古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

健軍自衛隊通り桜まつり  主催 健軍まちづくり推進協議会

2016-03-27 15:17:20 | 日記

 今年も花見の季節となりました。今日(3/27)は気温があまり上がらず風も冷たくてお花見にはちょつと厳しい天気でしたが、雨にはならず晴れたり曇ったりで結構人出はありました。

 終点から自衛隊通りへ緩やかな坂を登るとすぐに桜並木が目に入ってきます。一目三分咲きというところでしょうか。

 歩行者天国になっていますからテント張りのこのような出店が数十軒ならんでいました。

 若者のミュージシャンたちが代わる代わる歌ったり演奏したり、雰囲気を盛り上げていました。

 外人の売り子さん。

 焼き肉の煙があがっています。強烈なにおいを発散して食欲をそそります。

 けつこうごった返していますね。

 こんな出店もありました。

 これは靴やさんですかね。

 こんな上っ張りを着ている女性がいました。話しかけて聞いてみたら健軍好きと言ってました。たしかに「健軍」というのは語感にインパクトがありますね。戦時中陸軍がここに工場を強引に持ってきますが、健軍という地名が気に入ったからだ、という人もいます。

お花見をしている人たちはみんな厚着をして、ふるえながら食べている感じでした。


俳誌「松」 百千鳥号  主宰 茂木連葉子

2016-03-18 22:05:26 | 俳句

                  「松」百千鳥号が届きました。表紙絵は例によってBENさんです。絵の解説はご本人のブログより引用させてもらいましたが、もし、この絵から自転車を取り去ったら平凡な風景画になってしまうように思います。ポイントは自転車ですね。また、荒川で潮干狩りができるなど初めて知りました。

 「松」百千鳥號が出来上がって送られてきました。大分前に新聞社の依頼で描いた絵ですが、荒川の船堀あたりで上を走っているのが都営新宿線。新聞社から丁度大潮で潮干狩りしている人がいるかも知れませんよと連絡があり、大急ぎで取材に行った覚えがあります


熊本新老人の会 俳句会3月例会

2016-03-18 13:49:28 | 俳句

句会日時   2016-3-18  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   5人

指導者    山澄陽子(阿蘇同人)

出句要領  6句投句 6句選  兼題「霞」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次回兼題  「行く春」

 今回は安月子さんが欠席、投句のみでした。この投句は短冊型の用紙に書いたものを世話人まで郵送されていたのですが、世話人の綾子さんがうっかり控えを取らずに投句してしまったために、披講のとき、詠み人知らずの句が続出するという珍事になりました。本日の最多得点の句が下の遠ざかるの句でしたのでちょっとしたハプニングでした。出席している人の中に耳の遠い方がいて聞き逃した句が安月子さんの句になってしまうというおかしな場面もありました。

遠ざかる一舟つつむ朝霞(安月子・投句のみ)  早朝漁に出て行く舟、朝霞が利いている。

はからずも引鴨百羽見送りぬ

見馴れたる景を神秘にして霞

メジロ来て梅の枝影ゆらすかな(綾子)  視線が地面にあるところユニーク

香煙のゆらめきのぼる春浅し

サクランボの花芽に蜂の二三匹

ぶらんこや子を抱きゆらす母ひとり(武敬)  若いお母さんの姿が目に浮かぶ

わが里はかの丘の先遠霞

寝転びて世間話や昼霞

野を行けば霞棚引き鳥は鳴く(茂子)  春の野はたしかにこんな感じ

薄霞七彩の雲見とれけり

めぐり来る季節を知らすたんぽぽよ

網の端なぶりて引きし春の潮(礁舎)  なぶりが利いていると先生に褒められた。

突堤に人の霞めるこはだ釣り

てらてらとオールの雫風光る

片頰でもよかり佐保姫笑み給へ(陽子)  佐保姫は春の造化を司る女神。待春の心を詠んで巧み、さすが指導者。

啓蟄や庭に鳥来る人の来る

姉妹旅(しまいたび)土産に購ふ土雛


熊本新老人の会舞台劇 「一心行の大桜」

2016-03-10 22:09:54 | 新老人の会

 この劇に会員の中川さんが出演します。役どころは主役の中村伯耆守惟冬父子の主筋にあたる大宮司阿蘇惟種役で劇中では「大殿」と呼ばれているそうです。堂々たる体格で貫禄のある中川さんには打ってつけの役。

 公演まで残り1ト月あまり、今は稽古のスケジュールをこなす日々だそうです。中川さんがんばってください・・!!!


