文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

神奈川税務署が在日の密造酒工場を摘発した。その夜、摘発責任者が襲われ、殺された。在日が治外法権をもつことを示すためだった。

2023年03月22日 07時12分36秒 | 全般

彼につけられた仇名は「トカゲ」だった。そして終戦。 李某は捕虜虐待で訴えられた。 
2019年07月21日に発信した章である。
検索妨害の犯罪に遭っていた。
再発信する。

以下は、2019年07月20日に発売された週刊新潮に掲載された高山正之の連載コラムからである。
彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを余すところなく表している見事な論文である。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

Bの悲劇
日本が敗けて間もなく金天海は在日朝鮮人連盟を立ち上げて「日本を我々連合国人の住み易いところにする」と宣言した。 
GHQは「朝鮮人は第三国人だ」と言ったが金天海は「我々には最低でも治外法権があるはずだ」と言い張った。 
神奈川税務署が在日の密造酒工場を摘発した。
その夜、摘発責任者が襲われ、殺された。
在日が治外法権をもつことを示すためだった。 
金天海は治外法権がある証拠に国鉄の無料乗車券を発行して在日はただ乗りできるようにした。 
満員で乗れなかった在日が列車の窓を割って乗ろうとして日本人男性に注意された。
彼らは怒って男性をホームに引きずり出しスコップで殴り殺した。
彼らに自制心はなかった。 
連盟には「学業奨励会」も作られた。
そこに登録したら法政、中央、明治に自由に入学できた。
中でも法政は人気が高かった。 
そんな古い誼があってのことだろうか。
法政の学生がBC級戦犯で死刑を宣告された92歳の韓国人李某の半生をドキュメンタリーにまとめたと先日の朝日新聞が一面で報じた。 
不条理を訴える李某は17歳のときに軍属の募集があって採用された。
仕事は泰緬鉄道のヒントク捕虜収容所の看守だった。 
先の戦争の緒戦は日本の圧勝だった。
ルーズベルトは日本を挑発して戦争に引き込んだくせに日本の実力を見損なっていた。 
彼は日本には碌な飛行機もなく、操縦士も近視で急降下もできないと信じていた。
水深の浅い真珠湾では白人だって雷撃は不可能だ。
日本軍に奇襲させても果たして希望する損害が出るかどうか心配していた。 
それが戦艦も巡洋艦もみな沈められ、想定の10倍の死者まで出してしまった。 
自分のペテンでそんなにたくさん米市民を死なせた自責の念で狼狽える大統領の姿がハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』に出ている。 
真珠湾でその有様だ。
日本叩きにやってきた英戦艦プリンス・オブ・ウェールズは即座に沈められ、シンガポールもマニラもバンドンも半年も持たずに次々陥落していった。 
地上戦では手先のインド兵たちがやられると白人将兵はすぐ手を挙げた。
南方に出た日本軍の総数を越える26万人が捕虜になった。 
日本の刑務所では囚人5人に1人の割で刑務官がつく。
それに倣えばそんな怯懦な捕虜のために3個師団分の将兵が必要になる。 
それでは戦争もできないので朝鮮人看守の出番になった。
それは手を挙げた白人将兵にも意外だった。 
日本は捕虜を大事にした。
日露戦争ではロシア兵が「マツヤマ」を叫んで投降してきた。
青島攻略で降った独将兵は板東俘虜収容所で第9を演奏できた。 
それが朝鮮人看守に入れ替わった。
戦後の在日の行いが示唆するように対応はすこぶる悪かった。 
H・ネルソンの『日本軍捕虜収容所の日々』には「朝鮮人は残虐だった。我々は彼をメフィストフェレスと呼んだ」とある。 
法政大学生が同情を寄せた李某は500人の捕虜を仲間6人で管理した。
ビンタは召常のように食らわしたという。 
彼につけられた仇名は「トカゲ」だった。 
そして終戦。
李某は捕虜虐待で訴えられた。 
一旦は釈放されたものの引き揚げ途中、香港で再度捕まり、C級戦犯として死刑が宣告された。 
しかし執行されることはなく戦後11年目に出所できた。
軍属として動員されたのだから恩給を払えという請求は却下された。 
結局朝鮮人看守は148人が起訴され23人が処刑された。
戦場でもない後方勤務では異例の多さになる。 
この捕虜虐待関係では収容所長の中村鎭雄大佐ら日本人将校2人がB級戦犯として処刑された。 
国際法学者の一又正雄によるとBC級には区別があって捕虜を直接虐待した当事者はC級戦犯。
そのC級戦犯の監督に当たった上級士官がB級戦犯になる。 
戦争はやっぱり日本人だけでやるべきだった。

2023/3/20, in Kyoto



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