古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

会員募集

2018-09-17 17:53:54 | 日記

 水前寺古文書の会

 会  場     水前寺井の外公園内集会所

 日  時     毎第2・第4 木曜日 14時~16時

 会  費     実費 2000円/3月  月額700円

 講  師     平川  寛(熊本歴史学研会々員)

 代  表     今村尤二(熊本新老人の会役員)

   お問合せ電話   096-367-1655(平川)

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「俳誌松」主宰句を鑑賞する

2018-09-17 14:13:26 | 

 結社の主宰というのは孤独な存在で、誌上に作品を発表してもそれについて評言を述べる読者は一人もないというのですね。主宰は結社内では権威をもつ存在で、その主宰にたとえ鑑賞文のようなものでも、もの申してはいけないというような不文律がこの世界にはあるようです。
 主宰の側からこれを見れば作句に無反応というのは寂しいことに違いないと思うのです。
わたくしは読者ではあるけれど投句はしていないので比較的自由な立場にあるので主宰の俳句を鑑賞してみようとおもいます。

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

「奥津城や」の句
 奥津城(おくつき)というのは「奥深い所にあって外部から遮られた境域」という意味で古代においてはそういうところに「柩」を置いたので、そこから転じて墓域、お墓を指すようになりました。ただし「釈」 と刻まれているような仏教墓と区別して神道における埋葬形式の墓をこのように呼ぶそうです。
 作者が敢えて「奥津城」と遣う場合はやはり神道意識があるのだと思います。そういうお墓の近くに提灯花(ほたる袋)が寄り集まって咲いているというのです。一見なんでもない風景のようですが、これは作者の心の中にある神道的な原初風景と眼前の風景とが
同期してたがいに響き合う状態にまで高まったのです。そういう場合人は大いなる感動を覚えるものです。その精神の昂ぶりから迸り出た言葉が句になったのではないか。だからこの句は単純を装っていながらけして単純な句ではないのです。わたくしにはこんな句はとても詠めない。

「独活の花」の句
 独活(うど)は林の際など日当たりのよい場所か半日陰の傾斜地などに自生する多年草で、せり、わらび、タラの芽などと同じくこれを食すると体内の毒素を除くと言われ、かすかにアクがありますが、それが躰によいそうです。
 作者は山林の登り口付近に立って賑やかに群生している「独活の花」を見ているのですが山に登る気はなく、静かな山だなあと思ってしみじみと山の姿を見ていたというのです。内容的にはそれだけの句ですが、この句は措辞の上で面白い句となっています。
 
それは「はろけさ」という辞の名詞化です。「遙けし」原辞はク活用の形容詞ですが、これを「はろけし」と読ませ更に「はろけさ」と名詞化したのです。そのために一句は佳句になりました。「山ははるけくあるばかり」と比較してみてください。

「夏帽子」の句 

 妙齢の女性の髪が帽子をはみ出して背へ垂れている。そこを描写したのですがそのテクニックが実に素晴らしい。先ず「すべらしし」、この措辞が素晴らしさの中心です。初めの「し」はサ行5段活用「滑らす」の連用形。普通には助詞「て」をともなつて「つい口を滑らしてしまった」のように遣う。ここではもう1つ「し」がついて「すべらしし」となつている。2番目の「し」は文法的にはちょっと難しいですね。
 
過去の助動詞「き」の連体形の「し」とすることもできるのですが、この句は現在進行形でしょう。「大空にまた湧き出でし小鳥かな 虛子」の「し」と共通しています。虛子の句の「し」も過去ではなく現在眼前に展開している光景です。これはけして過去のことではない。わたしは完了・存続の助動詞の連体形ではないかと思うのですが、どの文法書にもそれはありません。
 下5の「髪愛し」は「カミカナシ」と読みたいですね。女性の豊かな髪は美しいものですが、加齢ととも褪せてゆく。その速度は意外に速いのです。「無常迅速」。

