平氏の著書「宇宙を叩く」(工作舎)は、
副題が「火炎太鼓・曼荼羅・アジアの響き」。
杉浦先生は、火炎太鼓の外形や仏像の光背等々は、
“ 如意宝珠 ” を模している・・・とされたうえで、

『如意宝珠は、たとえようもない霊力を秘めた不思議珠です。
 いずことも見きわめぬところから不意に現れる。
 ゆらめく炎を発しています。
 宝珠は日・月の光の精だとされ、あるいは月のしずく、
 つまり海に潜む「真珠」だともいわれている。
 また宇宙の核をなすエネルギーの塊り、
 「気の精髄」とも説かれています。』
     (引用元:杉浦康平「宇宙を叩く」工作舎刊、以下同)

として、如意宝珠の世界を解き明かしてゆかれます。
神社仏閣や仏像仏画等で御覧になった方は御存知のように、
如意宝珠の典型的な図像は、
回転する水の宝珠が炎に包まれているというもので、
如意宝珠は、またの名を “ 火焔宝珠 ” 。

こちらは「国宝 阿弥陀如来聖衆来迎図」
(“ 空海と高野山 ” 展・ポストカードを撮影)

向かって左から、火焔宝珠菩薩と華籠(けろう・けこ)菩薩。

火焔宝珠菩薩の左手には、

火焔宝珠が載っています。

杉浦先生は、こうした火焔宝珠の図像について

『水中に潜む宝珠。雨を降らせる宝珠。
 これは「水」の働きです。その宝珠が火焔に包まれている。
 火焔宝珠は、「水」を「火」が包み込む形です。』

つまり如意宝珠の本質は、

『「火」と「水」の出会い』

であると説かれます。
本来的には打ち消し合うはずの「火」と「水」が、
一体となって回転しながら豊穣の気を湧き立たせているのが、
“ マニ宝珠 ” ということであり、このことから派生して、
陰陽一対、双極一体、二而不二(ににふに)の曼荼羅世界、
といったことが博覧強記に語られてゆきます。

                 

須田道輝師(1929~2008)は、長崎県・天佑寺の住職にして、
仏教の奥深さを分かりやすく著された文筆家でもありました。
「虚空の神力」(柏樹社)は、虚空蔵菩薩について記された一冊。
この書籍の副題「マニと剣の秘儀」の「マニ」とは、
先に記した “ マニ宝珠 ” のことであります。

「虚空の神力」では、
この “ マニ宝珠 ” の持つ意味や意義が説かれています。

『マニ宝珠については、古来「最極の秘」として、
 一般の人には公開されなかったものです。
 しかしマニ宝珠の意味は、
 結局「和合」という教えに他なりません。
 つまり、宇宙法界の万物現象は、
 すべて「和合」のはたらきにつきるということです。
 この「和合」の徳をもって、
 すべての願いを成就せしめるということです。』
         (引用元:「虚空の神力」柏樹社刊、以下同)
或いは又、

『“ マニ宝珠 ” は、汚れたものを清浄にします。』
『“ マニ宝珠 ” は、生命の気力を充実せしめる力があります。』
『“ マニ宝珠 ” は、乱れたものに和合を与えます。』

とも書かれています。
この辺りは、先の「宇宙を叩く」の中で説かれていたように、
「水」と「火」という、本来ならば相容れない要素が出会い、
打ち消し合うはずの働きが、働きのままに結ばれ、
一つに融けて「和合」するというところに重なります。

また須田師が繰り返し記しておられるのは、

『マニ宝珠は、菩薩の功徳を象徴化したもの』

ということ。
“ マニ宝珠 ” というものは、
あくまでも神仏の功徳や徳力をシンボライズしたものであって、
「これが “ マニ宝珠 ” です」というような現物ではありません。
須田師も、その辺りを懸念されていて、
“ マニ宝珠 ” が、さも現実のモノであるかのように捉えるのは、
邪道・邪法と断じておられます。

哀しい哉、江戸~明治期には、
ガラス片や瓦礫で “ マニ宝珠 ” 状のモノを造っては、
これを “ マニ宝珠の現物 ” と銘打って、
「あなたの不運が改善される」とか、
「あなたの病気が治ります」といった文言を弄して宣伝し、
粗悪な丸玉を売りつける “ マニ売り ” なる輩が多くいたそうです。
今で言う「霊感商法」であります。

