拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観て

2023年06月14日 | 映華(えいが)

     

     写真は去年2022年の6月14日、フランスのSaint-Maloへ旅行した時、飛行機から観えたレマン湖とモンブランのある景色。

     記憶というものはいい加減で、あの旅がたった一年前であったことに驚いている図

 

  花粉症に備えて抗ヒスタミン薬を飲んでいるせいだろうか、それでなくとも年々眠気(ねむけ)の度合いが深まっているのに

  拍車がかかって一日中ぼーっとしているが、特に相方が何か私に話しかけている時に、居眠りしないように必死にこらえるのが辛い今日此頃。

 

  一昨日、アマゾンプライムでたまたま出会った素晴らしい映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を相方と一緒に観て共に感無量。

  東西の差はあれ、年老いた両親を見守る相方とその伴侶である私の当事者感を持つ立場で、この映画を観る事ができたのは非常に意義があったように思う。

 

  昨日になって私は、映像の中で母親が『迷惑かけるから、死にたい〜』とぐずる場面で、父親である夫が発した言葉の確認をしようと再度

  アマゾンプライムをアップしてその場面を探したが、なんだか見覚えのない場面がいくつかあって・・・私も相当ボケてきたのだろうか、と心配したが

  前作と後作の2本あったらしく、私が最初に観たのが後作で、介護師による介護場面がある前作も結局全部観ることになった。

 

  この映画の前後2作を観て私に湧いてきた疑問は、このような御夫婦は日本ではよくある一般的な夫婦なのであろうか?・・・という問であった。

  YesでもありNoでもあるような・・・。

  というのは、やはりどう観てもこの御夫婦二人共『立派』なのだ。・・・そして、そんな両親の老齢化をありのまま記録した娘もアッパレであったと思う。

  そこ(底)には日本的仏教思想がやはり流れているように思うのだ・・・。 日本では2022年に映画(後作)が公開されたそうだが、オススメです。

 

                       映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』予告編 


 超越とウイルス

2021年04月13日 | 映華(えいが)

  

  先日ジョニー・デップ主演、クリストファー・ノーラン製作総指揮、 ウオリー・フィスター監督の2014年公開映画、『トランセンデンス(超越)』を観た。

  この映画の内容は次の二つの意味で非常に考えさせられる良い映画であったと思う。

  一つは、ユヴァル・ノア・ハラリ著書、『ホモ・デウス』を基にしたのか?と思わせるような内容は、テクノロジーによって人間は『神の域』にまで達するという見解。

  映画では、AIの研究者の脳をスーパーコンピューターにインストールしてナノテクノロジーとバイオテクノロジーなどを駆使し、地球の環境破壊を回復したり

  彼ら夫婦(映画の主人公)が理想とする世界を構築しようとする話であるが、本の出版が2016年なので、著者はこの映画を参考にした…のかもしれない?

  

  本『ホモ・デウス』は人間が将来、寿命も身体機能も自在にコントロール可能な神的存在…になるであろう、という予測を書いたものであるが、

  映画はそれを実現しながらも、そういった状況を恐れる反テクノロジー過激派グループや、それまで信頼のおける仲間と思っていた研究仲間でさえも

  『あまりに絶大な能力を持つコンピューターに支配されるのでは…』という疑心暗鬼から画策、彼の妻の協力を得て妻の体内に『COMP-ウイルス』を注入し

  能力を持ち過ぎた夫(ジョニー・デップ)の電脳スーパーコンピューター破壊に手を貸す…といった内容であった。

 

  『インターネットで世界は狭くなった・・・だが、ない方が狭く感じる…』という意味深なセリフは、この破壊工作5年後の回想で、そこからこの映画が始まる。

  ジョニー・デップ演じる博士が講演する場面で『自我を持つAIがネットでつながれば人類を超える・・・これを一般に特異点(シンギュラリティー)と

  呼ばれるが、私はこれを超越(トランセンデンス)と呼ぶ』と言う。

  質問者から『あなたは神を創りたいのですか?』と問われ、『人類は昔からそうしてきた…』と答えた。

  博士は過激派から発砲を受け死ぬが、彼の脳はスーパーコンピューターにインストールされる。

  博士の古き友人であり、師匠的存在の黒人俳優モーガン演ずる博士がモニターに映るジョニー・デップの顔を観て驚嘆しながら『自我を証明できるかね?』と尋ねると、

  『難しい質問だ、タガー博士。君はできるか?』と逆に尋ねた・・・これはこの映画の中の重要な場面だったと思う。禅の公案そのもの・・・

 