「撰一日」の句

 主宰ともなれば送られてきた投句を選句して序列を付けなければならない。この撰ということが一大事で、投句者に上手、下手があったとしても真剣に詠んだ句を投句して来るのだから、その期待に応えるためにも心を引き締めて選を行い正当な評価を与えねばならない。
 
下5の「あふひ」もいっそのこと「葵」と漢字表記にしたかったのではないか。一日書斎に籠もって選句作業に打ち込んでいる緊張感が、きりりと引き締まった漢字表記に顕れています。また季題「あふひ」がよく働いてその感じを深めています。これが「薔薇」や「牡丹」では何かちぐはぐな句になってしまうでしょう。

「川辺川」の句

 かねて謹厳な主宰もお酒には目のないお人のようですね。球磨焼酎ときけば目尻の下がるお人ではないだろうか。投句の中に球磨焼酎を詠んだ句などと遭遇すると思わず舌なめずりをしてしまうような、そんなお人となりを想像してしまいます。

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俳誌「松」 鰯雲號 平成30年9月

2018-09-15 20:08:49 | 

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

 

松の実集

 秋近見み  福島公夫
夕風や思考の先の蝉の声
蝉涼しひもろぎの森鳴きつつみ
三弦の音の嫋やかに夕立あと
人もまた雨に和みて花菖蒲
ビルの間の雲のしろさよ秋近み

 秋 月  荒牧多美子
菩提樹の花に佛の匂ひとも
生命あるものに生命の水を打つ
開け放つだけで涼しき山家かな
葛餅や秋月はすき水音も
囲に獲物残して蜘蛛の影見えず

 夏を遣る  那須久子
梅干すや三日三晩をつつがなく
ともかくも土用鰻を五人前
欠かさずや一日たりとも胡瓜もみ
総生りを日々持て余すミニトマト
居ながらに閉ざすカーテン酷暑かな

 夕野火一回忌  西村泰三
梅雨しとど訃報届きし朝のごと
膝くずす梅雨の灯の下経長く
梅雨座敷曾孫おとなし一回忌
筆塚の石らしきもの木下闇
梅雨を溜め遺る小鳥の水飲み場

 

雑詠選後に  村中のぶを

立礼の薄茶手前よ花槐       園田 篤子
 掲句は「立礼」による茶会の一景を手際よく描出してゐます。それも席の花がアカシアに似た「花槐」の浅黄白色の花とあれば、その「薄茶手前」の所作が新鮮に浮かんで来ます。
 立礼とは辞書にもありますが、椅子と卓とを用ゐて茶をたてる点前で、茶室でも行はれます。私は近くの水戸の偕楽園で、女子高生も混へた此の茶会を見開した事がありますが つまり昨今の一般の生活様式も椅子式になり、外国の人達も増え、立礼は最も身近な茶の湯になってゐるやうです。
 薄茶手前といふ言葉も辞書に見えますが、一人に一碗づつ、飲みまはすこともなく、それに幾口飲んでもよいことになってゐますので、この手前もまた一般に受けがよいやうです。

絽の裾の捌き美し炭手前  同

 一句はまた「絽」のきものの、女人の亭主の、炭をつぐ際立った容姿を詠みとつてゐます。やはり作者の美意識が生かされた、平明にして情感豊かな詠句と言ってよいでせう。

青田風あすのわたしにどんな風    松尾 敦子
 前に「方丈記」を読むといふ一句がありますが、方丈記といへばつひ口に出る (ゆく河の流れは絶えずして)と冒頭の一節が浮かびますが、掲句の 「あすのわたしにどんな風」とは、ひいては方丈記を「声に出し読む」心情と相通じた詠情ではと思ったりしました。    してまた、口語調の措辞も然る事ながら、その自問自答する、自在な句境に感じ入りました。


