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『聲の形』から見えるいじめ。

2016-10-29 01:15:28 | twitter
#いじめ

いじめ過去最多 早期把握に努めて子供を守れ : 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20161027-OYT1T50118.html?from=tw

『映画 聲の形』。
あの物語は、聾唖の少女と彼女のために生きると決めた少年の物語。この作品は聾唖者に対するいじめという発端がある。
作品はかなり極端な例を扱っているのは分かっているけれど、現実のいじめでも状態は似たような物になると思う。
持ち物を隠されたり汚されたりする。
陰口を言われたり、バイキン呼ばわりする。
そんなところじゃ無いだろうか。

あの作品において、聾唖の少女も彼女をいじめていた少年も、その周りの友人たちも人生が動いた。たまたま彼女たちはその経験をバネにして、成長することが出来ているけれど。
でも、現実はそうじゃない。いじめられた者はどこまでも人生が捩れてしまう。いじめていた側も自分が異常に大きい人間だと錯覚したまま成長してしまう。もちろんケース・バイ・ケースだ。

あの作品でもそうだが、現実でもキーマンは担任教師なのだ。
『聲の形』では、教師は徹頭徹尾生徒に無関心だ。あれは彼の教育方針じゃない。彼は「職業教師」になってしまっている。
それがはっきり分かるのが、いじめの主犯である少年を名指しし、黒板を殴りつけ威嚇するシーンだ。そのあと、周囲の生徒に「どう思う?」と聞き始める。
あの行動は「校長にまで問題が耳に入ってしまった」ことに対する苛立ちであり、「私は知っていました」という校長へのある種の弁明行為だ。
現に、いじめていた少年がいじめられる側になってしまった時は放置だ。その所為で少年は自殺を考えるほどに人生観が変わってしまっている。

担任の教師が校長を頼るというのは、あまり褒められた物ではない。自分の指導能力不足を露呈することになるから。
いじめ問題のある程度の割合にはこの心理が働き、「上司に知られたくない」という意識があるせいなのかもしれない。

学校の先生、特に小学校のクラス担任になるとメチャクチャ忙しい。
だって、仕事時間中は当然授業をするし、それが終わってもクラブがあったり生徒会があったりする。
定時を過ぎてから、ようやく自分の仕事が出来る。
次の授業のプリント作り。
テストの採点。
父母に対するクラスだよりの作成。
どう考えても、時間がない。
クラスの問題をなかったことにしたくなるのは道理だ。

今の先生たちには時間がなさ過ぎる。
ブラックだというけれど、それは先生のための言葉ではなく子供たちへの影響に対する言葉と捉えるべきだ。

自殺を無くす運動、嘆願書は先生たちの時間を作ることを根底としたものであるべきだと思う。


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