オフシーズンですが、やることは結構あります。
ただ、座業が多いので意識して外に出ないと、出不精にかまけて
一歩も出なくなっちゃう。
ということで、今日は目標設定。
九段のあたりまでグルッと回ってこよう、と決めた。
雰囲気のいいカフェを見つけたので、一休み。
窓際の席がちょうど空きました。ラッキー。
本など繰っていたら、隣の席で、窓際の私の方向を向いて座った女子が
「フリーターっていうか、ニートっていうかさー、
こんな平日の昼間にカフェでボーッとしている人って何してんのかなって
不思議なんだよね」と、のたまったので、思わず本から顔を上げた。
ん?私のこと?
・・・に聞こえてしまうが??
どうもそんなつもりはない発言だったらしいが、
向かいに座った相方の女性が明らかに気を遣って
「平日休みの人かもしれないじゃない」と言ったら
「えー、でも平日休みの人なら、洋服買った買い物袋とか下げてるし、
営業の人ならそれなりのかっこしてるじゃない?」
お言葉ではございますが、
専業主婦かもしれないよね。
学生かもしれないよね。
平日休みで買い物してない人かもしれないし、
仕事先に行くのに時間が早くて時間を潰しているかもしれない。
自分は出社しなくてもいいIT系の若き社長さんかもしれない。
会社勤めをせずに、フリーで仕事をしている人かもしれない。
如何様にも考えられると思うんだが。
世の中にはあなたなんかが想像もつかないような、
いろいろな職業やしごとがあって
(専業主婦だって立派なしごと)、
それであなたの生活が成り立っているんだよね。
私の職業はあなたには直接関係はないかもしれないけど、
ミスチルの「彩り」みたいに、廻り廻って、なにか影響を与えているかも
しれないよね。
Mr.Children『彩り』歌詞
たぶん私のことを言ったのではないと思う。
でも確実に気分を害した。
いい雰囲気のカフェでもう少し居てもいい時間だったんだけど、席を立った。
歩きながらツラツラ考える。

あんな知人でもなんでもない通りすがりの女子の言葉を
いちいち真に受けなくても良かっただろうに。
でも反応しちゃったのはやっぱり、平日カフェでボーっとする自分を
後ろめたく感じたからなんだろうな。
だからってどうすることも出来ないけど。
彼女が全てということではないですし、それこそ色んな人がいると信じたいが、
日本の人ってどうも、
自分は「標準」「普通」で、
標準や普通からちょっと外れた人はものすごくオカシイ人、みたいに扱いたがる
傾向が大きいと思う。
まあずいぶん変わってきてはいるんでしょうけど。
そういう、なんていうのかな、「標準」と言われることからちょっと違うものや
人を許さない思考が、いじめを産む土壌の一つになってはいないのかなあ。
例えば、中学生なんかにバスケットを教えると、とにかく
ほかの人と足並みを揃えようとする子が多いんですよね。昨今は特に。
突出するのを嫌がる。
突出することが所謂上達なのに、
目立つなら上手くならなくてもいい、という子も多い。
そういう価値観が当たり前の世界や日常っていうのは苦しいだろうな、と
彼女たちを見るといつも思う。
まるで息を潜めて、常に周りを監視し合っているみたいだ。
自分は普通から外れないように、
そして誰かひとりがちょっとおかしなことをして「ボロを出せ」ば、
すぐに仲間と共に、彼、或いは彼女を攻撃出来るように。
なぜ私がそういうことに敏感かというと、
それはご周知のように、身長が日本女性の平均からすると並外れて高いからです。
恥ずかしい過去を告白するとですね、
視線恐怖症(という正式な症状があるかどうかはわかりませんが)みたいに
なって一歩も外に出られなくなった時期があります。
すれ違う人、電車に乗る人、ほぼ全員と目が合うんです。
その視線に悪意がないものがほとんどですが、中にはやっぱり
「何あの人。なんであんなにデカイの?」みたいにマジマジと見てくるものある。
「かわいそうにね」と言われたこともありますよ(笑)
ちょっと想像してくださいね。
毎日、毎日、毎日。
割にしんどいもんですよ。
ま、そんなデリケートさんになって不特定多数の人を責めて
「私はこんなにデリケートなんです」って引きこもったって
誰も何にもしてくれないわけです

そこからは結構戦いました。
今日こそは!って、マンションの入口出て、歩道まで行くんだけど
そこでどうしても足が出なくて立ち尽くしちゃう、とかやってた。
でもね、私だって電車の中で背の高い女性を見れば「お?」って
見るわけですよ。
その視線にはほぼ意味がない。ただ見ただけ。
人が何を見てどう思おうと自由だし、仮に悪意があったとしても
私としてはどうにもできない。
デリケートさんでは生きていけないんだな、って
だんだん慣れていったわけですが。
でも他者に対してのこういう感覚はやっぱり海外の方が大らかで、遥かに楽です。
「いろんな人がいてOK。私もOK。だけど彼女もOK」って感じ。
日本の人は日常話をしていても「ふつーこうだよね」って話題がすごく多い。
カフェでの彼女の発言はまさにそんな感じだった。
ただ、それはわがまま・勝手・気ままを許すこととは繋がらない。
それは個性とは違う。ただ他人に対して礼を失しているだけ。
この辺りの加減は難しいですし、
かくいう私も今言ってきたとおり行動しているかといえば全く自信がない

だいたい今日みたいに「カチン」と来てから
30分くらいツラツラ歩いて思考をまとめて漸く
「そうか、だからおかしいと思ったんだな」と分かるなんてどんだけ
血の巡りが悪いんだって感じですが。
そんなことを考えてた一日でした。