逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

チベット動乱問題の過去と現代(メモ)

2008年04月18日 | 東アジア共同体

「お玉おばさんでもわかる政治のお話」のチベット問題の記事『チベットのこと』のコメント欄で、『反米嫌日戦線「狼」(腹破裂)』のブログ主催者の「死ぬのはやつらだ」 さんの、 他所では滅多に見られない、興味ある書き込みを発見。余りに面白いので、切り抜いて保存することにします、

『反米嫌日戦線「狼」(腹破裂)」のブログ主の『死ぬのはやつらだ」さんは、ブログ表紙で、「革命とは暗殺を以て始まり、暗殺を以て終わる人事異動だ」磯部浅一・・・・と掲げている。
政治的分類では、所謂極○に分類される政治スタンスですが、いがいに鋭い政治感覚と独自性をお持ちのようです。
政治スタンスは賛成できるものではないが、他所のブログ記事では、滅多にお目にかかれない秀逸な記事や正論等の書き込みがある。
口は悪いが、『愛国をきどる若者よ自衛隊に入隊して花と散れって。靖国は俺が参拝してやるから。躊躇するな。』、などの素晴らしい見解、持論も、時々は聞けます。




チベット独立を支持するコメントに対して、

『冷酷な妄想ですが』
中国チベット自治区の独立を認めてしまえば、他の無数の少数民族の独立を許してしまう。
そうすると中共全土で内戦状態も考えられなくもない。
そうすれば、中共に経済を頼っている日米は終わりですな。
それと、独立してもダライラマによる独裁政治が始まるのは必須です。
民主化が世界の潮流だとすれば、逆行することとなる。
皮肉ですが、中共の支配がダライラマによる支配に代わるだけかもしれない。

そうなると、また新たな弾圧が始まる。
ましてや、チベット自治区が独立しても貧しい政府が何をやっていくのか?
かつて、ソ連自治区だった小国が崩壊後に次々と独立したが、経済的には苦しいのが現実です。多数の若い女性は日本に売春しにやってきているのが現状ですね。
[2008/03/16 03:32]
死ぬのはやつらだ




オリンピクボイコット発言や経済制裁について、

『中国なくして日米ありえず』
ふーん、それなら何で日米の企業が中国に作らせて売っているの?
そんなに必要ないなら、さっさと撤退すればいいじゃん。
その方が、俺たちも職にアブレナクテ済むワイ苦笑
それと、日本は中国からレアメタルを大量に輸入しているからね。
アンチモン、バリウム、希土類は90%! タングステンは80%! インジウムは7割! ゲルマニウム、ビスマス、ストロンチウムは過半数が中国からの輸入に頼っている。
希土類、タングステン、アンチモンは世界の80~90%が中国産だわな。

>すみませんが、ダライ=ラマによる独裁というのが中国による侵略以前にあったのでしょうか?
>そしてその独裁は今現在中国により行われている弾圧より悪逆なものなのでしょうか?

宗教者がトップになるぐらい危険なことはないわな。
民主主義の敵だ。
石原と会談する宗教者なんぞ、俺にすれば池田大作と同類。
ダライラマなんぞ中共と同等の弾圧をすると妄想できる。
権力って、甘い汁だからな。
独裁者に素晴らしい人間って過去にいたっけ?
[2008/03/17 00:53]
死ぬのはやつらだ

『同じアナのムジナ』
>しかしこの話題に常連さんたちがあまり寄り付かないのと、日本の人権団体が静かなのも不思議ですね?? 週末だからかな?

それを言うなら、米帝とイスラエル批判をしないお前らも同罪だ。
もちろん、バカサヨクもな。
それと、朝鮮人が売春していることと、ロシアと東邦の国々の売春婦と何か関連性あるのか?
[2008/03/17 00:58]
死ぬのはやつらだ

お言葉使いをもう少し穏やかに・・・ [2008/03/17 06:40] お玉おばさん











チベット文化と理想
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本を代表する哲学者、仏教学者
比較思想学のパイオニアとして、1974年比較思想学会も創設し、初代会長を務めた。
サンスクリット語・パーリ語に精通し、仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことでも知られた。その最も端的な例として、Nibbānaを「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したことがあげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。