  映画は、人間の意識+AIという人智を超えた力を持っ存在に対して『COMP-ウイルス』を注入することで対抗、そのために人類はそれまで構築したネットワークすべてを喪失

  世界中のすべてのコンピューターは完全に機能を停止、コンピューター制御に頼っていたライフラインはストップして世界は大停電に見舞われ文明は崩壊する…。

 

  2020年に我が地球上に起きた『新型コロナウイルス』が我々の生活全般において『万事休す』を思わせる状況…どちらも『ウイルス』が原因である事・・・これがもう一つ。

  それは天からの『令』であって『万事休す』することで『和』となることができる太陽(コロナ)から送られてきた、この映画と同様なメッセージではないか?

 

  映画の中で起ったと思ったAIによる『超越』はいまだ真の『超越』ではなく、電脳になった自分を破壊する為のCOMP-ウイルスと知りながら、

  『妻のウイルス』を『妻の愛』と共に受け入れた博士の行為こそが『超越』であり、同僚のタガー博士の質問『自我の証明』に対する答えであった。

 

         

          この写真は2018年に撮った写真であるが、2020年のコロナ禍を予知していたのだろうか??


 パピヨン

2021年02月18日 | 映華(えいが)

  先日、強烈な映画を見た。1974年に日本公開、スティーブ・マックイーンとダスティ・ホフマンの共演の作品『パピヨン』のリメイク版で

 日本では2019年公開、主演がチャーリー・ハナム、共演はラミ・マレック(クイーンのフレディ・マーキュリー役で有名になった)だった。

 鑑賞者による批評では、オリジナル版と比較して見劣る…という評を散見したが、私も見たといってももう46年前の話なので、記憶も薄い。

 ただ、強烈な印象を受けたことは間違いなく、その頃撮ったセルフポートレートのタイトルに着ていたパジャマが囚人服を思わすのと暗い表情に

 眼だけがギラギラしてるのが、映画パピヨンを思わすことから『パピヨン』と名付けた…くらいだから、最新版がどんなだか見てみたのだ。

         

          私は22歳。写真学校の2年生…やっと自分の囚われの運命から脱出した気分の頃の自写像

  物語は実話で1906年生まれのアンリ・シャリエールというフランス人が25歳の時、無実で終身刑になり、南米の仏領ギアナにある島の刑務所に。

  脱獄しては失敗して過酷な懲罰房に入れられ、失敗する都度により過酷な監獄へ送られてもへこたれず15年目に脱獄に成功する・・・という話。

  島の監獄はあまりにもひどいので、時代を忘れて見ていたが、最期のシーンで旅客機が飛んでいる…のを見て『あれっ?』と変な驚き。

  脱獄後、ベネゼエラで結婚して食堂を営んでいたが、自身の体験を小説に書き、それを出版するためにフランスに渡るシーンだった。

  ともかく、独房に何度も入れられるが、『何も話してはならない…』という規則が徹底される。一度目は2年間。2度目は5年・・・

  普通なら気が狂って死んでしまう者がほどんどだ、というのに・・・決して脱出することを諦めない、その信念がとにかく凄い!

  誰もがこの映画を見たら、自分だったら耐えられるだろうか…と自問して『無理だ』と観念すると思う。

  だからこそ、この映画が実話であったと知ると、そういつた信念を持った人間の存在に私達は畏敬の念を抱くのだろう。

  1974年に見たときには気付かなかつたが、新版では『独房』で『一黙』を強要される…シーンが印象に残った。

   刑務所というと、禅修行も刑務所のような一面(例えば一黙)があると感じていたものだ・・・そこでこんな一句を詠んでみた

       十年の 刑務所ならぬ 無処つとめ 娑婆でのさばる 無法者かな…  : 馬骨

  

  


映画『 Homme Less 』を見て

2020年05月25日 | 映華(えいが)

