映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

雪国 (岩下志麻 1965年4月10日公開 113分 大庭秀雄)

2015年01月23日 01時34分58秒 | 大庭秀雄
『雪国』
監督  大庭秀雄
製作  山内静夫
原作  川端康成
脚本  大庭秀雄
    斎藤良輔
撮影  成島東一郎
美術  芳野尹孝
音楽  山本直純

出演
岩下志麻
木村功
加賀まり子
沢村貞子
早川保
柳沢真一
桜京美


誠実

葉子は行男を誠実に看病し、死後も墓参りを欠かさなかった.一人の男を純真に好きになった女であり、また、弟ことを親身になって心配する姉でもあった.
他方、駒子は、行きずりの男、島村に抱かれた身勝手な女、酒の上で男を騙し、旦那を裏切った身勝手な女ではあるが、島村を好きな心は純真であり、養母の家庭を救うために芸者に身を落とし、実の家族を助けるために年季奉公にでた、生きることに対して誠実な心を持った女性であったと言える.

この二人の女に対して島村はと言えば、妻にきちんと手紙を書く誠実さを持ち合わせていたとは言え、所詮は浮気者であり、駒子の立場から言えば浮気者を許せたとしても、駒子に対する誠実さは何も持ち合わせていなかった.鳥追祭りに来るという約束を守らず、1年間音沙汰が無く、ある日突然やってくる男であった.

ちぢみを織る人達の姿に重ねて、島村自身が自覚することなのだけど、駒子も葉子も幸せな巡り会いをすれば、一人の相手を愛し幸せな家庭を持った女であったはずであり、幸せに巡り会えなくても、誠実さを失わないで生きて行こうとする、あるいは誠実さを追い求めて生きている女であった.
人それぞれに、置かれた境遇の中で誠実に生きている.それに対して島村は、幸せな家庭を持ちながらも、駒子にも、葉子に対しても誠実さを持ち合わせてはいなかった.

「君を友達と思いたいからだ.君を友達と思えば口説かずに済む」、駒子に芸者を頼んだとき島村はこう言ったのだけど、一見、駒子に対する誠実さがあるように思え無くもないけれど、田舎の温泉宿で思いもよらぬ美人に巡り会って、所詮は一目惚れした女を口説く言葉に過ぎなかったのか.
島村は、駒子のことを東京の喫茶店で友人に話していたが、声高に笑いはしないにしても、駒子が言うように、おもしろおかしい出来事として話していたのだと思える.

駅まで見送りに来た駒子を、行男を容体が悪くなったと迎えに来たとき、彼女は帰ろうとはしなかった.葉子は一人の女として行男に誠実に尽くしていたのであり、駒子にしてみれば二人の女の誠実さを求める行男に、尽くす気になれなくて当然であろう.


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