拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  三種の仁戯

2024年05月03日 | 我が妻ニコル行状記

  3月、4月と我々夫婦にとって体調不良の時を経て、5月になり、二人ともようやっと復調の兆し・・・。

 

  塞翁が馬…というか、七転び八起き…というか、ただでは転ばない相方ニコル、今回の緊急入院事件を契機に、なんと『10kg』の減量に成功!していた。

  思えば、この入院事件の数日前であったか『動悸がする…』ということで医者に行った際、久々の体重計で自分の体重を知って、相当ショックを受けていたのだ。

 

  退院後、相方の減った体重維持の決意は相当強く、間食はせず、以前であればカフェに行くと必ず甘党のモノを何か所望していたのが一切なくなった。

  相変わらず甘党の私は若干寂しい気もするが、相方の決意は『あっぱれ!』なものとして内心褒め称え、この『緊急入院事件』というのは案外

  『後期高齢者』突入の前の心構えを大きく引き締めた・・・という意味で、彼女にとって必然的出来事であったのかもしれない、と思っている。 

                   退院後・・・たしかに。

 

  以前、我々夫婦の一日のルーティンに『花札』があることを書いたが 2021年3月30日〜『花』神事

  最近はその『花札』に加えて、西洋人の顔のイラストの『神経衰弱ゲーム』と盤上に『高下、白黒、穴の有無』の三要素の違いを利用した

  縦、横、斜めの線上に加え、4個が面として並べば勝ち…というゲームが加わわっている。

  三番目のゲームは時折であるが、『花札』と『神経衰弱』は特に予定がない限り、ほぼ毎日やっている。

  このゲーム中は、夫婦間の悪態をつくことは自由で、『仁義なき戦い』は飽くこともなく続けられているのだ。

            

            左上が洋風『神経衰弱』、右上が和風『花札』、左下が『盤上並ゲーム』と 我が家の『三種の仁戯』

 

  以前は、私が圧倒的に強かった『神経衰弱』が最近、相方のほうが滅法強く、私はどの『仁戯』でも負け越しているが、

  それはひとえに相方のダイエット効果なのではないか?・・・と私は観ている。 

 


  相方ニコルと禅修行

2023年11月09日 | 我が妻ニコル行状記

  私の相方ニコルは私と一緒に5年間、日本は東京、目黒〜品川周辺に住みました。

  彼女の日本滞在5年間・・・というのは、恐らく他の外国人であればなかなか体験することのない、至極東洋的な側面の強い滞在であったろうと思います。

 

  私達はスイスで出会いましたが、私が日本でもう一度本格的に禅修行をするために帰国することにすると相方も一大決心をして、

  私を追う形で数ヶ月遅れで日本にやってきたのです・・・。

  目黒の六畳一間トイレ・キッチン付き…という陽の当たらない安アパートの一階でしたが、隣が気のいいラーメン屋と果物屋さんで

  私達も若かった・・・ということで、何の不満もなく一年ほどそこに住んでいました。(後に西小山駅付近に引越し)

  数ヶ月後に、ニコルはフランス語先生の職を見つけ、私もクレジットカード関係の夜間職を見つけました。

 

  相方が来日する以前に私の居士林土日坐禅会と円覚寺僧堂の接心を中心にした修行が始まっていたので、

   自然、相方ニコルも私と一緒に土日坐禅会に参加することになりました。

  しかし今思うと、全く禅修行について何も知らないヨーロッパ人の相方を、いきなり厳しい居士林の坐禅会に連れて行ったのは・・・(と今頃反省・😅)

  私が直日(じきじつ)というリーダー役をしていた時、ちょうど真向かいで坐禅していた相方が、足痛の為か?後ろに倒れ、先輩等が心配して

  彼女の面倒をみてくれました。私はそれまで、坐禅で倒れる人間を見たことがなかったので、『上手く(苦痛から)逃げたなぁ…』・・・と思ったものですが

  彼女の身になって思えば相当キツかったに違いありません・・・。(当時はわかってあげられませんでした)

             

 

  それまでの彼女のスイスでの生活からは、想像を絶する禅修行やら、六畳一間で風呂は銭湯・・・という生活はいかばかりであったでしょうか。

  しかし、ニコルはそういった生活を十分楽しんでいるようでしたので、私はあまり彼女の事を心配しない・・・というか、

  その落差について、彼女の身になって考える余裕が当時はありませんでした。

 

  最近時折、当時の思い出話をしますが、居士林での坐禅だけは相当キツく、夜もよく眠れなかったそうです。

  それでも、物凄く厳しいかったけれどニコルにも強いインパックトを与えた雲頂庵和尚の思い出や、円覚寺の年一度の『風入れ』という宝物展示のときに

  下足番や坐禅の姿で見張り番のお手伝い、居士林でのささやかな忘年会、坐禅会後、二人で境内の茶屋でお茶と団子を食べた楽しい思い出なども沢山できました。

            