こちらスイスでは対コロナ騒動の自粛ムードがゆるんでいるというのに、ボクの方は花粉症のクシャミとプチ風邪による夜中の喘息風『咳』で熟睡出来ず、心配性の相方は勝手にコロナテストを申し込んでしまって、検査を受ける羽目になり、幸運にも今朝『Negative!』の連絡を受け胸を撫で下ろしている。

昨日、アマゾン・プライムで観たドキュメンタリー映画『Homme Less』(2014年公開)をみて他人事ではない感じがした。(懐かしいくらい)…


映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』予告編

タイトルは『Homme Less』であって『Homeless』ホームレスの言葉と掛けたところにポイントがある。Homme…とはフランス語で『男・人間』の意で『なにかか欠けている男』の意か?

ジョージ・クルーニーばりの色男で、20代の頃はモデルとして有名雑誌に起用された経歴があり、その後俳優、ファションカメラマンなどをして今日にいたり映画撮影した時点で52歳。

その彼がどういうわけかホームレスで、昔友人が貸してくれたアパートの鍵を使って建物に入り友人が住んでいるアパートの屋上に毎日忍び込んで屋上の片隅に寝袋で寝泊まりしているのだ。

ボクも35年ぐらい前、写真家として成功するべくアメリカンドリームを夢見てニューヨークに一年近く滞在したことがあるので、なんとなくこんな雰囲気が分かる気がする。ただ、ボクは色男ではなかったからすぐすべてを諦めたから良かったものの・・・。

映画の後半で、屋上で寝袋に入っている彼にインタビューするシーンで『どこで道をまちがえたか…』と涙して後悔する場面のあと、色男でモテてたでしょうに、なんで結婚しない?という問に対して『どうしてか分からないけど、人に愛していると言ったことがない』…という言葉が印象にに残った。

「色男」の自分に酔ったまま、何とかなるだろう…というのが落とし穴ではなかったか?

それは彼がカメラマンとしてモデルを撮影するシーンを見ても写真に賭ける情熱とか真剣さに欠け、数打てば当たる的な様子に窺い知ることが出来る気がする。

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       これはボクのニューヨーク物語 33歳であった。


 アバター観想

2017年12月30日 | 映華(えいが)

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監督の思いを最も最先端テクノロジーを駆使して表現を実現させていく様に驚きと感動と賞賛を!

先週、アバターを字幕付きでアイパットで見た。
もちろん公開された2009年にボクはスイスでオリジナル版(フランス語字幕)でみたのだけれど
やっぱり、今回、日本語字幕だとよく理解できてアイパット・ミニでも感動は大きかった。

衛星パンドラを後の恋人ネイティリが案内する、様々な植物や動物たちの描写、そしてイクランという翼竜に乗って
飛び回るシーンの素晴らしいこと!
なにより、パンドラ衛星に住む先住民族ナヴィの娘ネイティリの心の美しさが見て取れる表情・・・がなんとも言えない。

この映画を見た時は、『ああ、自分たちアメリカ人が過去にしてきた先住民族インディアン虐待』を描いている…のだ、と思って
見ていたのであるが、その後、2011年に3・11が起こり、それから日本で起きた様々なこと、特に、沖縄の基地問題など典型で
権力のあるものによる、市民への横暴を見た時、このアバターの描いていた物語が頭をよぎったりしていた。

2010年以降、迫害を受けるパンドラ星というのは実際、現地球上の至る所でもあるということが実感される世の中になって来ている。

大自然にある神聖なるものへの敬意を尊重する族と利益一点張り族の闘いは日本においても、益々鮮烈を極めてきている。

そんな中、今日IWJの岩上安身さんによる、有名になった前川喜平さんのインタビューには、来年2018年という年を暗示するものが
あったような気がした。慈悲心を唱える仏教による世作り…そんな話が聞かれたのだ。


 アバター観想

2017年12月30日 | 映華(えいが)


監督の思いを最も最先端テクノロジーを駆使して表現を実現させていく様に驚きと感動と賞賛を!

