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TOKI : LOG

LOGGYと竹坊の物見遊山

日吉台地地下壕見学会

2014-08-19 | 気になる景色
日吉駅前に登場したLOGGY。

以前は慶応義塾大学日吉校舎を見学したが、
今回は「日吉台地地下壕保存の会」主催の見学会参加が目的である。

日吉台地には第二次世界大戦時に地下壕が数多く造られた。(↓保存会資料より引用)


1944年9月、慶大日吉キャンパスの寄宿舎が連合艦隊司令部として使われ、
「台湾沖航空戦」「レイテ沖海戦」、戦艦「大和」の出撃命令等がこの司令部から発せられた。



夏の強い陽射しを浴びたキャンパスは美しい。


第一校舎(現高等学校)前を横切る。


保存会スタッフから第一校舎の当時の状況の説明を受ける。
初めて日吉に海軍が来たのは軍令部第三部で、1944年3月第一校舎に入り、
敵国情報を収集分析していたそうだ。


・・・そして、地下壕入口のあるまむし谷へと向かう。


下の地図が今回見学する延べ2,600mの地下壕エリア。1944年11月から使用され始めたという。


地下壕内はとても涼しく、外の猛暑が嘘のようだ。
一歩中に入ると真っ暗で緩いスロープになっており、各自持参した懐中電灯を頼りに歩いていく。


まず、壁の厚さがわかる凹みを見学。とても頑丈に造られているのがわかる。


さらに進んで行くと・・・、


竪穴空気坑がある。

この空気坑、地上に茸型構造物↓がある。


続いて、指令長官室や、


地上司令部(寄宿舎)へと続く階段跡を見る。




食糧倉庫。


暗号室、作戦室(高さ3m、長さ20m、幅4m)。

↓(上)中枢部の天井、当時としては貴重な蛍光灯も設置された。(下)通常部の天井。

中枢部と通常部の境目。


侵入者の落書もあった!


地下壕内では要所毎に保存会スタッフの方が待機しており、迷わないようガイドしてくれる。
むやみに横道に入ると、フェンスで囲われ行き止まりになっていたりする。


ここ↓は中央に溝がある。


そろそろ出口へと向かう。


見学者達は出口へと導かれる。


無事出口へたどり着く。


地上に出ると再び一気に猛暑の世界へ。

最後に軍令部第三部(情報部)も使用したというチャペル外観を見学し、寄宿舎傍で解散となった。

日吉キャンパスの戦争遺跡的側面を知る事ができた
2時間半の充実した見学会であった。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ライトは必需 (106)
2014-08-20 08:27:56
報告が早いですね 私の方は来月かな?
薄々気付いてはいたのですが残念ながら使える写真が無いに等しい
部屋にあった自転車用のライトの方が明るくて使えた事に帰宅後気付く
日曜日にでもホームセンターで物色してみます
浅川でリベンジだ!!
ローマ風呂も見学したいですが慶應の消極的な対応からは実現の可能性は低いですね
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寄宿舎 (LOGGY)
2014-08-20 19:04:43
>106さん
以前寄宿舎を見学した時には
建物の真下にこれだけ大規模な
地下壕があるとは思いませんでした。
廃墟化している寄宿舎やローマ風呂の復元
や地下壕内の電気設備等を整えて
この戦争遺跡を後世に伝えて欲しいですね。
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Unknown (chameko)
2014-08-20 23:36:15
まあ びっくり!
何にも知らされていなかったので 当時 そんなところに
重要な 地下壕が あったなんて。
我が家なんて 役にも立たないであろうような
防空壕を ほって 入っていました。
新宿で 機銃掃射に やられそうになったときは
皆あわてて そこいらの穴に入りました。
とにかく 戦争は 嫌だ。

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LOGGYもびっくり! (LOGGY)
2014-08-22 19:14:52
>chamekoさん
戦況から明らかに敗戦は決定的だったのに
偉い人達はこんな所に地下壕を造って
指令を出していたそうです。
教科書には載らない歴史を知りました。
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