青空の久し振りやなとんぼ生る   竹下ミスエ
 「青空の久し振りやな」は、青空が覗くのは久し振りだなあといふこと。このやうな口誦性の措辞に「とんぼ生る」とは、読者には初初しいとんぼの四枚の薄羽が見えて来る筈です。それに一句もまた自在な詠出です。
 ところでこのとんぼの句、先の青田風の詠にも共通することですが、蛇笏賞の女流岡本眸さんが(俳句は日記)と強く提唱してゐたのを思ひ出しました。事実、実作の私共にとって最もな事で、銘すべき言葉だと深く共鳴する所です。

青桐や思ひ出多き師の屋敷    村田  徹
 なんとなく心魅かれる句です。作者にとって師とは宗像夕野火さんの事で、本誌発行の抑抑の方です。その「師の屋敷」を訪れての詠ですが、本当に竹林、池水も据ゑた広い家屋敷です。この全望の中心である「青桐」 の措辞ですが、青桐の樹がまた実に印象的です。一体に実景を点描した、観念的でない表出に師への思ひが伝はつて来ます。

生きてゐる証しの汗の有難く    安永 静子
 前号にも採択させて貰ってゐますが、その予後の一句です。一般に健常者は汗を厭ふものですが、作者は生還した「証しの汗の有難く」と、その喜びを生生しく叙してゐます。普通に「生きてゐる」私共にとって、この汗への賞賛は思ひも寄らないことです。翻って大手術の後複帰した作者の、俳句に対する心根に自然と頭が下ります。更に作者の、いのちへの観照を思ひ知らされました。

沖ノ島遠く峙つ卯浪かな     塩川 久代

「沖ノ島」とは、いはゆる 八神の島 沖ノ島です。土地の漁師の人は(沖ノ島は、お神様の海やけん)と言ってゐる事が文献にあります。先年、都心の出光美術館で(宗像大社国宝展)を拝観しましたが、ビデオでも沖ノ島は、玄界灘の絶海の孤島であることがよく分りました。掲句は正にその通りの詠情です。
 蛇足ながら沖縄の久高島も神の島、神宿る島と謂れてゐます。

炎天や我が影さへも短かくて     川上 恵子
 「我が影さへも短かくて」、つまり「炎天」 の真っ只中、日ざしの直下に在ることを直叙してゐるのです。女性の方に拘はらず、勇ましい、割目すべき一句だと思ひます。

浜木綿や白きフエリ1と青き空    多比良美ちこ
 作者は島原の方。浜木綿の彼方、青空の下、有明海を渡るフェリーを詠じた南国の風光です。なんとも一幅の風景画を観るやうです。

峰雲や運河しづかに水湛へ   山岸 博子
 札幌市在住の作者、掲句の「運河」とあれば直ぐに小樽の倉庫街の運河を思ひ出します。その「峰雲」の湧き立つ影を映した疎水を「しづかに水湛へ」と叙して、盛夏の午下らしい風景を詠じてゐます。季語の扱ひ方、描写の確かさ、それに旅愁を誘ふ一句です。

 

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高麗門と大工棟梁善蔵 熊本城こぼれ話し

2018-09-10 21:55:38 | 新老人の会

熊本「新老人の会」会報にわたしの小文をのせて頂くことになりました。ここに転載します。

 

 慶長5年(1600)に始まった城普請も半ばを過ぎたある年のある日のこと、工事督励のために馬に乗って屋敷を出た清正は高麗門を通りかかった。歩行(かち)で扈従するのは小姓組の若武者数人のみ。高い建物には縦横に足場が組まれ、その上で多勢の職人が立ち働いている。その中に棟梁らしき男が大声で差し図する声が聞こえ、現場は活気に溢れている。 