先週、アバターを字幕付きでアイパットで見た。
もちろん公開された2009年にボクはスイスでオリジナル版(フランス語字幕)でみたのだけれど
やっぱり、今回、日本語字幕だとよく理解できてアイパット・ミニでも感動は大きかった。

衛星パンドラを後の恋人ネイティリが案内する、様々な植物や動物たちの描写、そしてイクランという翼竜に乗って
飛び回るシーンの素晴らしいこと!
なにより、パンドラ衛星に住む先住民族ナヴィの娘ネイティリの心の美しさが見て取れる表情・・・がなんとも言えない。

この映画を見た時は、『ああ、自分たちアメリカ人が過去にしてきた先住民族インディアン虐待』を描いている…のだ、と思って
見ていたのであるが、その後、2011年に3・11が起こり、それから日本で起きた様々なこと、特に、沖縄の基地問題など典型で
権力のあるものによる、市民への横暴を見た時、このアバターの描いていた物語が頭をよぎったりしていた。

2010年以降、迫害を受けるパンドラ星というのは実際、現地球上の至る所でもあるということが実感される世の中になって来ている。

大自然にある神聖なるものへの敬意を尊重する族と利益一点張り族の闘いは日本においても、益々鮮烈を極めてきている。

そんな中、今日IWJの岩上安身さんによる、有名になった前川喜平さんのインタビューには、来年2018年という年を暗示するものが
あったような気がした。慈悲心を唱える仏教による世作り…そんな話が聞かれたのだ。


 蜘蛛の巣

2017年07月16日 | 映華(えいが)
 退職後、早くも2ヶ月目!
 時間もたくさん出来て、ブログも毎日更新・・・とイメージしていたが、案外そうならなかった。
 
 友人にあったら、まず聞かれる質問『退職後どう?』

 その答えは やることがいっぱいあって・・・というか『やりたい事がいっぱいあって』時間が足りない! 感が・・・
       逆に言えば、これまで、いかに自分の時間がなかったのかを 痛感している今日このごろ。

  いま、難しいけど、滅茶面白い本を読んでいて、それについて何か書きたいけど、自分の中で消化出来てない、もっと  
  もっと、時間がかかりそうで・・・そうしたことを考えていたらブログも書けそうもない。

  昨日、オリバー・ストーン監督の『スノーデン』を観て、非常に感銘を受けた。
  スノーデンが告発に至る経緯がよくわかる優れた映画であったが、告発自体が、2013年6月という、つい先日のことで
  あることに、あらためて驚くし、2003年に彼はジュネーブの国連アメリカ代表部勤務ということで、ああ、この年は
  ボクがちょうどジュネーブの引っ越し屋に就職した年だった!・・・とか、2009年にスノーデンは日本でNASAの仕事
  したりとか、彼のことを身近に感じる気がすると同時に、今、世界で何が起きているのか・・・というようなことを実感。

  プライベートのシーンは、彼のガールフレンドとの会話がメインで、あの告発後、スノーデン自身はロシアに亡命し、
  彼女が後に合流して一緒に住んでいる・・・というメッセージが最後にスクリーンに流れて、その点については安心した。
  スノーデンの正義感、そして告発後も無事でいる、よく考えた行動に喝采を贈りたい。ほんとに凄い青年だと思う。


       
        13日(木)友人に会いにチューリッヒに出かけた時、
             リートベルグ博物館で行われていた『エジプトOsiris』展へ

『七人の侍』を見て

2015年05月24日 | 映華(えいが)
 映画『七人の侍』昔たしかに見たはずだったのに、今日初めて見た思いがした。

 侍を雇うべく、百姓が街にでて探している時
 志村喬扮する第一の武士が人質にされている子供を助けるために、丁髷を落とし頭を剃り袈裟をかりて僧を装うシーンが冒頭にあった。
 このシーンは、この映画が仏教の菩薩道を表す象徴的シーンとして黒澤明監督は冒頭に持ってきたんだ・・・とボクは受け止めた。

 金や出世とは無縁の百姓の村を『野武士の襲撃』から命懸けで『守る』・・・という仕事を引き受けた侍達は
 皆、リーダーの侍の人柄に引かれて集まってきた人々であったが、果たして菩薩が菩薩を呼んだ物語であったか。


          

