にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

自分が機嫌よくいられる場所を探そう

2020-02-07 16:06:00 | 日常

 僕が学生の頃、スキーがブームになった。その火付け役は、私をスキーに連れてってという映画だったり、ユーミンのスキー天国(サーフ&スノー)、恋人はサンタクロースなどの歌が流行り、苗場や長野県、新潟県のスキー場は大混雑だった。

 僕が教えてもらったスキーインストラクターの先生に、「スキー板の上の正しいポジションに立つ(乗る)ことが大事です」と何度も言われた。「先生、正しい位置とはどこですか?」と訊ねたことがある。

 先生は、「いつでも『正しい位置』に戻れることができるのが正しい位置です」という禅問答のような答えが返ってきたことを覚えている。でも、たしかにその通りだと思う。

 「正しい位置」というのは空間的に決まった座標のことではなくて、その時々において最も自由度の高いポジションを選択できる「開放度」のことだからである。

 これと同じで、生きていくうえで最も大事なのは、ニュートラルで、選択肢の多い、自由な状態に立つことである。それはできるだけ「オープンマインド」でいることと言い換えることもできる。

 このオープンマインドこそは、学ぶ人にとって最も大切な基本の構えだと思う。これから大学に入って、学ぼうとしてる若い人にお伝えしたいことがある。

 大学では、いま持ってる知識や経験だけでは理解するのが難しい講義や書物、意見が大きく食い違う人に出会う。何を言っているのかぜんぜんわからない。でも、それはいいことなんだ。

 自分の知的な限界を超えるチャンスに遭遇したわけだから。相手の話に耳を傾ける。理解できなくても聴いてみる。コンテンツが理解できなかったら、音声を聴いているだけでもいい。自分の限界を超える知見はたいていの場合、脳ではなくて、身体を経由して入ってくるからだ。

 聴いていて「どきどきした」とか、「震えてきた」とか、「気持ちが鎮まった」とか、「お腹が空いた」とか、とにかく身体現象がまず起きる。それは、自分の知的限界を超える入力を受け入れようとしてるときの徴候である。

 自分が理解でき、共感できることだけ聴き、自分がよく知っている分野について知識を量的に増大させることは「学ぶ」とは言わない。「学ぶ」というのは、自分の限界を超えることである。自分が使ってる「わかる、わからない」の枠組みを踏み抜けてゆくことである。

 若い人たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みではないかと推測する。

 自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりが生じないような姿勢はどうやったら見つかるのか。

 大学生活では何よりそれを求めて行って欲しいと思う。私が8年もの学生生活、34年もの研究生活で学んだことは、こういうことの繰り返しで、結果よりその過程を継続することがいかに大事か、身体に刻まれている。