 清正は至極満足げな顔をして見ていたが、突然足元に物が落ちてきた。物は金尺だった。これには小姓たちが驚き騒ぎだしたが、頭上から「それを取ってくれろ」と大きな声がした。「無礼者!」とどなり返そうとする小姓共を制して清正は「それをこれへ」と目で合図して、金尺を受け取ると騎乗のまま足場の下へ行った。すると男は「これに懸けろ」とばかり、片足を下ろしたので、清正はだまつて足の甲に金尺を懸けた。男は下を見ることもなく、礼も言わず元のところへ戻って何事もなかったように、仕事を再開した。この男が棟梁の善蔵である。清正も何事もなかったような涼しい顔をしてその場を去った。

 「今のは殿様であったらしい。」ということが次第に明らかになって、「殿様から足で受け取るなぞ、前代未聞の無礼な振舞いではないか、これは打ち首ものだ。」とその場に居合わせた者たちは囁きあった。それは善蔵にも聞こえて来た。配下の大工の二、三が青い顔をしてそのことを告げたのだ。善蔵はあまり物に動じない男だが流石に動揺した。

 善蔵のもとへ奉行所から呼出状が来た。「明朝辰の刻(午前10時)に奉行所へ出頭するように」とある。善蔵は一晩悶々と過ごしたが明け方には覚悟が決まった。早朝に水垢離を執って身を清め、白装束に着替えて清正の前に平伏した。

 清正の口から意外な言葉が漏れた。「働き尋常ならず、殊勝である。以後も励め。」お褒めの言葉であった。前に出してある三方には褒美の銀子が載せてある。

※ この話は実話なのか、それは分からない。ここに「御大工棟梁善蔵聞覚控」という古文書が遺っている。その中で善蔵はしばしば先々代様という言葉を遣う。忠利の代で先々代と言えば清正のことである。善蔵は無類の清正ファンであったことが聞覚控を読むと判然する。

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候文と言文一致体 蒲団より

2018-09-08 23:15:05 | 日記

 小説『蒲団』が世に出たのは明治40年のことですが、小説のなかに言文一致体という言葉が頻繁に出て来てこの時代の作家たちが、言文一致体確立のために格闘していたことがわかります。とくに手紙を言文一致体で書くのが難しかったようです。田山花袋はその模範文を小説のなかに示しています。『蒲団』が人気を博したのは案外そういうところにあったのかもしれません。

 ここにその手紙文のところを抽出してみます。
「先生、
   私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思ひます。先生、どうか弱いものと思ってお憐れみ下さい。先生に教へて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行ってをりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行ふ勇気を持ってをりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けやうと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆私の至らない為であると思ひますと、ぢっとしてはゐられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋すがり申すより他、私には道が無いので御座います。
芳子
先生 おもと」

 どうでしょうか現代文と比べてもさほど違いはないように思います。この文章は「青空文庫」からの引用ですが、同文庫は旧カナを新カナに書き換えてあるので、そこは旧カナへ戻しました。旧カナで書かれた文章はそのまま鑑賞すべきと私は思っています。

つぎに同じ女性が候文で書いた手紙を下に。

 五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐しい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、

「昨夜恙なく帰宅致し候儘御安心被下度く、此度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之、幾重にも御詫申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候ひしが、兎角は胸迫りて最後の会合すら辞候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候やうの心地致し、今猶まざまざと御姿見る思ひに候、山北辺より雪降り候うて、湛井よりの山道十五里、悲しきことのみ思ひ出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいづれ御礼の文奉り度存居り候へども今日は町の市日にて手引き難く、乍失礼私より宜敷く御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候へども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱申候」

と書いてあった。

 さすがに候文は読みづらいですね。現代人の複雑繊細の感情を表現するのにこの文体は不向きというか、言い尽くせぬところがあるようです。
 小説の主人公の女性は新橋駅から汽車に乗りますが、あの「汽笛一声新橋の」の新橋駅ですよね。そしてそこには硝子戸が嵌めてあり、師である男の茶色の帽子が映っているのを「今猶まざまざと見る思い」と表現しています。この女学生は「えび茶の袴に皮の靴」という流行のマドンナスタイルだつたのです。明治は懐かしい時代ですね。

