古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

熊本新老人の会古文書サークル  膝栗毛23 五大力のぴらぴら

2016-09-29 22:38:14 | 膝栗毛後編

歌麿 柱かくしゑ

「五大力のぴらぴら」は上の絵にある簪のことで享和の頃江戸の遊女の間で

流行っていたらしい。駿州三島宿の飯盛女お竹もこれを挿していた。

上部の雲型に三本の鎖を通しその鎖の先に銅板を刳り抜いた五大力の三文

字をぶら下げたものだが、銅板には金又は銀のメッキが施してあり、それがぴ

ぴらと揺れると大変きれいで、遊女たちはその美しさを好んだ。

尤もお竹のような下層の飯盛りには高価過ぎて買えないので水銀をこすり

けて製する銀流しというまがい物でごまかしていた。大枚二四文をはたいて

買ったとお竹は言うが、二四文というのはささやかな価格である。

 

弥次・喜多は親子という触れ込みで道中を続けて来たが、それは飯盛り除けの偽装であった。

親子連れの客に飯盛りを勧める宿はないだろうという推察は的中して路用の節約になっていたのだが、もともと遊び人の二人にいつまで我慢できる訳もなく、

ついに三島宿で飯盛りを買うことになった。弥次の相方はお竹、喜多のはおつめときまった。さてどういう珍騒動がもち上がることやら・・・


熊本新老人の会 俳句サークル 鶴亀句会 九月例会

2016-09-16 15:12:13 | 俳句

句会日時   2016-9-16  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   6人

指導者    宮中千秋(ホトトギス同人)・・山澄先生骨折入院のため代理をお願

         いしました。

出句要領  6句投句 6句選  兼題「十六夜・秋草」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次回兼題  「コスモス・小春日和」

 

「朝日俳壇」の稲畑汀子選に山澄先生の句が入選しました。

   城の威は崩れてをらず雲の峰  山澄陽子

 なかなかスケールの大きい立派な句と思いました。今度句会でお目にかかったらお祝いを申し上げようと思っていた矢先、圧迫骨折で急遽入院されました。

 世話人の近田綾子さんの説明によるとご主人さまの看病で無理をなさったからということでした。まことにお気の毒です。心よりお見舞申し上げますとともに一日も早く退院されて句会へ復帰していただきたいと願っています。

 指導者不在の句会は、糸の切れたタコ、気の抜けたビールのようなもので中心のない会になつてしまうので、近田さんに奔走してもらい宮中先生に来ていただくことになりました。

 聞けば宮中先生は山澄先生の前任の指導者で、鶴亀句会の名付け親だそうです。わたしは新参者でこの会に鶴亀句会という立派な名前のあることを知らずにいました。まことに迂闊な次第です。

 また宮中先生は山澄先生を育てられたお師匠さんであることも初めて知りました。時間の経過とともにいろいろな事が分かって来るものですね。

  鶴亀句会 宮中千秋選(三十句より二十二句選抜その中より特選七句●印)

飛びたてる天道虫や掌          礁 舎

地震など知らぬ顔して秋の草      武 敬

十六夜の照らす地震禍の城の屋根  綾 子

●秋草の風それぞれの音ありて      安月子

十六夜や余震の続く町照らす      武 敬

●もてなしと言へど秋草活けしのみ  安月子

地震跡の倒れし墓や秋の草      綾 子

秋草も咲き揃ひたる野辺の径     茂 子

●秋草にテニスボールの来て止まり   礁 舎

秋深し病状語る友の声         武 敬

●くずれたる城壁に生ふ秋の草     綾 子

●永らへて露けきことの多かりき    案月子

●秋草を引けばこぼるゝ浜の砂     礁 舎

十六夜や亡夫への想ひこみあぐる 綾 子

颱風の逸れたるあとの安堵かな   武 敬

早々と庭の草花紅葉づれる      茂 子

滝水を引いたる暮らし新豆腐     安月子

●新涼や立子句集をひもとけば    礁 舎

秋草に陽のさゝぬ間の朝散歩    綾 子

どろどろと雷神の鳴るばかりなり  礁 舎

天気図の台風の目の育ちつゝ    礁 舎

 

先生の六句(○印は点の数)

