直近の「相撲」誌の北の富士さんと先代木村庄之助親方との対談によれば(彼らは全く同じ日付の生まれらしい)、北の富士さんは三段目の頃に横綱土俵入りの稽古をしていたとのこと!
今それだけの逸話を残しそうな若手力士っているんだろうか。栃煌山が関取になったときに色紙に「横綱になる」とか書いていたが。
それはさておき、北の富士さんの稽古していたのはどっちの型だったのだろう。当時は出羽海部屋所属だから雲竜だったんだろうか。彼のことだから、両手で雄大にせり上がる不知火型がカッコいいとか言っていたかもしれない。
北の富士さんで忘れてはならないのは、盟友玉の海が急死した時、玉の海が行くはずだったイベントに代理を買って出て参加したこと。そして、その際には自分の型の雲竜でなく、玉の海の型の不知火で土俵入りを務めたということ。この辺がさすが粋だなと思わざるをえない。
今それだけの逸話を残しそうな若手力士っているんだろうか。栃煌山が関取になったときに色紙に「横綱になる」とか書いていたが。
それはさておき、北の富士さんの稽古していたのはどっちの型だったのだろう。当時は出羽海部屋所属だから雲竜だったんだろうか。彼のことだから、両手で雄大にせり上がる不知火型がカッコいいとか言っていたかもしれない。
北の富士さんで忘れてはならないのは、盟友玉の海が急死した時、玉の海が行くはずだったイベントに代理を買って出て参加したこと。そして、その際には自分の型の雲竜でなく、玉の海の型の不知火で土俵入りを務めたということ。この辺がさすが粋だなと思わざるをえない。