  相方ニコルは滞在中、外国人登録に保証人が必要で、それは私の鍼灸の師、観風先生になっていただき、鍼治療や夕餉を頂き実にいろいろお世話になりました。

  ニコルは後に、別な和尚さんが主催する坐禅会に参加するようになり、そちらは坐禅会後お茶会があったり、皆んなでハイキングなどを催す和気あいあいとした

  活動を通して日本人の親友もできました。 

  その間、二人で太極拳を2年間ほど学び、体調が悪いときは互いにお灸をすえて治癒したりしていたので、今思うと、全般的に東洋的な生活でした。

 

  滞在5年後、私のわがままでスイスに再び来たわけですが、相方にとっては当時日本を離れることは相当辛かったようです。

  彼女にとって、日本での坐禅の経験はどんなものであったのでしょうか・・・。

  


  帰ってきたパンダ・・・

2023年04月24日 | 我が妻ニコル行状記

  私の相方ニコルは、どうも本気で犬を飼うつもりらしく、散歩中に出会う気に入ったタイプの犬を見かけると、飼い主にインタビューして情報収集。

  家では、インターネットで犬についていろいろ勉強しているようだ。

  

  相方によると、犬の性格は犬種によって違うとのことで、この種は『おとなしい』とか、この種は『依頼心が多い』とかいろいろあつて、

  我々の小さなアパートで飼うには、体重が5Kg以内のおとなしく(あまり吠えず)、日に2回ほどの軽い散歩で満足するような犬ということで、

  彼女としては、どんなタイプの犬がいいか、ほぼ決まっているらしい。

  しかし、当たり前のことながら、ペットを飼うという事は人間の赤ん坊同様に重い責任が伴うので、決心が固まるまで様子をみる期間としている。

 

  ところで、『犬種』によってそれぞれ『性格が違う』・・・という処に私は非常に興味を持った。

  これがもし『人間の性格』が『人種』によって違うとなればそれはそれで面白いが、実際には人の性格は『人種』で判別できるものではないし

  犬のそれが当てはまるような『分類』というのは、人間には無いような気がする。

  ただ、いつの日か『DNA鑑定』のようなもので、性格を調べることが出来るようになった時、婚活のマッチングアプリは飛躍的向上するだろうか?

  それが出来るようになったとして、それが仕合せな事かどうか・・・私にはわからないが。

 

  『性格鑑定』といえば、我が愚脳による三十数年に渡ってアナログ観察研究(?)した『相方ニコル』は

  父方の性格を『遺伝的に継承』しているのはほぼ間違いないのでは・・・と感じている。

  一つの事に夢中になると、他のことが観えなくなるタイプ、熱しやすく冷めやすいタイプ、そして何よりお喋りが大好きな処は父親にそっくりだ。

  であるのに、寡黙な私と結婚した理由は、ひとえに私が『聞き手』として最適な男と見込んだからに違いない。

 

                        

  先日、相方は従姉妹と一緒に田舎に散歩にでかけ、立ち寄ったカフェで顔面から転び、自分の鼻血の量に動転して救急車を呼んでくれ・・・と、

  大騒動になるところを、たまたまカフェに居合わせた不眠症専門医が診てくれ、(幸いにも)救急車の必要はない・・・と言ってくれたそうだ。

  心配性な相方は、一旦帰宅してから近くの救急医院に診てもらい、更に翌日スキャンも撮って、事なきを得、ようやく安心したようだ。

  日が経つに連れ『パンダ』そっくりで、食卓テーブルで対面にいる相方を観ては、腹をかかえて笑ってしまう。

  彼女の性格として見逃せない点に、事の顛末は『天然の道化師』、というあたりに終着するのも父から譲り受けた『種』の為せる技であろうか。

 

              


  ワン・チャンあるかも?

2023年03月18日 | 我が妻ニコル行状記

  ヒマ・ジジババ(定年退職)になって以来、我々の小さな人々(こども)への視線が非常に熱くなっているのを感じる今日此頃。

  と言っても、子供のいない夫婦のヒガミからくる歪んだ反応というような不健康なものでなく、利害関係から開放されし者同志?

