大相撲

大相撲についての想い

国技館サービス株式会社の通販

2006-02-28 02:57:06 | Weblog
国技館サービス株式会社のサイトを見ていたら、大相撲グッズの通販を始めるらしい

まずはフィギュア。横綱と4大関に、高見盛、白鵬、稀勢の里。横綱だけ2バージョンあって、一つが7,000円。もう一つが、大関以下のフィギュアと同じで4,500円。顔は似てないといって過言でないと思うけれど、体つきが似ていて、どれも躍動感がある。全部買いたいけど、ちょっと散財だな。琴欧州のは売れそう。

人気力士グッズセットが横綱、栃東、琴欧州の順に3,500、3,000、2,500円。湯呑みやバスタオル、色紙など。比較的値ごろ感があるように思った。どれか一つは買いたい。

次いでTシャツ。3,150円也。横綱、4大関、高見盛の順。力士ごとにTシャツの色が分けてある。なんとなくお買い得感がないなあ。栃東のが、モスグリーン地に虎の絵だと思うけど、一番かっこよくて、これが一番値ごろ感あるかなあ。千代大海のは白地に日の丸と大きな波で、浅草に売ってる外人向けお土産みたい。外人の観客も多いのでそういうセグメント向けとして売れるのかもしれない。多分日本人にはあんまり売れないね。

「角力味噌」と「ヤキトリのたれ」。これは調理例もついていて、いかにもうまそうで値段もリーズナブル。これは間違いなく買い。

ガラス製のビールグラスとぐい呑み。単価が高すぎるのでは。とてもきれいだけれど。

相撲図柄タオル。タオルで5,000はなあ。

「大相撲の歴史の解説と相撲甚句」。CDなのかDVDなのか書いてないので不明。2,500円は悪くない。しかも国技館の2階のカフェテリアでしか売ってない3Dカップがもれなくついてくるというので、これはお買い得。

というように、商品的にはバラエティに富み、単価的にもさまざまな価格設定のグッズがあってなかなか一つの売り場として面白い感じはする。

でもいくら買っても送料が1,000円かかる(あるいは1商品あたり1,000円?)ように見えるんだよなあ、はっきりはかいてないんだけど。しかも配達日時指定ができるのかできないのかわからないし、何日で着くのかわからないので不便といえば不便だけどなあ。

商品ラインについては、もっと普通の、過去の取り組みのDVDとか売ってくれないかな。ブルボンのおまけのやつ、絶品だったからあんなノリで。あと、子供がお小遣いの範囲内で買えるような小物も置いてほしい。国技館の焼鳥そのものも宅配があったら、絶対リピート購買するぞ。でもこれで通販が当たれば、ますます人手はいらなくなっちゃうね。今、相撲グッズは非常に入手経路が限られているし、妙に年会費が割高なJCB大相撲カードに入会するのもいやなので、まずは国技館サービス株式会社の通販が健闘して発展していくことを祈ります。

大阪乗り込み

2006-02-26 21:28:06 | Weblog
今日は力士衆が春場所に向け大阪に乗り込む日だということが脳裏にあって、たまたま八重洲近辺に所用で行った後、しばらく東京駅構内で張っていたら、親しみ深い鬢付け油の香りが漂って来る方角があるのでそちらに行ってみると、八重洲中央口そばの改札の一つで力士の皆さんが入場しようとしている列があったので暫くその様子を拝ませていただいた。

今回目撃したのは幕下以下の方々ばかりだったように思うが、数十人はいた。身体もできていて、髷もきちんと結えている力士ばかりだったので、序の口・序二段というよりは三段目・幕下クラスだったのだろう。それもあってか、両手が大荷物でふさがっているという力士は少なく、普通の小旅行の荷物+αくらいであった。当たり前といえば当たり前だが、特に浮かれているというわけでもなく淡々と並んでいた。集団の中に千代天山がいたが、やはり他の取的さんたちとは貫禄が違う雰囲気だった。

