大相撲

大相撲についての想い

九月場所二日目

2006-09-12 19:06:20 | Weblog
今日は秀ノ山親方の解説だったが、安馬の手つきが悪いなと思ったらすかさず指摘していた。嫌味がなくすぱっとしたシャープな指摘で気持ちよかった。しかし安馬は相撲っぷりがあれだけ真っ正直なのに、なぜ手つきはこうも相反しているのか。戦術的にああいう手つきを選択しているのではなく、ちゃんと指導をうけていないのではないだろうかとすら思う。

他方、秀ノ山親方。解説口調は決して丁寧語にならない。彼は若い頃からこうだったのか。それとも年齢とともにああなるのだろうか。人というものは何歳くらいを境にそういう変化が訪れるのだろうか。例えば、タクシーの運転手に対して、コールセンターのオペレータに対して、家電量販店の店員に対して、非丁寧語で話すようになるのはいつからだろうか。

という観点で、黒海が新小結インタビューということで収録が流れたが、発音は明瞭でないものの、長文をとうとうと丁寧語でしゃべり続けていて真摯な感じの人柄が伝わってきた。彼は横綱に勝ってインタビューに出たときの記憶はあるが、生の声をあまり聞いたことがない。一回だけ獲得した敢闘賞のときもあまり肉声の記憶がない。とっくに小結にあがっていてもおかしくなかったのがやっと今回なれたので、そういった機会がなかなかなかったのだ。彼は東欧勢の中でいち早く上がってきて、今の豊真将のように叩かれても落ちない相撲ですごく期待していた。一昨年の六月くらいだったと思うが、ある人から、「頂天才ではないんだけどきらりと光る伸びそうな外国人力士について寄稿してくれ」という依頼を受け、その人からは例として戦闘竜が挙げられたのだが、秒殺して黒海の話を挙げた。あの頃から考えると明らかに黒海は失速した。白鵬が夢追求型入門だとすると、黒海は明確な家族を支えるための入門型だったが、体にガタがきているのと、モティベーションが落ちるのと、どちらが要因になったのだろうか。まして、その支える対象だった父を失って、モチベーションが急落し髷を切ろうと思ったという話も現実感をもって聞くことができる。そんな中、若干降ってわいたような新小結昇進(露鵬が先場所出場停止になっていなかったら露鵬が上がっていただろう)。一輪の仇花かという感じもしたが、母は彼に対して「今でもお父さんは見ているから」と言ったとのこと。そういう概念がグルジアの人と共感できるというのはひとつの発見だった。なにはともあれ悲願の三役。一年以内に大関になりたいというところは、まだ夢と気力を失っていないということだ。否、新三役になったことがそういった気持ちを呼び戻したか。他方で、黒海の弟の司海がひっそりと引退した。怪我ということだ。

今場所に入って、朝青龍の横綱土俵入りが何か変だ。もぞもぞと脱皮する生き物のようなせりあがり方をする。手先も何かレギュラーでないシルエットを描く。何か意図があるのか。そういうのってNHKの人とか誰かに質問してほしい。

旭鷲山と高見盛の睨み合い茶番は今場所はさほどあからさまにならずに終わった。

栃東が心配である。先場所の怪我を引きずっているようで、さらに悪くなったように見える。