  というか、…それにしても信じられないくらい小さい生物に『愛おしい』感情を我々はいだき、ヒマに任せてジッと視線を投げかけても

  そう怪しまれない身分(爺婆)であることも要因であろうか・・・。

 

  日本で言われている『少子化問題』・・・など、まさによそ国の事と思えるほど、我々が住んでいる街では『赤ん坊』をよく見かける。(統計的に未確認)

  そして昨年11月、相方ニコルの姉の一人娘がついに男の子を出産したが、以来相方はWhatsAppでの『赤ん坊配信』を目の色を変えて待つようになり

  『親バカ』ならぬ『叔母バカ』ぶりを発揮して、すこしでも抱っこするチャンスを虎視眈々と狙っているようだ。

  

  同時に、長年封じ込めていた『犬飼』の夢を、これを機に最近は頻繁に口にするようになり、名前をあれこれ考えながら、

  私にも考えるように催促しては、『犬飼』事を既成事実化しようとしている。

  私は犬も好きだが、どちらかと言うと『猫派』で、現実的にも世話のかからない『猫飼』がいいように思うのだが・・・。

 

              

               この調子では『犬飼』もワンチャンあるかも・・・の図 

              (これは合成写真であり、赤ん坊の顔にぬいぐるみを乗せているわけではありません、念の為)

               ちなみに、ぬいぐるみ犬の名は『パコ』、数年前より相方は一緒に寝ている・・・!

  

  

  


  効かない呪術

2022年11月10日 | 我が妻ニコル行状記

  10月最後の日曜日、30日にサマータイムが終わり、夜の暗闇が急に襲ってくるような11月。

 

  我々は飽きもせず『二人花札』で自己の運勢を占う儀式を執り行っているが、秋の夜長はとりわけ力が入る気がする・・・

  花札は本来3人でやるようであるが、我々が工夫して編み出した『二人花札』は、各人の手元に10枚、テーブルに6枚を表にして置く。

  あとは3人でやるのと同じやり方であるが、3人だとなかなか『役』ができず面白くないが、二人だと『役』も作りやすくより面白い。

 

  もう何年ぐらい『二人花札』をやり続けているだろう?・・・飽きることはないが、だんだん互いにルールに厳しくなって

  最後に数える得点なんかを言い間違えたり、ゲーム中のちょっとしたミスでも互いに厳しく糾弾して『20点マイナス』を宣言する。

  ゲームは4回の総合得点数の多い方が勝ち、勝った者の名前がカレンダーのその日の日付の横に栄誉として得点と共に書き込まれる。

 

  相方は負けがこむと、テーブルの上にいつも飾りに置いてある、日本の風鈴を花札の上にかざしてなにやら呪文を唱え

  私を威嚇するかのように、目前まで風鈴を振りかざしながらかき鳴らしたりする・・・。

  それを観ながら、札を混ぜて配る準備をしている私はあまりのバカバカしさに力が抜け、腑抜けのように笑ってしまうのだ。

 

  相方は自分が『魔力』を持っていると時折、私にむかって公言し、そのために腕時計が何個も壊れた例の話をする。

  確かに彼女は、色々な電気器具をだめにするが、それは単に扱いが乱暴である事が原因であることを私は知っている・・・。

 

       

   これをやられると、確かに私の力は抜けてしまうが、呪術はまったく効かなかった…の図


  『不一致』という一致

2022年10月01日 | 我が妻ニコル行状記

  今日は土曜の朝、すぐ近くの通りで朝市があり相方が買い物にでかけた。

  1時間半ほどして相方が帰ってきた時、私はソファに横になってYoutube動画を観ていた。

  

  朝市から帰ってきた相方は、さっそく朝市情報を話はじめる。

  知っている農家の人が新規に朝市に参加するようになった・・・という話から、彼等の家族の話、この夏のきつい乾燥気候がいかに

  彼等の仕事に影響したか…などなど話しながら、朝市とスーパーで買ってきた品物をテーブルに並べて、私に何故か見せる。

 

  そんな相方の様子を観て、私はつくづく相方と私との性格の違い、『不一致』が有り難い・・・ものであると思いながら眺めていた。

  『買い物』というと私はうんざりするところを、相方は明らかにウキウキしながら出かける様なところの違いにふと、『有り難い』と思ったのだ。

 

  普通、『性格の不一致』といえば離婚の原因ということになるが、この『不一致』のおかげで相互補完的役割を果たしている処に眼をつければ

  その関係というのは、理想的なものであろう。・・・

  他のカップルはどうか知らないが、私たちカップルは性格が全く違う…のではないかと35年以上一緒に住んで、互いによく解ってきたことだと思う。

  もちろん、長く一緒に住んでいれば、この『不一致』の為に腹が立つことも多々あるのだろうけど、そういった点は『アキラメ』の境地…もお互い様。

 

  そう言えば、日本とスイスの国旗ほど、デザイン的に対極的なものはない

  『丸と十字』『赤と白』の配置具合、真反対でありながら、相互補完的な雰囲気もあるのが面白い。

  


