古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

俳誌「松」 向日葵號 令和元年七月號  2019-7-27

2019-07-27 11:15:42 | 

 

主宰五句  村中のぶを

 いわき白水阿弥陀堂
角ぐむ蘆水のひかりや阿弥陀堂

春の落葉一火山房寂び寂びて

春障子師のこゑのして空耳か

夏茱萸や山肌はなほ雪残し

栃の花省廰街の窓々よ

国宝いわき白水阿弥陀堂

 

松の実集

薔薇の名  吉永せつ子

大いなる句碑に影打つ若楓

薔薇の名はプレイボウイと手折り呉れ

門川を濁し卯の花腐しかな

小糠雨渦つややかに蛸牛

ぬばたまの水面へつつと落螢


岩煙草  菊池洋子

光雲を吹き払ふ風朴の花

誰が炷きし香よ墓辺の岩煙草

梅雨ごもり黑の片減りならし磨る

少年の凜々しさにあり肥後菖蒲

松山(しょうざん)の至芸の蒔絵窓青葉

岩煙草

 

青  嵐  西浦大蔵

花屑の風に一つは蝶となり

仕舞屋の空地の増えて柿若葉

城若葉陰うつところ舟下る

青嵐城趾の森を傾けて

城址の石垣の崩え青嵐

 

埴輪の里  西村泰三

大埴輪麦秋の里見やるかに

青葉の陽笠に受けつつ大埴輪

いと小き埴輪の乳房青葉照る

瞳を細め聞くかに埴輪囀れる

梅は実に出会ひ埴輪の里に成る

 

雑詠選後に  村中のぶを

逝く春に惜しむセーヌの大伽藍  宇田川一花

 作者は経済学で名を成し、内外に名の通った方で、さすれば海外への訪問も多かった事でせうし、掲句はその折りの回顧の一句と思ひます。それも「惜しむセーヌの大伽藍」とは、まさしくノートルダム大聖堂延焼崩落の事でせう。
  人は老いて誰しも往事を精しく思ひ出すと言はれてゐますが、それは寂しくもあり、華やかなことでもあります。 作者にとっては後者の事だつたかと思ひます。季語の「逝く春」もまた堂塔への賛美をこめて・・・。

春の月また逢ふことのありやなし  松尾照子

一句はさして特別な内容のある旬ではありません。しか しいつか愛諭的な句風に心誘はれます。それも結句の 「あ りやなし」 の措辞に引かれます。ありやなし、連語の一つ とされ、有るのか無いのか、はっきりしないといふ語意。
用例に
 筍や目黒の美人ありやなし    正岡子規
 からたちの花の匂ひのありやなし 高橋淡路女 
など歳時記に見えますがそれぞれ非凡の作風です。

母の日や母亡き生徒の贈りもの  竹下和子

「母の日」、母への感謝の臼で、亡き母を偲ぶ者は白、母 ある者は赤のカーネーションを胸に飾ると歳時記にありま すが、昨今は物を贈る人が多いやうです。掲旬は母の亡い 生徒からそれを受けたと叙してゐます。生徒とは中学、高 校生を指してゐますが、それはきつと、何しろわが亡母に 通じるやうな、共通の物ではなかつたかと第三者は想像し ます。  心洗はれる一句。

句碑親し湖畔に淡き春の雲  村田  徹
 

 掲旬は作者の住まひからして、熊本市江津湖畔の宗像夕 野火句碑の叙景でせう。作者にとっては師と仰ぐ人の句碑 で、  

 ひるがへるときの大きさ夏つばめ    夕野火

と自然石に刻まれてゐます。作者には先に芭蕉林の句があ りますが、掲句もまた句碑と共に明るく簡潔に周辺の光景を叙してゐます。

新仏像衣文流麗四月尽  金山則子

 「新仏像」、新らしく望まれて安置された仏さまの事でせ うが、それは立像か座像か、「衣文流麗」とはその着衣の 避がうるはしくなだらに流れてと叙してゐます。と立像の 容姿が浮かんで来ます。また仏像とは”仏陀の像“の略で すが、一般には阿弥陀如来や菩薩を指します。 一句は新らしい容貌の仏様を迎へて同時に季節の節目を 心に留めてゐるのです。それに句の叙法に注目。

柵の牛なんじゃもんじゃの花の下  那須久子

 「なんじゃもんじゃの花」、なんじゃもんじゃ(ひとつば たご)は珍木とされ、五月頃の開花と各辞書や図鑑に見え ますが、手元の四通りの歳時記には記載がありません。作者は球磨の水上村の住まひ、十五米か二十米にも及ぶ高木、 その白い花の下の牧牛、自づと村のたたずまひが想像され ます。

