古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

熊本新老人の会 鶴亀句会 3月例会

2017-03-17 14:12:49 | 鶴亀句会

会日時   2017-3-17  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   7人 

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  6句投句 6句選   兼 題  踏青

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へ。

次 会    4月21日(金)10時パレア9F 兼 題 陽炎

鶴屋東館の句会場9Fまでエレベーターで昇ると、ほんのちょっとの間だけ春光に輝く市街の風景が眼下に展開します。好天にも恵まれ楽しい句会になりました。今回は7人全員出席の句会となりました。

山澄陽子選

青き踏む鞄抛りし幼き日         安月子

三月や祈願の鈴の鳴り止まず       〃

引越せる庭にもやはり桜咲く       武 敬

田楽の小芋の粘り賞でにけり        〃

よき友と師に恵まれて卒業す        〃

引鴨の果て点となり終に無し       礁 舎

ふり返り見れば果たして沈丁花       〃

青き踏む幼子の足まだ白し        純 子

子供等の声高らかに青き踏む       〃

群青の空に一点春の星           〃

出迎への母と摘草せし下校       茂 子

蕨採る仰げば空に虹淡し          〃

地震跡の地割れそのまま青き踏む   綾 子

誰も来ぬ一人狭庭に青き踏む       〃

 

先生の句

一峯を残し連山笑ひけり

春暁やふと一人旅してみたく

寝静まる塒に上る春の月

物影に冬の名残のありにけり

啓蟄や靴を磨けば旅心

春雷の愁ひを消して去りにけり


俳誌「松」百千鳥號   主宰茂木連葉子

2017-03-12 19:07:23 | 

 

                    雑詠選後に  連葉子 

路地を行く検針員や初しぐれ    山岸 博子

 検針員とは、電力・水道・ガスなどの使用量を知るため

に、各家庭のメーターの目盛を調べることを生業とする人

であることは承知の通りです。

日頃、そんな人たちを見かけることがあつても言葉を交

すわけでもなく、それと認知して目礼を交す程度ではない

でせうか。

 前置が長くなりましたが、そんな検針員が路地を行き、

折からのしぐれが、今年になってから初めて、その人の肩

に降りかかつてゐる、それだけのことなのです。

 それだけのことと言ひましたが、さりげなく一句は時雨

の季節の到来を、活写しでゐます。

 

初東風や歌垣山にちさき雲    村中 珠恵

 東風は、あたたかいとまでは言へないまでも、いよいよ

春といふ希望をもたらしてくれる風です。

 ところで、掲句で詠はれてゐる「歌垣山」とは、茨城県

南西部に位置する筑波山。「西の富士、東の筑波」 と称せ

られ、風土記や万葉集の 「か、がい」 の記事などに名高く、

古来の歌枕として知られてゐます。

 そんな歌垣山に吹き始めてゐる東風。そして、それにか

かはる、ちさき雲だけが詠はれでゐます。

 表記を間違ひ易い 「小き」を、平仮名表記としてゐるの

も賢明です。

 

赤き実に触るればこぼれ冬に入る    温品はるこ

 触れればこぼれるといふ 「赤き賓」が何なのか、探って

みましたが、肩に触れる高さの赤き賓を特定することは出

来ませんでした。

 そこで気がついたのは、もとより作者は特定の植物をイ

メージしてゐるわけではなく、「冬に入る」一つの条件と

して措いて見せてゐるのです。

 そしてそれが見事に成功して、読者までそんな気持にさ

せてくれてゐるといふわけで、俳句のおもしろさを確認す

ることが出来ました。

 

竹爆すこだまも谷戸の冬用意    安部 紫流

 この句の場合も前の句に似て、「竹爆すこだま」 の内容

や目的が分らないまま、「冬用意」 の句として評価し、選

ばせでもらひました。

 もちろん、気分としては前の旬と同様に分るからこそ選

んだもので、作者に内容を確認してみることは残念ながら

怠りました。そして「竹爆す」としてみたものの、原句は

「竹爆く」となつでゐたことの確認もまた、怠ってしまひ

ました。

 

除夜の鐘の残響しかと胸に抱く    園田 篤子

 除夜の鐘の音を開きながら、人は誰でもそれなりの感慨

を覚えるものですが、一句の特性は、何と言っても、「残

響しかと胸に抱く」と詠はれでゐることです。

 後を引く鐘の音を「残響」とし、さらに 「胸に抱く」と

した組合はせが非凡です。

 そして、上五を「除夜の鐘の」と字余りにしたことも成

功の一因をなしてゐます。

 