 

 

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熊本市電の風景 体育館前

2018-09-07 18:09:37 | 日記

 画像の奥に小さく金峰山が見えています。熊本市内はどこにいても金峰山が見えます。高層のビルに隠れていても少し位置をずらすとビルの間にくっきりと姿を顕します。そういう角度に見る山姿もまたいいものです。 さしも暑かった熊本の夏もようやく衰えて心身に生気が蘇るようです。

   錆いろの軌道にみつる秋気かな  礁 舎

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中川さんの詩「古文書」

2018-09-04 21:08:46 | 日記

 会員の中川さんが素晴らしい詩を作られました。「古文書 膝栗毛」というタイトルです。
 膝栗毛をテキストにして読み合わせ会を始めたのは2016年1月でしたから、3年近くこれに親しんでいることになります。現在7編上を読んでいますが年内には8編まで読了するでしょう。膝栗毛はこれで終わります。
 
3年もやっていると流石に情が移り、弥次さん、喜多さんは年来の友人であるような親しみを感じてしまいます。これは一九の力量のなせるわざなのですね。中川さんはそこに感じ入っておられます。江戸時代の気分を満喫しているのですね。これは楽しい。


小田原の旅籠での入浴の場面

古文書「膝栗毛」
      中川 久
江戸時代、多くの人が読んだ
「膝栗毛」を手にしている。

変体仮名で書かれている。
古文書の類で読みにくい。
しかし、面白く手放せない。
物語の内容も、言葉も
時代を表し、歴史を感じる。
タイムスリップして
自分が江戸時代の庶民であり
読者の一人を演じている。

 

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朝日俳壇 大串 章 選に入選 

2018-08-28 18:29:21 | 俳句

 

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熊本城こぼれ話 棒庵坂の狸

2018-08-27 21:03:30 | 日記

 熊本新老人の会の会報に表記小文を載せて頂いたのでここに転載します。同文はわりと評判がよくて、またお願いしますと編集部から云われています。持ちネタが少ないので連載といわれても困るのですが、3回程度ならなんとかなります。それ以降はこれからネタ探しとなりますが、まあ、なんとかなるでしょう。

棒庵坂

 熊本城は茶臼山の頂上に築かれたのでお城に登るには必ず坂道を登らねばなりません。法華坂、薬師坂、御幸坂等々名前の付いている坂が31もあるそうです。名前など付いていない坂を入れたら、それこそ数えきれない数になることでしょう。その中で人の名前のついている坂が3つあります。棒庵坂、慶宅坂、槙島坂です。
 今回は棒庵坂についてお話しをいたします。「棒庵坂」の由来はこの坂の下に下津棒庵という2千石取りの侍の屋敷があったことによります。

 棒庵は毎日この急な坂道を登って登城していた。ある年の夏のこと、梅雨明け後の強烈な日差しが、鬱蒼と繁茂する樹木をとうして深い木下闇を作り、蝉時雨のかしましい坂道を、いつものように登って行く棒庵の前方を天秤棒を担いだ若い男が走るような脚捌きで登って行くのが見えた。 その衣装(なり)から男は魚屋と分かるが、担いでいる天秤棒に底の浅い桶がぶら下がっていて、桶の中には生きた鯉が跳ねている。
 
「はて面妖な、ついぞ見かけぬ顔だが坂の上のご家老のお屋敷へ鯉の届け物と見える。」
 
と訝しんでいるうち、鯉が桶から飛び出して今度は坂の上で跳ねている。魚屋はそれに気づかず、どんどん登っていくので、

「オイ、落とし物だぞ」

と下から大声で声をかけたが、魚屋は振り返りもせず登りきって姿が見えなくなってしまった。
 棒庵も今は走り出して、鯉を拾い上げ両腕に抱えて追いかけ、坂を登り詰めて付近を見回したが魚屋の姿はなく、「さてはご家老のお屋敷か」と見当をつけて家老屋敷の門内へ飛び込んだその途端、ずしりと重かった鯉が急に軽くなって、たちまち1枚の朴の葉に変じてしまった。
 
