映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

沈黙は金 - LE SILENCE EST D'OR - (ルネ・クレール 1946年 99分 フランス)

2013年02月11日 14時32分00秒 | ルネ・クレール
沈黙は金 - LE SILENCE EST D'OR - (1946年 99分 フランス)

監督  ルネ・クレール
原作  ルネ・クレール
脚本  ルネ・クレール
撮影  アルマン・ティラール
音楽  ジョルジュ・ヴァン・パリス

出演  モーリス・シュヴァリエ
    フランソワ・ペリエ
    ダニー・ロバン
    マルセル・デリアン
    レイモン・コルディ
    マックス・ダルバン


沈黙は金、雄弁は銀

映画館の前にて
『忠告を一つ.喜劇よりも悲劇の方が大衆受けする』


パレードにて
『不思議なご縁ね』
『下心はありませんよ』、腰に手を回しておいて何を言うの、じゃなくて、下心がなくちゃつまらない.と、言う映画の始まりみたいなのですが?.

エミールとマドレーヌの母親との恋愛.悲恋の想い出の女性の結婚相手のセレスタンであっても、エミールは彼と友情で結ばれていました.
セレスタンが巡業にでてしまい、やむを得ず、友情からマドレーヌの親代わりを引き受けたエミールだったのですが、その親心のもたらしたものは、マドレーヌにとっては『誰からも愛されない』寂しさだけでした.親心、下心がない心だけでは、人生はつまらない.あるいは、下心がないと、恋愛は成り立たないと言うべきなのでしょうか?.
そして、マドレーヌがなぜ泣くのか、エミールは彼女の気持ちを聞き出す内に、マドレーヌの気持ちを知るに連れて、彼の親代わりの心が、恋心に変わって行ったのでした.

楽屋で手を握り会って挨拶したマドレーヌとジャックの二人は、馬車の上で始めて出会ったように巡り合いました.エミールはマドレーヌを騙したのではないけれど、嘘の言葉で女性を口説く手ほどきをしたジャックが、彼に言われたように、マドレーヌを嘘の言葉で口説き落としてしまい、誰が正しいのか分らない、どうしたら良いのか分らない、困った出来事になってしまいました.

マドレーヌの父親のセレスタンは、『巡業は大成功、巡業は大成功、今度、新しい歌で一山当てる』と、仕事に夢中で、そして、若い女との結婚に夢中になっていました.仕事に夢中、若い女に夢中になって、自分の娘のことは他人任せで、何も考えない親でした.
エミールは、セレスタンのその様子を見て、『困ったやつだ』と、言ったのですが.
自分のことしか考えず、娘の気持ちを考えないので、困ったやつだと言ったのですが、この時エミール自身も、マドレーヌの気持ちを考えない人間であったことに、気がついたのでしょう.

雄弁は銀
相手の気持ちを考えない.自分の感情だけで、雄弁を奮うこと.雄弁によって自分の感情を掻き立てること.

沈黙は金
相手の気持ちを考えた上で、黙って行動をすること.

自分の感情だけに振り回されると、悲劇になる.
相手の気持ちを考えて行動すれば、喜劇になる.
エミールは、若い二人の気持ちを考えて、悲劇に終わる映画を、喜劇で終わる映画に変えました.



















下心のない男女の感情はあり得ない、と言うべきなのでしょうか.そして、友情も、親心も、恋愛の感情も、一人の人間の心の中で区別のつかない心なのだと思えます.
『男だって同じよ.女を甘い言葉でだますだけ』
マドレーヌの言ったように、確かにそうかもしれないけれど.
けれども、下心も、友情も、親心も、恋愛も、相手の気持ちを考えるときに、全て正しい心になり、相手の気持ちを考えなければ、全て間違った心になってしまう、と言うことではないでしょうか?