あれもこれも運休となる大吹雪    赤山 則子

 運休とは、交通機関が運転・運航を休止することである

ことは言ふまでもありません。

 「あれもこれも」と言ふのですから、北海道内の特急列

車をはじめ、鈍行までも。そして千歳空港から本土行きの

飛行機も運休となってしまったことが想像出来ます。

 蛇足ながら、夏や秋の好シーズンばかり北海道へ出掛け

てゐた私は、一度、真冬にやって来て、猛吹雪のバス停で

バスを待ってみてください。と言はれたことを思ひ出しま

した。

 もう一つ蛇足ながら、則子さんの住む岩見沢は、どか雪

で有名です。

 

池中に埋火のごと冬紅葉    菊池 洋子

 埋火(うづみび) を知らない、どちらかと言へば若い人

たちに解説すると、埋火とは灰に埋めた炭火のことです。

とりわけ火鉢や炉などで火種を長持ちさせるためや火力を

調節するために炭火を灰で覆っておくものです。

 そこで掲句は、池の中に散り沈んだ「冬紅葉」をさなが

ら埋火のやうであると詠ってゐるのです。

 「埋火のごと」なる直喩が、評価される所以です。

 

残照の平らに澄める文化の日    向江八重子

 日没後、なほ空に照りはえて残ってゐる夕日。

 そんな夕日が平らに澄んでゐることを見届けた作者は、は

たと文化の白であることに思ひが至ったのです。

 平らに澄む辺りが、いかにも平穏な文化の日に相応しく

思へるのです。

 

紡ぎ出る言葉もあらず冬の雨    小林まき子

 綿や繭を糸より車にかけ、その繊維を引き出して撚りを

かけて糸にすることを、「紡ぐ」 と言ひます。

 ところで、「紡ぎ出る言葉もあらず」 とは、折からの冬

の雨を厭ふあまりの感想、感慨なのです。

 暗喩のややこしさが感じられるものの、冬の雨に対する

視点の新しさを評価しました。

 


膝栗毛29 見学者3名

2017-03-09 23:08:52 | 膝栗毛三編

 大井川の川支えで岡部宿に足止めをくらっていた弥次・喜多は川止めが明い

というので三島宿を目指して勇躍岡部宿を発ち3里余の道を急ぎます。ここで

も色々と失敗談があって面白く、楽しい読み合わせ会になつています。人数が

増えた効果も出て来たようで、活気に満ちています。

今回も3人の見学者があり内1人は入会されました。


講演会「学んで守ろう熊本の歴史遺産」

2017-03-07 12:00:48 | 歴研

熊本被災史料レスキューネットワーク主催講演会「学んで守ろう熊本の歴史遺産」

大慈禅寺と本妙寺―被災寺院の知られざる歴史と現在―

開催趣旨

昨年の熊本地震では、多くの文化財とともに未指定の寺社建造物や仏神像、石造物も被災しました。
しかし、寺社の歴史について、市民的な理解度は決して高いとはいえません。
大慈禅寺と本妙寺を対象に、その豊かな歴史を知り、復興への取り組み方を考えてみましょう。



日 時:2017年3月18日(土)13:00~17:00

場 所:熊本県立美術館講堂(熊本城二の丸)

講 演:伊藤幸司(九州大学大学院准教授)…大慈禅寺

中野 等 (九州大学大学院教授) …本妙寺

コメント:上田純一(京都府立大学特任教授)

平川 新 (宮城学院女子大学学長)


昭和20年1月の日記

2017-03-03 09:23:54 | 日記

 以下の文章は岡野允俊さんの日記です。岡野さんは「健軍三菱物語」の編集  

で知られる方です。岡野さん17歳の日記です。往時を知る1級資料ではない 

でしょうか。

 