藻を刈って積みし匂ひや秋の暮

○○手すさびに俳画を描き子規祀る

○耳遠くなりしかなしさ秋の風

○列島に秋雨前線居座りぬ

○地蔵尊祀る峠の花芒

○山荘のもるゝ灯りの露けしや

 

 

 

 


俳誌「松」鰯雲号  主宰 茂木連葉子

2016-09-15 22:20:17 | 俳句

 今号から「松」はオンデマンド印刷になったそうで、表紙絵がカラーになりました。発行部数の減少による印刷費の節減のためだそうですが表紙絵がカラーになるのですから、よく飲み込めない話です。しかし、これからはBENさんのイラストがカラーで楽しめます。

 イラストの植物は萩だとおもいますが、やはりモノクロよりカラーの方が何倍もきれいですね。帯の色は萩の花色にしたかったのに明るくなりすぎたとBENさんが言っておられますが、オンデマンドはそんなところに弱点があるのでしょうか・・。

 

雑詠  連葉子選

生き死にのはざまに震へ春の闇      熊本  池原倫子

二番子の燕を立たせ納屋を鎖す       富岡  小鮒美江

どの坂を行きても運河風かをる       札幌   山岸博子

人形も昼寝の刻や児とならび        島原   林三枝子

列島の一木一草梅雨のなか         島原   原田祥子

借景の富嶽全しつつじ園           東京  向江八重子

若竹の突きぬけあそぶ風の中       東京   寺山ひろし

天草の磯の奇岩や夏つばめ        島原   福本まゆら

流れては雲につまづく水すまし      東京   大江妙子

あぢさゐの毬の打たるる水面かな    遠賀  安倍紫流

逆立ちをしては鴨の子流さるる       東京  温品はるこ


熊本新老人の会古文書サークル  膝栗毛22 鞠子宿

2016-09-11 15:56:36 | 膝栗毛後編

梅わかな鞠子の宿のとろろ汁  芭 蕉

猿蓑」撰のころ芭蕉は京都に滞在していましたが、弟子の乙州(おとくに)が仕事で江戸へ下るというので、その旅立ちに餞として与えた句です。

梅が咲き、野には若菜が芽吹いています。これから追々よい時候を迎えますが、旅すがら鞠子宿を通るときには是非ともとろろ汁を食べて元気をつけてください、というほどの句意ですが、しみじみとした芭蕉の真情が鞠子という地名の響きと相俟ってゆかしく伝わって来ます。

一方、同じ鞠子宿でも一九の描写はまるで違っています。こちらは散文ならではの面白さで、会話体の文章に畳込むようなリズム感があり、方言のおかしみが利いて読み進むにつれ、ついには吹き出してしまいます。