 お疲れ様、 ロジャ〜

2022年09月25日 | 我が妻ニコル行状記

  昨日9月24日(土)の夜中1時頃、ロンドンで行われているレーバーカップでのナダルとのダブルスを最後に、

  テニスプレイヤーとしての最期のプレーを終えたスイスの英雄ロジャー・フェデラー(41歳)が、集ったファンの前に涙のお別れを告げた。

 

  フェデラーがプロに転向したのが1999年、マスターズカップ初優勝が2003年・・・その頃から私も相方ニコルもフェデラーを応援していたので

  ファン歴は長い方で、特に相方は、より熱烈な彼のファンであるカナダ人のクロディーヌの影響もあってエスカレートしていったが

  ニコルにとってロジャー・F はテニスプレイヤーというだけでなく、人間としての彼の生き方にスイス人として誇りを抱いていたようだ。

 

  スイスのような小国で、言葉が三ヶ国語(ドイツ語、フランス語、イタリア語)に分断されている国において世界に共通して誇れる

  人物を持つことが出来た、この約20年間・・・、ロジャー・Fが果たした役割は、スイスにとっていかほどであったろうか。

  

  誰にも気さくで、家族を大切にしながらテニスに一途に突き進み、傍ら稼いだ賞金から様々な組織に寄付や援助などをしてきたロジャー・F。

  はたから見れば、一見完璧な人間像に映るが、現実の中でトッププレイヤーとしての地位を守り続けることは並大抵のことではなかったであろう。

 

  テレビ応援する相方は、フェデラーがピンチに陥るたびに、テレビの前から消えて、別室から耳をそばだてていたのが懐かしい・・・。

  

      

      今後、こんな人物が現れるのか?  そう思うと確かに寂しい。 ロジャ〜、お疲れ様でした。

 

 


  悲鳴の森

2022年01月28日 | 我が妻ニコル行状記

  こちらモルジュ市に移って、早5ヶ月。

  我がコックピットである書棚に囲まれた書斎にいる限り無次元であるから自分の現在位置というのはまったく気にならないが

  そこから一歩でると、自動なのかどうかこれといった暖房装置も無いのに常に19,5〜20度の室温を保ち、シャッターで遮るほど眩しい陽光が

  差し込む、シンプルなのに豊かさを感じさせる我がアパートに『へ〜っ』といまだに気付く如き心持ちになる・・・事が不思議。

 

  昨日の午前中は曇り気味の天気であったが、私はどうしてもモルジュ市の外れにあるレマン湖に水をそそぐ小さな川沿いの散歩道の

  未踏の部分を踏破したくなり相方とでかけた。

  川幅は2〜3mほどで、上流に沿って続く細い道は曾ては原生林であったことを偲ばせ、街の中心地から徒歩で30分のところとは

  思えない野趣に富んだ新しい散歩道に我々は喜々として所々どろんこな道を分け入った。

 

  林から抜けた場所に小さな菜園があった。ヨーロッパではよく見かける陶でできた小人の人形が多数…その他水鳥とか…三箇所ある

  菜園は、魔女人形や頭部だけの不気味なマネキンなどが増えてきて、ずーっと見てくるとなんだか普通ではない雰囲気が漂ってくる。

  そばにある小さな小屋には誰もいないようで、精神異常者が急に現れてこないだろうか…とも思ったが、菜園の端にある4本の背の低い松に

  それぞれ配されたスマイリーマークが貼り付けられている所を見ると、ここを訪れる子供達を楽しませるもののようではあった。

 

  再び野趣のある川沿いの林道をしばらくいくと、前方から犬を散歩させている老女が近づいてきた。

  しかし、よく見るとセントバーナードよりも背が高く、ドーベルマンのような黒く大きな犬が駆け寄ってくるではないか!

  ほとんど体当たりせんばかりの勢いで、『ヒへ〜ッ!』とそばの大木に身を隠す間もなく私にかすって行ったかと思ったら

  戻ってきて、またぶっかってきそうになる・・・。こんなどでかい犬は鎖に繋いで散歩しろ!と思ったら、老婦人は

  『大丈夫よ、この子は良い子だから心配しないで…』とのたまうが、このどでかい犬は何度も体当たりゲームを楽しむかのごとく

  なんども行ったり来たりしている。『まだ8ヶ月の、赤ちゃんなのよ!』と怯えてる私達をみて済まなそうに言った。

  そういえば、真っ黒で手足の異常に長い犬の動作はどう見ても『はしゃいで』いる様子ではあったが…。

  後ろを振り返って相方を見ると、大木に隠れながらその老婦人に愛想笑いを浮かべていたが、その笑いは間違いなく引きつっていた。

 