昭和20年1月1日
決戦の年の始めを軍隊で迎へた。総員起こしと同時に1種軍装に着替へ朝比叡山麓に登る。雪が降ってゐた。手はちぎれる程冷たい。ご来光を仰ぎ戦勝を祈る。これが朝礼であった。
 あさみどり 澄み渡りたる 大空の
 ひろきを己が心ともがな
御製奉唱を終へ、すがすがしい気持ちで下山す。雑煮で新年を祝ふ。一人6個あてのダンゴのやうな餅であった。08:00軍艦旗掲揚、隊内神社に参拝す。10:00祝賀食、銀飯、大根、人参の煮付け、鯉汁、数の子、肉の煮しめ、タコの酢もの、ラッキョウ、ビスケット、みかん6個、婆婆ではとてもこんな食事は出来まい。
夕食後軍歌演習あり。

1月2日
初めての自由外出許可。09:00隊出発。坂本のクラブに寄る。佐藤医院といふところで中々感じのよいところであった。入隊以来初めてタタミに座りこむ。3ヶ月ぶりに大津の町に出る。町の人々と比べると我ながら逞しくなったやうな気がする。海仁会、映画館へ行く。映画「土俵祭り」を見る。15:30帰隊す。帰隊時刻に遅れたら禁固刑ださうだ。海軍では時間に遅れたら艦が出港してしまふからださうだ。金銭出納を報告する。

1月4日
課業始まる。3日間休んだので、また張り切って今年のスタートを切らう。

1月7日
半舷外出、早足で大津市内に向かふ。海仁会で昼食を済ませ大津市内を歩く。大津駅で代用うどんを食べ、その後映画「進め独立旗」を見る。電車で帰隊す。
電車賃10銭、映画18銭、うどん35銭、色鉛筆60銭、合計1円32銭也。

1月8日
積雪1尺余。朝掃除は雪かき作業。体操のときこの寒さの中、裸になれといふ。腿が針をさすやうに痛い。練兵場を廻って近江神宮まで駆け足。通信査定あり、100点なり。班長より特別にハガキ1枚を貰ひ早速家に出す。

1月9日
昨夜8班の練習生が自殺した。通夜に出る。軍艦旗に包まれた棺。その上に組まれた軍刀、軍帽。両親も放心したやうに同席してゐた。昨夜「巡検おはり」の号令を聞いて、隊内を走る江若鉄道の列車に飛び込んだといふ。

1月11日
敵リンガエン湾に上陸を開始せり。食卓番なり。朝みそ汁、人参、菜。昼、スイトン、福神辛責、夕、大根、イカの煮もの。陸戦、分隊戦闘訓練。さして苦痛なし。

1月12日
雪、小包受け取る。熊本からであった。発光信号訓練。辺りが真っ暗なので記録用紙の外に書き込み点を落す。喉痛し。終日頭痛あり。通信査定100点なり。3班97、87で分隊3位なり。

1月13日
夕べひどい地震があった。(註、三河大地震なり)隊内哨戒第二配備となる。運用の時間に結索法を習ふ。午後大掃除。

1月14日
外出許可、映画「雷撃隊出動」見る。午後警戒警報が発令されたので急いで帰隊する。

1月15日
満17歳になる。風速大。体操、新唐崎まで駆け足。のど痛し。分隊点検あり。

1月16日
寒稽古、縄跳びをやる。冷たい風が肌をさす。この寒さの中、まさか裸にされるとは思はなかった。手の冷たいことこの上なし。朝礼時気分が悪かったので診察を受ける。結果休業となる。

1月19日
診察の結果「全治」となる。通信査定100点なり。3班第2位なり。班長機嫌よし。飛行機雲多数現る。

1月21日
寒稽古、日吉神社まで駆け足。きつし。外出許可、クラブへ行く。暫く休んで大津に出る。使用金高、絵葉書45銭、切手15銭、下敷き21銭、計81銭なり。

1月23日
寒稽古、新唐崎まで駆け足、午前中形態適正検査あり。通信の時間に第一配備になる。遠雷の如き音が継続的に聞こえた。大阪の空襲がこんなところまで聞こえる筈もないが。昼、大根の煮詰め、たつくり、じゃこ、夕、かぶらの煮込み、タコ。

1月24日
昨日に続き形態適性検査あり。午後体位検査。身長155、4糎、体重46、胸囲77、肺活量など測定。

1月26日
寒稽古、縄跳び、手冷たし、清水練習生入室となる。 手旗信号、旗流信号、通信の試験あり。

1月27日
寒稽古止め。午後大掃除、短艇作業要因として行く。楽だった。班長機嫌よし。
昼、魚肉、玉子、味噌汁、夕、魚、肉、漬物。