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新発田(新潟県新発田市)にて

2017-07-10 05:48:29 | 町並み

2017年5月17日 【同期と行く新潟2017】新潟県

新発田にて

新潟県新発田市

新発田市は新潟県の北部、日本の穀倉地帯といわれる蒲原平野部位置し、県都新潟市から車で30分(約27km)のところにあります。山間部の集落では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見されており、古くから人々がこの地に住んでいたことがわかります。
新発田(しばた)市の地名の由来は、この地方が海岸州の近くだったことから「洲端(すばた)」が「しばた」になったという説、
荒れ地を開墾してできた土地(田)ということから「しばた」になったという説など、他にもいくつかの説がつたえられています。

JR新発田駅

114系
 

115系 オレンジとグリーンの湘南電車って115系だったような・・・

▲JR新発田駅

電線がないのでスッキリとした街並み

▲大手櫓跡

▲大手門跡

▼蕗谷虹児記念館

金襴緞子の帯しめながら・・・童謡『花嫁人形』の詩は虹児25歳の絶唱です。少年時代から画家を志し、樺太放浪のあと、竹久夢二の推薦で「少女画報」にカット絵を描いてデビュー、23歳で人気挿絵画家となり、時代の寵児として詩画集9冊を出版。27歳でパリに渡り、春・秋のサロンに3年連続入選をはたし、一流画廊での個展を成功させます。そして昭和4年に帰国、モダンな画風で一世を風靡しました。童画や絵本の分野でも活躍し、晩年には新作個展を5回開催、『花嫁』は70歳の作品です。
新発田が生んだ天才画家蕗谷虹児の記念館は、純粋無垢な彼の詩魂につつまれ心をいやされる異次元の世界と評判です。

 

 ▼新発田城

  

▲託明寺

 

 ▲新発田藩足軽長屋 重要文化財

江戸時代末期における新発田藩の足軽長屋で、藩政当時のままの姿で現存する。当時の下級武士が住んでいた八軒長屋は、歴史的にも貴重な存在です。木造茅葺きの質素な建物は、当時の足軽たちの暮らしぶりを感じさせてくれます。

清水園

旧新発田藩溝口侯の下屋敷である。庭園は、大名式回遊庭園で寛文年間遠州流の茶人で幕府の庭方だった縣宗知が作ったものと伝えられている。

 市島酒造

寛政年間(1790年代)に宗家より分家し、現在の地に創業しました。現代では七代目が伝統ある蔵の歴史を受け継いでいます。また、酒蔵を開放しており、毎年各地方から多数の人々が見学に訪れています。

新発田駅から新潟駅へ

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