今ごろはもうそれぞれの宿舎に散って、お世話になる方々に挨拶したり、別送しておいた宅配便を荷解きしたりしているのだろうか。明日は番付発表。いよいよという感じだが、まだ初日まで二週間もあるのかと思うと待ち遠しさが募る。

しかし、あんなに力士が大勢いる新幹線に乗れちゃって、しかも同じ車両だったりしたら嬉しいだろうなあ。3人がけを180°回転させて、前と後ろの列が向かい合わせになるような席のうちの一つが自分のだったりしたらどうしよう。お近づきのしるしに冷凍みかんでも買って差し上げたい。「今日は富士山見えますかね」あたりの当たり障りのない話から入りつつ、「荒れる春場所とかよく言いますけど、気温なんかも上下激しい季節だから、体調管理に気をつけてがんばってくださいね。くれぐれも怪我のないように」なんて話しかけちゃったりして。「普段インターネットはPCと携帯のどっちから接続してますか。よく見るサイトは何ですか」みたいな話も織り混ぜて、カジュアルに話を弾ませよう。さらに交流を深めるために、力士の皆さんと大貧民なんかもやりたい。力士の皆さんが駅弁を一人何個食べるか、とかもチェックしよう。夢は膨らむ。

雑感・2月24日

2006-02-24 07:32:11 | Weblog
懇意にしている友人と話していて、ご令室が特に大相撲の知識がある訳ではないのだが、何となく落ち着くのでよくNHK放送を流しっぱなしにしていると聞いた。これは非常に共感できる。自分も子供の頃から、場内放送の雰囲気や遠目で見る土俵上の力士の姿になんとも言い知れぬ安らぎや癒しを感じていたからである。幼少から観続けている理由の一つはそれにあるのかもしれない。従って決して関取の取組でなくても本場所を見るのは全く飽きることはない。日ごろより、NHKの実況と解説の内容の充実は強く主張しているが、決してプロ野球中継のようなザワザワ感に変わってほしいわけではなく、場内のあの独特の感じ、言ってみればライブの感覚を伝える静のシズル感に、悠久の大いなる流れが加わったような感じは今後も伝え続けてほしい。

玉垣親方の停年に伴い、浅香山親方が玉垣に名跡変更した。それ以上の報道がないので現時点ではこれが前々から決まっていた立浪一門内での継承が淡々と実行されたものなのか、魁皇に春場所もしものことがあった場合のための緊急措置なのかはわからない。新玉垣親方が正式に所有権を取得したのか借りているのかどうかが知りたいのだが。たまたま前者と後者のタイミングが重なったような気もするが、あえてどちらなのか決めろと言われれば個人的には状況証拠からは後者が強いように思う。まず、新玉垣親方は以前立浪部屋所属だったのが、立浪を離れて友綱に移籍した経緯があり、立浪の親方衆とはうまくいっていなかった可能性があるため、スムースに名跡取得しにくい条件下にあった可能性がある。さらに、栃乃洋(竹縄保有…琴錦への影響)や土佐ノ海(立川保有…起利錦への影響)といったベテラン勢が力が落ちてきて、尻に火がついた親方衆もいるわけで現在二子山しか空き株がないので次の借り先を確保しておきたいはずだから。琴龍親方はじめ準年寄の親方衆も期限切れまでに名跡を工面できるならそうしたいはず。だからやむにやまれぬ事情がない限り浅香山株を空けない方に力学が働く可能性が強い。こう考えると、魁皇の場所前の調子は芳しくないのだろうか。普通にやることさえできれば8勝はいけると思うのだが。余談だが、千代大海も同じ状況で一応黄信号だが、借りている蔵玉錦はどんな心境なのだろうか。二子山のケリがつかないと定員いっぱいの状況が続いて今後厳しいなあ。千代の富士が一代年寄を受けていればさらにもう一枠空いていたわけだろうが。

