『希望の国』を観た。
長島県という架空の県にある、架空の原子力発電所が大地震により建屋が爆発、放射性物質を撒き散らす。
また、県の沿岸部では大津波で大きな被害が出る。
という設定。つまりは東日本大震災の福島県がモデルになっている。
話の中核を占めるのは、原発事故とその放射能漏れだ。
その時、その町にいた人たちは事故後にどうなったのか?どうなっていったのか?そこに焦点がある。
でも、放射能が怖いとか、同じ思いをしている人がいるんだな、という感想は薄かった。
あの震災のとき「絆」「がんばろう」「応援します」「1つになろう」などのスローガンが日本中を駆け巡っていた。
でも、どこか上滑りで何かの不協和音を感じていた。
僕も募金はした。そこには先に書いたスローガンに乗っからない自分への違和感の払拭とか、何かへの申し訳なさとかがあったからだと思う。本当に善意があってやったか?と問われると、自信が揺らぐ。
だから、不協和音の音は自分自身だったのかもしれない。
あの「絆」「がんばろう」「1つになろう」という言葉の中に、本当に入るべき被災者たちが含まれていたのか、僕は少し疑問に思う。
根拠があるわけじゃない。でも、被災者を抜きにして1つになっていたんじゃないかという気がする。
そして、僕の感覚が正しいとすれば、今もそれは続いている。
映画の中で支えあうのは家族や、恋人同士など、被災者同士だけの絆が描かれる。
実際そうだったんじゃないだろうか。結局、僕らは彼らを助けることなんて出来なかったんじゃないか。
映画の中で使われる音楽、きれいな旋律なのになぜか心地悪さを抱かせる。
それは、僕が被災者ではないからだろうか。
希望の国にはこの国はまだはるかに遠い。
僕はそう思う。
長島県という架空の県にある、架空の原子力発電所が大地震により建屋が爆発、放射性物質を撒き散らす。
また、県の沿岸部では大津波で大きな被害が出る。
という設定。つまりは東日本大震災の福島県がモデルになっている。
話の中核を占めるのは、原発事故とその放射能漏れだ。
その時、その町にいた人たちは事故後にどうなったのか?どうなっていったのか?そこに焦点がある。
でも、放射能が怖いとか、同じ思いをしている人がいるんだな、という感想は薄かった。
あの震災のとき「絆」「がんばろう」「応援します」「1つになろう」などのスローガンが日本中を駆け巡っていた。
でも、どこか上滑りで何かの不協和音を感じていた。
僕も募金はした。そこには先に書いたスローガンに乗っからない自分への違和感の払拭とか、何かへの申し訳なさとかがあったからだと思う。本当に善意があってやったか?と問われると、自信が揺らぐ。
だから、不協和音の音は自分自身だったのかもしれない。
あの「絆」「がんばろう」「1つになろう」という言葉の中に、本当に入るべき被災者たちが含まれていたのか、僕は少し疑問に思う。
根拠があるわけじゃない。でも、被災者を抜きにして1つになっていたんじゃないかという気がする。
そして、僕の感覚が正しいとすれば、今もそれは続いている。
映画の中で支えあうのは家族や、恋人同士など、被災者同士だけの絆が描かれる。
実際そうだったんじゃないだろうか。結局、僕らは彼らを助けることなんて出来なかったんじゃないか。
映画の中で使われる音楽、きれいな旋律なのになぜか心地悪さを抱かせる。
それは、僕が被災者ではないからだろうか。
希望の国にはこの国はまだはるかに遠い。
僕はそう思う。