古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

迦南俳句を読む19  横井迦南句集より

2017-05-30 10:41:06 | 横井迦南

写生自在17  朝鮮時代3

 

大根を洗ひ今度は甕洗ひ    迦 南

両手添へし頭上の甕や花杏    〃

甕に汲み頭にかつぎ春の水    〃

芽柳や岸もせに甕舟に甕     〃

 頭に物を載せて運ぶ運搬法を頭上運搬と呼ぶらしい。内地では京都

大原女などに遺っていますが、一般には廃れてしまってこの時代

には殆ど見られなくなっていましたが、朝鮮には広く遺っていたので

す。作はその習俗に興を覚えたのです。

 一句目は頭上運搬を詠んでいる訳ではないのですが、甕というのは

縁語なので採り上げてみました。ここは「今度は」という措辞が新しいと

いうか、変わっているところです。普通には「次には甕洗ひ」でつうじる

ところを、口語体にして意外性を出して成功しているのです。

 

 技術的なことをすこし言っておきましょう。泥のついた大根の入れてあ

る甕を抱えてきて、水辺にしゃがみ込んで、女がそれを洗い始めた。見

ているうちに、実にてきぱきとした身のこなしで小気味よく大根を洗って

しまい、今度は甕を洗いはじめた、これも軽快な動きで洗ってしまった

と言うのです。作業の一部始終を見ていて、若い女の手馴れたその仕

事ぶりに作者は感動しているのです。この感動をいかにして俳句に表

現するか、流石に迦南は手錬です。

 ~ひ~ひ という畳句の手法を用い語尾を連用止めとしました。連用

止めは句が軽くなって締まりが悪いので終止形で止めるのが普通で

す。この句で言えば「甕洗ふ」となります。ところが、それでは重いので

すね。ここを連用止めとし畳句の手法と組み合わせたために上記のよ

うな句解となるのです。

 このように俳句は叙法の力を借りて意を運ぶということがあります。

 

 二句目、「李下に冠をたださず」の諺をすぐに思い起こしますが、杏が

実になる前の花の咲いている時節、頭上に甕をかついで手を添えてい

る朝鮮女性の図です。

 三句目、これは水汲み女です。甕に汲んだ水が「春の水」であるとこ

ろに外の季節とは違う瑞々しさが感じられます。これも朝鮮女性を美し

く描いています。

 四句目、この句は「せにも甕」という表記がすこし判然としませんが、

わたしは「背にも甕」と解しました。甕を背負って岸を歩いている人がい

る、甕を積んだ舟が進ん行く、そして柳が芽吹いている。そういう春先

の風景を詠んだものでしょうか。甕という生活用具が朝鮮においては必

須のものだったように思われますが、これには何を入れていたものか、

今となっては考証物ですね。詳しい方がいたら教えてください。現代は

こういう用具もポリ容器なに取って代わられて甕などは骨董店に並ん

でいるだけかもしれませんね。


迦南俳句を読む18 横井迦南句集より

2017-05-29 17:41:30 | 横井迦南

写生自在16  朝鮮時代2

 

仲秋や市人の肩の冠影   迦 南

杖つきて扇かざして冠翁    〃

冠置く酒幕の窓や春の山    〃

 上記三句「冠」がキーワードです。李氏朝鮮時代に材を取った韓流テ

ビドラマが盛んに放映されていますが、そこに出て来る男優たちの

被っている帽子が「冠」のようです。位階によって形や飾り物が違うよう

ですが、詳しいことは分かりません。わたしの印象では鍔が広く透けて

いて屋内でも被っているようです。

 一句目、植民地時代の朝鮮でこれを被っていのは朝鮮人だろうと

思われますが、仲秋の強い日差しの中で「冠」の影が肩に落ちていると

いうのです。市人とあるので市中を歩いている朝鮮人の男となります

が、男たちは皆申し合わせたように肩に「冠」の影を落としている、それ

が注意を惹くというのです。内地では見られぬ光景だけに興趣を覚え

たのでしょうね。

 二句目、5・7・7と字余りになっていますが、接続詞の「て」がよくはた

らいて軽快です。座五は「カンムリオキナ」と読みたいですね。白い顎

髭なども想像されて朝鮮老人が活写されています。

 三句目、現在も酒幕というような形式のお店があるのかしりません

が、これは宿泊もできる大衆食堂らしいです。そこの窓に「冠」が置か

れてその先に春の山が見えるというのです。静物化した「冠」と明るい

春山の対比です。前二句は人物が詠まれ、三句目は朝鮮の春が詠ま

れています。いずれも佳品です。

 