協会の年度収支が発表になって、収入138億、支出129億だという。それも黒字の大半はTBS株の売却だと。楽天に売ったのか?とにかく、本業の事業収入は減少して95億だというので、本業100億円ない中堅中小企業という感じ。そこに各層の協会員と、国技館サービス株式会社の人たちが連なっているわけだから、経営の舵取りと収入増は重大な使命である。春場所のチケット売れ行きもいいようなので明るい兆しはあるが、今度の新体制だと機会損失による逸失利益もありそうな気がしてならない。人気上向きのときこそ、一気に構造改革を進めてまたいつか訪れるであろう低迷期に耐えうる体力を蓄えるべきなので(今は具体的には、十両幕内の取組時間を夜に遅らせることでの観客増などの抜本的改革をイメージして書いている)。メディアも、有識者も、みんなで大相撲をもりたてないといけない規模の年商だということを肝に銘じて、大相撲の良さ面白さを世の中に広めていきたいものである。

大相撲と少子化

2006-02-19 21:11:13 | Weblog
最近、少子化や人口減が世の中で話題になることが多く、担当の国務大臣なんかもできちゃったりして、いよいよ問題として本格化しつつある。

そういう報道を読むにつけ気になるのが大相撲の将来。果たして、将来、相撲界に新弟子はきちんと供給されていくのか。子供の数が減っていって、ラグビーやバレーボールなどプロスポーツの数が増えていけば、当然パイの奪い合いは激化する。しかも、今よりも大相撲の他のスポーツに対する苦戦の度合が増すように思う。

おそらく、少子化が進むと大学への入学はしやすくなり若年人口の高学歴化が進むだろう。大学や高校に行かない事が今よりももっと特異な選択になるのではないか。

現在の相撲界の人材獲得ルートは大きく3つ;①中卒の体が大きい又は相撲好きな子を発掘して一から育てる ②大卒(一部高卒)の相撲エリートを迎え入れて即戦力的に育てる ③運動神経の良さそうである程度身体がある外国人を入門させる(ただし各部屋一人まで)

世の中の高学歴化を前提とすれば、多分②のルートで入ってくる人材数はそんなに大きく増減しないのではないか。少子化で子供の数そのものが減っても、高学歴化によって大学相撲に進む子供の数は増えて、全体としては相殺されるのではないか。結果として、片山や嘉風のように前相撲から取る大学出身力士が増えるように思う。

おそらく、①のルートからの人材数が激減する危機が迫っているのではないだろうか。青森等一部の地域のように幼い頃から相撲に明け暮れて育つわけではない子供にとって、成長していく過程でサッカーや野球など多くのスポーツに触れるだろうし、その中からdedicatedに相撲をやることを選ぶのは明らかに少数派になっていくのではないか。そして、今までなら進学に積極的でなかったであろう子供でも、極端に言えば「受ければ入れる」学校が増えるならば、とりあえず進学しておこうということにもなるだろう。そしてその流れの中で、他のスポーツや他の関心事項に出会って、普通に社会人となったり別のプロスポーツに進んだりするパターンが増えるのではないか。

はっきり言って今の大相撲界においては、入門することに伴うセーフティネットが他のスポーツよりもない。実力が花開かなかったり、怪我などにより志半ばで断念したりした場合、ちゃんこ屋さんに勤める以外はあまり明確な第二の人生のキャリアパスがない(ように思う)。今後は、中卒で入門して数年経った若者が転職の機会を見つけることは、周囲の高学歴化が進むことでより相対的に難しくなっていくのではないか。また、仮に関取になれたからといって、高齢化によって名跡の空きができず30-40代で別の世界で再就職しなければいけなくなる可能性も高くなる。

