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TOKI : LOG

LOGGYと竹坊の物見遊山

万世橋・交通博物館の記憶 -その1-

2012-07-10 | 消失風景
先日ご紹介した神田須田町には、かつて中央線のターミナル駅があった。

■万世橋駅と交通博物館の変遷


1912年(明治45年)、辰野金吾と葛西万司の設計で
壮麗なレンガ・石積二階建の万世橋駅舎が建てられた。

日露戦争の英雄広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像とともに
須田町のシンボルになっていた。
駅舎の二階には三つの食堂があり、芥川龍之介や菊池寛などの集う
サロンとなっていたそうだ。

だが1923年(大正12年)の関東大震災による火災で駅舎焼失。
2年後、簡素な駅舎に姿を変えた。


1936年(昭和11年)、呉服橋高架下にあった鉄道博物館が
旧駅舎の基礎部分と高架線下のスペースを利用して
新館オープンする事になり、鉄道省技師でル・コルビジェに学んだ
土橋長俊の設計により、インターナショナルスタイルで建てられた。

1943年(昭和18年)、万世橋駅が廃止され、建物は鉄道博物館専用となる。
1945年(昭和20年)、太平洋戦争激化のため休館。
1946年(昭和21年)、交通文化博物館と改称して再開。
1948年(昭和23年)、名称を交通博物館と改称、展示対象を交通全般とした。
2006年(平成18年)、施設狭隘化と老朽化を理由に閉館。


秋葉原が故郷のLOGGYにとって交通博物館は「想い出の場所」。

恐らく今迄で一番写真を写した場所であろう。
とりわけ閉館前の3ヶ月は毎週のように通って撮影。
そして閉館を見届けた。そんな記録の一部をシリーズでご紹介する。
今回は建物の外観から。

交通博物館の象徴だったガラス張りの階段室。
専門家からは「グロピウス建築」を思わせると言われていた。

エントランス付近。
下段左から2枚目の背景に写る看板建築の家は現在も健在。

かつて銅像があった位置(上)には団体客用の別館が。
昌平橋近くの線路沿いから見た西側階段室(下)。


万世橋側からの景色。

夜の交通博物館も萌える景色であった。
(次回へ続く)

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