街道ウォーク<旧東海道<池鯉鮒宿(知立駅)~宮(熱田)宿
2011年7月17日 12回目
有松の町並み
愛知県名古屋市緑区有松
有松は、旧東海道の鳴海と知立の宿の間に、慶長13年(1608)に、間宿(あいのしゅく)として開かれた。尾張藩の奨励により、阿久比村から移住した人達の一人、竹田庄九朗により、絞り染めが考案され売り出されると、藩の庇護も受け、絞は有松名産として、全国にその名が知られた。有松は絞と共に繁栄したが、天明4年(1784)大火が起こり全村ほとんどが焼失した。村の復興に当り、建物は従来の茅葺を瓦葺にし、壁は塗籠造り(ぬりごめづくり)、2階の窓は虫籠窓(むしこまど)に改め、当時の防火構造で造られた。豪壮な商家が建ち並ぶ現在の町並みは、この時に形成された。商家の建物は、中2階建切妻平入りで、1階の前面についている半間の土庇の下は、昔は絞の店頭販売の為に、大きく開かれていたが、今は格子がついている。名古屋市は、有松を町並み保存地区に指定し、伝統的建造物や町並み保存上必要な物件を定め、古い町並みに調和した景観の整備に努め、建物の修理・修景工事の補助事業を進めている。 平成7年3月31日 名古屋市教育委員会
▲服部家住宅
県指定有形文化財(昭和39年)
店舗並居住部1棟
井戸屋形1棟
客室部1棟
土蔵・絞蔵・藍蔵6棟
門並門長屋2棟
当住宅は、旧東海道に面する町屋建築の遺構であり、有松における絞問屋として代表的な建物である。主屋は塗籠造(ぬりごめつくり)で卯建(うだつ)を設け、倉は土蔵造りで腰に海鼠壁を用い防火対策を行っている。服部家は屋号を井桁屋という。名古屋市教育委員会
▲中舛竹田荘
中舛竹田家は、旧東海道の歴史的な町並みを伝える貴重な建物であり、有松絞りの開祖である竹田庄九郎ゆかりの江戸時代の建物であったと伝えられています。 老朽化が進み建物と町並みの存続が危ぶまれる状況の中、保存について検討がなされ、所有者である竹田様と地元の方々・名古屋市・事業者・市民の協力で、「有松まちなみ保存ファンド募金」を活用し、梁などの材料を活かしつつ、外観は江戸期の様式を再現しました。平成二十二年十月二十六日竣工
▲竹田家
市指定有形文化財(平成7年)
主屋1棟、書院棟1棟
茶席1棟、宝蔵1棟
1・2番蔵1棟、縄蔵1棟
附属棟(西門・長屋門・味噌蔵)3棟
当住宅は江戸期と思われる主屋を中心に明治から大正にかけて整備されていったとみられる。建物は絞り問屋の伝統的形態を踏襲している。とくに主屋は塗籠造(ぬりごめつくり)、書院、茶席とも建築的に大変優れている。竹田家は、屋号を笹加という。
▲岡家
市指定有形文化財(昭和62年)
主屋1棟、作業場1棟
東蔵1棟、西蔵1棟、
当住宅は江戸時代末期の重厚な有松の絞り問屋の建築形態である。主屋は旧状をよく残し、二階窓の優美な縦格子をもち、有松における代表的な美しい外観を備えた塗籠造(ぬりごめつくり)であり、このような形式では、現存する唯一の例で衣装的にも優れている。名古屋市教育委員会
▲小塚家住宅
市指定有形文化財(平成四年)
主屋一棟、表倉一棟
南倉一棟
当住宅は重厚広壮な有松の絞問屋の形態をとどめている。主屋の1階は格子窓、2階は塗籠壁(ぬりごめかべ)、隣屋との境には卯達(うだつ)があり、塗籠造のうち最も古いものの一つと思われ、有松らしい町並みの景観上からも貴重な建物である。小塚家は屋号を山形屋として、明治期まで絞問屋を営んでいた。名古屋市教育委員会
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