  道はだんだん険しくなり、登り下りが多くなると、膝の悪い相方が少しずつ愚痴りだしてきた。

  2時間行ったぐらいの所で『喫茶店』をイメージしていたであろう思惑も完全に外れ、あとどれだけ山道を歩けば目的の街の駅に

  たどり着くのか?二人共まったく見通しがつかなかった。

  私は杖となりそうな棒きれを見つけ、相方に持たせて私の前方をいかせる。彼女は愚痴を言いながらも杖をつきつき登っていく。

  途中掲示板で道を確認したので私は10mほど彼女の後を登っていた。

  しばらくすると、私の背後から急に荒い息遣いのような音がして、振り返ると熊のようなおっさんが『スミマセン…』と通り過ぎていった。

  2時間の間、出会ったのは犬連れの老婦人だけで、人っ子一人もいないと思い込んでいた矢先だったので、こんな所をジョギングする人がいるとは

  思わなかったから、まじでビックリしたが、同じ気持ちで前方を歩いている相方に知らせようと急いで『口笛』を吹いたものの、 

  一心不乱で登っている相方は聞く耳を持たず、熊のような男は段々とニコルに近づいていく・・・数秒後何が起きるか予想できる私は

  叫ぼうかとも思ったが、ジョギングする男に悪いような気もして、躊躇している時、『ギャ〜!』というそれまでの山の静けさを引き裂く

  悲鳴を私は聞いたのだった・・・。

  ( ニコルの悲鳴については十年ほど前の話になるが、寝床に先についたニコルの後に寝室に入る時、

  物音で目を覚ましたニコルが全力の大声で『悲鳴〜』をあげるので、私は毎回それが恐ろしくかったものである。)

  

  あとで当然、相方ニコルは何故熊のような男が来ることを『教えてくれなかったのよー』っと文句を言い、私も口笛で連絡した

  ことを言ったが、あの男こそ逆に『ビックリした』であろう事を想像すると、その後の道中二人共笑いが止まらなかった。

  私達二人は、よる寝床にはいってからも、あの『悲鳴』を思い出して笑った。

  あのオッサンも、自宅に帰ってから奥さんや家族の誰かに話しては大笑いしているのだといいが・・・。

 

          

  

  

  

 

  

  

  


  ニコルの『天地無動説』

2022年01月05日 | 我が妻ニコル行状記

  暮にある街のオシャレな本兼文房具屋さんのショウウィンドウに掲げられていた、エイ(魚)が空中を泳いでるイラストの

  月の満ち欠けをカレンダーにした『月カレンダー』が素敵で、自分と友人用に2枚購入した。 

 

  月の満ち欠けを一ヶ月ごとに12ヶ月分イラストにしてあり、視覚的にいつ満月なのかが一目瞭然でわかるようになっている。

  普段、『月の満ち欠け』に関してそう関心を持っていなかったので、満月というのが、月に一回のわりあいであることを初めて知った。

  学生の頃?『月の満ち欠けと女性の月経周期』についての話をチラリと耳にしたような気がするが、

  興味がなかったのか、なんだか恐れ多い気がしたのか、それきりになって現在にいたる…という恥ずべき事態を告白しておく。

 

  であるから『月の満ち欠け』に関しては、女性の方がよく知っているのかな?とふと思ったが、我が相方はそれには含んではいなかった。

  なにせ、我が相方は小学生程度の天体に関する基礎的な知識が皆無なのだ。実は私も人のことは言えないほど低レベルであるが

  私以上に何も知らない相方の『無のレベル』には、驚きを通り越したものだ・・・。

  人間が月面に到着した時、14歳の彼女にとっては許しがたい出来事で、一日中ひとりで泣いていた、そうだ・・・。

  だから、月食とか日食などが我々の人生にも、時折訪れるが、相方にはその仕組がまったく分からないし、知りたくもない様子で

  彼女にとってこの世は『天地無動説』ですべてうまくいっているらしい。

         