東京大学名誉教授、日本学士院会員。1977年、文化勲章受章。勲一等瑞宝章受賞。

中国のチベット自治区が今、北京五輪とのからみで注目されている。
そこで書架から、インド哲学者・故中村元博士の名著『東洋人の思惟方法 I』 (全四巻、春秋社)を取り出し,その第五編
『チベット人・韓国人の思惟方法--東洋人の思惟方法 IV』 を読み直してみた。

博士はチベットの特殊性を、次のようなところにもとめている。

人格的結合の意識の希薄さ、宗教的な霊威有る特定個人に対する絶対的帰依、ラマ教の社会的秩序に対する絶対的な服従。
『ラマ教の絶対的勢威の故に、近代人の目から見ても、甚だしい不合理なことでも、チベット人は容易に其れを甘受し、忍従していた。
例えばチベット全土で数十万人に達する僧徒は、全く納税の義務をもたなかった』』

『しかし事情は急激に変化しつつある、漢民族が多数入ってくるとチベットは様相を一変するであろう。そうして少なくとも政治面ねに関する限りは、ラマ教の支配は没落するであろう。貴族と民衆の間にあった身分的秩序もやがて消失するであろう。と。

宗教紙『中外日報』二宮坂宥勝・名大名誉教授が『最近のチベット事情に思う』という一文を寄せている。(2月14日付け)。
宮坂氏は仏教会の泰斗。氏は言う。『1911年の辛亥革命は五族協和国是を掲げて五族(漢族、チベット族など)の協力による共和政体樹立を目指していた』と。この理想は消えていないはずが。


東洋人の思惟方法第四番 「チベット人の思惟方法」
その特徴は、人間における絶対者の発見、宗教的例威アルある特定個人に対する絶対的気投、シャマニズム的傾向、論理的性格、である。
チベット仏教であるラマ教のもっとも重要な特徴は、生きている個人としてのラマ(導師、活仏)を、仏よりも、法よりも以上に、崇拝することである。
インドの伝統的な呪術的儀礼が、その呪術性の故にチベット人に歓迎された。
チベット人が選び取ったのは、人倫的秩序を無視し、性欲享楽を説くところの仏教、すなわちインドの腐敗した秘密仏教であった。
印度人の普遍重視的思惟方法の所産が、チベット人の個別者重視的思惟方法によって変容されたのである。

普遍的なもの(仏教)の摂取に現れた民族性
「チベットで最も有力なのは観音信仰、チベット語で自殺は一音節の一語・ありふれた社会現象であることを示す、紅帽派では偉い僧侶は片から婦女に手を付ける。






河口 慧海(かわぐち えかい、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和20年(1945年)2月24日)は、黄檗宗の僧(晩年は還俗)、仏教学者にして探検家。
大阪府堺市生まれ、幼名を定次郎という。1890年(明治23年)に黄檗宗の寺で出家する。
中国や日本に伝承された漢訳仏典に疑問をおぼえたことが発端となって、インドの仏典の原初形態をとどめているというチベット語訳の大蔵経を入手しようとして、日本人で初めてチベットへの入境を果たした。


チベット旅行記(一)/河口慧海/講談社学術文庫/1978「1900年のチベット踏破。一日一食の麦焦がしの食事だけで午後は食事しない」
2▽   チベット旅行記(二)/河口慧海/講談社学術文庫/1978「チベット人の悪口満載、チベット人は不潔を好む、騙しまくりの詐欺?乞食旅行」
2▽   チベット旅行記(三)/河口慧海/講談社学術文庫/1978「チベットの風俗解説。五代の法王は25歳までに毒殺された。名医と評判になり法王の侍医待遇」
2▽   チベット旅行記(四)/河口慧海/講談社学術文庫/1978「チベットの制度や外交・軍事など。正体が暴露して退去へ」

20世紀の始めにチベット人に成り済まして、乞食(托鉢)旅行し、当時鎖国状態で、古代都市楼蘭を発見した探検家スヴェン・ヘディンでも果せなかったチベット入りを成功させる。
当時、外国人の立ち入りを激しく拒絶していたチベットに入りラサで法王(ダライラマ13世)に会い、名医として厚遇される。
経典を手に入れるためのヒマラヤ山脈を単独で越えて、チベット入りをした一仏教僧侶であるが、その旅行記の内容の確かさや重要性、は有名な探検家スヴェン・ヘディン(Sven Hedin)にも絶賛されている。

