拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『赤ん坊』に託されたメッセージ

2023年10月30日 | 東洋自分なり研究所

  我々夫婦の散歩の楽しみの一つは『ベビー・ウォッチング』・・・かもしれない。

  いまだ主語を持たない『天真爛漫』な小さな生物の存在に、常に『驚嘆』の眼差しを向けずにいられない・・・のだ。

 

  こんな出だしで、馬骨の『死生観』なるものを書こうかなぁ〜と思った時、

  『天上天下唯我独尊!』と宣ったのは・・・そういえば『赤ん坊』であった事に気がついた。

  この『天上天下唯我独尊』の言葉ばかり注目されているが、それを言ったのが『赤ん坊』であった・・・という点は無視されていたか。

  そうそう『悟り』の可視化=『赤ん坊』・・・What else ?  であり、『文句あるか?』だよね。

  こんなことを言っている仏教って、『仏教』をぶっ超えている・・・『ゆえに仏教』となって皆、真剣に『悟り』に意識を向けないかね・・・。

 

  とにかく、『赤ん坊』の存在パワーって、言葉を無くす次元であるが、それがどこから来るか?について意識する人は少なすぎる…のでは。

  で、馬骨の『死生観』であるが、正直最近まで特にこの問題について意識が向いていなかったように思う。

  もし私に『死生観』なるものがあるとすれば、『禅』に培われたものであることは間違いない。

  その最たるものの一つが、『父母未生以前』・・・という公案の存在を知った事であるだろう。

  別にこの『公案』が老師から与えられて取り組んだ、というわけではなく、たぶんこれも『スズキ大拙』の著書から教えられたのが最初であった。

  

  『父母未生以前・・・のお前はどんなだったか言ってみろ!』というような、すざましくわけの分からん『公案』の存在に、私はたじろいだのをよく覚えている。

  私の愚脳に強烈な形で『 In-Put 』された公案は、やはり『公案』という毒とも滋養とも言い難い『?』として根付き、無意識レベルで発酵していた・・・のだろう。

  この『公案』は、私をして嫌でも『死生観』形成に一役買っていた事は間違いないと思う。(そういう意味で、『公案』というのは恐ろしい…、ウイルス如きものか)

  

  そんなこんなで、『赤ん坊』の『圧倒的・肯定パワー』の出自先を思えば、『死後にどうなる?』・・・というような不安は『戯言(たわごと)』でしかない。

  『赤ん坊に生まれ、赤ん坊に死ねばよいではないか』・・・というのが目下の馬骨の『死生観』であろうか。

           

            若いお父さんが、赤ん坊を『高い高い〜っ』をしている所を一撮。これが『天上天下唯我独尊』であることを知ってか知らずか・・・。

            隣で新聞を読んでいた相方の記事・・・『このプラネット(地球)、大好き!』という見出しだった事は偶然か必然か??