喜多「コレ、飯を食おうか。ここはとろろ汁が名物だの」

弥次「そうよ、モシ御亭主、とろろ汁はありやすか」

亭主「ヘイ、今出来ず」弥次「ナニ出来ねえか。しまった」

亭主「ヘイじっきにこしらえずに、ちいと待ちなさろ」

と、にわかに芋の皮もむかずに、さっさっとおろしにかかり、

亭主「おなベヤノ、おなベヤノ、この忙しいになにをしている。ちょっくりこ

    い、ちょっくりこい」

と、けわしく呼び立てると、裏口から小言をいいながら来るのは、女房とみえ、髪はおどろおどろに振りかぶったのが、背中に乳飲み子を背負い、藁ぞうりを引きずって来て、

女房「今、弥太ァのとこのおん婆どんと、話をしていたに、やかましい人だヤァ」

亭主「ナニやかましいもんだ。コリャそこへお膳を二膳こしらえろ。エヽ、ソレ前  

   だれが引きずらァ」

女房「お前、箸の洗ったのゥ知らずか」

亭主「ナニおれが知るもんか。コリャヤイ、その箸をよこせャァ」

女房「これかい」

亭主「エヽ箸で芋がすられるもんか。すりこぎのことだハ。コリャさてまごつくな。その膳へつけるのじゃないわ。ここへよこせと言うことよ。エヽらちのあかない女だ」

と、すりこぎをとって、ごろごろと芋をする。

女房「ソレお前、すりこぎがさかさまだ」

亭主「かまうな。おれが事より、うぬがソリャァ海苔がこげらァ」

女房「ヤレヤレやかましい人だ。このまた餓鬼ゃァ、おんなじように吠えらァ」

亭主「コリャすりばちをつかまえてくれろ。エヽそう持っちゃァすられないハ、手におえないひょうたくれめ」
 
女房「ナニあんたがひょうたくれだ」

亭主「イヤこの阿魔ァ」

と、すりこぎで一つ食らわせると、女房はやっきになって、

女房「コノ野郎めハァ」

と、すりばちを取って投げると、そこらあたりへとろろがこぼれる。

亭主「ヒャァ、うぬ」

と、すりこぎを振り回して立ちかかったが、とろろ汁に滑ってどっさりところぶ。

女房「アンタに負けているもんか」

と、つかみかかつたが、これもとろろ汁に滑りこける。向かいの家のお神さんが駆けて来て、

お神「ヤレチャまた、みっともないいさかいか。マァしずまりなさろ」
    
と、両方をなだめにかかり、これも滑ってころんで、

お神「コリャハイ、なんたるこんだ」

と、三人がからだ中、とろろだらけにぬるぬるになって、あっちへ滑り、こっちへころんで大騒ぎ。

弥次「こいつは始まらねえ。先へ行こうか」

と、おかしさをこらえて、ここを立ち出て、

喜多「とんだ手合いだ。アノとろろ汁で一首詠みやした」

  喧嘩する夫婦は口をとがらして 鳶とろろにすべりこそすれ
   


熊本新老人の会 古文書サークル 膝栗毛21 早飛脚

2016-09-08 22:15:38 | 膝栗毛後編

       

 

早飛脚

上の挿絵は二本差しの早飛脚(大名飛脚)です。刀は走りに邪魔だろうにこの絵ではむしろ誇らしげに差しています。身分制度の一端を現わしていておもしろい。

弥次郎兵衛と喜多八は三島宿で護摩の灰に路用を盗られてしまい一文無しの道中を余儀なくされて、腹を空かしてふらふら歩いていると向こうから早飛脚が威勢よく駆けて来る。一九の筆力のあるところを再録してみます。

飛脚・・エイさっさ、エイさっさ、エイさっさ

喜多八・・なんだ野郎の韋駄天さまア見るように、やみと駆けてきやア

      がる

弥次・・アゝうらやましい、あんなに駆けるいきおいだから、さだめてお

     飯もふんだんに食ったろう

喜多八・・エゝおめへも乞食じみたことをいうもんだ

飛脚・・・エイさっさ、エイさっさ

喜多八・・ソレあぶねへ こっちへよんな

飛脚・・・エイさっさ、エイさっさ

ト、とおりすがいに御状箱のかどで弥次郎小びんさきへがったりとあた

  る。

弥次・・・アイタゝゝゝゝ

飛脚(いさいかまわず)・・ エイこりやアサッサ エイこりやアサッサ

弥次・・・アゝ いたい いたいなんの因果でこんな目にあうか、おら

     ア死にたくなった

喜多八・・エゝばかアいゝなせへ ソレ馬がきたア 以下略

 

享和2年(1802)吉原宿役人某手控え写し

1.吉原宿江戸へ34里(原宿へ道法3里蒲原へ3里)
  

御状箱送り順刻

1.無時御状箱京都ヨリ吉原迄30時、江戸ヨリ吉原迄9時、総刻  京   

  都ヨリ江戸迄42刻程

1.日州様一文字、江戸ヨリ名古屋迄24時程

1.紀州様江戸ヨリ若山迄凡50時程

1.雲州様三ツ判急御用

 

熊本藩の場合
  江戸在府の光尚公より国元の藩主忠利公へ発送された書状は11日間で 着いている。
 

「寛永十七年八月九日 忠利公之御書七月廿七日之書状八月八日早々相届候(光尚公譜) 」とある。

月をまたいでいるので「長の月(30日)」とすれば11日、「短の月(29日)」ならばさらに1日短くなる。

江戸、熊本間の距離は1,200Kmくらい。これを11日間で届けているのだから、仮に飛脚11人でリレーするとすれば1人の受け持区間は110Kmになる。

この距離は時速9Kmで12時間走ればよいという計算になるが、現今マラソンランナーは時速19Kmくらいで走っているので、まあ妥当なところでしょうか。