逝きし世の面影

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熊本再審決定と日本独自の「優良証拠主義」(最良証拠制)

2016年07月02日 | 社会
『毎日新聞2016年7月2日 社説』

『証拠開示さらに広げよ』


熊本県宇城(うき)市(旧松橋(まつばせ)町)で31年前に男性が殺害された「松橋事件」で、殺人罪で懲役13年が確定し刑期を終えた宮田浩喜(こうき)さんについて、熊本地裁が裁判のやり直しを決めた。

再審開始決定は、有罪確定後の検察側の証拠開示で自白と矛盾する新証拠が見つかったことなどを根拠としており、妥当な判断である。
宮田さんは、知人だった男性を小刀で刺殺したとして逮捕、起訴された。
取り調べ当初は否認したが自白に転じ、1審・熊本地裁の公判途中で再び否認し、その後は一貫して無罪を主張してきた。当初の自白が確定判決の有罪の根拠になった。

確定判決を覆したのは、弁護団が検察から開示されたシャツの布片5枚だった。
宮田さんは、小刀の柄にシャツの袖を切り取った布を巻き、犯行後燃やしたと自白していたが、柄など特徴が一致した。弁護団がつなぎ合わせると欠損はなかった。
決定は、このシャツを新証拠と認めたうえで、燃やしたはずのシャツが残っており、血痕もないことから自白の信用性に疑問を投げかけた。
さらに決定は、小刀と被害者の傷の形状が一致しないという弁護団が提出した法医学者の鑑定書の結果も併せ、「小刀が凶器ではない疑いが強い」と結論づけた。

布片が開示されたのは1990年の判決確定から7年後だった。
当時は、どんな証拠をいつ開示するかは検察の裁量に任されていた。
その後、裁判員制度実施前の2004年に刑事訴訟法が改正され、公判前に争点を整理する手続きがとられる裁判での証拠開示が進んだ。さらに、今年の通常国会で同法が改正され、検察官は被告側から求めがあれば証拠一覧表を示すことが義務づけられた。

一定の前進だが、全面的な証拠開示には至っていない。
東京電力女性社員殺害事件など、検察側が長く開示しなかった証拠が再審開始決定や無罪に結びついた例は少なくない。今年の法改正に当たっては、再審請求段階での証拠開示を進める必要性が指摘されたが、法制化は見送られた。
そもそも捜査を通じて集められた証拠は警察・検察の私有物ではない。真相究明にこそ使われるべきだ。
少なくとも被告が否認する事件では、有利不利を問わず速やかに被告側に証拠を全面開示するのが筋だ。
その仕組みを早急に整えたい。
決定からは、警察・検察が自白に頼り切り、客観的な裏付け捜査を怠ったことが読みとれる。自白偏重を反省する契機にもしたい。
宮田さんは83歳だ。検察が即時抗告し、裁判のやり直しをするかどうかで争い時間を費やすのではなく、早く再審裁判を始めるべきだ。
2016年7月2日 毎日新聞社説



国会議員の見守る中でも国辱的な右翼のヘイトスピーチに抗議する女性の首を絞める私服警官の暴行現場(公衆監視の中でも恥ずかしげも無く平気で行っているのですから、人目が無い取調室のような密室ではもっと酷いと心得るべきであろう)

『いわゆる「冤罪事件」ではなく、明らかな権力による「組織犯罪」だった』

日本国憲法の第三十六条には『公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる』と明確に規定しいる。
憲法だけではなく国際法でも同じく、1984年の第39回国連総会で採択、1987年に発効、日本も1999年に加入した拷問等禁止条約は、拷問を公務員等が行うことを防止するとともに、各締約国が『拷問』を刑法上の犯罪とすること定めている。
拷問の定義として、『公務員等が情報収集等のために身体的、精神的な重い苦痛を故意に与える行為』としており、今回の熊本再審決定のように、無実の者を無理やり嘘の白状を迫り、長期間投獄している日本の司法制度にピッタリ当て嵌まる。
袴田事件のように露骨な暴力が振るわれたか否かは定かでないが、殺人罪での重罰が予想されているにもかかわらず嘘の自白をした今回の冤罪事件ですが、苦痛に耐えかねて、やってもいない犯罪を自白したのですがら、司法公務員による拷問が原因していることは明確な事実である。
しかも、憲法36条に違反しているだけではなくて、同じく日本国憲法38条の『強制、拷問若しくは強迫による自白又は不当に長く留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない』に違反していた。
我が日本国以外の文明国では『自白だけでは有罪とされない』のが司法の基本なのである。