旅行記の内容を記したいが、私自身はチベット経験が無いので、この旅行記の記述が何処まで正しいかの判断ができない。
また文明人(日本人)の目で見たチベット(著者は半開地或いは、未開人ではなく半開人と表記)の真実が、どれ程正しいか判らないが、正確にこの本の内容を此処に書き写す事は、所謂人種差別や偏見を誘発する恐れが有るので躊躇せざるをえない。
当時のチベットの一妻多夫の特異な風俗や、不潔な習慣に対する嫌悪感や、治安の悪さから、慧海師はチベット人を土人、ラマ僧を黒坊主或いは破戒僧其の他○○と表記している。
特にラマ僧の姦淫や肉食の習慣を極端に忌避し、ダライラマまでが肉食している事実にチベット仏法の堕落腐敗を見ている。
この旅行記の記述の半分でも正しいとすれば、ダライラマの復権はチベット人に限りない不幸と災難をもたらすでしょう。


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8 コメント

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スヴェン・ヘディンの見方 (kaetzchen)
2008-04-18 18:42:28
というのはあくまでキリスト教徒として,仏教に理想を抱いていた,彼の失望に過ぎないと考えて良いのではないかと思います.

まだ民族学という学問が形をなしてなかった頃です.スヴェン・ヘディンは自らの宗教観・イデオロギーから逃れることができなかった;チベットを理想郷と思い込んでた彼がその現実を見てショックを受けた.私から見ると,それだけのことじゃないかな,と考えます.< あくまで文化人類学的な見解ですけど.
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探検家と宣教師とその次に来るのは (ブログ主)
2008-04-19 08:49:41
タクラマカン砂漠などを探検したスヴェン・ヘディン自身はチベット入域を果していません。
彼はチベットには何度も侵入を試みたが其のつどチベット軍?官憲?チベット人に頑強に阻まれ諦めたようです。
アヘン戦争の教訓から欧米列強の偵察を極度に警戒して1880以降は鎖国状態で西欧人の侵入には断固とした態度をとっていた。
ただし通商は別で、産物の殆どないチベットは特産物の羊毛以外になく、自活出来ないのでインド、ネパール、ブータンなどからの人々の往来は頻繁にあったようです。
チベット国境を守っていたのが軍隊のはずですが、広い国土に対して総数が5000人足らずの錬度の低い傭兵しかいないし、警察もない状態。
その傭兵も、月に麦が一斗程度の給料で、専業ではなく月に数日勤務するパータイマーの民兵程度の代物で役に立ちそうもない。
チベットの本当の戦闘力(戦力)は、日頃は寺院に所属する数十万人の壮士坊主(僧兵?)だったらしい。

アジア、アフリカなどの先例では、一番最初に探検家が来て地形などを調査する、次に宣教師がやって来て、人々の人心を本国に報告する。
最後の三番目に宗主国の軍隊がやって来て、其の国を植民地にして言った歴史が有る。
チベットのラサにいた法王は、軍事や政治の国際問題に対して正しく理解していたようです。
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言葉が足りなかったかな (kaetzchen)
2008-04-19 14:52:45
ブログ主さん,昨日は疲れてたので短い文章になって説明不足だったようです.

>彼はチベットには何度も侵入を試みたが其のつどチベット軍?官憲?チベット人に頑強に阻まれ諦めたようです。

これは国境警備隊の「傭兵」らしいです.だからかなり荒っぽい連中だったらしい.どっちにしても,ヘディンは徹底的にチベット入りを阻まれて,恨みつらみを書き残していますね.

>チベットの本当の戦闘力(戦力)は、日頃は寺院に所属する数十万人の壮士坊主(僧兵?)

チベットの留学生たちが簡単に CIA に洗脳されて工作員になる土壌は,どうもこういう所にあるようです.まず僧にならないと教育を受けられない,僧兵にならないと食えない,そしてわずかなエリートが留学生として出ていく.当然,エリートと言っても CIA や KGB のような存在なわけです.

