『ヴィヨンの妻』を観てきた。
なんか不思議な映画やなー。
純文学ってこんなんやったっけな?
ダメな夫とその妻の物語。
夫は売れてる小説家で、常に生きていくことに怯え、酒と女に溺れるばかり。
そんな夫の借金や色々な揉め事に追われていながらも、妻は小料理屋で楽しく働き、子供を育てている。
『自虐の詩』に近い様な気がする世界観やな。
夫は、愛人と心中を試みるが、結局死ねない。
薬を飲み、身体が脱力してくることを利用して、斜面で首吊りを試みるのだが、苦しくなって自分で縄を取って失敗。
本当に死にたいのかどうかも定かでなくなるほど、無様な心中劇だ。
太宰治そのものがそこには見える。
彼も、何度か心中しようとして失敗してる人やしね。
文学的にみればどうなのか知らないけれど、とどのつまり現代のリストカットみたいな感覚で心中というのがあったんじゃないだろうか。
死ぬために自殺するのではなく、生きていることを実感したいがために自殺を試みる。
だから、死んでしまっては失敗ということになる。
どんな世界・時代にも生き方が下手な人というのはいてたんやなあと。。。
そして、いつの時代でも、その不器用さをも愛おしいと思う人もいてるんやなぁ。。。
なんか不思議な映画やなー。
純文学ってこんなんやったっけな?
ダメな夫とその妻の物語。
夫は売れてる小説家で、常に生きていくことに怯え、酒と女に溺れるばかり。
そんな夫の借金や色々な揉め事に追われていながらも、妻は小料理屋で楽しく働き、子供を育てている。
『自虐の詩』に近い様な気がする世界観やな。
夫は、愛人と心中を試みるが、結局死ねない。
薬を飲み、身体が脱力してくることを利用して、斜面で首吊りを試みるのだが、苦しくなって自分で縄を取って失敗。
本当に死にたいのかどうかも定かでなくなるほど、無様な心中劇だ。
太宰治そのものがそこには見える。
彼も、何度か心中しようとして失敗してる人やしね。
文学的にみればどうなのか知らないけれど、とどのつまり現代のリストカットみたいな感覚で心中というのがあったんじゃないだろうか。
死ぬために自殺するのではなく、生きていることを実感したいがために自殺を試みる。
だから、死んでしまっては失敗ということになる。
どんな世界・時代にも生き方が下手な人というのはいてたんやなあと。。。
そして、いつの時代でも、その不器用さをも愛おしいと思う人もいてるんやなぁ。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます