ブログのカテゴリーに、応援の意味(?)も含めて
「福島」を追加しました。
しばらくは福島の話題も多いと思うので。
ということで、今日は「福島」です。
またまたボランティアに行ってまいりました。
今日は、福島県二本松市という、中通りの福島市と郡山市のちょうど中間
くらいにある、歴史のある都市です。
ここには岳(だけ)温泉という福島でも割と古くからある
温泉街があるのですが、ここの旅館に浪江町の人たちが避難してきています。
二本松市というとあまり馴染みの無い地名だと思いますが、
『智恵子抄』の高村智恵子(洋画家で高村光太郎の奥さん)が生まれた地で、
造り酒屋だった智恵子の生家は、記念館として再現されています。
実は智恵子さん、私の高校の先輩だったりする。
(1903年、福島高等女学校卒)
あとは、前にもこの日記で書いた記憶がありますが、
二本松は江戸期、二本松藩という藩で、現在は「霞ヶ城(かすみがじょう)」と
呼ばれている二本松城がありました。
幕末の戊辰戦争の際に駆り出された少年兵は
会津の白虎隊が全国的に有名ですが、
この二本松城の「二本松少年隊」も白虎隊同様に年若い12~17歳の
子どもたちによって危急に編成されました。
白虎隊は戦地を彷徨いつつ、方々から上がっている煙でお城(若松城)が
燃えていると勘違いして飯盛山でほぼ全員自害する悲劇の結末を迎えますが、
二本松の少年隊は大壇口の戦いにおいて、薩長連合(このときはすでに官軍)と
実際に戦って、ほぼ全員が死亡しました。
・・・と、まあこの二本松市に、
今日は岳に避難してきている子どもたちや地元にいながら
放射線の影響でなかなか外で思い切って遊べない子どもたちと、
午前中は鬼ごっこやボール遊びを、
午後はバスケットをしている子たち100人くらいを集めて講習会を
してきたわけです。
午前中集まってくれた子は、2歳から高校生までだいたい30人くらい。
ボール遊びをしつつ、
色おに、手つなぎおに、凍りおにを1時間くらい目一杯しました。
浪江の小学校では陸上をしていたんだけど、
今度避難してきた先の小学校では陸上の練習が出来ないんだ、
お昼のカレーは一緒に食べようね、と私たちから離れようとしなかった
さなちゃんや、
バスケット部がインターハイ予選に出られることになったんだけど、
避難生活を余儀なくされているため部活が再開できないんです、と
言ってた地元の工業高校のバスケット部員の男の子など。
きょうちゃん、みかちゃん、ゆいくん、(名前は一部変えています)
みんなとヘトヘトになるまで鬼ごっこをしました。
子どもたちの中には、兄弟や親戚を今回の津波で亡くした子もいる、とは
体育館を貸してくれた安達太良(あだたら)小学校の校長先生の弁。
中でも結構盛り上がったのが、色おに。
懐かしいね、やってみようか!と今回同道してくれた相棒たちと
盛り上がった。
色おに、ご存知ですよね。
おにが言った色に触れば、つかまらないってヤツ。
色を探せない子をおには捕まえます。
ピンク、白、緑、オレンジ。
おには大人が主にやりましたが、体育館の中って結構色んな色がある。
「緑!」って言った瞬間、床に貼ってある緑のラインを躊躇なくみんなに
タッチされて、ガックリしたのはワタシですorz
いやいや、しかし、午前目一杯おにごっこ、
午後は目一杯バスケットと、さすがにおねいさんは疲れたよ。
帰りの新幹線で駅弁を食べたけど、途中からほとんど記憶が無い。


子どもも大人も、早く原発問題が収束するといい。
「福島」を追加しました。
しばらくは福島の話題も多いと思うので。
ということで、今日は「福島」です。
またまたボランティアに行ってまいりました。
今日は、福島県二本松市という、中通りの福島市と郡山市のちょうど中間
くらいにある、歴史のある都市です。
ここには岳(だけ)温泉という福島でも割と古くからある
温泉街があるのですが、ここの旅館に浪江町の人たちが避難してきています。
二本松市というとあまり馴染みの無い地名だと思いますが、
『智恵子抄』の高村智恵子(洋画家で高村光太郎の奥さん)が生まれた地で、
造り酒屋だった智恵子の生家は、記念館として再現されています。
実は智恵子さん、私の高校の先輩だったりする。
(1903年、福島高等女学校卒)
あとは、前にもこの日記で書いた記憶がありますが、
二本松は江戸期、二本松藩という藩で、現在は「霞ヶ城(かすみがじょう)」と
呼ばれている二本松城がありました。
幕末の戊辰戦争の際に駆り出された少年兵は
会津の白虎隊が全国的に有名ですが、
この二本松城の「二本松少年隊」も白虎隊同様に年若い12~17歳の
子どもたちによって危急に編成されました。
白虎隊は戦地を彷徨いつつ、方々から上がっている煙でお城(若松城)が
燃えていると勘違いして飯盛山でほぼ全員自害する悲劇の結末を迎えますが、
二本松の少年隊は大壇口の戦いにおいて、薩長連合(このときはすでに官軍)と
実際に戦って、ほぼ全員が死亡しました。
・・・と、まあこの二本松市に、
今日は岳に避難してきている子どもたちや地元にいながら
放射線の影響でなかなか外で思い切って遊べない子どもたちと、
午前中は鬼ごっこやボール遊びを、
午後はバスケットをしている子たち100人くらいを集めて講習会を
してきたわけです。
午前中集まってくれた子は、2歳から高校生までだいたい30人くらい。
ボール遊びをしつつ、
色おに、手つなぎおに、凍りおにを1時間くらい目一杯しました。
浪江の小学校では陸上をしていたんだけど、
今度避難してきた先の小学校では陸上の練習が出来ないんだ、
お昼のカレーは一緒に食べようね、と私たちから離れようとしなかった
さなちゃんや、
バスケット部がインターハイ予選に出られることになったんだけど、
避難生活を余儀なくされているため部活が再開できないんです、と
言ってた地元の工業高校のバスケット部員の男の子など。
きょうちゃん、みかちゃん、ゆいくん、(名前は一部変えています)
みんなとヘトヘトになるまで鬼ごっこをしました。
子どもたちの中には、兄弟や親戚を今回の津波で亡くした子もいる、とは
体育館を貸してくれた安達太良(あだたら)小学校の校長先生の弁。
中でも結構盛り上がったのが、色おに。
懐かしいね、やってみようか!と今回同道してくれた相棒たちと
盛り上がった。
色おに、ご存知ですよね。
おにが言った色に触れば、つかまらないってヤツ。
色を探せない子をおには捕まえます。
ピンク、白、緑、オレンジ。
おには大人が主にやりましたが、体育館の中って結構色んな色がある。
「緑!」って言った瞬間、床に貼ってある緑のラインを躊躇なくみんなに
タッチされて、ガックリしたのはワタシですorz
いやいや、しかし、午前目一杯おにごっこ、
午後は目一杯バスケットと、さすがにおねいさんは疲れたよ。
帰りの新幹線で駅弁を食べたけど、途中からほとんど記憶が無い。


子どもも大人も、早く原発問題が収束するといい。