嘆かわしいのは、西暦も2000年代に入った現代にあって尚、
こうした「霊感商法」が “ アトを断たない ” こと。
“ アトを断たない ” どころか、昨今のネット社会化に伴って、
より巧妙化・悪質化しているように見受けられます。

いつの時代にも、どこの国にも、
「◯◯を身につければ “ 浄化 ” されます」
「◯◯を身近に置けば “ 除霊 ” できます」等々の言葉を騙り、
思わしくない現状を生きる人々の

“ 弱みにつけこむ ”

ことで法外な金銭を要求する組織・集団・勢力が存在します。
それら組織・集団・勢力は、時として “ 宗教 ” の名の下に、
表向きは極めてクリーンな装いを見せているもの。
くれぐれも気をつけたいところであります。

                 

つい話が逸れましたが、
“ マニ宝珠 ” なるものは実際の現物や、何らかの商品ではない、
ということでありました。
では、事象としての “ マニ宝珠 ” はどうでしょうか?
例えば東大寺の修二会では、
通称 “ お松明 ” の行において、大火焔が振り回され、
通称 “ お水取り ” の行では、聖なる水が本尊に捧げられます。
考えようによっては、修二会という仏事全体が、水と火の結び、
事象としての “ マニ宝珠 ” と観ることも出来ようかと思います。
或いは又、密教寺院で日々厳修される “ 護摩行 ” というものも、
水と火の「和合」という視点で観想してみますと、
一種の「“ マニ宝珠 ” 事象」のようにも感じられます。

また古来、稲を実らせるものは雷であると信じられ、
雷を「稲」の「妻」、「稲妻(イナズマ)」と称したことは、
よく知られているところ。
水田という「水」の場に植えられたものに、
稲妻という「火」の力が天からくだり、稲は黄金の実を結ぶ。
もしかしたら太古の人々は、稲作の春夏秋冬に、
現象としての “ マニ宝珠 ” を観ていたのかも知れません。

相対するもの、双極に在るもの、本来相容れないもの、
そうした要素や事象が、ある瞬間、
或いは瞬間の連続としての一定期間、ひとつになり、
ダイナミックな働きを示す事で、1+1=2以上の何かを生み出す、
というのが “ マニ宝珠 ” の側面でもあろうかと思います。

                 

先の「宇宙を叩く」では、

『火焔宝珠は、「水」を「火」が包み込む形です。』

と記され、

『「火」と「水」の出会い』

その『出会い』が、“ マニ宝珠 ” であり、
その『出会い』が、豊かさをもたらすとされていました。

思い浮かぶのは、“ 地球 ” でありましょうか。
地球は、その約70%が「水」であることを思えば「水の珠」。
地球を取り巻く大気圏の外層を構成する “ 熱圏 ” は、
文字通り、およそ2000度という高温であり、言わば「大火焔」。
回転する「水の珠」が「大火焔」に包まれているというのは、
紛れもなく “ マニ宝珠 ” と申せましょう。


地球は、宇宙の中で、かけがえのない “ マニ宝珠 ” 。

皆様、良き日々でありますように!


               








宝篋印塔

2022-08-14 13:41:50 | 仏教関係
去る4月、およそ5年ぶりに上京しました際、
浅草寺を参拝して諸堂を巡り、

上掲、宝篋印塔(ほうきょういんとう)に手を合わせたことなどを、
ブログ記事で書かせて頂きました。
当ブログでは度々記しているところではありますが、
宝篋印塔とは、
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経
(いっさいにょらいしん ひみつ ぜんしんしゃり
 ほうきょういん だらにきょう)」に依拠して造られた “ 塔 ” 。

そのルーツは、古代インドの仏塔にあるとされています。
御承知置きの通り、そもそも “ 塔 ” と申しますのは、
サンスクリット語で仏塔を意味する “ ストゥーパ ” が、
漢字圏において “ 卒塔婆(そとうば) ” と音写され、
その後の歳月の中で “ 塔 ” と縮小されたもの(諸説あります)。