          我が相方は昔からパイプに憧れがあり、中古のパイプを購入して時々葉のないパイプを口に加えて悦に入っている・・・図


 クリス松 ・・・

2021年12月02日 | 我が妻ニコル行状記

  オミクロン…という聞き慣れないコロナウイルスの変種株のせいで、

  昨日11月30日、日本は海外からの入国を一ヶ月に渡り禁止するお触れを突然出した。

  それですぐ思い浮かんだのは、日本留学が12月11日に控えていた若きスイス友人の落胆している顔だった。

  こんなことが、今世界中で起こって、予定のある人々を混乱におとしいれているのだろう。

  冬を迎えて、コロナ様が三度(みたび)我々のところに『お邪魔〜っ』とやって来たのだ。

  三日前の11月28日(日)にスイスでは国民投票があり、①ワクチンパスポートの是非、②看護職員の確保・支援に関するテーマで

  賛否を問う投票が行われ両案とも6割以上の賛成で可決された。①の問題は今年の6月にも国民投票が行われ賛成多数で可決していたので

  今年で2回目の投票であった。

  スイスではワクチンは義務化していないので、現時点で2回接種した人は人口の65%、ワクチンパスポートを持っていないと

  カフェやレストランなどが利用できないなどいろいろ不便な事態に陥る。 

  よりによって投票後、『オミクロン』がお邪魔〜っとやってきて各国が入国管理の強化が始まったのだからたまらない・・・。

  もう一つの議題、『看護師を育成し、労働条件を向上させる』・・・こちらも可決して本当によかった。

  今回のパンデミックで、看護師の不足、過酷な勤務環境、低賃金などの労働条件が見直されることになった。

  昨日、日本では立憲民主党の新たな代表に候補者の中で一番若い、泉 健太氏(47歳)が選出され、

  今日その幹事長に西村ちなみ氏が任命され、以前の立民に比べ大いなる希望が感じられる結果となった。

  昨日は初雪が標高の高い山側で降り、気温もぐっと下がって冬到来の様相を見せ、

  モルジュの街も人通りも少なく、寂しい感じがしたが、クリスマスの飾り付け用に各街灯の支柱に小ぶりの

  松が添えられていたが、その一つに、ニコルは懐かしい友人にでも出会ったかのように、両手をあげ

  その松を抱きしめるような仕草で近づき、頬摺りして『ありがとう!』と言ったりしている・・・

  そういった相方をときどき見かけて驚かされるが、暗く寒い冬も凌ぐことができるのは、

  こんな人が私のそばにいてくれるからなのだろう・・・と思ったりした。

       

   ニコルの話によると、フランスのある地方、環境を重視する緑の党の勢力が強い所では、

   クリスマス用の松の伐採を禁止し、飾り付けをしない街があるそうだ・・・。

  

  

  

  

 

  

  


 『花』神事

2021年03月30日 | 我が妻ニコル行状記

  昨日から、『人工的時間差生活』に突入、一っ気に日が伸びて『スイスの桜』…と、勝手に名付けた『木蓮』たちもほぼ八分咲きとなった。

  気温も今週は日を追うごとに上昇するらしく、真っ青な空に春の日差しが眩しい・・・。

  定年退職して今年で4年目となるが、仕事に出かけない立場がいまだに違和感があるのに加えて、外に出ればヨーロッパなのに皆マスク…

  美しい春日和を素直に喜べない気分がちょっと悲しい。

  街を歩く人々を見ながら、皆どんな気持ちなのだろう・・・と、取り留めのないことを思ったりして…

  『花』といえば定年退職以来、ほぼ毎日行っている我が家の『神事』と化しつつある『二人花札』は、午後あるいは夜にとりおこなっている。

  毎日やっているにも関わらず、飽きないところが、『神事』というか、『花札』勝負は運が90%、10%が『頭脳プレイ』で、勝つ時は何をやっても

  勝ち、負ける時はどうしょうもないくらい勝てない…、なんというかちょっとした気分の高揚の有り無し…とか、自分ではコントロールできない『力』

  が働いている事は間違いないようで、我々夫婦にとって、ほとんど『神の御はからい』を伺う行事なのである。

  勝利者は北斎カレンダーにその名と得点を書き入れる栄誉に輝く。先日私は6連勝したが、翌日それを阻まれてしまった。

        

        花札を配る時にも、『勝利の神』を自分に引き寄せようと必死の形相で『御札』を配るニコル巫女。

         この行事に『お茶とおやつ』は必需品である・・・

  


  宇宙人との生活

2021年02月28日 | 我が妻ニコル行状記

  昨日は我々の31回目の結婚記念日であった。

  たぶん幸せなのだろう、互いが『空気』のような存在であるのは・・・。

  妻のニコルは、ひっきりなしに仏語で話しかけてくるが…私はその間、似て非なる仏語(ぶつご)で考え事をしている事が多い。

  布団のたたみ方(我々は未だに毎朝上布団と毛布類を畳んでいる)、皿を乾燥させる向き、ミカンの剥き方、光の扱い方

  生ゴミの出し方、何から食べるかその順番、歩き方、etc〜…細かいところまでよくぞまぁ、こうも『違い』の多い

  人間同士が一緒に暮らせるものであるなぁ・・・と結婚記念日がくるたびにその『違い』を乗り越えている我々に祝杯をあげる。

 

