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上尾宿本陣跡(埼玉県上尾市)~旧中山道を歩く(2回目)

2012-04-08 10:02:52 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目

上尾宿本陣跡 (埼玉県上尾市)

上尾市の市街の中心は、中山道にそった上尾宿をその源にしていますが、この上尾宿はすでに後北条時代に宿駅として成立したようです。宿駅として整備されたのは、慶長七年(1603)伝馬制施行以降のことです。幕府は中山道各宿駅には、五十人五十匹の人馬を用意させ、主要幹線路としての役割をはたさせました。また、各宿に本陣、脇本陣を置いて大名などの宿泊所としました。中山道を通行した大名は、加賀の前田藩をはじめ三十四家ほどでした。上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場でした。江戸時代末の家数は、182軒、人口は793人、旅篭屋は、41軒でした。図は、文化三年(1806)完成の「中山道分間延絵図」に描かれた中山道上尾宿の中心部です。中央の太い道筋が中山道で、画面右が大宮方面、左が桶川方面になります。画面下側中央の鳥居が鍬大神宮(今の氷川鍬神社)、鍬大神宮の正面に本陣があり、その両側に脇本陣が二軒あります。その右近くには問屋場、さらに右に行くと道をはさんで両側に一里塚があります。鍬大神宮のすぐ右側にもう一軒の脇本陣が描かれています。上尾宿には本陣が一軒(林八郎右衛門)、脇本陣が三軒(本陣の右が白石長左衛門、左が井上五郎右衛門、向いが細井弥一郎)ありました。これらは主として参勤交代の大名たちの宿で、本陣のことは「大名宿」ともよばれました。脇本陣は副本陣のような性格をもち、本陣の代理もしました。 平成十一年三月 上尾市教育委員会

▲本陣跡は氷川鍬神社そば。

☆cosmophantom

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