大相撲

大相撲についての想い

九月場所十日目

2006-09-20 08:00:31 | Weblog
朝青龍があそこまで確実に琴光喜に勝つのは何か理由があるのかもしれない。三役定着力士とほぼ毎場所取って二十回以上続けて負けないというのはよほどの集中力をもっていないと難しい。その原動力は何か。もちろん、上がってきた頃にライバルと目していたことはあるだろう。でも今や大横綱と名関脇ではかなり開きがある。それでも集中力が切れず取りこぼしがないのはなぜだろう。もしかしたらまだ取的の時代、相撲エリートの琴光喜に対して、高校中退して叩き上げの朝青龍が忘れられないような何か大変悔しい想いをしたことがあったのかもしれない。ほんの些細なことで、エリートの人間は一瞬で忘れるような出来事を、叩き上げの人間が一生覚えているようなことは、一般人の世界でも間々ある。

琴冠佑の事件は本当に残念だ。本当に永い間大相撲の世界にいて、先代佐渡ヶ嶽の薫陶を受けて関取にまでなって、ピークを過ぎてもなお土俵にこだわってきたような人がなぜあんなことを、と訝しくすら思う。本当に単にカッとなっただけなのか。何か引き金になるような伏線があったのではないか。時々人というものはまったく意図していなかったことをしてしまって事件に巻き込まれてしまうことがある。というか、そうとでも考えたいというのが正直なところだ。

白鵬と雅山がやっとそれらしくなってきた。白鵬は熊ヶ谷さんのカミナリが落ちたらしいが、逆にそれで目が覚めてもう大丈夫かな、という気がする。雅山はもし今日の横綱戦を含めて残り全部勝つことができれば、上げてあげたい。

把瑠都は自分の体をうまく取り扱うこと、怪我対策もそうだし体重対策もあるが、それが今後の最大の課題の一つになっていきそうだ。

今場所、横綱大関戦で最も横綱に土をつけそうなのは、栃東ではないかという機運が出てきた。こういう期待を抱かせてくれるので、綱とりに失敗しても、しょっちゅう怪我をしても、やはり目が離せない存在である。