『必ず99・9%が有罪になる優良証拠主義(最良証拠制)』

今回のような明らかな『冤罪』の発生の最大原因は、実は毎日新聞7月2日『社説』がさりげなく指摘している『証拠開示』が最も影響していた。
警察・検察には無限大の裁量権があり、捜査段階で収集した証拠類のうちで被告の有罪に有利なものだけを限定して裁判所に提出するので、わが日本国では99・9%が有罪になる。
裁判官が目にするのは『被告の有罪』を示すものだけに限定されているのですから無茶苦茶。(今回の熊本再審決定でも明らかなように、証拠の全面開示を行わず、無罪の証拠を警察が意識的に隠していた、あるいは有罪の証拠をでっち上げていたのである)
我が国以外の外国の裁判では、証拠の全面開示に違反すれば(証拠の一部を裁判に出さなければ)自動的に無罪になる仕組みなのですが、日本では『優良証拠主義』(最良証拠制)で検察は都合の良い証拠だけを選別して提出することが行われていて、これでは裁判で被告は必ず99・9%が有罪になるのは当然だった。何の不思議もない。

『誰も論じない(見たくないし、言いたくないし、聞きたくない)優良証拠制』

世界一治安が良い我がニホン国ですが、凶悪事件が起きたときに警察が直感で近くにいる一番怪しい人物を逮捕して、有無を言わさず白状させて真犯人として有罪にすると言う、強引極まる手法を取っているのです。
警察官の直感ですが日本が誇る職人技で、多くの場合は9割以上は正しいのですよ。だから日本国は世界一平和で安全なのです。
ところが問題点は9割の正解率でも『100%ではない』ことで、当たり前ですが人間の主観的判断なので時には間違う。(しかも公務員の特徴として自分たちの間違いを絶対に認めない)
今のように日本が誇る優良証拠制(優秀証拠主義)で99・9%の有罪率では、副作用として幾らでも冤罪が生まれるのです。(世界一安全な日本との表の美しい顔の裏には、日本国憲法の人権条項を丸ごと無視した過酷で怖ろしい悪魔の司法制度が隠されていた)





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2 コメント

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一般の感覚では、証拠は全て開示して当然。 (くまごろう)
2016-07-05 22:35:02
法律のことを幾らか興味を持って調べたり、資格取得の為に学ぶ機会があると、法律の現実的な対処と、一般的な「そうあるべき」感覚との差にちょっと驚くことは多い。
弁護側は容疑者に不利な情報は秘して良いというのもその一つで、国家とか公権力というものが公明正大だと勘違いする多くの人は、捜査能力の差があるにしても、真実を追求するという趣旨に反するのではないかと、弁護側は暫し非難されます。
まさか検察までもそうであるとは夢にも思わないのです。

裁判には事実の追求という役割もありますが、完全に事実が明らかになるなどということは現実的にはない。それを前提に法律を組み上げるので、「一般的にそうあるべき」ことと「現実的な法的措置」の乖離の多くが生じると思うのですが、優良証拠主義は天秤のバランスを取る趣旨で弁護側に重りを乗せつつ、その何倍もの重りを検察側にも乗せています。
常に事実が追求できる、という前提であれば天秤のバランスは重大ではないが、人間なので間違えることもある、という前提であれば、法律のバランスというのは建物の水平のようなものです。狂っていればとても住みにくい。しかし修正には土台から作り直す必要があることが殆どであり、大変なので放置されることが多いのも同様のようです。
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基本的な勘違い (宗純)
2016-07-07 16:08:30
くまごろうさん、コメント有難う御座います。

多くの日本人は勘違いしているのですが、刑事裁判で本当に裁かれるのは被告ではなくて、実は被告を起訴した検察側なのですよ。
民主国家の原則では、主権者である国民を検察側が無理やり拘束して一方的に基本的人権を奪っているのですから、
検察官には、当然、何の疑いも無く100%被告が犯罪を犯したことを、誰にも分かるように完璧な証明を行う絶対的な義務があるのです。こいつの態度は怪しいとか、他に適当な犯人がいない程度の曖昧は決して許されないのです。
ところが、日本では捕まって検察に起訴された瞬間に99・9%有罪と決まっていて、無実の証拠を検察が隠しているなど、誰も疑わない。
裁判でも無罪の事実を完璧に証明する必要があるのは逆に被告側なのですから無茶苦茶。
毎日新聞では7月2日の社説だけではなく、その後コラムっでも検察が有罪につながる証拠だけを裁判所に提出している無限大の裁量権を批判して、『証拠は国民の財産だ』と言っているのですが、タイトルでは社説と同じで曖昧に誤魔化している。真剣に検察が持つ無限大の裁量権を告発する気は無いようです。これでは今後も冤罪は無くなりません。

我が日本国ですが、これは民主国家とは別の、たぶん、特殊な共同体なのでしょうね。
記事にも書いたが、この日本独自の怖ろしい優良証拠主義のお蔭で、
世界一の平和で安全な社会を手に入れることが出来たのですが、その弊害が繰り返される冤罪なのです。逆に考えると、恐ろしい話ですが、これらの冤罪被害に目をつぶることで(その代償として)今の平和や安全を手に入れたともいえます。
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