拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  大拙東来意〜ラストサムライの孫、或いは・・・

2023年10月31日 | 東洋自分なり研究所

  若爺として、それなりにディープラーニング(行深般若波羅蜜多)時、

  歴史に疎い私がにわかに、『大拙出現』というものが日本、はたまた世界を歴史的に俯瞰したとき、その意義のあまりの重要さに感涙・・・。

  端的に言えば、『大拙はラストサムライの孫、或いは仏界が送り込んだターミネーター』・・・ということなのだ。

 

  鈴木大拙をして『ラストサムライの孫』・・・というのは、明治維新を迎えることで失うことになる『大和魂』というようなものが

  大拙の出現(明治3年:1870年生〜昭和41年:1966年没)により、昭和の世界大戦敗戦の失意の中にあっても、ただ一人『ここに日本あり・・・』と

  世界に獅子吼(ししく)していた男が『大拙』であった。

  釈尊が説いた『自灯明』は、辛うじて大拙によって『禅の心』として、日本のみならず世界に『直指人心』の禅が『人間探究』の方法として

  『普遍の力』となることを実証しつつ説いたのである。

 

  ここ30年来、失墜一方の日本政治経済でありながら、日本を『心の郷里』として、世界中の人々に愛されている理由の一端に

  『鈴木大拙』の貢献というものがしっかりとあるように思う。

 

  大拙をして『仏界が送り込んだターミネーター』という事も、未来にむかって『人間性』を失いつつある世界状況を見越した仏界の計らいによって

  若き大拙が禅門を叩くことになり、明治・大正・昭和という長きに渡って『衆生無辺誓願度』を胸に96歳で亡くなるまで人間に『悟性』のあることを説いた。

 

           

  大拙: 『広める広めぬ、じゃないんだな。 皆んなが知ってなくちゃならぬ…というわけだ。

       広める広めぬというと、なにか人為でだな 厭なものを教える、ということになるかも知れぬけど・・・そうじゃなくしてだね。

       そういうものを みな世間の人が知っていなくちゃならぬ。 そこには宝の持ち腐れじゃ困る・・・ということになりますなぁ。』

                                                『回想 鈴木大拙』 P398より抜粋