 


佐久間伸一 バスリサイタル

2017-05-29 15:44:53 | 日記

 佐久間伸一バスリサイタルに招待され、県立劇場まで夫婦で観に行

ました。いやー実に素晴らしい音楽会で妻ともども感激、感激でし

た。

 本格的なバスを聴くのは初めてです。こういう世界的レベルの歌手が

熊本に居住していることを始めて知りました。「熊本シティオペラ協会」

というのが30年前から熊本に存在し、その中心人物佐久間伸一

のです。バスというのを始めて聴きましたが、なかなかのものですね。

ズシン、ズシンと腹に堪える音域でど迫力です。

 この素晴らしい音楽会の招待券をプレゼントしてくれたのは最近俳句

教室と古文書の会に入会されたばかりの松村さんという男性です。

 松村さんは「熊本シティオペラ協会ヴェルディ合唱団」の団員でオペラ

の曲を2曲披露してくれました。こういう方がわたしの会にいるのです

ら、なにか不思議な気がします。

 


迦南俳句を読む17  横井迦南句集より

2017-05-26 23:45:59 | 横井迦南

写生自在15 朝鮮時代1

 戦前の朝鮮は日本の植民地にされて朝鮮の人達は民族的苦難を余儀なく

た時代であったでしょうね。しかし此処ではそういう事には深入りしません。

わが南はその時期の朝鮮に職を得てその地に35歳から60歳までの25年間

を過ごています。龍山鉄道で管理職にまでなった人のようですが、職歴等につ

いては年譜にも詳しい記載がなく、職業人としての迦南像は不明確です。ただ、

俳人としての迦南なら相当数の俳句が残っており、作品を通してその人となりを

窺い知ることができ、また句に詠まれた風物をとおして朝鮮の往時を偲ぶことも

できます。しばらく、朝鮮時代の句を鑑賞していきます。

 ここにいう朝鮮とは李氏朝鮮以来の朝鮮のことで南北に分断される以前の朝

のことです。

 

旅かさね来し国境の春の雪    迦 南

 こういう句の面白さを俳句初心の方へ説明するのはなかなか骨の折

ることですが、わたしは得も言われぬ叙情味を感じています。

 国境というからには日本国内ではなく、朝鮮とか満州とか、或いは

もっと遠くモンゴルのことかもわかりません。要するに当時の言葉で言

えば外地における国境なのです。

 そういうところへ内地から遙々と旅を重ねて来たものだ、という感慨が

まず感得され、もとより観光などではなく、何か任務を帯びた旅行のよ

うに思えます。ある国境の駅へ降り立ったら春の雪が積もっていて、そ

れを目にしてちょつとの間だけ緊張感から解放されたというのです。

ぜそう言えるのかと言えば、それは季題「春の雪」の働きで、これ「吹

雪」、だったらそういう効果は生まれないでしょう。

 また、駅へ降りた場合ではなく、国境を通過する車窓の雪景色かもし

ません。それはどちらであってもこの句の趣に影響はないのです。し

かし初めの解の方が作者の思いによく寄り添えるものと思います。

 そしてもう一つ、これが最も重要なことですが、叙法のことです。 こ

の句には「切れ」がありません。「旅かさね来し国境の」まで一気に読ん

で、このフレーズ全体が「春の雪」の連体修飾語となっています。

 この叙法によってこの句に力強さが付与されました。ここは見逃すこ

のできぬところです。


膝栗毛34回  1人入会者がありました

2017-05-25 19:04:57 | 膝栗毛三編

「弥次郎、喜多八も口はたっしやなれども、しょうハ臆病者」、これが十返舎

一九付与した弥次・喜多像の一面です。

浜松宿の旅篭で幽霊を見て、きゃつと言って気絶する場面では皆さまから

笑い起こりました。笑いが起こるというのは読めている何よりの証拠

で、皆さに力が付いてきたということです。

鞠子宿あたりの頃はあんな面白い場面なのに誰も笑わなかった、否、読む

のに精一杯で意味を理解する裕がなかったというのが実情でした。

 

