大相撲

大相撲についての想い

九月場所千秋楽

2006-09-25 20:45:25 | Weblog
国技館にて向正面より観戦。

今日も内舘委員が正面最前列でご観戦。ただし連日の観戦でお疲れなのか、しばしば瞑想に耽っておられるようだった。

安倍官房長官が来るということが事前にわかっていたので、入場時のセキュリティチェックが厳しいかと思ったが、何もなかった。正面の桝席(桝席Bくらい)に座ったが、立ち上がって四方八方に手を振り会場がそれにかなり反応していたので、露鵬と栃東が少し気の毒に思えた。しかし、四方八方から狙える位置に座っているので気が気でなかった。「刺客」は選挙のときだけではないのに。対外的な刺激や、イデオロギー的な変革を伴う公約を掲げている人なので、今後あのような警備で大丈夫だろうか。オリンピックおじさんにさるぐつわを咬ませてあの衣装と小道具を入手した暗殺者が、扇に仕込んだ吹き矢から安倍さんに一撃を放つとも限らない。あるいは、朝青龍の手首のテーピングに匂いを嗅ぐと力が抜けるような薬品を付け人の目を盗んで染み込ませ、時間いっぱいでごしごし顔の前でテーピングをこする横綱を脱力させ、あっけなく負けさせて座布団が舞う中で、安倍さんにめがけて爆発物を仕込んだ座布団を投げつけることだって可能だ。北桜の塩に毒薬を仕込んでおいて、高く舞い上がった瞬間に送風機で風を起こして安倍さんの周囲に塩が飛ぶようにすることだって荷物チェックがないので可能である。あそこまで無防備なのはきっと昨日きていた安倍さんは本物でなくて影武者だったからだろう。「T本」という名の友人だが、シークレットブーツを履けば安倍さんにかなり似ていることを思い出した。

さて、千秋楽一番うまい酒を呑んだのは誰だろう。多分杉野森兄弟だろう。安壮富士は勝ち名乗りをうけてから花道を引き上げる瞬間にすでに熱いものがこみ上げているようにオペラグラス越しに見えた。次は不戦勝で勝ち越して殊勲賞もきちゃった稀勢の里か。二十歳にはなったから酒は呑めるが、仏頂面でちびちび熱燗を呑みそう。打ち出し後自転車で井筒部屋のそばを通ったら、賑やかそうだった。鶴竜の祝いだろうか。入幕したら逆鉾の四股名を与えるようなことを師匠がコメントしていた記憶があるがどうなるのだろう。

千代大海はなんとなく予想はしていたが、やはりあっさり琴欧州に負けて、自分の店が出している懸賞を回収することはできなかった。小刻み系突っ張りは懐があれだけ深い人に対しては、手の届く範囲内でばたばたやっているだけなので掴まえ易いのだろう。どうも長身の力士に対しては苦労することが多いように思う。一撃の強さと、把瑠都戦のような炎の立合いがないと、ちょこまかスピード回転させているだけではなかなかつらい。ということでかなり健闘したように思うものの十勝止まりに終わった。

十四日目の打ち出し後の混雑の中でのことだが、満員電車状態の帰り道で、あるおじ様がたまたまそばにいた親子連れの子供の方に対して、「誰のファンなの」と訊いていた。子供は「白鵬」と答えたら、おじ様は手にしていた紙袋から白鵬の色紙を出して子供に与えていた。親は「どうもすみません」と謝意を表していた。きっとこれでこの子供がずっと大相撲ファンになってくれればいい。力士になってくれれば言うことないが、百歩譲って力士にならなくてもファンであり続けてほしい。そして自分が親になったら子供を連れてくるのだ。ということでこのおじ様のすばらしさを見習って、自分ももしそんな展開があったときのために、千秋楽のこの日、木下大門さんの絵番付を購入して帰り道小脇に抱えていたのだが、ついいつもの癖で空いている東側の裏口から茶屋側の門に出てしまったので、そのような場面に出くわすことはなかったので持ち帰ることとなった。とはいえいつものように素晴らしい出来栄えの絵番付なので、それはそれで問題なしなのだが。あと、木下大門さんにこれまでのwebでのすばらしい情報と画像の提供に謝意を示したいと思ったという背景もあるのだが、購入時の大門さんは在庫管理か非常に忙しそうに作業をされていたので声をかけそびれてしまった。

国技館の正面出口はパレードを待つ観客+単に混雑で動けない観客のせいで、パレードカーが視界に入るところまで寄れなかったので、あきらめて帰ることとした。のだが、その後清澄通りに出て高はしのあたりを進んでいると、道沿いにばらばらと人が出て何かを待っているようである。もしやと思ってそこでしばし張っていると、予想通り白バイに先導されたパレードカーが登場した。同乗者は朝赤龍か皇牙かと思っていたら、高見盛なので驚いた。千秋楽で負け越してしまった高見盛の気晴らしにとでも横綱の配慮だったのだろうか。この日は露払い・太刀持ち同士の対戦があるわけではないのに、横綱土俵入りは北勝力と高見盛が助さん格さんをやって朝赤龍は出てこなかった。でも自分の取組は普通に取っていたのが何となく不思議である。とにかく、横綱はもうばらばらとしかいない沿道でも両手を上げて声援に答え、持っていた巨大な花束を、肩車されていた子供に向かってひょいっと投げ与えていたのはさすがの物腰だった。そこにいたおばさんが「貴乃花はこうやって待ってても仏頂面で何もしないで通り過ぎていった」と言っていたようである。ということで今度東京場所で千秋楽行った時は、パレードは同じ場所で張ろう。

T一門系の某親方(頭文字のアルファベットだとわかる人はすぐ絞り込んでしまいそうな名跡)が両国駅そばの100円ショップでご祝儀袋を買っていた。裏方さんへの労い用だろうか。

表彰式のとき、ブルガリア大使の日本語がかなり上達していた。もしかしたら前と別の人だろうか。千秋楽は、あの新序出世で来場所から番付に四股名が出る新人を会場みんなで三三七拍子で祝福するあの行事が好きだ。そしてそのまま神送りの儀式で行司さんを胴上げする。そして十五日間土俵に宿っていた神様は去っていくのだ。神は十一月に土俵に戻ってくる。