日本には、早い時期に伝来し、
既に奈良時代には建てられていたと伝わります。
先の経典には、
たった一度でも宝篋印塔を礼拝すれば危難から救われるとか、
宝篋印塔が影を落とした場所に立つだけでさえ功徳を授かる等々、
宝篋印塔の持つ力が説かれています。

その理由は、ひとえに宝篋印塔の中に納めらている、
宝篋印陀羅尼経および宝篋印陀羅尼の力によるものなのですが、
この宝篋印陀羅尼の特色は、
仏教に半信半疑の人、いや、いっそ信じていない人が、
これを読んだり唱えたりしても自然と御利益に与るというところ。
不徳の早川は、この辺りの “ ゆるさ ” というものに、
ある意味「ホッと」させられます。

信じる信じないはともかく、“ 塔 ” というものは、
スカイツリーや東京タワーといった電波塔・観光塔から、
五重塔や宝篋印塔といった仏塔に至るまで、
眺めれば眺めるほど魅力を感じ、
知れば知るほど興味の湧く建造物と申せましょう。


浅草寺境内に立つ宝篋印塔、ただいま “ 金龍 ” 見回り中。

浅草寺の境内には、山号「金龍山」の由来となった “ 金龍 ” が、
“ 金龍権現 ” として小さな祠に祀られています。

皆様、良き日々でありますように!


               









菩提樹

2022-07-24 15:38:43 | 仏教関係
覚王山・日泰寺門前の千躰地蔵堂。

本日は地蔵菩薩の御縁日でありました。


“ 和讃 ” が唱えられています。

菓子や酒といった “ 物 ” を供えるのと同様に、
“ 音楽 ” をお供えするのが “ 和讃 ” であります。


日泰寺本殿前の水鉢には、蓮が咲いていました。

こちらの蓮は “ 中尊寺ハス ” だそうです。

                 

こちらは日泰寺の山門。

今を遡ること数ヶ月前、確か春の頃だったと思いますが、


山門前に “ 菩提樹 ” が植えられました。

植えられた当初は丈も低く、葉も数えられる程度でしたが、


今はだいぶ大きくなり、青々と繁っています。



仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタ(伝:紀元前5~6世紀)は、
29歳から35歳までの6年間に亘り、
山に籠って様々な “ 苦行 ” に勤しみ励んだ末、
“ 苦行 ” では “ 悟り ” が得られないことを痛感して山を下り、
麓に立つ一本の大きな樹の根元に瞑想すること数日、
遂に “ 悟り ” を得て “ 成道 ” を果たしたとされています。
とは言え、山を下りてきた釈尊が、
「あっ “ 菩提樹 ” だ!あそこで瞑想しよう」ということではなく、
釈尊が菩提(=悟り)を得た樹という故事に因んで、
あくまでも後世の人々が “ 菩提樹 ” と呼ぶようになった、
ということであります。

では、釈尊がその根元において瞑想した樹、
後世 “ 菩提樹 ” と呼ばれるようになった樹とは何でありましょうか。
これには諸説あるものの、通説としては、
“ ピッパラ ” というクワ科イチジク属の落葉高木とされ、
これが現在の “ インドボダイジュ ” なのだそうです。

経典の中には度々 “ 聖なる樹 ” が登場します。
例えば、
随(581~618)から唐(618~907)の時代に漢訳された、
不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)に関する経典には、

宝娑羅樹(ほうしゃらじゅ)
多摩羅樹(たまらじゅ)
瞻博迦樹(せんばかじゅ)
阿輸迦樹(あしゅかじゅ)
阿底目多迦樹(あていもくたかじゅ)

といった “ 聖なる樹 ” が記されています。
これらの樹々は仏尊の住まう地に自生していて、
人々は樹々の周りをグルグルと回っている内、自ずと心の中に、
敬虔な気持ちと静かな喜びが満ちてくるのでありました。

また、こちらも唐代にサンスクリット原典から漢訳された、
『薬師瑠璃光如来本願功徳経
(やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう)』には、

楽音樹(がくおんじゅ)

という “ 聖なる樹 ” が現れます。
「楽音樹」というくらいですので、
樹からは何か超越的な音楽が醸されているのかも知れませんし、
或いはまた、より根源的な音響なり音声なりが、
「楽音樹」の前に立つ人の心に直接届けられるのかも知れません。