それから今日は新老人の会の谷山さんという女性の方が入会されました。


山椒の木に幼虫

2017-05-24 21:27:54 | 日記

これ何の幼虫でしょうか・・

久しぶりに雨催いの涼しい日になりました。庭の山椒の木の枝先に大きな幼虫がいました。山椒の葉が好物と見えて近くの葉は食べ尽くして体型が露わになっています。蛾の幼虫だと思いますが、どんな蛾になるのか楽しみに見ていきたいです。


鶴亀句会  5月例会  2017

2017-05-20 21:58:29 | 鶴亀句会

世話人の近田さんから句稿の短冊40枚が送られてきました。昨日は例会

だったのですが、わたしは都合で欠席。今月はアップできないと思っていた

ところへ近田さんの親切。

40句の内から10句を選抜しました。作者名は分かりませんが、近田さんに

い合わせて分かり次第書き込むことにします。

 

★麦秋や古戦場なるこのあたり      安月子

 麦熟るる畦が近道下校の子       安月子

 麦の秋車中に聞きし里ことば       小夜子

★短夜や始発電車の出庫する       武 敬

★旅に咲くものなべて白風薫る      山澄陽子

★芍薬の終の一片散る夕べ        山澄陽子

★人の世は儘にならざり亀の鳴く     山澄陽子

★緑蔭に開く句帳の未だ白         山澄陽子

 名城や亡父(ちち)の愛でにし楠若葉  小夜子 

 菩提樹の花が咲いたよ夕日色      小夜子

              ★・・・6句選ならばこの6句


膝栗毛33   シネマ膝栗毛

2017-05-14 14:33:15 | 膝栗毛三編

 

膝栗毛が映画になったようです。先日新市街を歩いていたら電気

館の前に写真の立て看板が立っていました。早速チラシを10数枚

もらってきました。次回の読み合わせ会で皆さまに配ります。

去年8月納涼歌舞伎で上演されて好評だったので、それを映画に

撮り直したものらしい。熊本は6月3日から電気館で公開されま

す。これは見逃せないですね。

200年も前の作品が今以て人気があるというのも嬉しいことです

が、それをテキストにして古文書の勉強会をしているのも何かの縁

ですね。

 


迦南俳句を読む16     横井迦南句集より

2017-05-13 16:07:27 | 横井迦南

写生自在13     優しい視線

 

子を抱いて母となり来ぬ初句会         迦 南

出迎へし児の手をひいて草の花     〃

島の娘等葛を刈りつつ唄ひつつ     〃

花嫁と乗り会ふバスや麦の秋       〃

子を負ふて梅の門辺に出てはまち       〃

眉目かたち五家の娘らしく葛の花    〃

金魚飼うて藤間の名取女住み      〃

草刈女憩ひ帯飼ふ話など         〃

製作年次が昭和20年代ですから、時代の古さが当然ながらあります。

路線バスに花嫁と乗り会う句など頰笑ましい情景ですね。今日では絶

対に見られな光景です。

テレビ、パソコン、携帯などのない時代ですが、それなりの暮らしのあっ

たことが窺えます。迦南の女性を見る視線が優しいのですが、ただ優し

いだけでなく人物の把握が深いですね。眉目かたちの句など、季題葛

の花の働きがすばらしいです。

 

 


俳誌「松」若竹號   主宰 茂木連葉子

2017-05-12 20:41:37 | 

 