 

駅前のトラットリアに初夏の風

「トラットリア」、小さめで庶民向きのイタリア料理店と 辞書にあります。そこに「初夏の風」とは実にお酒落な光 景です。なにか此所だけ地中海の風でも吹いてゐるやうな 明るい思ひがします。

芽柳や鮒取神事の泥の飛ぶ

 「鮒取神事」、母が八代の人でしたので鮒取りと言って開 いたことがあります。宗像夕野火編の 『火の国歳時記』に依ると四月七日、石川宿祢を祀る、八代郡鏡町印鎗神社祭礼の事で、第十四代仲哀天皇の御代、石川宿祢が賊徒征伐のためこの地に来たとき、神社裏の鏡ケ池から鮒を手掴 みにして捧げたといふ故事にならつて、毎年鮒取神事が行はれ祭の呼び物になったとあります。掲句と共に先の五月(若竹鍍)でも西村泰三さんが松の 実集で鮒取神事を迫真的に詠じてゐますが、斯うして皆さん方が自ら暮らす郷土の自然と人々の習俗などを、各人の 写生と季節感で詠みつづけてゆく事は俳句といふ次元を超えて、真に尊いことだと強く思ひます。

新樹光勢至菩薩の指の照り  落合紘子

「勢至菩薩」とは、凡そ阿弥陀如来の右に脇侍する菩薩 で、お独りで信仰されることの少ない仏であって、半伽政 坐に合掌のお姿です。「新樹光」「指の照り」、初夏の頃の 山内と御堂のきらやかな点描です。

万物の令和寿ぐ五月来ぬ  釘田きわ子

 新元号を祝ふ一句、それも出典は万葉集といふ、すくな くとも詩歌に親しんでゐる私達にとっても五月一目、晴が ましい目でした。「万物の」「五月来ぬ」、総てを言ひ止め てゐます。 

桜東風半年ぶりの窓を拭く   中山双美子 

 東風、ちは風、こは不明と辞書に見えますが春到来の風 で、いろいろな名があります。掲句は札幌の方、「半年ぶ りの窓を拭く」とは南の私共にとっては意外な事。なほ半年ぶりにではなく半年ぶりのと叙した差違を、作意上些細 な事ですが心得ておくべきでせう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鶴亀句会 7月例会  2019-7-19

2019-07-20 10:09:42 | 鶴亀句会

会日時   2019-7-19  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   9人(不在投句2名) 

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  5句投句 5句選   兼 題  火取虫

近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左

次 会   8月16日(金)10時パレア9F  兼題 新涼

山澄陽子選

桑の実や友と口開け見せあへり        武 敬  

糸瓜忌や土砂降り試合中断す          〃

夏木立大蔭を打つ外野席           礁 舎

一喝の雷に散りぢり小かまきり         〃

憂晴らし心ゆくまで水を打つ          〃

梅雨寒し椅子にもたれて本を読む       綾 子

一人居の部屋は暗くて梅雨寒し         〃

水打つや石の匂ひの立ち上がる        安月子

水打って良き夕景となりにけり         〃

石畳打水光り客を呼ぶ            純 子

打水ののれんくぐりて友を待つ         〃

宥暮れの父帰る頃水を打つ          小夜子

打水のぬるぬる匂ふ路地の風          〃

初夏の旅果てて独りの朝餉かな         〃

梅雨晴間ローランサンの空の色        優 子

木漏れ日のけやき並木や蝉時雨         〃

打水や声かけ通る人のあり           興

何ねらふ白鷺川に立ちしまま          〃


「江戸往来」初版本の発見

2019-07-11 20:23:31 | 江戸往来

 坂川暘谷著「江戸往来」の読み合わせをやっていますが、平井さんが珍本があったといってボロボロの和綴じ本を持ってこられました。写真を掲載しましたが、これがナント「江戸往来」の寛文10年版でした。初版は寛文9年ですから、ほぼ同時期の版物です。裏表紙に「寛文十庚戌年九月吉日」書林五兵衛とあります。


寛文10年(1670)板行といえば350年が経過しています。申し分のない古さです。


所有者の落書きがありますが重ね書きのために判読できません。

 


裏表紙。所有者は貞享5年に購入したようです。■村七兵衛というのが所有者の名前のようです。

 


ルビが振ってあり訓点も施されているので読みやすいです。暘谷のは白文ですから講師は苦労しています。