これまでは、相撲に入門し、それぞれの事情で相撲界を去っていく人たちの多くは、引退時のインタビューの受け答えでも、一生懸命やる大事さや礼儀の大切さを学んだり、人間関係という財産ができました、という形で前向きに総括しながら、新しい人生に挑んでいくことが多かったように見受けられる。

しかし、これから入門する若者たちの親は団塊未満の世代であり、そういう人たちが、自分の子供が人生を賭けた結果身についたのが礼儀と料理の腕だけだ、などと否定的に曲解するおそれはあると思えて、そうであればなおさら新弟子獲得が難しくなっていくように思われる(②のルートから入る子であれば、将来の年寄株の約束などはありうるだろうが、①から入ってくる、相撲の素質としては海のものとも山のものともつかない子達にはそういう待遇はないだろう)

有名な話だが、中村部屋では取的さんたちを高校の通信課程に入学させているときく。これは、弟子の学歴を押し上げてemployabilityを高めてあげるという効果もあるだろうし、それ以前に若者に多くのことを学ぶ機会を提供するということは、相撲部屋が人間育成の場であると考えれば非常に意味のある取り組みだと思う。

このような取り組みは全く否定しないし、師匠の考えでそういうことを進める部屋がもっと出たりしてもいいと思う。部屋同士が弟子争奪のコンペティターであると考えれば、部屋の福利厚生?による差別化で弟子を獲得する戦術の一環として、こういう部屋が出てくるのもいいだろう。ただ、個人的にはそういうことを各部屋がすべきだ、という主張は全くするつもりはないし、そんなメリットがあるからということで入門を決断するような力士が増えて欲しくはない。協会全体が、そういう方向で動くようなことにもなって欲しくない。やはり、力士は何よりも自分の相撲が強くなることに全てを賭けて日々の鍛錬を重ねる存在であってほしい。

やはり、中学を卒業し、退路を断って相撲界に飛び込んだからこそ、死に物狂いでやって大成する力士が出てくるという側面は否定できないだろうか(中卒でなければいけないわけではないが、退路を断つということは重要ではないか)。失敗した場合に負け組になるリスクがどれだけあるのか、みたいなことを考えた結果相撲を選んで入ってくるような人が出現するくらいの、何かemployabilityが高まるようなメリットを提供できることが百万が一あったとしても、そういう人が力士として強くなる可能性は低いのではないか。日本人に限らず、朝青龍が今日あるのだって、中学出てモンゴルから日本に留学して、でも高卒資格なんか蹴っ飛ばして高校中退して相撲界に入って、ひたすら稽古して、ということで退路を断って稽古してきたからだと思う。

結局、少子化に立ち向かいながら大相撲全体の層の厚さを底上げしていくためには、若者が子供の頃から相撲に親しみ、大相撲の迫力やカッコ良さを体感していく機会を飛躍的に増やしていく必要があるのではないかと思う。高見盛のキャラ的な部分で人気集めをしたりするのは入り口の敷居を低くするということでは一つの打ち手なのだろうが、大相撲本来の魅力ということではなく、あくまで補足的な施策であるべきである。つい最近までミスタードーナツのTVCMで、現役の力士ではない、髷を結った巨漢二人が突っ張りの仕草をしながら道を歩くようなものがあった。まだ継続して放映されているかもしれない。あの宣伝は、力士姿の人にヘンにおどけさせてそれでインパクトを出そうという意図が感じられて、個人的には抵抗感がある。