柳家権太楼独演会 熊本労音落語劇場

2016-03-09 13:48:05 | 日記

 権太楼師匠には個人的なちょつとした想い出があります。それがいつのことだったのか、すっかり忘れていましたが、上のチラシを見て思い出しました。師匠の真打ち昇進は1982年、昭和でいうと57年と書いてありますがその年のことでした。その時わたしは出張で上京していましたが、夕方時間が空いたので上野の鈴本へ落語を聞きに行ったのでした。偶然にもその日が師匠の真打ち昇進、三代目権太楼襲名披露口演の寄席だったのです。たしか故小さん師匠が口上を述べていたように思いますが、その時の演目が何だったのかなどはすっかり忘れてしまっています。ただ師匠が童顔で歳よりも若く見え20代の真打ちかなと思ったことは憶えています。熊本のような地方都市に住んでいると寄席などへ行く機会は滅多にないのですが、襲名披露に立ち会えたのは大変幸運でした。

またまた外れコミニィティボード張り出し抽選会

 市役所11階の抽選会場はこんな感じです。前の方に立っている人が籤を引いているところです。今回は3人はみ出しの39人の応募でした。それでも空籤を引いてしまうのですから、よくよく籤運が悪いのですね。


大塚退野先生の墓に詣でました。

2016-03-07 16:38:44 | 日記

 春日小前のポスターを回収に行ったついでに退野先生のお墓参りをしました。校庭から少し登った山の中にお墓はありました。学校の事務室に来意を告げると教頭先生が応対され、墓地まで案内していただきました。墓地までの山路はきれいにとまではいきませんが、草刈りなどもされており、市の整備費も少しは付いていることが分かります。

 退野先生の「よめのしるべ」をテキストにして読み合わせをしたことがあり、懐かしい先生でもあります。その時の資料を下にコピーしておきます。

大塚退野
 延宝5年(1677)12月~寛延3年3月5日。江戸中期の儒者。細川藩儒。名は久成、通称丹左衛門、号は初め蹇斎(けんさい) 、のち孚斎と改め。官職辞任後は玉名郡玉名村(現在の玉名市)に隠居、退野と号す。
 現熊本市生まれ、家は代々細川氏に仕え、元禄15年(1702)5代退野のときは、官は番方で禄200石。宝永6年(1709)官を辞し講学に専念。世禄の家系だったので生活には困窮せず学問に没頭したが、地位的には生涯不遇であった。学問は初め陽明学であったが、28歳のとき朝鮮の儒者李退渓の『自省録』を読み朱子学に一変。さらに『朱子書節要』を精研しついに熊本実学派の祖となった。
 退野の朱子学は実践躬行、学問深奥を究める点で、当時の官学の林家とは相当異なっていた。その流れは幕末の横井小楠、
元田永孚 らまでも影響し明治の教育に結実したといえる。また女子教育にも独自の見解を『よめのしるべ』に記している。門下に平野深淵ら。熊本市春日町長谷に葬る。    (熊本県大百科事典)

これは「よめのしるべ」の冒頭部分です。「丙午」というのは享保11年(1726)で退野先生49歳の年です。この書き付けはむすめの嫁入り道具のなかにあったのですが、婚家先で写本になり次第に流布したものと思われます。中江藤樹、貝原益軒などの同種の著作にくらべても思想の上で遜色のないものです。