  第一に私は『男』で、彼女は『女』であるが、その『性の違い』が実は底が見えないくらいの『隔たり』があるようなのだ。

  だから確かに結婚した当初はよく『ケンカ』をした…、私の使う戦法は、禅者らしく『達磨戦法』。

  固まってじっとして動かなくなる…やつ。これには相方は返って怒り心頭…『体当たり』をくらわしてきたものだ。

  我々は当初、英語で意思の疎通をはかっていたが、二人とも相当レベルの低い英語であったから、怒りがこみ上げた時には『言葉』は

  用をなさず、私は『達磨』、相方は『体当たり』となった。

  私にとって妻との共同生活は禅の修行の一端を担う変種の『公案』であったに違いない。

  『違っていて当たり前!』…と『悟る』のに、そう時間はかからなかった気がする。

  当初の日本での5年間、私は禅寺と深夜泊りがけのバイトに明け暮れ、家を留守にすることが多かったが、

  くたびれて帰宅するたびに笑顔で迎えてくれる彼女の存在がいかに重要であったか、計り知れない…。

  後に、スイスに移住した時、私は日本式に財布を相方に預けたが、彼女の驚きと同時に喜びの表情を見せたのをよく覚えている。

  だいぶ後で知ったことであるが、スイスでは男性が財布の紐をしっかり握り、必要な分だけを妻に渡す…やり方が一般的であったのだ。

  まぁ、私はもともと金の計算に疎く、書類はフランス語で送られてくるのであるから、家計は相方に任さざるを得なかったのであるが・・・

  実はとても家計を任せられる玉ではない…と分かったのは私の晩年のことであった。

  まぁ…観察するにつけ、稀に見る『ボタン嫌い』、猫の如く『気まま』、犬の如く『散歩好き』、どきどきユダヤ人の顔をみせ

  どういうわけか、(腕時計など)身につける機械はことごとく『破壊』する…。30年共に暮らしながら、先日コロナ予防のために

  体温を測ったところ、相方の体温はなんと『33,7度』・・・であることを知った。

  私の知識としては人間の平均体温は『36.5度』と認識していたので、これには驚いた。

  確かにこれまで、体温計を何度か買って風邪のたびに使ったが、そのたびに体温計が壊れている…と真剣に取り合わないでいた・・・。

  最近、彼女は『宇宙人』なのではないかと、私はひそかに考えるようになった…。

         

                   レマン参道をゆく、地球人と宇宙人の図

  

  

  

  

  

  


  ニコルの過去へ…遊宙歩(Youtube)

2021年02月09日 | 我が妻ニコル行状記

          

  Youtubeが設立したのが2005年とのことだが、私がYoutubeをよく見るようになったのは、ほんの4 , 5 前ぐらいではなかろうか…

  最近人気のあるテーマに『国際カップル』ものがあって、本当にいろいろなカップルがそれぞれの生き方を垣間みせてくれる。

  先日、そんな一つを相方ニコルに見せると、『私達も国際カップルだから、Youtubeやりましょうか…』とのたまった。

  『それだけは絶対御免こうむる』・・・と私は断言したが、二人が出会った頃に、Youtubeがあればもしかしたら・・・と妄想。

  登録者数が多ければ収入になるとなれば、たぶんやっていたであろう。

  ニコルに出逢った頃、私は写真活動をちょうど止めたタイミングの時で、ニコルの写真といえば記念写真程度のものしかなかったが

  二人で東京で生活を始めた5年間の記念写真で、ニコルの思い出をYoutube(遊宙歩)してみた。

  5年を限りに、ヨーロッパに渡ると私はニコルに宣言していたので、1991年に日本を離れることは、ニコルには相当つらいことであった。

  5年日本にいて、ようやく馴染んだ頃にスイスに帰国…、その頃、私は自分のことしか考えていなかったかもしれない…などと今頃反省したりして。

 

        

         ニコルの日本 1987〜91 *画面右下 設定マークの左側四角マークをクリックすると字幕がでます。


   相方の『還暦』・・・

2015年09月07日 | 我が妻ニコル行状記

 毎年迎える 9月6日は ボクにとってちょっぴり緊張によって『冷や汗』を強いられる一日である・・・
 我が妻ニコルの『誕生日』であり、しかも60回目・・・つまり『還暦』なのである。

 こちらスイスでは日本人のように『還暦』っていうようなニアンスではないものの、やはり60歳まで『よう生きたわい!』的な感慨を、人生の一つの大きな
 『区切り眼』として普段の誕生日より以上に『祝う』人が多いようだ。

 ボクの時もそうであったが、59から60歳代への突入・・・というのは感慨深いものがあり、その点日本人は『還暦』などとよんであらためてそれを『祝う』風習などが
 あるところが人生の機微が『わかっている』ね~・・・と感心もし、有難いとも思える日本文化(中国から引き継いている?)の良さであろうか。