まずは、本場所中のテレビ中継こそが、最も広範に大衆に接触する可能性のあるメディアなのであるから、大相撲を普段は見ない人でもちょっとチャンネルをNHKに回した時に、そのわずかな時間内で思わず相撲を見てしまうような仕掛けが必要だと思う。その意味で、ユニークな解説者・ゲストの登用、従来モードの繰り返しの実況の抜本的改善、力士の意識や技術がわかりやすい解説、真剣勝負としての格闘技の迫力がビビッドに伝わる映像などを導入するため、今の放送はゼロベースから見直す必要があるように思う(大相撲が行われ、放送される時間帯の見直しを含めて)。また、テレビ以外のメディアを通じても格闘技やスポーツエンターテインメントとしての魅力で勝負できるような方策を考えるべきだ。携帯電話の活用でも、現在の着メロとか待ち受け画面の配信が中心の取り組みは明らかにまだまだ改善の余地がある。さらに、世の中に影響力のある人の中で大相撲のサポーターを増やして、大相撲の面白さを語ってもらうようにすべきだし、そのために、どこが面白いのかをもっと大相撲の側から主張していくべきだ。そのためには、厳しい評価や力士のモチベーションが下がるような内容ばかりが目立つ協会や横審の幹部の発言も、大相撲がどれだけ面白いか、を世の中に伝えていくような中身に入れ替わっていくべきだ。力士自身も、質問に対する相槌とオウム返し、「一番一番自分の相撲をとるだけです」「目標は勝ち越しだけです」の繰り返しはやめるべきである。こういうことの積み重ねで、常に身近に大相撲の放送が流れていて、何やら面白そうで、相撲が強いというのはカッコいいことなんだ!ということが子供の心に刷り込まれるような環境ができるように努めていくことが必要ではないか。

その上で、子供が相撲をとること自体も身近なものにしていく必要がある。最近、協会は相撲健康体操を積極的に紹介する運動を行っているように感じる。非常に結構なことだと思うけれど、相撲という競技自体の魅力の広がりにもつながっているのだろうか、その点だけが心配である。もちろん、相撲健康体操は子供にとっての入り口として位置づけるということならそれでもよく、必要なのはそこから次の一手として相撲の競技そのものに引きずり込むことにつなげる試みが必要だ。おそらく協会自体、財団法人として認可された存在であり続けるためにも、相撲が社会へ広がり、それを通じたメリットが出て行くことを実現していかなければいけないのであろうから、相撲を特殊な競技にしてはいけなくて、普通にあちらこちらで行われているようなものにしていく必要があるのではないか。

最近巡業が減っているが、勧進元がなくても、ごく数人でも現役の関取クラスの(テレビに映るようなクラスの)力士が全国に出向いて、協会後援で子供の相撲大会を頻繁に開催して、「相撲を取ったことのある人」の絶対数を増やしていくべきではないか。同時に、そのいった場で力士に触れた子供は、力士の体躯の立派さや力強さが魅力として刷り込まれていくということも期待できるのではないか。

相撲はわずかなスペースさえあればそこで立ち合って組み合うことで成立する、ある意味シンプルなスポーツだから本当は競技人口を増やすことは十分可能なはずである。

一つ心配するのは、相撲を取るときに、年齢に比べて極めて規格外な身体の子供がいると、普通の体格の子供はそもそも勝負にならなくて、そこで相撲って面白いなっていう事を感じる機会を逃してしまって、自分がプレーヤーであるという関わり方をなくしてしまうことがあるのではないかということ。あるいは、そういう子供がいたら勝負にならないし怖いからいやだな、ということでそもそも競技に参加しない子供が潜在的にいるのではないかということ。今は子供相撲はたいてい学年別だと思うけれど、もっと細かく体重なんかで分けて、体格差では決まらない拮抗した勝負が増えるようにした方がいいのではないか。もちろん、プロの大相撲は小よく大を制すも重要な要素だからそういう階級別はなじまないだろうけれど、競技者の底辺を広げるためには、入り口を入りやすくして、チャンピオンになってヒーローになれる子供の数が増えるようにしていった方がよいのではないかと思う。

