逝きし世の面影

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相互確証破壊と日本の核の傘

2009年07月12日 | 軍事、外交

相互確証破壊(Mutual Assured Destruction,MAD)は当時のアメリカの国防長官ロバート・マクナマラによって1965年に発表された核抑止理論(第三次世界大戦の抑止)で、先制奇襲による核攻撃を意図しても、生残核戦力による報復攻撃で国家存続が不可能な損害を与える事で核戦争を抑止するという。

『際限ない軍拡』

『相互確証破壊』戦略論からは其の後、相手方(敵)の核攻撃にも十分残るだけの数量にまで『核攻撃能力を増強する』事が核戦争の『抑止力』であるとするロジックが生まれる。
この『相互確証破壊』のロジックでは、潜在的敵国よりも強い軍事力を保持するだけでは『安全』とはならず、世界を凌駕する圧倒的な軍事力の保持を必要とするのです。
そして、このロジックからは容易に、80年代の冷戦時代最期のアメリカ大統領ロナルド・レーガンの逆立ちの論理『核兵器削減の為(戦争抑止)には核兵器の増強が必要』との有名な言葉がでてくる。
米ソは1968年に相互に核削減を行うとの約束で、周辺国への核兵器の拡大を防ぐ目的の核拡散防止法(NPT)を締結するが、米ソの核兵器は減るどころか逆に増え続け倍増する。
このように『相互確証破壊』(核の傘)とは、軍縮とは正反対の、果てしない軍備拡張の『理論的な柱』である。
アメリカの『軍事防衛問題』とは、日本の殆んど車が走らない高速道路や無駄に大きい箱物公共事業と全く同じ性格を持っている。
相互確証破壊理論による軍拡は軍産複合体に膨大な利権をもたらすので、人類全体にとって禍をもたらす『狂気の間違った理論』である事が判っているにもかかわらず、今でも賛成する勢力は数多い。

『核の傘とは相互確証破壊のこと』

自国に対する核攻撃を抑止することを「基本抑止」といい、同盟国や第三国に対する核攻撃を抑止することを「拡大抑止」あるいは「核の傘」という。
核の傘は二大超大国(米国、ソ連)が自国の同盟国に対する核攻撃に対しても核による報復を行う事を事前に宣言することで核攻撃の意図を挫折させるもので、これは冷戦が生んだ相互確証破壊理論の拡大版であることは論を待たない。
日本政府が未だに固守する『核の傘』であるが、本当に自国の莫大な損害を覚悟してアメリカが日本に替わって(アメリカの国益に背いても)核報復する事があるのか、無いのかとの議論もあるようだが、それ以前の前提である『相互確証破壊理論』が正しいと誰が証明したのだろうか。
そんなことは誰もしていない。
単に『ある』と何の根拠もなしに信じて人がいるだけである。
『相互確証破壊』の生みの親で推進者であるロバート・マクナマラ元国防長官自身が、後半生はこのドクトリンの正しさを否定しているのである。

『日本の国是、核の傘と対米従属』

日本の麻生太郎政権は成立以来既に6回もアメリカ政府に親書を送っているが、バラく・オバマ政権成立直後にも親書を送り、直後に訪米してオバマ新大統領と外国首脳としては最初の会談を行っている。
麻生親書の内容は明らかにされていないので推測になるが、何度も何度も送った真意は日本政府としてアメリカの『核の傘』(相互確証破壊)の正確な履行の再確認である事は間違いないようだ。

『歴史的プラハ演説』

ところがバラく・オバマの相互確証破壊に対する『懐疑』はコロンビア大学時代の学内誌にまで遡れるが、此れが新大統領の信念(確信)である事は、米大統領として初めて原子爆弾の使用(ヒロシマ)に対する道義的責任と核廃絶を語った4月の歴史的なプラハ演説で明らかだろう。
其の新大統領バラく・オバマに対して冷戦時代の『恐怖の遺物』で間違ったドクトリンである『相互確証破壊』を、『日米間の国家間の公式な取り決めである』から当然今でも有効で『生きている』と執拗に『核の傘』の確認を迫った麻生太郎は、ホワイトハウスから冷遇(常識外れの非礼な扱い)されて当然であった。

『戦場カメラマンとホワイトハウスの奇妙な写真』 政治 / 2009年03月02日
『ジョージ・ワシントンとのツーショット、ホワイトハウスの奇妙な写真 』政治 / 2009年03月03日
『異例の日米首脳会談 記者会見なし、昼食会なし』 政治 / 2009年03月07日

ホワイトハウスのホームページを読むだけでは分らないオバマ大統領の本音(嫌悪感、軽蔑感)が、公開された写真には写されている。
それにしても写真は恐ろしい。

『核の傘は正しい理論か』

一般に、自国に対する攻撃に懲罰的な報復をする旨の威嚇を基礎とする『自己抑止』に比べ、同盟国や第三国に対する攻撃に懲罰的な報復をする旨の威嚇を基礎とする拡大抑止である『核の傘』には、信憑性が低いとされる。
何故なら自国用の『自己抑止』にしろ同盟国用の『拡大抑止』(核の傘)にしろ、核攻撃に対しては『必ず核報復する』と宣言しているだけで、平時における其の国家の心構えの事前表明にすぎず、戦時下の実際面の運用は其の国家の国益が何れの場合にも最優先される。
通常戦力であれ『核兵器』であれ、攻撃する方が国益に適えば約束(条約)を実行するし、国益に反すれば実効しないものです。

『契約社会に対する日本人の誤解』

国際条約とは、結べば永久に有効である。特に欧米や契約社会だから尚更『契約違反は有り得ないだろう』と、日本人は考えている様だが、欧米人の契約の概念に対する考え方は此れとを大きく違い、現実の国際社会では『契約と法則(事実)は全く違う』事を良く知っている。
日本では今でも第二次世界大戦末期に連合国との終戦の仲介を依頼していたソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦した事を違法視する人がいる。
ソ連軍対日参戦を『契約(約束)違犯』で、『信義にもとる不法行為』であるとして非難している人を今でも見かけるが、この考えは日本国内限定で日本人相手には通用する理論だが、欧米などの含む国際常識では通用しない。

『契約は双方が履行している間だけ有効』

何故なら、『契約』は結んでいる間は有効だが破棄すれば『無効』となる性質のものだからです。
契約とは、双方が履行している間は『永久に有効』だが、日本人が考えているように双方が破棄した時だけが無効となるのではなく、何れかが破棄した時点で自動的に無効となる。
ドイツは独ソ不可侵条約を破棄した後にソビエト連邦に進攻したので条約違犯とはならず、ソ連は連合国との約束を実行する為に日ソ中立条約破棄した後に進攻したので矢張り条約違犯とはならない。
此れが欧米人の契約に対する考え方である。
歴史を少しでも調べれば、アメリカ合衆国はインデアン(ネイティブ・アメリカン)諸族との間で2千件程の条約を結んだが、全て約束を破っている事が判る。
アメリカはこれ等の条約を国家の利益の為に時間が来る度に、その都度破棄してから進攻していたので矢張り条約違反とはならない。(とアメリカ議会も政府も主張している。)
中には条約破棄前に攻撃した事も何度もあるが、其の場合には事後に時間を繰り上げて矢張り条約を破棄している。
アメリカインディアンも日本人も『条約』とは、『永久に契約者を縛るもの』と思っていたが、事実は『契約者にとって何らかの得がある時だけ守るもので、都合が悪ければ何時でも破棄できる』とは気が付かなかったのです。

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