                                   連葉子選

日脚伸ぷ仕事しまひの庭焚火  野元八重子  人吉

一月も半ばを過ぎると、一日に畳の目が一つづつ伸びると言はれるほ

日照時間が伸びて来ます。落葉をはじめ、枯れ草や木の枝など、冬

間は放置されてゐた庭の片づけをして、仕事が終った安堵感と共に

脚が伸びたことを実感してゐるのです。焚火をしても消防署から注意

を受けるやうなことのない広い庭が想像出来ます。 なほ、焚火が冬の

季語であるところから、季重なりを気にされる向きがあるかも知れませ

んが、「日脚伸ぶ」が中心季語であることは明らかで、心配は無用で

す。
 

師の逝きてよりの二十年梅の寺  勝 奇山   三浦

梅の寺とは、言はずと知れた花の寺として有名な鎌倉の瑞泉寺。

この寺に葬られることを生前より望んでゐた、先師・上村占魚の没後二

十年とは驚きです。忌日は、二月二十九日ですから、梅の寺の季語は

動きません。 

そして、親交のあった吉野秀雄をはじめ、放浪歌人の山崎万代などの

墓があることも忘れる訳にはいきません。 

かつての旬友、相州例会の勝奇山さんのことも当然。

 

室の花断りもなく睡魔来て  向江八重子    東京

春に咲く花を温室で栽培し、寒中でも鑑賞出来るやうにしたのが室の

花。昨今ではシクラメンが代表的な花として知られるとか。

そんな、室の花を前にして、作者はしばしば、ひたすら睡魔に襲はれて

ゐるものと思はれます。そして、そのことが、己の高齢と予測以上に

関ってゐることを大いに気にされでゐるのでせう。

しかしながら、季語の室の花が的確で、視点に新しさを確認することが

出来ます。

 

道具屋の言はずも負けて古都小春  後藤紀子  東京

古都小春とあるところから、処は鎌倉。

そして、古道具類を商ふ店での作者の遣りとりが詠はれてゐます。

即ち、壷か茶碗か、商品自体は分りませんが、作者はそれを見なが

ら、店主に値引きの交渉をするつもりでゐたところ、案に相違して先方

から「負けてあげるよ」なる言葉が発せられたといふ訳です。いかにも

古都の、小春らしい日和が詠はれることとなりました。
 

春暁の蛇口に今日のはじまりぬ    村中珠恵  ひたちなか

傍題を含めて、春暁は春の早朝を意味し、「曙」よりは早い時間のやう

です。 それらのことはともかく、水道の蛇口からほとばしり出る水に、

今日一目の始まりを確認させられてゐるのです。冬とは異なる水の躍

動感が、どちらかと言へば聴覚に訴へてゐるのが特徴で、主婦ならで

はの感覚の詠句ではないでせうか。

 

猫の恋波のしつかな日の漁港  山岸 博子  札幌

「あらすぢも仔細もあらぬ猫の恋 きえ子」とも詠はれた猫の恋。

この時期、句会の課題としても試みるのですが、類想旬も多く、一筋縄

ではでは行かない季語と思ほれます。 ところで掲句の猫の恋は、「波

のしづかな日の漁港」を舞台に詠ほれてゐます。既に糶は果てたであ

らう、広い漁港の静けさの中に、時折、恋猫の声だけが響くことがある

といふ訳です。

漁港の選択により、新味が生れました。

 

ぽんぽん船残せる音の霞みゆく   福本まゆら  島原

ぽんぽん船とは、かつてよく見られたぽんぽん蒸気漁船のことでせう

か。内燃機関からの軽い爆発音は、何とも心地よい音の記憶が私にも

あります。さて、掲句で詠はれでゐるのは、そんな音が水脈のやうに船

尾に残され、やがては霞んで行くといふのです。 久々に、楽しい俳句

に出合ふことが出来ました。

 

風生の桜餅とて買ひにけり    宮崎 羊子

「風生の」とは、富安風生のことで、その風生に有名な「街の雨鶯餅が

もう出たか」 (「松籟」) の句が背景にあることは皆さん承知の通りで

す。 皆さん承知の通りと言ひましたが、知らなかった方は勉強が不足

してゐたことを認識ください。 いづれにしても、前掲の句と同様に楽し

い俳句です。

 