あとはダライ・ラマは「法王」で,バチカンの方は「教皇」ですね.マスコミには結構この手の間違いが多いです.
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Unknown (Runner)
2008-04-20 01:50:14
善光寺が聖火リレーをボイコットしましたね。
彼らはチベット仏教の正体を知っているはずなんで、これも「圧力」に屈したということでしょうか。
会見も歯切れが悪いし。
今後もスポーツ選手などが圧力を受けるのかも知れません。

>中村 元

そういえば、中村さんは「チベット仏教」を仏教として認めてなかったような気が。それとも、別の人だったかな?
とにかく、我々もうかつに「チベット仏教」と呼ばない方がよいのかも知れません。
もう、「ラマ教」で通じるでしょうし。
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コメント有難う御座います (ブログ主)
2008-04-20 09:08:15
瀬戸内寂聴さんが今日の毎日新聞に、自身のチベット旅行の体験談を投稿しています、それによると、
黄色の衣だったので観音さまの化身と間違われて大勢のチベット人に取り囲まれた話や、ラマ教寺院が仏教弾圧の影響で僧侶は老人ばかりだった話など、興味有る記述がある。
「善光寺が聖火リレーをボイコット」の話でもラマ教を即仏教と解釈する日本人は多いようです。確かに拝んでる「仏さん」が観音菩薩とか弥勒菩薩とか同じものが多いので誤解が生じるのでしょう。
坂本弁護士一家失踪(殺害)事件直後に、オウムの麻原がテレビで、自分達を犯人扱いするのは『共産党の仏教への宗教弾圧』であるとの発言を、長々と何回も放映していたが、オウム事件は単なるカルと教団一人の犯罪ではない。
直接の下手人オウム教団と、オウムを煽て上げたマスコミと、オウムの犯罪行為を知らぬ振りで無視した警察の共同犯罪行為ですよ。
歴史があろうが、大きかろうが、権威があろうがカルト教団は、カルトでしかありえない。
キリスト教福音派や、ユダヤ教原理主義や、イスラム教ワッハーブ派や、日本の創価学会は間違いなくカルトですが、ラマ教もカルト臭いこと夥しい。
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TBです (早雲)
2008-04-20 16:49:21
いろんな組織がカルトの定義に当てはまりますね
sun.ap.teacup.com/souun/1344.html
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早雲さん (ブログ主)
2008-04-21 13:28:25
記事の紹介有難う御座います。
非常に示唆に富むエントリー記事ですね。

記事の題名が『いろんな組織がカルトの定義に当てはまりますね』なんですが、創価学会とカトリックを同列に扱う、最初の出だしは、少々理論に無理がありそうですが、勿論カトリック組織の一部やカトリック教徒にカルと臭い部分があるのか、とは想像できます。
しかし全体と部分の、意識的な混同は感心しません。分離すべきです。
中盤部分の、共産党の一部のカルト臭さの指摘には、・・・有りうる話ですね。党員の一部には共産主義を科学としてではなく宗教的な教義として理解している人達がいるのは困ったことです。

中盤以降の創価学会のやったらしい謀略事件の記述は秀逸です。創価学会は正真正銘のカルトですね。
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カルトの定義について (kaetzchen)
2008-04-21 14:26:42
 東北学院大学で旧約聖書学を教えていらした浅見定雄・神学博士が以下のような本を書いていますので,まずこれらをお読みになってからコメントを書かれてみては如何でしょうか.>早雲さん

山根二郎・浅見定雄・奥田穣児/護られた街編集委員会編集『護られた街 カルトは防げる、撃退できる 実録』仏教カルト研究所 (2002, ¥1575)

浅見定雄 他著『カルトと若者 東京女子大学学会講演会』ブレーン出版 (2000, ¥1995)

浅見定雄著『なぜカルト宗教は生まれるのか』日本基督教団出版局 (1997,¥1470)

浅見定雄著『新宗教と日本人』晩声社 (1994,¥1575)

スティーヴン・ハッサン著・浅見定雄訳『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版(1993,¥1529)

浅見定雄著『偽預言者に心せよ! 日本人を考える』晩聲社 (1989,¥1575)

浅見定雄著『聖書と日本人』晩聲社 (1988,¥1575)

浅見定雄著『統一協会=原理運動 その見極めかたと対策』日本基督教団出版局 (1987,¥999)

浅見定雄著『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫(朝日新聞出版,1986,¥459)
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