墓地はこんな感じで、よく整備されています。墓石は20個ばかりあり、大塚家代々の墓地のようです。墓に刻まれている年代の最後のものは大正年間でした。いまではご子孫の御参りも絶えているように見受けられました。

 墓碑の書き方が変わっています。「退野先生大塚君之墓」とあります。生前は退野先生と呼ばれて周囲に慕われていたことが墓碑銘からも窺えます。何々先生と呼ばれて慕われた人物をあまり知りませんが、たとえば「甘藷先生(青木昆陽)」、「虚子先生(高浜虚子)」などあります。退野先生もそのようなニュアンスで捉えてよいのかも。

古文書の会ポスターの回収をしました。

 上にも書きましたが、お墓参りはついでにしたことで、線香も花もなく退野先生には無礼な行為だったかも。退野先生へ、次にゆくときにはちゃんと準備を整えて参上します。今日のところはなにとぞお許しを・・・・。

 さて、春日小前、辛島町、花畑町と順に回収。花畑町から市電に乗って交通局前へ、そこからは徒歩で味噌天神前、水前寺駅通り、国府、水前寺公園前、体育館前、熊小前まで、7枚回収。熊商前から動植物園前まで市電。そこからは再び歩いて自宅まで、途中泉ヶ丘小前のポスターを回収。歩いた距離は4キロほどでたいした距離ではないのですが、今日の熊本は日差しが強く最高気温は25度に達していたようで、ちょっときつかったです。

 ところで、これだけの事をしてどれほどの得になったのか費用対効果の考察も必要ですね。まず遣った電車賃合計136円(34円×4回サクラカード使用)。回収したポスター8枚の製作費用320円、差し引き184円の得ということになります。 しかしですね、これだけのことをやり遂げた達成感、また街に出て電車に乗ったり歩いたり、運動とともに爽快感も得て命の洗濯ができました。やはり大きなプラスが残ったと思っています。

味噌天神電停前の弁当やさんに行列ができているので、並んでいる高校生に、ここの唐揚げおいしい・・?と聞いたら、とってもおいしいと言うので後ろに並びました。 

唐揚げ100グラム、これで190円は安いと思う。水前寺井の外公園のポスターを回収、そこのベンチに座ってこれを食べ昼食としました。味もなかなかのもの、なるほど行列ができるわけだ。

水前寺の電停付近を歩いていたら写真のような看板が目に付きました。「一意専心」をもじったものですが、なかなか面白いですね。店主の人柄が見えるようです。

 これは泉ヶ丘小近くのお宅の生け垣に咲いていた椿です。こうしてアップにすると実物の大きさが分かりませんが、ほんとに小さく可愛らしい椿でした。木に咲いている数より落ちている花の数が多いくらいで、熊本の椿も終わりに近づいています。


下通りの雛飾りを見に行きました。

2016-03-03 15:22:12 | 日記

 久しぶりに下通りを歩いてみました。人通りが少ないですね。通りの真ん中にひな壇がしつらえてありますが、少しも通行のさまたげにならないのです。おかげでゆっくり見てまわる回ることができました。

 午前11時頃の人通りこんな感じですよ。昭和50年と言えばもう40年も昔になりますが、あの頃の賑わいはすごかったなあ・・通りに立錐の余地がないというか、真っ黒に人だかりがしていましたね。消費不況が言われて久しいですが、往時の賑わいを取り戻すことはできないのかなあ~アベノミクスでは駄目ですね。

 豪華なひな壇が贅沢に並べてあります。このひな壇夜中はどうするのでしょうね・・毎日出したり入れたりは大変だろうとおもいますが・・

 園児の絵飾りて雛のアーケード 礁舎

 壇上に仲睦まじき雛かな 礁舎

 纓高き雛は写真に収まらず 礁舎

 野菜雛というのがありました。お内裏さまは大根、お姫さまは蕪、三人官女は玉ねぎ、五人囃子はじゃがいもでした。なんとなく愉快な気分になりました。

 女子高生が記念撮影しているのを撮らせてもらいました