これはまだ一例であって今後も思いつけば書いていきたいが、こういう競技者を拡げる試みがあって、それでさらにメディア戦略があって(これもデジタルテレビや携帯へのテレビ配信等新たなマルチメディア活用については今後記述予定)、もちろんプロである大相撲では土俵の充実があって、その上でこれらをサポートする(ロイヤルカスタマーを増やす意図で)ための打ち手として、高見盛のクリアファイルを国技館で配ったりするのは大変意味のあることだろうが、どうも現実の打ち手はそういう体系の上に成り立っていないように思う。どちらかというと単発的な思いつきで、安易に相撲への親しみやすさばかりを増やそうとしているような。こういう視点は、単に短期的な相撲人気だけでなく、中長期的な人材獲得という要素にも影響を及ぼすので、極めて重要だと思う。

最後に、入門経路の第③のルート、外国人のスカウトだが、少子化であろうがなかろうが、競技としての質を高めるために人材を幅広く集めるという観点で外国人入門の鎖国制度は緩めるべきで、グローバルスポーツへの本格的脱皮を図るべきである。さらに、少子化で日本人が減っていってそれでも鎖国が続けばより一層人材は先細るので、いずれにしても鎖国は緩和がマストだろう。もし仮に、そんなことをしたら外人ばっかりになってしまって駄目だ、という議論が主流になるようなら、その末路として将来は大相撲の人材の層はカスカスになり、少数の外人と少数の日本人による閉じた世界で行われるものになって、切磋琢磨も少なく土俵内容は低下し、それで一層日本人の入門者は減り、という展開になるような気がしてならない。大相撲の将来が危機に瀕さないように、今の協会や横審のリーダー達にはつまらない攘夷論だけはやめてもらいたいと願う。

朝青龍からの花束

2006-02-14 00:48:52 | Weblog
朝青龍が福祉大相撲のあと、それが定年で最後の一番となる木村庄之助親方に花束を渡したという。先代が九州場所で定年になった時も花束と金一封(三封だった?)を渡して話題になったが、それに続いての、プレイヤーの頂点にある者から裏方さんへのねぎらいの気持ちの伝達。

これって、いい話だと思うし、もらった方は何十年も勤め上げた最後にこういう心遣いをしてもらえば一生忘れないだろうと思う。きっと、家で花束を飾って、それを眺めながらいろんな想いをかみしめながら一杯やったんじゃないだろうか?最高の美酒だろう。他の若い行司さん達にも励みになるんじゃないだろうか

横綱も、福祉大相撲なんかでやるんだから、スタンドプレーだとかって意識はないんだと思いたい。万が一そういう意識がかけらだけでも仮にあったとしても、行動に移すことは立派なことだと思う

本来、今回の庄之助さんは初場所一場所だけだったから横綱の本割の取り組みは、少なくとも横綱になってからは初場所の15番しか裁いてないことになる。むしろ、いつも裁いてもらっていた大関陣から何かねぎらいがあったっておかしくはない。

ここでは、そういうことをしなかった大関陣が情け知らずとかつまらないことをいうつもりは毛頭無い。横綱にその気があるんなら、やっぱり頂点に立った横綱からの方がいいはずだし。

ポイントは、朝青龍は誰かの進言でこういうことをしているのか?ありうるとしたら誰?付け人の輝面龍?某占い師?おそらくそういうんじゃなくて、横綱自身の考えだと思う。じゃあ横綱ってそういう考え方ができるような素地をどうやって養ったの?断言はしないけれど、師匠の教えではないように思う。

彼って、普段も巡業で若手に胸を出すし、優勝インタビューなんかでも地元の人への心配りを忘れなかったりするし、tacticalにこういうことをやるのに長けた人というのではなく、横綱として適格者だと思う。少なくとも、自分の知ってる限りの歴代の横綱と照らしても、相対的に適格者だと思う。

すぐモンゴル帰っちゃったり、やっぱり今でも時々カッとなっちゃったり、手つきが不十分だったりと意地悪に非難しようと思えばできちゃう脇の甘さはあるけれど、仮に今少しずつ回復しつつある大相撲人気が本物になって、また活気が戻ることができたとすれば、将来から振り返ってこの数年を相撲界が延命できたのは朝青龍の功績が極めて大きかった、と評価することになるんじゃないだろうか。

