(前編 1941年12月1日 112分、 後編 1942年2月11日 112分)
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」
『戦陣訓』(せんじんくん)は、1941年1月8日に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令(陸訓一号)で、軍人としてとるべき行動規範を示した文書.Wikipedia より
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この映画、大石内蔵助がまともに描かれるのは、二つだけと言ってよいと思います.他は支離滅裂です.
この映画、討ち入りの場面は全く描かれません.討ち入りが終わった後の泉岳寺の場面から描かれるのですが、その場面で大石内蔵助は、切腹するのではなく、公儀の裁きを受けるために投降する、つまりは捕虜になることを皆に伝えます.このシーンはしっかり描かれています.
今一つは、『赤穂の民あっての浅野家であり、浅野家あっての赤穂の民ではない』こう言って、藩のお金を民を優先して両替する場面.
それ以外は、自分勝手で支離滅裂、つまりは、武士=軍人の考え方は、自分勝手で支離滅裂.
『武士が顔面を切りつけられて、それでも刀を抜かないのは臆病者だ.武士とは言えないから、殺してもかまわない』と言うのが、描かれ大石内蔵助を初めとする赤穂浪士の考え方です.
『聖賢の教えに従えば国を守るべきであるが、我らは唐人ではない.日本人で武士であるから、武士の考え方が優先されるべきである』このような考え方によって、彼らは他人の家に押し入り、殺人を犯し、結果として国を滅ぼしました.溝口健二の描いた元禄忠臣蔵は、このような作品です.
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第二次世界大戦中の溝口健二作品
露営の歌(1938) フィルムが無く観ることは出来ませんが、相当に有名な失敗作のようです.
必勝歌(1945) この映画も、失笑歌と言われるほどの、酷い作品らしい.
菊池寛原作の宮本武蔵(1944) どうしてこんなに酷い映画なのだ、と書いているブログがあったので、菊池寛は国策小説かと言ってよい作家、その菊池寛を原作として酷い映画を撮ったとしたら、まさしく反戦思想と言えるはず、と書いておきました.
今一度、元禄忠臣蔵
1941年12月1日に元禄忠臣蔵は公開され、そして12月8日に真珠湾攻撃が始まりました.
この映画は、普通の映画の5倍ほど大金をかけて撮られたそうです.そして誰がどう見ても下らない映画です.大金をかけて、討ち入り=戦争を行い、国を滅ぼす、下らない映画を撮った、それが、溝口健二である.と、しておきましょう.