2016年12月24日 愛媛県
大洲の町並み
愛媛県大洲市大洲
▼大洲城
▼おおず赤煉瓦館
▼ポコペン横丁
大洲まぼろし商店街1丁目として、大人には昔懐かしい物がたくさんあり、小さいころ持っていた人形に出会えたり、遠く忘れかけていた記憶を甦らせてくれる。
▼おはなはん通り
肱南の市街地の東端、肱川に近い一角に、江戸及び明治の面影を残す町並みが残っています。この一帯で昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケが行われたことから「おはなはん通り」の名称で親しまれています。
▼明治の家並
「伊予の小京都」と呼ばれる大洲には明治の家並みや道の石張舗装もそのまま残っており、坂本龍馬が脱藩の際立ち寄り食事をしたと言われる店があった通りも残っている。
▼大洲神社
大洲城東方の神楽山に鎮座し、大洲藩代々の崇敬を集めてきた由緒ある神社。1331年に大洲城が築城された際にこの地の総鎮守として建てられ、鎌倉時代から現在まで当地を見守り続けてきた。巨大な昭和燈がそびえ立つ長い石段を登ると、大洲城や趣のある城下町が見渡せ、境内には祭神である恵比須神の石像が佇んでいる。
▼臥龍山荘
▼中江藤樹の邸跡
中江藤樹(1608-1648)は、江戸時代の陽明学者で、陽明学の確立と「知行合一」の道を実践し、後年「近江聖人」と称えられた。藤樹は、9歳のとき祖父吉長(加藤家家臣)の養子となり、10歳のとき藩主加藤貞泰に従い大洲へ移り住んだ。元和8(1622)年に祖父の死去により家督を相続するが、寛永11(1634)年、27歳のとき大洲の地を離れた。藤樹が住んだ屋敷跡は、大洲高校の一画にあると伝えられ、庭先に残る井戸は「中江の水」と称されている。昭和14(1939)年、藤樹の遺徳をしのび、敷地の一部を造成して「至徳堂」が建築され、また、その前庭には近江国の藤樹書院から分けられた「遺愛の藤」が植えられている。
▲大洲城外堀跡
▼曹渓禅院
大洲藩主加藤家の菩提寺
曹渓禅院から古びた山門が見えたので立ち寄ってみた
▼大禅寺
▼伊予大洲駅
▲この絵柄は海に沈む太陽かな??
特急「宇和海」で次も目的地卯之町(駅)へ
2017-03-10 05:44:33
☆☆cosmophantom
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