それでもやっぱり、万が一何かおきれば(「何か」が何かはわからないけど)、外人は日本の心がわからないとか、やっぱり日本人が上位にいなければ駄目だ、とかいう攻撃の矢面に立たされちゃうのかな。

横審の石橋委員長なんかは、この辺ちゃんとわかっておられて、横綱を評価する発言を積極的にされているように思う。でも、もし朝青龍が評価されるに足る横綱だとした場合、彼のふるまいの中で評価の対象となることって、日本独特の日本人にしかわからないような事、で評価されるんじゃないんじゃないだろうか。むしろ、ユニバーサルな価値感として評価されるような事...花束しかり、若手を稽古することしかり、ファンへの気配りを忘れないことしかり...であって、大和言葉でしか表現できないようなそんなことではないのではないと思う。

って言うか、もしユニバーサルな価値観には外れるんだけど、でも大相撲のあり方として必要なこと、なんて本当にあるんだろうか。勝った力士はガッツポーズなんかしないとか、負けてもしっかり礼をするとか、そういうことって、相撲が単なる勝ち負けを競うだけではない競技であることから来る、ある種のルールであって、そういうルールだと捉えれば、別にユニバーサルな価値観と矛盾するわけではない。それに、それって、外国人でも普通に脳味噌があって、真摯に大相撲に取り組んでいれば誰だって理解できることだと思う。

同じようなことって柔道でも同じで、正面に礼をして、とかっていう所作があるけれど、柔道で出てくる外人はみなそれをやっているし、外人が強くなって金メダルとかとっても、外人だから強いけどあいつは日本の心がわかってない、みたいなことをいうのって聞いたことないわけで、だとすると、大相撲に関して殊更に「外人はわかってない」みたいなことが言われてるような印象があってならない。

そりゃ、入門直後に本当に急に上がってきて、幕下とかの優勝決定戦なんかでもヘンな動きしてる外人とかいるよ。それは確かに師匠の問題でしょう。でも、日本人の中卒の若者が本当にそれと同じスピードで上がってきたらやっぱりなんか間違えるでしょ。例えば新十両の若者(日本人)が、よく十両土俵入りとかでヘンな動きするでしょ。でもあれって微笑ましい姿とか、初々しさとかって言われるんだよな。

で、話を戻すと、大相撲特殊論みたいなことで必要以上に大相撲が独特で理解しにくくって、外国人にとってハードルが高い的なことが言われる傾向が本当にあるとすると、そういうことを言ってる人って、一部の、親方とか横審委員とか大相撲関連マスコミの人のような気がして、で、仮にそれが事実だとすると、あなたたちは本当に大相撲が好きなんですか、大相撲の発展を考えてるんですか、ということを言いたい。

今日は、仮定に仮定を重ねた話ばっかり書いているけれど、一言で言えば、つまらないことに目くじら立てないで、日本人でも外人でもなんでもいいから、カッコよかったりすごかったり立派だったり面白かったり目立ってたりしたら、まずは褒めましょう、大相撲を盛り上げましょうよ、ということ。そうなったら、大相撲は古来の大和魂がつかさどっているものであり「道」であったとしても、同時に一つの大いなるエンターテインメントになれるはず。

追伸として、ちょっと次元が違う話だけど、相撲界がそうやって楽しく伸びていくんだったら、武蔵丸だって本気で年寄株取得して協会に残って若手をどんどん指導していくだろうし、朝青龍だってモンゴルに帰って何やるかしらないけど、その計画を変えて協会に残って技を後進に伝えようって気になるのでは。それで世界中の猛者が入門するような相撲界になって、日本からも少子化にめげず運動神経が発達した子供が門をたたくようになるっていうことになればいうことないんだけどな