台風一過。

・・・かと思ったら、
午後の東京は日差しが差したり、また雨がぱらついたりと不安定な天気。
先日ここでご紹介した村上龍さんのエッセイは、
『無趣味のすすめ 拡大決定版』(幻冬舎文庫2011年)
私も趣味らしい趣味がないし、村上龍さんのエッセイは好きなので
手に取ったのですが、
思わず頷いたのは「『好き』という言葉の罠」の下り。
村上さんは小説家だが、小説を書くのが好きではないとおっしゃる。
では嫌いなのかと言われれば、そうでもないとか。
「おそらくそれがなくては生きてはいけないくらい重要で大切なものだが、
非常な集中を要するのでとても好きとは言えないのだ。
わたしにとって小説を書くということは好きという言葉の枠外にある。」
《14ページよりそのまま引用》
そう、これなんだよー!!と、ぶんぶん頷く。←若干オカシい立ち読み者
私にとってバスケットってまさに、これ。
特にバスケットが仕事になってからは。
よく色々な人に(メディアの方含め)
「ハギコさんにとってバスケットって何ですか?」と訊かれて
いつも答えに窮していた。
一言で何か表せないし、何ていうかそれがないと私の人生成り立たないけど
まあなくても何とか生きてはいけるんだろうし、とか。
「でも、好きなんですよね?」と訊かれると
それも答えに窮すわけです。
これだけ続けられるんだから(かれこれ30年ちょっと関わってる)、
たぶん好きじゃないと出来ない。
でも「好き」という言葉で表せるほど単純なもんでもない。
むしろ嫌いとかめんどくさいって思うときも多いし。
うーん、うーん、と頭を捻っていると、知人の、求道者みたいなライターさんが
「それは近親憎悪みたいなもんかな」と言ってくれた。
なるほど、あ、それに近いですってピンと来たのが確かもう10年間。
で、ついこないだ、村上さんのエッセイの中に、更に首肯できる説明があった、と。
好きなことを仕事にするのが幸せか、
好きなことは趣味にしておくのが幸せか、一時期知人と激論していた。
今の私は、正直どっちでもいいんじゃないの、と答えると思うが(笑)
どちらかと言われれば、後者を推奨します。
バスケットを生業にするまで、誰憚ることなく「バスケット、大好き!」と
広言していたし、本当に本当に大好きだった。(はい、過去形)
でも、バスケットを仕事にするようになったある日、タクシーの運ちゃんに
「いいねえ、好きなことしてお金もらえて」とやっかみ気味に言われたとき
まじめに後ろから羽交い絞めにしてやろうかと思った。
好きなことでお金をもらうって、あんたが考えているようなことじゃないんだからって。
・・・って、誰でも出来るもんじゃないんだから感謝しなさいと言われれば
そのとおりですが、それは単に数の問題であって、
その人の費やした時間や労力に対してお金が発生するという社会的な行為
(人はそれを仕事と呼びますな)そのものは、内容・職種如何を問わず
すべて同じで、とっても大変なことなのではないかと思うのであります。
「こんな職業に就けて嬉しいです。ありがとうございます。」と思うときもあれば
残念ながら「だあああああ、めんどくさいよぉ、疲れたよぉ、胃が痛いよぉ、
でもやらねばならないのだよぉ」と思うときもある。
感謝するとすれば、職種如何を問わず、今も何とか生命を維持できていること。
村上さんのこのエッセイ、
「リーダーの役割」「若者と欲望」「決断する力」あたりも
とても面白いです。
なんというか、この人は軸がぶれなくてシンプルなんだな。
ご興味ある方、是非ご一読下さい!
東京から東海のある県にいきなり「移住」した友人と、時間が合ったのでランチ。

彼女と話していて気づいたのだが、
ネット上の友人知人、身内も含め、私の知人たちは
「このヒトには自分の話をしたい!」と思わせる人と
「このヒトには自分の話をするより、このヒトの話を聴きたい」と思わせる人に
二分されるようです。
なんだなんだ、面白いなあ。