 三宅洋平の『イマジン』

2015年05月06日 | 映華(えいが)
  Facebookに 2013年夏の参議院選挙に立候補したミュージシャン三宅洋平の選挙活動に密着したドキュメント映画の予告編が紹介されていた。
  
  そう、あの時はボクも山本太郎をスイスから一人で一所懸命応援していたから、ミュージシャンの三宅洋平の選挙活動もよく見かけた。
  山本太郎に比べるとボクの目には 三宅洋平はあまりにも『理想家』・・・の看板を背負って出てきました坊っちゃん的感があって、応援しつつも
  正直『どうかな~』なんて少し冷めた目で彼の活動を見ていたところがあった。
  しかし、折に触れ彼の発言を聞いているうちに、『真剣さ』と社会における人間の『捉え方』に独特なものがあって、彼の言葉にボクは耳を傾け始めていた。
  
  音楽を通して呼びかける三宅洋平の歌声は、それまで政治に無関心だった彼と同世代か、もっと若い人々の心を政治に向かわせる大きな力になっていると
  実感したのは 確かに彼の『選挙フェス』というこれまでにないユニークな選挙活動であった。

  ミュージシャンといっても、ボクみたいに彼のことを全く知らない一般人が圧倒的な状況の中で17万票以上の票を集めることが出来たのは
  彼独特の選挙活動と彼の真摯な『一言一言』に魅せられた人々がいた証拠だと思う。

  そして、この予告編でボクが感じたのは、選挙活動中彼が言葉に発することが出来なかった 理想と現実の狭間で言葉にならなかった彼の『思い』が
  にじみ出るとてもイイ味のあるドキュメント映画に違いないという確信。
 『理想家』!と言われようが、理想を抱いて現実に突き進む勇気も智慧も愛もあるこの若者を祝福したい!
  
              

 拈華微笑(非言語の会話)

2014年12月14日 | 映華(えいが)
  週末、一年ぐらい前?に見た映画 スパイク・ジョーンズ監督の『Her』をItunes日本語字幕で見た。
  やっぱり、言葉がちゃんとわからないと・・・この映画を全然分かってないことを いたるところで発見。

  AI(人工知能)型OS つまりコンピューターのサマンサと恋に落ちる話だけれど、非常~に深かった。

  サマンサは ドンドン自動進化してしまい アラン・ワッツ(21歳の時、鈴木大拙と出逢い、禅に目覚める)の弟子(或いは恋人)
  になってしまう・・・というのはボクの解釈だけど・・・)

  サマンサ:『アランと非言語で会話してもいい?』・・・というセリフがあって、それで主人公のセオドアは彼女が自分のもとから
  去ってしまうことを予感する。

  このシーンはこの映画のクライマックスだと思うけど、ここを見た時ボクは禅で言う『不立文字』を思い浮かべていた。
  そして、このあたりのシーンを何回も見なおしていると アラン・ワッツの名前が出てきて、どこかで聞いたことのある名前だなァ~
  と思考すると、昔、禅に夢中になっていた頃我が相方がそんな名前の本を読んでいたことを思い出した。
  そして、Googleで調べると果たして 禅の本を書いたその人であった。

  人工知能が勝手に進化して『悟り』の道に入っていってしまったのだ・・・
  サマンサ:『もし、あなたが私のいる所に来たら 探しに来てね・・・』と、言わせていることが、その証拠だ。

  しかし、しかし、ごく最近 イギリスの理論物理学者ホーキング博士の 『人工知能が進化することで人類は滅ぶであろう』
  という話をツイッターで読んだけれど・・・。ここではより高度な『悟り』の域には 人工知能は達していないようで 
  AIは『欲』によって人間を滅ぼすのだろうか?

  しかし、今日の日本の衆議院議員総選挙の結果を見る限りは、その心配はないようだ。
  人工知能はある程度『進化』するであろうが、人間自身の知能は どうやら『退化』しているようなので・・・
  別なシナリオで滅ぶかも知れないからだ。

                       
                     『不立文字』も 『拈華微笑』も非言語による会話であるところが面白い。

  

  

 映画「シュガーマン」

2013年03月24日 | 映華(えいが)
  引越しシーズン真最中で クタクタ。

  毎日見る ツイッターも 気に障るものがあっても 琴線が振れるものが無い(くたびれて感受性が衰えているから?)