 さて、口では『何も特別なプレゼントなんかいいからね・・・』と言ってはいるが、それを真に受けて『いけない!』・・・という教訓をこれまでの人生でしっかり
 学んできたボクは、日本で言う『還暦』という視点から我が妻への『プレゼント』戦略を練ったのである。

 ボクと我が妻の『還暦』の・・・その原点はやはり、スイスで出会ってからすぐ日本で共に過ごした5年間が二人で振り返ることの出来る大切な思い出というか
 『初心忘れるべからず』的なエポックであろう・・・ということで、ボクは二人のアルバムの写真から選択、スキャンして『音楽付きスライドショー』にすることにした。

 奇しくも、ボクがニコルと出会った時期は、ボクが『写真活動放棄』して『禅』に専心する時期と重なり彼女の写真は本当に少なく、使い捨てのバカチョン・カメラで
 撮った記念写真、アルバムに貼り付けたL版というキャビネの半分のサイズ写真しかなかった。

 ニコルにとって日本で過ごした5年間の思い出は、スイスに来た時にスイスの友人たちに『語って』理解してもらえる様なものではないので、まさに彼女の心に秘めた
 大切な思い出としてアルバムに閉じ込めていたわけであるが、2015年現在彼女の『還暦の日』にそれらを絆いだアルバム写真を眺めては、自分たちを振り返り、
 お世話になった沢山の人々を振り返るのも一考であろうかと思う。(彼女の還暦を祝うと共に、お世話になった人々に感謝を込めて!)

 

    1987〜91


  59歳の再就職

2015年02月14日 | 我が妻ニコル行状記
  ほぼ一年の失業期間を経て、今年1月から我が妻ニコルは新しい職場に就職した。

  失業保険を貰うのも楽じゃない・・・というより辛かったらしく去年の10月には貰うのをやめてしまっていた。

  どこの国の役所でも内部的には大きな矛盾を抱え、外に対しては非寛容性を発揮して支出を渋る・・・という役所仕事の現実を
  ニコルはこの6年間イヤと言うほど身近で体験したが、そばで一部始終を見聞きしていたボクも『現実はどこも甘くはない』という認識を以前から
  持っていたにしても、たまたまニコルが務めた役所の腐敗ぶりには呆れを通り越した。(スイスというと何でも美化する人がいるが)

  利益を追求する企業のようなストレスはないけれど、上司らの昇級への野望はその見苦しさを恥じることも、隠すこともなく職員等の前で繰り広げる
  不条理劇に馬鹿正直一遍のニコルにはついていけない世界だった。
  だいたい、約5年間の日本滞在後、ジュネーブで老舗であった日本食品店で15年間『看板娘?』として働いていたのが、店主が二代目の若旦那になった時点で
  辞職、そして再就職したのが、昔取った杵柄(秘書業)・・・しかし、コンピュータ時代になって昔とは隔世の感があったにもかかわらず務めた公務は上記の
  ような具合で5年後に再び辞職。
  去年の後期から産休中の代理秘書として半年務めた音楽教育関係の公務も上記と同様の有り様で、このまま勤務する選択もあったが、ボクも彼女自身の意見も
  『やめておこう』で一致していたので、今年1月から勤務する事になった小さな小児科(先生は2名)の受付兼補助の採用通知が来た時は嬉しかった。

  彼女独特の『ニコル風・履歴書』はこの半年で2回、難関を突破して最終選考まで残った傑作であったが、2回とも最後の最後で選択漏れで気落ちしていた  
  所、数ヶ月にその内の一つの小児科の先生から電話があり、若い前任者が根気がなく他のスタッフと巧くいかずにやめてしまったので『どうか?』との連絡。

  早、一ヶ月が過ぎ他のスタッフともウマが合うようで、50%の仕事(つまり週に2日半の勤務)、これまでと全く違った職種に張り切って通っていた。
  それが2日前、4月から60%の勤務を依頼されたとのことで、僕等はよろこんだ。

  59歳・・・といっても今年の9月で60歳になる我が妻ニコル。子供の気持ちを無くさない・・・とうより子供そのものの彼女が子供の世話をするというのが   
  面白い。今日はバレンタインデーだけど、ヨーロッパ風には男が女に花とか何とかプレゼントする日(チョコレートではない)であるが、2日前ぐらいから
  風邪で弱って寝込んでいるのでレストランにも行けそうもない。まァ、足でも揉んでやるか。

              
              最近ネコを飼う?という話がでているが、迷い中。(これは友人宅の黒猫と戯れるニコル図)