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御手洗(重要伝統的建造物群保存地区)~広島県呉市豊町御手洗

2016-03-19 06:24:17 | 重要伝統的建造物群保存地区

2015年12月27日 広島県

御手洗  重要伝統的建造物群保存地区

広島県呉市豊町御手洗

江戸時代、風待ちや潮待ちの港町として栄えた御手洗は、平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。土地が狭いため数度にわたって埋め立てられた御手洗は、大小の商家、茶屋、船宿、住宅、神社、寺院などが混在し、集落中心路、集落連絡路、集落生活路(小路)等が網の目のように巡っています。また大波止、石橋、高燈籠、石垣護岸、雁木等、港町の生活上必要な土木的建造物が当時のまま現存しているものもあります。 御手洗地区は17世紀の中頃形成されて以来、江戸時代の約200年間を経て昭和初期に至るまで、瀬戸内海交通の中継港として、時代時代に応じた発展を示し、その痕跡を今も集落内に留めています。  くれナビ

※ 御手洗港バス停から千砂子波止へ

  

 

 ▲住吉神社

▲石の太鼓橋

   
船宿:旅人をもてなした三軒長屋海沿いにあるかつての船宿。

 

▼ 大東寺
 

屋根に鍾馗様がいるのです。↓写真の質が悪すぎ

 

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鞆田家住宅

なまこ壁で明治時代に建てられた建築物。屋根は寄棟造浅瓦葺き妻入りの町屋で,建物は非常に保存がよく,江戸時代末期の御手洗の町屋建築様式を残しています。御手洗では規模の大きな町屋のひとつです。 ひろしま観光ナビ

  

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御手洗七卿落遺跡 

七卿落遺跡

文久三年八月十八日、公武合体派のクーデターによって敗れた倒幕派の公卿のうち 三条実美ら七卿が長州藩に守られて都落ちしたことはあまりにも有名です。元治元年長州藩は真木和泉守を先発として兵を京都に進めましたが、蛤御門の変で敗れました。この時三条実美、三条西季知、四条隆謌、壬生基修、東久世通禧の五卿は京都における長州の勢力挽回とともに入京しようとして長州を出て多度津(香川県)まで登っていましたが、京都の敗北を知り長州にひき返しました。その途中、七月二十二日から二十四日にかけて、この竹原屋(庄屋)で旅の疲れを癒したものです。尚、この竹原屋には維新の頃オランダ商館のテレーマン・パクという人が駐在して薩摩藩などと武器の密貿易もしていました。又、文久三年から慶応元年に至るまで広島藩は軍艦購入のため、薩摩藩から金十万両を借り、その返済方法として、米、銅、鉄、繰り綿などを御手洗で薩摩藩へ渡していました。(御手洗交易) このように、御手洗港が明治維新の影の舞台となったことは歴史家の知るところであります。 昭和十五年二月二十七日  広島県史跡指定
 
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越智醫院
 
    

▼乙女座

昭和12年、御手洗に劇場がなかったことから乙女座の建設を計画。その建物は建築の粋を集めたモダン劇場として一際目立ちました。戦後は昭和30年代まで映画館として親しまれ、その後は選果場に転用されましたが、平成14年3月、現在の形に復元されました。 くれナビ

 ▼村尾昌文堂 
 

松浦時計店:明治時代創業の時計屋。その時計店の目印になっているのが,レトロ調の赤時計の看板です。約70年前に造られたSEIKOの懐中時計を模した看板です。店内には140年前の創業時から休まず時を刻んでいるアメリカ製の大時計もあります。 ひろしま観光ナビ

    

 ▼北川家住宅

  ▼能地家住宅

▼川北家住宅

 ▼高田家住宅

▼旧柴屋住宅

 
▼今崎家住宅

 

▲天満宮

 

▼若胡子屋(わかえびすや)跡:御手洗で最大規模の町家

  

▼満舟寺の石垣
    

 

2016-03-19 06:24:17

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