“ 菩提樹 ” といい “ 宝娑羅樹 ” といい “ 楽音樹 ” といい、
仏典に記された “ 聖なる樹 ” のくだりを読む度、
「自然に触れよ」「自然に入れ」「自然と共にあれ」、
何より「自然に向けて耳を澄ませ」と、
そのようなメッセージを聴く思いが致します。

因みに “ 菩提樹(インドボダイジュ)” は、大変に生命力が強く、
土壌を始めとする環境の変化・日照り・多雨・激しい気温変動等、
生きづらさをもたらす “ 何か ” が多くあっても、
それら “ 何か ” を全てチカラに変えて成長するのだとか。

確かに日泰寺山門の “ 菩提樹 ” も、
この数ヶ月の伸びようには目を見はるものがあります。
“ レジリエンスの樹 ” とでも申しましょうか、
人もまた、かく在りたし。

フワァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

皆様、良き日々でありますように!



               









合唱団ならぬ “ 合掌団 ”

2022-04-24 15:46:41 | 仏教関係
東海地方は雨模様であります。



毎月24日は、地蔵菩薩の御縁日ということもあり、
そぼ降る雨の中、覚王山・日泰寺へ。

日泰寺門前の千躰地蔵堂では御法楽が厳修されます。


千躰地蔵堂での御法楽では、観音経の世尊偈(せそんげ)を始め、

地蔵和讃や消災吉祥陀羅尼などが唱えられます。

仏教では数多くの尊格が説かれますが、それら尊格の中には、
厳格な作法や儀軌に則った方法で礼拝すべき尊格もおられます。
有り体に申すならば、いささかハードルが高い尊格。
具体的に「ハードルが高い」と申しますのは、例えば、
拝む前には何日にも亘る精進潔斎が必要であったり、
いったん人里離れた場所へ移動する必要があったりということ。

“ 地蔵菩薩 ” なる尊格は、拝むに当たって、
そうした “ 決まり事 ” というものがほとんど無く、
ハードルの位置が極めて低く設定されていて、
そうした意味でも “ 庶民派 ” を代表する尊格と申せましょう。

合唱団に入るには、ある程度の歌唱力が必要かと思われますが、
地蔵菩薩の世界に入るのには、手を合わせるだけ。唯それだけ。
これを “ 合掌団 ” などと呼んでは、叱られるかも知れませんが、

何にせよ、地蔵菩薩は “ 慈悲全開 ” の尊格ということであります。





               








「私」と「仏」

2022-01-30 15:00:15 | 仏教関係
来月、奈良で執り行われる予定の仏教行事に参加するべく、
宿の手配を始めとした準備を整えておりましたところ、
“ やはり ” と申しましょうか、
オミクロン株感染拡大の現況を勘案し、
「来月の行事開催は取り止め」との連絡が入りました。

待ち望んでいた行事だっただけに残念ですが、仕方ありません。
いつかまた仏縁の結ばれることを願い、今は只、
コロナ禍の早期収束を祈るばかりであります。

               

さて、大須観音の南門には〈金剛力士〉像が祀られています。

その手に金剛杵(こんごうしょ)を執って仏界を守るがゆえに、
またの名を「執金剛(しゅこんごう)」「持金剛」とも。

金剛杵には幾つか種類がありますが、
金剛力士(執金剛)が手にしているのは、

この独鈷杵(とっこしょ)の大型版とでも言えるもの。

金剛杵を始めとする各種の法具・仏具には、その一つ一つに、
様々な意味や教え、隠喩といったものが付与されていますが、
中でも独鈷杵は、一方が「私」、もう一方が「仏」であるとされ、
二方一体の形状を取る独鈷杵は、「私」と「仏」とが、
本来同体であることを説いているとも伝わります。
確かに、

「私」と「仏」。

二つの漢字を、こうジィ~っと見比べておりますと、
「私」の中に「仏」が隠れていることが分かり、
「仏」の「亻」扁(にんべん)に、
横棒・左下はらい・止め、の三画を加えると、
「私」になることも分かってまいります。

横棒・左下はらい・止め、の三画を、仏教で説かれる、

貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)

の三毒と仮定してみますと、
本来「仏」であるはずの存在が、
貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)、
これら三毒に侵されて生きているのが「私」であると、
そのようにも想われてまいります。