菜の花のお浸しに酌む純米酒    祝乃 験   球磨

句意は明らかで、菜の花のお浸しに合ふ酒を酌んでゐるのです。純米

酒とは、七〇パーセント以下に精米した白米と米麹で醸造した清酒の

ことで、吟醸酒などとは異なります。しかしながら、その酒のレベルが菜

の花のお浸しとよくマッチしてゐるといふ訳です。 外気温などとも関連

があるところから、お爛をしたのかどうかは不明ですが、私なら「ぬる

爛」 にします。それこそ蛇足ながら。


膝栗毛32  浜松宿に着く

2017-05-11 18:59:26 | 膝栗毛三編

読み合わせ風景。復興支援センターのスタッフの方に写真を撮って貰っていますが、撮り方が巧くなりました。

 

膝栗毛の読み合わせ会も31回を迎えました。会員が増え、1回で読み進むページ数が増えて、講師もなかなか大変です。

何が大変かというと、質問に答えられるようにしっかり予習をしておかねばならないからです。またテキスト作りも馬鹿にならない手間がかかります。

1巻34,5枚あるのですがこれにページを振ったり崩し字を楷書で書き入れたり、事務量が結構あります。

でも、これだけの努力を続けているお陰で知識も増え崩し字の識字率も向上しました。最も成長しているのは講師です。

 


迦南俳句を読む15  戸馳島の句碑

2017-05-10 18:26:20 | 横井迦南

不知火をまつかゞり火にうしほよせ 迦 南

 

時々雨の落ちてくる生憎の天候でしたが午後から上がるという予報をを当てにして戸馳島まで句碑を拜みに行ってきました。

 案内板は少し大きめの写真にしましたので説明文は読めるはずです。

 

句碑の建っているのは若宮海水浴場の一角で、海水浴場はきれいに整備されていました。この海が不知火海で対岸は八代市です。

さて、迦南の句ですが、海岸に大勢の見物客が押し寄せて不知火の顕れるを待っています。空に月の無いときで、篝火が何本も焚かれ燃え盛っています。

この時は満ち潮だったのでしょう。沖合いから潮が寄せてくる、その波頭が篝火に照らし出され、また、群集の姿もその灯りのなかにあります。

これから見ようとするものが、怪火であるだけに独特の雰囲気もあるのでしょう。それらを省略の利いた見事な句に仕上げました。

何が省略されたかと言えば群集。不知火を主体とすれば群集は客体なわけで、いわばその場における主役のはずなのに、それを篝火を掲示して省略するのですから、写生の冴えを見て取るべきです。

 


迦南俳句を読む14   横井迦南句集より

2017-05-09 16:21:29 | 横井迦南

 写生自在12  老いを詠む

せめて世に交はる流行風邪をひき  迦 南

此処とてもまた仮の宿日南ぼこ     〃

寒梅の咲いて何やらはげまされ      〃

移り来て球磨の夕野火見ることも    〃

老人とみられたくなく日記買ふ      〃

老いぬれば何あてもなき冬至まち    〃

布団敷きに来し宿の婢に年問はれ    〃

起き臥しの老いの布団のあげおろし   〃

 

われ老いたり、という句をならべてみました。どれも平明で解釈の難し

い句はありませんね。しかし切々として読み手のこころに迫るものがあ

ります。

年を取って生を終える問題は誰にとっても重大事です。しかし、俳句は

そのような問題に関わるには最も不向きな文芸なのです。季題を通し

てわずかに想いを吐露する、それで精一杯なのです。

しかし上掲句などを読めば哀情惻々たるの感を否み難いのも事実で

す。


迦南俳句を読む13   横井迦南句集より

2017-05-08 07:46:46 | 横井迦南

写生自在11  女性を詠む

  

  向島水神八百松

水鶏なきかへしてほしくをんな居り  迦 南

 

迦南年譜の記述に「昭和17年5月13日、東京向島水神八百松に韮城・胡藤・木村氏に誘はれて水鶏を聞きに行く。」とあり製作年次が分かります。

また迦南を誘った3人のうち、韮城というという俳人について、虚子句集「五百句」の中にその名を見付けたので参考までに以下に記しておきます。

秋の蚊の居りてけはしき寺法かな 虚子

大正十三年 鮮満旅行の途次、十月十四日平壌にあり。華頂女学院に於ける俳句会に臨む。正蟀、帆影郎、沼蘋(しょうひん)女等来る。韮城(きゅうじょう)、橙黄子、雨意等同行。

