大相撲

大相撲についての想い

九月場所三日目

2006-09-13 09:54:31 | Weblog
今日は平日ながら解説者に恵まれた。

何よりも音羽山親方が戻ってきたのが大きい。薬の投与で一ヶ月ほど実質的に眠り続けていたとのことで、「気がついたら二月になっていた」というのがレトリックなのか、本音なのかつかみきれなかったが、とにかく一時は大変な状況だったようなので、心配していたが、元気なようで安心した。あれだけ語彙力があって流麗にしゃべれるのはすごい。うらやましくさえある。竹縄親方もコンテンツ的にもしゃべりも秀逸だけれど、やや固いのと、丁寧な言葉遣いのあまり「・・はですね」的な枕詞が多い印象がある。これに対し、音羽山親方は言葉の選択自体に無駄がない。解説は勿論
ロジカルで視点も一般人からはわからない点からの指摘があって面白いのはいつものとおりだった。青森が相撲王国である理由を問われて、指導者が多いこと、相撲をとる機会が多いこと(夏休みの半分は相撲が入っていて、よくノートや鉛筆を賞品でもらったとのこと。ただしそれを勉強に使うことはなかったそうだ)を挙げていたのは印象的だ。

このコメントに対して、舞の海さんが「南部地方でもそうなんですか。津軽だけかと思っていました」というややわざとらしい突っ込みを向正面から入れる。否、青森県人にとっては南部と津軽は全く別の国家なのだろうか。藩が違うから歴史的に峻別さ
れた地域同士ではあったのだろう。しかし相撲の機会がそこまで違うとは思えないのだが。東海地方の人がしばしば「浜松と豊橋は東京と大阪くらい違う」というが、そういう感覚なのだろうか。

舞の海さんもいつもどおり面白い。例えば、寶智山-霜鳥戦については、「十両で過去二番とも四つに組んで霜鳥が負けているので霜鳥は徹底して突き放しにいった」と解説していた。こちらも十両の過去の取組みが瞬時に引き出せるほど記憶と記録の整理ができていないので、こういうconciseで要を得たコメントは助かる。まあ、境川部屋の「師範代」だから、これくらいは当たり前なのかもしれないけれど。こういう解説をしない親方は、一切この手のコメントをしない。いい相撲をとるべきとか、立合いが勝負とか、そんなことしか言わない。舞の海さんは、初日向正面、二日目ラジオ、三日目向正面ということで大活躍だ。正面にも座ってほしいし、通路レポーターもやってほしい。

それから、今日は中入り前までの花籠親方もよかった。声は相変わらず聞きにくいが。栃煌山に対してアナウンサーが「今日の新十両インタビューではこれまでの苦労や今後の意気込みを聞いて見ましょう」と言ったら、「苦労はまだないでしょう。意気込みの方を重点的にお願いします」とすかさずナイスな突っ込み。あと、大真鶴がよろよろ相撲を取っているのを見て、「痛くても痛いというそぶりは見せない方がいい」と言っていた。正論である。

今日の相撲で印象深いのは雅山だ。決して改心の突っ張りではなかったが、一瞬だけ機関銃のように腕が出て、そのあと栃東を引き落とした。その瞬間、表情は鬼になっていた。大関キラーが大関から星を挙げられれば、星勘定は楽になる。熱で体調が悪いのも、緊張癖のあるこの人が余計なことを考えなくていいのかもしれない。雅山の「三場所で三十三とか三十四勝つことが昇進の条件ということは、半年間好調を維持するということだから大変だ」とコメントが紹介されていた。これに対して音羽山親方が「そういうことに挑戦できることは素晴らしいことで、それを楽しめばいい。そもそもその地位にまず上がってこなければ挑戦もできないのだから、半年と言わずもっと長い期間調子を保っていなければいけない」とのコメント。この人らしい大らかさと前向きさが出ていていい。彼が二子山に名跡変更して、二子山部屋を再興してくれないか。というか、それをやる資格があるとすれば、彼だけだろう。