 棒庵坂には狸が棲んでいて通行人をよく化かしたそうです。

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小泉八雲の試験問題

2018-08-25 18:46:37 | 日記

熊本の小泉八雲旧居館に「八雲の試験問題」という冊子がありました。明治26年(1893)作成の八雲自筆の英作文問題です。

 上の画像は冊子の表紙とその中に収められている問題のコピーなのですが、正は英文それを翻訳した和文も収めてあります。八雲自筆の英文もあるのですが、ここには印刷したものを出しました。
 下に和文のほうを文字を大きくして掲載します。

英作文
 Ⅰ
1893年卒業生クラス用課題

 カーライルは学生から「何を読めばよいのでしょうか。」と質問され、「永久なるものを読みなさい。」と答えた。この出来事についてコメントを述べ、良い書物における「永久なるもの」とは何かに関し自分の意見を述べなさい。なお、この時「永久なるもの」という語は、人類文明の全歴史、並びに予想される未来のみを言及しているものとして考えなさい。

 Ⅱ
4年生クラス(英語Ⅱ)用課題
『ティソナス物語』を教師が話したように。

 Ⅲ
予科クラスP・1・A・及びP・1・B・用課題
『1000年生きた男の物語』を教師が話したように。

 Ⅳ
予科クラスP・2・A・及び2・B・用課題
シェイクスピア作『ベニスの商人』の中の3つの箱の話を教師が話したように。

「試験問題はこれで終わり」という意味の小泉八雲オリジナルのサインです。

  印 櫻井房記
     小泉八雲五高在任当時の教頭

  印 佐久間信恭
    小泉八雲五高在任当時の主席教授

 上記の中、「卒業生クラス用課題」について学生たちの答案を翻訳した和文が別の冊子にありましたので、その一部を掲載します。往時の五高生のレベルは低くはなかったようです。

