文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

それにしても、こともあろうに学習院教授にあの福島瑞穂が11年間も就(つ)いていたとは

2022年05月01日 15時22分05秒 | 全般
以下は発売中の月刊誌Hanadaの巻頭の連載コラム群の掉尾を飾る九段靖之助の連載コラムからである。
発売中の月刊誌、HanadaとWiLLには、テレビの報道番組等が全く伝えない事実を教えてくれる本物の論文が満載されている。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
本論文は、特に、全国の高校生、大学生が必読である。
学生諸君は、本論文を読まなければ、日本に仇成す人間になるだろう。
日本の文系大学を侵食している左翼勢力や反日国家群が侵食している実態を知って、大学と、どの教授の授業を選択するかを真剣に決定しなければならないのである。
折角、大学に入って、日本に仇成し、あろうことか、「底知れぬ悪」と「まことしやなか嘘」の国であるだけではなく、反日教育を続けているナチズム国家であり、国際社会において、反日プロパガンダを繰り広げ続けている中国や韓国に与する、大馬鹿者になって、卒業してくるのでは、税金で助成している国民は、たまったものではないからである。
2014年8月、朝日新聞、週刊朝日、アエラの定期購読を止めてから以降に、私が知り、敬意を持ち続けている本物の知性の中に、京大で学んだに相応しい動物行動学者の竹内久美子さんがいる。
今、SNS上で、秋篠宮家…ひいては皇室を意図的に攻撃している一団がいることを彼女のツイートは教えてくれている。
勿論、彼女は、これらの一団に対して、正しい批判を常に行い、皇室を貶めようとする彼らの意図に対して警鐘を鳴らし続けている。
私は、本論文を読んで、これらの一団と、学習院大学を侵食している左翼、否、反日勢力とは同根だろうとの確信を持った。
この稿続く。
見出し以外の文中強調は私。
学習院にはお清めがいる
高山正之の新刊『バイデンは赤い』に「だから秋篠宮家は学習院を避けた」と題するコラムがある。
それによれば、いかに学習院が左傾しているかが詳細に書いてある。 
内親王佳子様が学齢期に達したころ、学習院女子大の客員教授に福島瑞穂が就任し、なんと11年間も在籍した。
福島瑞穂といえは、自称慰安婦・金学順ら6人の訴訟代理人でもある。 
その後、教育学科に佐藤某らが入り、さらに左傾化は進む。
第二外国語は中国語か韓国語に限られ、中国か韓国への海外研修も必須とされる。

南京屠殺記念館とか反日蝋人形館の見学が目的で、いずれも壮大な虚構だ。 佐藤某は当時在学中だった佳子様を南京に誘い、「日本が悪うございました」と謝罪させる魂胆だった。
その旅の前に佳子様は学習院を退学、姉の眞子さんと同じ国際基督教大(ICU)に移られた。 
親王悠仁(ひさひと)様は父親まで4代通われた学習院を避け、幼稚園から中学までお茶の水女子大附属に通い、高校は筑波大附属に通う。
大学は東大を目指すと目されている。 
昨年10月、『週刊新潮』の連載で右の一文を読んで、なるほど姉弟揃って学習院を忌避する理由はこれだったのかと合点した。

それにしても、こともあろうに学習院教授にあの福島瑞穂が11年間も就(つ)いていたとは驚き桃の木、知らなんだ。 
もう一人、高山の一文には王瑞来(おうずいらい)という中国人が登場する。「黒竜江省生まれ、北京大卒、中華書院勤務」まで分かった。
江沢民が反日教育にのめり込む時期に当たる。
中国の高校教科書に「これが731部隊の人体実験だ」として若い女性の死体写真が載った。 
残忍な日本軍の動かぬ証拠写真とされるが、実は蒋介石軍が在留日本人を虐殺した済南事件の検視写真で、日本ではあまりに残虐につき掲載禁止になっていた。 
中国人自らの蛮行を日本人がやった風に仕立てる。
王瑞来はそういう作業を専らやってきた専門家だった。

その王が、朝日新聞の「私の視点」に登場した。
肩書は「学習院大客員研究員」とあって、次の御託宣。 
「フランスとドイツに倣って日中韓も同じ歴史認識に立って同じ歴史教科書を書こう」 
江沢民の尖兵が朝日に寄稿したところで何の不思議はないが、なぜそんな尖兵が学習院のタイトルを持つのか、
と高山は言う。 
学習院といえば戦前は皇族華族の子弟を教育する場で、歴代の天皇が皇子の時代、彼ら藩屏(はんぺい)とともに学んだ。
いわば英国が貴族を養成したパブリック・スクールの日本版だ。
近衛文麿、木戸幸一、「臣・茂」と記した吉田茂や三島由紀夫もここの出身だ。
その学習院がどこまで堕ちたのか。 

昨年十月、この高山の一文を読んだとき、ふと想起した。
それより数年前、長崎は平戸に旅して知った松浦静山(まつらせいざん)のことだ。
平戸藩主・松浦静山は文武両道に秀で、頽勢(たいせい)にあった藩政を立て直した名君とされる。 
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 
野村克也が好んだ名文句だが、実は静山が剣道の心技について述べた言葉だ。 静山の11番目の娘・愛子が貧乏公家の中山忠能(ただやす)に嫁して三男一女(慶子…よしこ)を生んだ。
この慶子が宮中に入って孝明天皇に仕え、睦仁(むつひと)親王(のちの明治天皇)を生む。 
松浦静山は明治天皇の外祖父に当たり、4代天皇は静山の血を継ぐ。
静山は倭寇・松浦党の血を引く。
松浦党は平安から鎌倉にかけて高麗やシナ沿岸を荒らし、蒙古襲来の折は奮戦した。
つまり天皇家は海賊の血を引く。 
ヴァイキングが造った英国のエリザベス1世がトラファルガー沖でスペイン艦隊を沈め、片や倭寇の血を引く明治天皇が日本海でロシアのバルチック艦隊を沈めた、と考えてなにやら嬉しくなった。 
この日本海海戦で水雷艇を駆って敵艦3隻を撃沈して「鬼貫(おにかん)」の異名を取った鈴木貫太郎はひところ学習院で軍事教練の教師を務め、教え子に吉田茂がいた。
のちに貫太郎は侍従長を長く務め、昭和天皇の涙の懇請を受けて終戦内閣を率いて未曽有(みぞう)の国難に処した。 
2人置いて総理に就いた吉田茂は貫太郎を訪ねて善後策を助言された。
ことほど左様にかつての学習院は枢要な人材を養成した。 
いまやどうだ。

高山は末尾にこう書く。 
「(伴天連の)あの大学(ICU)には伝統と格式はない。だから姉宮(あねみや)は学習院では絶対に会うはずもないジゴロに引っかかった。日本と皇室がまともであるためにも、学習院は徹底したお清めが要る」 
数日前、彼が二度目の弁護士試験に落ちたと報じられた。



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