八百松というのは向島水神の松林の中に江戸期からあった高級料亭のことで、迦南はそこに居合わせた芸者もしくは仲居のなかの一人に感興をおぼえたものと思います。そしてできたのが掲句です。

わたしはこの句をみる度に黑田清輝の洋画「湖畔」を思い起こします。

「湖畔」は芦ノ湖で納涼をしている女性を描いた絵ですが、人物の表情は浮世絵などの美人画と違って理知的な近代女性の眼差しをしています。絵のモデルは当時26歳の芸者だったといわれています。

迦南が八百松で見た芸者もこのような女性ではなかったかと想像します。背景になっている湖が迦南の場合は隅田川。

絵の趣としては「湖畔」には時鳥が似合い迦南の方は水鶏(くひな)です。「湖畔」は和歌的で貴族趣味。迦南の方は俳諧的で庶民趣味。そういう比較でこの句を鑑賞できると思います。

「迦南俳句を読む11」でわたしは「麦秋の医者を床屋に探しあて」という句について類句は句集中に1句もないと書きましたが、そのときは気が付かなかったのですが、この水鶏の句はその類句ですね。

両句に共通するのは1句に切れ目がなく散文的であるということ、こういう作り方をすると、句の印象を曖昧にすると言って初心の頃は注意されたものです。迦南のような超上級者になると、そこをきわどいところで残して佳句に仕上げてしまいます。

 

水鶏は今ではほとんど見られなくなっていますが、昔はどこにでも居た水鳥です。虚子編歳時記より季題「水鶏」を引用しておきます。

「夜鳴て旦に達す。声人の戸を敲くが如し」といはれる鳥である。「蓋し水辺にあつて、晨を告ぐ、故に水鶏と名く」と三才図会に書いてある。春来て秋去る候鳥で、水辺、沼沢の雑草中に夏を越す。叢中を潜行して滅多に飛ばないので姿を見ることは稀である。カタカタと連続して聞こえるのは緋水鶏といふ類で、六月頃の交尾期によく鳴くといふ。動物学上では水鶏は誤用として、秧鶏と書く。

 

 

 

 

 

 


熊本城・坪井川園遊会

2017-05-06 19:24:58 | 日記

5月6日(土)、8時30分、熊本森都心ビル広場集合の「近代日本熊本を歩く」に参加しました。

朝目覚めたら雨が降っているので、今日は中止か、と残念に思いましたが、7時ごろには雨は止み、これなら出来るだろうと7時半に健軍終点から市電に乗り込みました。

 

たくさんの人が受付にならんでいました。前もって参加登録していたので参加費500円を支払いコースの説明書をもらいました。その時受付名簿を覗いたら当日受付の人数も含めて百10人ばかりの名前が書いてありました。この催しは年々発展しているようです。

白川橋を渡る。この橋もひさしぶりだなあ・・

白川橋から下流旦過ノ瀬を望む。ここは天正8年頃御船の甲斐の宗運と隈本の城親賢との戦のあった古戦場です。戦いは御舟川や緑川の水練で鍛えられていた宗運軍の大勝利に終わったと伝えられています。

石光真清生家。真清についてはリンクを参照ください。

画像をパソコンに落として拡大すると文字が読めるので興味のある方はどうぞ。

本山神社。元弘2年(1332)領主詫麻氏によって創建。領主の子の詫麻宗直が高熱におかされ、領内が洪水で困っていたとき、大亀を神前に供え祈祷しその亀を白川に放流したところ、たちまちにして高熱が引き、晴天となって水が急速に引いたと伝えられている。それ以後氏子たちは亀をお供えし、亀を食することを禁じたので、村はますます栄えたと神社の由緒書にあるとか。

長六橋を左岸から右岸へ渡る。この橋の下流右岸は下河原と称し、江戸時代は罪人の処刑場がありました。

 

散策コース全行程。

森都心広場→石光真清生家→本山神社→日新堂跡→薩摩屋敷

跡→放牛地蔵→御舟口→長六橋→加治屋町→往生院跡→唐人

町通り→明十橋→富重写真場→船場橋→桜橋→坪井川沿い→城

塞苑   延長 約3.5Km