扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

旅は「いまここ」でも出来ますよ。

2020年07月17日 19時49分08秒 | 気づき
ストレスや気持ち感情、コロナの影響で不安や恐れ、苛立ちが充満している中で、自分とは何か?私とは何かを、今一度問う機会が来たと私は考えています。

ここでは、珍しくやり方を考えていこう。

盲目に囚われている私たちは、瞑想や睡眠にて何とか内世に繋がりエネルギー供給が出来ているがそれは外世の状態が、俗に言う「良くない」ことから、そのエネルギーもすぐに消化してしまう。

不安や恐れ、苛立ちは身体にも影響を与え、回復を困難にさせる。

ひとときの、リラックスを用いて内世の旅に意識的に行くことが宜しいではないでしょうか。

まず、瞑想の状態のひとつ前段階まで、心を落ち着かせる。
*因みに、不安や恐れ・苛立ちが起きたときがことメゾットのやり時です。

不安を観つける

恐れを観つける

苛立ちを観つける

何か原因とか結果とかではなく、その状態を観る。
何を観つければよいか分からないときは感じるから入った方が分かりやすいかもしれません。

そして、内世でそれを具現化するのです。
私場合は、もやもやした何かが心臓の部分に感じる時が多いですね。

その、具現化した何かを全体を捉えながら観るのです。

イメージは広大なフィールドに有る感じです。

そして、観ているのに見えなくなりフィールドのみが感じられたら、しっかり瞑想状態になってください。

外世に戻ったときは、ちょっと変わった外世になっていると思います。

私は、これでスッキリさせています。

皆さんが出来るかどうか分かりませんが、試してみると面白いかもしれません。



せいとし

2020年05月12日 10時20分30秒 | その他
前にも書いたように私たちは神に似せて作られている さて、今回は「生と死」について書こうと思います。

冒頭にも書いたように似せて作られている私たちですが、似せているだけで、全てではない。


違うところは産まれることと死ぬことである。


これは、私たちにとって必ず訪れてしまうこと、これらを不幸と思うが否かは個人の問題であるが、この生死ついて考えさせられる海外ドラマがある自分のデータを仮想空間に移動させてそこで永遠に生活するーーーーー正に不老不死。

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素晴らしい世界であり、死にそうになったらお願いしたいと考えてしまうが良く考えてほしい。
どうして、神は生死を設定したのか?

個々を神として作らなかったのか?

これも前に書いたと思いますが、別の考え方として死なない死ねない苦しみは死ぬ恐怖より恐怖だからです。

この自我はそれに耐えることが出来ない仮想世界がコンピューターに管理されていて恐れや不安などマイナスの感情を事前に消す事が出来るのなら分からなくもないがそれでも人間は最終的にシステムの一部でしかないやれたとしても、必ず歪みが生じるであろう。

何だかんだ、書きましたが仮想世界に完全に移行出来るなら面白いと思うし、それが神の領域かもしれません。


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乗り越える為に。

2020年05月05日 10時36分24秒 | 気づき
全然、先が見えない光が見えないと肩を落とす状態が進んでいる外世その反面、内世はいつも穏やかで光に満ち豊かな状態
現実に実際にこの状況の中、「大丈夫です」と軽々しく言えないですが敢えて言います!大丈夫です。
私たちは、「いまここ」在り「今ここ」にしか存在出来ないのです。
過去・未来を見ているのは恐れ、不安、恐怖からくる自我なのです。そして、その自我もあなたなのです。自我を今ここに連れてくるようにしてみてください。
自我は「いまここ」に連れてくることは出来ないですが、「今ここ」には連れてこれます。苦しい状況かもしれません逃げたいと考えるかもしれませんあまりにも過酷で、「死」を選択してしまうかもしれません。
ただ、幻想に惑わされてはいけません。翻弄されてはいけません。「今」を動くのです。今までの状況だったら動かない理由をいくらでも付けることが出来ましたが、その選択肢が少なくなって来ています。だからこそ、内世の力を借りて、「今ここ」で少ない選択肢を見つけるのです。見つける為にも、自我を「今ここ」に連れてくる必要があるのです。
私たちは、神に似せて作られた存在この意味がお分かりでしょうか?
私たちは神ではないです、ただ似せて作られているわけですので神の力の一部は使えるのです、これは、如何なる人でもそうなのです。
この状況を乗り越えるには、より気づき神の力を使わなければ乗り越えることは出来ないのです

勘違いされる人もいるでしょうが、神の力とは霊的なものだけではないのです。
私たちが日常で使っているものも神の力なのです。


半分便乗、半分切っ掛け

2020年04月30日 12時12分08秒 | 疑問と探究 編

コロナの影響で時間が出来てしまいました。

 
なので、前に作ったYouTuberチャンネルで動画でも配信しようかと思いますが、需要ありますかね?
 
扉への道チャンネル
 
もしよろしければ、登録お願いします。
 

内世から外世を描け

2020年04月25日 12時24分21秒 | 気づき
コロナコロナと全く光が見えない先が見えない状態が続いています。

わたしの本業も休業に追い込まれ資金繰りに追われ、スタッフも休業したため生活の不安を軽減するために休業補償外世が混沌になるやも知れないこの状況ーーーーー不安、恐れ、苛立ちーーーーーこの感情が大きくなり全てを柵(しがらみ)から抜けれなくしている。

さて、ここからが本題である。スピリチュアルや精神世界ーーーーーワンネスなどを語るスピーカーの方々はこの状況をどう見ているのか?そしてどう導くのか?


ここで、「大丈夫全てが幻想で全てが幸せなのです」 「気づきがあるのです。 」と言う。


勿論、わたしもそう言うでしょう。この状況で誰が納得いくでしょうか?多くの人が多くの価値観で「苦」を感じています。
ただ、わたしはそれでも、外世は幻想であり、だからこそ自由に変えることが出来ると考えているのです。

与えられたパレットと絵の具どのように絵を描くのかはあなた次第なのです。
今の状況は非常に過酷で止まってしまえば一瞬にして終わってしまう。終わらせないと想うのであれば、外世を描き続ける事なのです。

パレットの大きさも小さくされ、絵の具の色も黒だけにされても外世と言うキャンパスの白があれば、黒と白だけでも絵を描くことが出来るように。黒が無くなりパレットが無くなり、キャンパスに絵が描けなくなったとしても全てがないことを思いだし知り受け入れれば、描く必要が無くなったと事知ることが出来るのです。

しかし、自我が悪あがきをするので大丈夫です。

全てわたしでありあなたなのです。
肉体が無くなるまでは、空にはならないーーーーーパレットも絵の具も無くなりません。

「いまここ」から「今ここ」を観る事