  それでも今日 相方と観た映画 「シュガーマン」は 良かった。

  僕らのまわりの 友人たちが皆 見ていて 良かったよ! と 云うものだから 行ってきたけど
  本当に 良かった。 久々に 琴線が振るえたよ。

  こんな話が実際に あるなんて! そしてなんといっても この人の人柄だよね 素晴らしいのは。
  スイスでは 映画の宣伝がほとんどないので どんなにいい映画でも 口コミが大切なんだけど。

     

 
  このロドリゲスさん ボクの親友のタカヒデに 雰囲気が似ていたが 後で調べると 1942年生まれで同じ歳だった。

       
        何人かの人に感銘を与えながら「シュガーマン」のように無名のままで 消えていったアーティストは 
        沢山いるんだろうなぁ~。タカヒデは「ハワイアン」をやっていて有名か無名か知らないけど・・・。

  “世界の写真家” に愛をこめて

2012年10月06日 | 映華(えいが)
 今日、我が街、ローザンヌの写真美術館エリゼに行ってきた。  http://www.elysee.ch/

 そこで眼にした 写真群「Howard Greenberg, Collection」の約80人の写真家達の写真に 正直圧倒された。

 ニューヨークは ハーワード・グリーンベルグという人のギャラリー経営者のコレクションである。

 ボクはこれを見て 写真学校一年生 21歳頃買った 重森 弘淹(著)世界の写真家 を思い出していた。

 写真の面で ボクに強く影響を与えたのは この本であったと思うし またボクにとっては
 最初の写真集でもあった。 

 その本で目に焼き付けるほど 眺めた写真家達の オリジナル写真が 今日ボクの 目の前にズラリと並んでいるのだ。

 スタイケン、ケルテス、ブレッソン、キャパ、エバンス、ユージン・スミス、フランク、クライン、アーバス等など。

 中でも今日ボクが印象に残ったのは ドロシィー・ラングとウィジー、そして初めて見たボブ・ディランの写真は
 リチャード・アベドンがレコードのジャケットの為に撮ったもの。

 写真はやっぱり人物が 面白いなあ~。 しかも作ったものではなくて スナップ・ショット(= 一撮)したものが
 ボクの気に入りだ。
 そこにボクが 評価する写真の特性が あるからだと思う。

 1986年新宿オリンパスギャラリーでのボクの自写像の個展に 当時、今のボクと同じ年齢 60歳の重森 弘淹氏がサイン帳に
 サインを残して下さったのを思い出し、今それをながめていた。(その時、お会いできていたら お礼を言いたかった・・・。)

             
          写真学校時代、田舎に帰った際 撮った「菊池の母さん」1975年頃
 



 

 

 人時を待たず

2012年07月22日 | 映華(えいが)
  ネットで アンドリュー・ニコル監督の 映画「Time」を観た。
  凄く良かった気がするが 頭が悪いので 何が良かったのか しばらくしないと
  答えが出そうにもない。

  なんだかわからないが 25歳になると年を取らなくなる・・・ここまでは夢のようでいいんだけと
  それからは 生きるための時間を稼ぐなり 奪うなり 借りるなり しなければ Time out で
  死んでしまう・・・というお話。

  生命時間=金・・・というのが 面白い。 例えばコーヒー一杯 4分で支払う・・・とか。

  だから やっぱり 貧富の格差があって 金持ちは金持ちの地区に住んでいて 貧乏人は
  そこに行くことが出来ない。というようなところから物語が始まる。

  3・11以降 どんな映画を見ても 原発に由来する現日本の闇と重なって見てしまう自分がいる。
  
  映画の中で よく理解出来ないのであるが 「裕福な人々が長生きするためには貧乏人は
  早めに死んでしまわなければ ならない(?)・・・」のだそうで、貧乏人の地区では
  税と物価が同時に値上がりして その為に過酷な状況が人々を待っている。