・・・かと思ったら、
午後の東京は日差しが差したり、また雨がぱらついたりと不安定な天気。
先日ここでご紹介した村上龍さんのエッセイは、
『無趣味のすすめ 拡大決定版』(幻冬舎文庫2011年)
私も趣味らしい趣味がないし、村上龍さんのエッセイは好きなので
手に取ったのですが、
思わず頷いたのは「『好き』という言葉の罠」の下り。
村上さんは小説家だが、小説を書くのが好きではないとおっしゃる。
では嫌いなのかと言われれば、そうでもないとか。
「おそらくそれがなくては生きてはいけないくらい重要で大切なものだが、
非常な集中を要するのでとても好きとは言えないのだ。
わたしにとって小説を書くということは好きという言葉の枠外にある。」
《14ページよりそのまま引用》
そう、これなんだよー!!と、ぶんぶん頷く。←若干オカシい立ち読み者
私にとってバスケットってまさに、これ。
特にバスケットが仕事になってからは。
よく色々な人に(メディアの方含め)
「ハギコさんにとってバスケットって何ですか?」と訊かれて
いつも答えに窮していた。
一言で何か表せないし、何ていうかそれがないと私の人生成り立たないけど
まあなくても何とか生きてはいけるんだろうし、とか。
「でも、好きなんですよね?」と訊かれると
それも答えに窮すわけです。
これだけ続けられるんだから(かれこれ30年ちょっと関わってる)、
たぶん好きじゃないと出来ない。
でも「好き」という言葉で表せるほど単純なもんでもない。
むしろ嫌いとかめんどくさいって思うときも多いし。
うーん、うーん、と頭を捻っていると、知人の、求道者みたいなライターさんが
「それは近親憎悪みたいなもんかな」と言ってくれた。
なるほど、あ、それに近いですってピンと来たのが確かもう10年間。
で、ついこないだ、村上さんのエッセイの中に、更に首肯できる説明があった、と。
好きなことを仕事にするのが幸せか、
好きなことは趣味にしておくのが幸せか、一時期知人と激論していた。
今の私は、正直どっちでもいいんじゃないの、と答えると思うが(笑)
どちらかと言われれば、後者を推奨します。
バスケットを生業にするまで、誰憚ることなく「バスケット、大好き!」と
広言していたし、本当に本当に大好きだった。(はい、過去形)
でも、バスケットを仕事にするようになったある日、タクシーの運ちゃんに
「いいねえ、好きなことしてお金もらえて」とやっかみ気味に言われたとき
まじめに後ろから羽交い絞めにしてやろうかと思った。
好きなことでお金をもらうって、あんたが考えているようなことじゃないんだからって。
・・・って、誰でも出来るもんじゃないんだから感謝しなさいと言われれば
そのとおりですが、それは単に数の問題であって、
その人の費やした時間や労力に対してお金が発生するという社会的な行為
(人はそれを仕事と呼びますな)そのものは、内容・職種如何を問わず
すべて同じで、とっても大変なことなのではないかと思うのであります。
「こんな職業に就けて嬉しいです。ありがとうございます。」と思うときもあれば
残念ながら「だあああああ、めんどくさいよぉ、疲れたよぉ、胃が痛いよぉ、
でもやらねばならないのだよぉ」と思うときもある。
感謝するとすれば、職種如何を問わず、今も何とか生命を維持できていること。
村上さんのこのエッセイ、
「リーダーの役割」「若者と欲望」「決断する力」あたりも
とても面白いです。
なんというか、この人は軸がぶれなくてシンプルなんだな。
ご興味ある方、是非ご一読下さい!
東京から東海のある県にいきなり「移住」した友人と、時間が合ったのでランチ。

彼女と話していて気づいたのだが、
ネット上の友人知人、身内も含め、私の知人たちは
「このヒトには自分の話をしたい!」と思わせる人と
「このヒトには自分の話をするより、このヒトの話を聴きたい」と思わせる人に
二分されるようです。
なんだなんだ、面白いなあ。