  そんな話を観ると なんだか 全く今の “日本”そのものでは ないか!・・と思った。

  原発を存続させて 原発マフィアは 金=生命時間を稼ぎ 一般人には何の問題もない安全ですよ!
  と騙して 彼等の時間を 容赦なく奪い取る。

  どちらも 時間を分けてもらうために 主人公の青年に 駆け寄る母親と恋人の 2つのシーンが
  強く印象に残った。
                  

                        貧乏人は 一日一日時間を稼ぎ出さなければ 明日はないのだ。

                        時は人を待たない かも知れないが  人も時を待たない ときがある。 

             

   

 大地の王

2012年06月07日 | 映華(えいが)
 昨夜 劇場で観たものは 夢まぼろし であったかのような あるいは遠い昔に経験した実話だったような・・・。
 
 ウクライナ人の劇団員12,3名による 歌、楽器演奏、踊り、芝居が渾然一体となったステージは「大地の王」と題する
 (フランス語題 Vii-le roi terre) Vlad Troitskyi氏率いる劇団。

 明らかに一般のヨーロッパ人にとっては 馴染みのない神秘の世界 むしろ東洋的な神秘により近いウクライナの民族的
 文化を基盤にしたストーリー、演出は 「魔女」「神」「生」「死」・・・などをキーワードにしながら
 視覚と聴覚だけではない「感覚」との3D度を どんどん深め、高めて それこそブリューゲルの絵の中に紛れ込んで 
 しまったような錯覚に 陥ってしまった。

 だいたい 役者も ウクライナ語?で 何やらどなったり つぶやいたり・・・二人のスイス人(フランス人?)のみが
 その溝を埋めるがごとく フランス語で彼等に対応する 異国情緒。

 彼等の この格別の ステージを目の当たりにして 最高の贅沢を 極めた感・・・に一緒に観に行った姪の
 マエルと 共に浸りきっていた。
 そもそも3日前に相方のニコルがタダ券をもらい 友人のクロードと観に行き、 興奮して帰ってきたのだが
 それは相方の癖で いつも4割方 割引して話を聞かないと真実は伝わらないのであるが。

 今回だけは 相方の話以上の 内容で 夜の10時半に 雨に打たれながらもウキウキと帰宅したのであった。 

 一人狂言回し的男がいて そいつが凄かった。 1,7mぐらいの切り株の上にいるさまは 細江英公の写真「鎌イタチ」
 を彷彿とさせ舞踏していた。

 後半フランス人の男が 神に向かって叫ぶ・・・ がしかし返事がない 「見捨てるのですか?!」 ・・・その時ボクは思った。
 その「静寂」そのものが 神の返事であったと。 観音様の観音とは その静寂に生死を超えた音を観ることであるのだからと。

     

 北斎の赤い糸

2012年06月06日 | 映華(えいが)
 根が怠け者のだから ここ2,3日ブログを書かないでいたら ・・・だんだん書く気がなくなってきてしまった。

 馬鹿子(バカンス)が終わって やっぱり アラ還になったからであろうか。それとも 気温の上下降が激しい
 天候のためか くたびれ気味だった。

 先日 裸の島から派生して 乙羽信子さん→新藤兼人監督→映画「北斎漫画」を観た。
 
 この映画は 日本人として意味深長であるねぇ。
 先日ベルリンへ行って ヘルムート・ニュートンに感心したけど 北斎や新藤兼人にくらべたら 足元にも及ばないね。

 まったく“アバンギャルド=「既成概念に囚われず、新たな表現方法を開拓しよう」!!であるねぇ。

 正直日本絵画の歴史ほとんど知らないけど ボクにとって 以前から気になっている画家として 俵屋宗達(1570年生?)
 がいるんだけど それって この葛飾北斎(1760年生) そして 新藤兼人あたりへと 案外 日本文化の赤い糸の
 基線になっているのでは ないだろうか!!

 多分ボクは 学問的には 滅茶苦茶なことを 云っているのだろうが 

 今現在の 日本の情けなさの 奥の奥にはこうした 素晴らしい 基線で 先達と我々は繋がっているんだと思う。

 この映画は 思いもしなかった素晴らしい役者達 監督の思い 北斎の人となりを 堪能した。
 田中裕子は最高、そして樋口可南子! 北斎(緒形拳)晩年の 滝沢馬琴(西田敏行)とのやり取り・・・
 アバンギャルド・・・!!!。

                  それに似合わない ふつうの今年の春の・・・というか、スイス“蓮池”風景