1.「真理と不滅とは、おなじものである。この二つのものは、漢語のいわゆる『円満』をつくるものである。

2.「人間の生活と行為のうちで、宇宙の法則にしたがうものは、すべてみな、そうである。」

3.「愛国者の生態、及び、世界に至純な格言を与えた現代人の教え。」

4.「孝行と、それを教えた人の教義。秦の時代に、孔子の書は焚かれたが、その効はなかった。孔子の書は、今日では、文明世界のあらゆる国のことばに翻訳されている。」

5.「人名と科学の真理」

6.「善悪は、ともに不滅なものであると、中国の或る聖人が言った。われわれは、善なるものだけを読むべきである。」

7.「われわれの祖先の、偉大なる理想と観念。」

8.「十億世紀のあいだ、真理はねいぜんとして、真理である。」

9.「あらゆる倫理学の学派が、ひとしく認める正邪の観念。」

10.「宇宙の現象を正しく説明する書物。」

11.「良識のみが不滅である。したがってね良識にもとづいた人倫の書物は、不滅である。」

12.「崇高な行為にたいする理念。これは時劫のために変わることがない。」

13.「できうるかぎり最大多数の人々――すなわち、人類に、できうるかぎり大きな幸福をもたらす、最もよい道徳的な手段を書いた書物。」 

14.「中国の五大古典である五経。」

15.「中国の聖賢の書と仏典。」

16.「人間のおこないの、清廉至直の道を教えたものは、すべてみな、そうである。」

17.「七たび生まれかわって、朝敵と戦わんと言った、楠正成のはなし。」

18.「道徳的情操、これがなければ、世界はただ一大穢土、あらゆる書物は、反古にひとしい。。」

19.「孝子道徳経。」

学生達の答案を読んで八雲は次のような感想をかいている。

「1893年(明治26年)の夏期考査のおりに、わたくしは、卒業組の作文の題に、『文学における不滅なるものは何か?』という題を出してみた。この問題については、それまでに生徒たちと、まだ一度も討論したことがなかったし、それに、西洋思想に関する学生の知識という点から見ても、たしかにそれは新しい問題だったから、わたくしは、ひそかに、生徒たちの独創的な答案がえられるものと期待していたのであった。果たせるかな、その答案のほとんどぜんぶが、おもしろいものであつた。例としてここには二十の回答を選び出して、お目にかけることにする。たいていは、ここに掲げる文句のあとに、長文の議論がついているものが多かったが、中には、本文の中に具体的に云いあらわされているものも、二、三あった。」

 

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鶴亀句会 8月例会  2018-8-17

2018-08-17 14:03:38 | 鶴亀句会

会日時   2018-8-17  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   9人 不在投句1人 

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  5句投句 5句選   兼 題  鳳仙花

世話人    近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左

次 会   9月21日(金)10時パレア9F 兼題 虫

山澄陽子選

素麺の薬味たっぷり卓囲む      純 子
冷酒を舌に転がし宵一人        〃
ほうせん花幼き頃の爪遊び       〃

クーラーに運動不足かこちけり    綾 子
顔寄せて鳳仙花巻く母若し       〃
猛暑にも負けぬ我身の有難し      〃
指五本布切れ巻いて鳳仙花       〃

蝙蝠の空となり行く橋の上      礁 舎
暁の雨に濡れゐる鳳仙花        〃

つまべにや幼き日々の蘇る      安月子
鳳仙花弾ぜし音聴く昼下がり      〃
引き摺らぬことを心に髪洗ふ      〃

訪ふたびに子犬出て吠ゆ百日紅     興
鳳仙花おさなき夢を満たしけり     〃
笛に酔ひ太鼓に狂ふ祭獅子       〃

秋立つやミシンの調子整ひぬ     茂 子

つま紅を母に委ねし指の先      小夜子
西郷どんの湾跨ぐごと虹立てり     〃

さだまさしの歌うたいつつ墓掃除   武 敬
子の爪を妻の染めたる鳳仙花      〃
われら今五十八年二つ星        〃

秋深む幸せを呼ぶブルービー     優 子
賑はへる地蔵祭りに黒い雲       〃

先生の句

子の染めしつまくれなゐのいとほしき 陽 子
立秋の風や初心に返るべく       〃
子供らの遊びせんとや鳳仙花      〃
蝉の穴北斗七星なせりけり       〃


 

 


 

 

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戦国期の武将気質  清田五郎太夫のこと

2018-07-27 19:44:14 | 日記

 熊本市指定文化財「清田家住宅」の12代当主清田泰興氏から清田家の先祖附きを見せて頂きました。コピーをいただいて一読したのですが、これがなんとも面白い古文書でした。以下に一文を記載します。

 文中2行目「義統(よしむね)落去之刻一同ニ落去仕候」の一節があり、これは文禄2年(1593)朝鮮の役の時大友軍に重大な失敗があって秀吉の怒りを買い改易になった事を指しています。この事件を境に大友一族の流浪が始まり、清田五郎太夫も牢人の境涯を余儀なくされます。

 
 主家が滅べば家臣たちは仕官の口を求めて奔走することになりますが、ある年のこと五郎太夫の目覚ましい働きが黒田如水の目にとまりました。4行目から5行目にかけて「人を誤り欠落仕候者御座候に付御城下にて首尾よく討ち放ち申候」とあり、これは奴隷商人に売り渡されようとしていた日本人奴隷を五郎太夫が見事に解放した働きと思われます。その働きを城内から如水が見ていたというのです。ちょっと芝居がかった話なのですが、そのくだりが古文書にしてはおもしろいのです。

 
 ここで我が国における奴隷貿易について簡単に説明をしておきます。鉄砲伝来以来ボルトガル商人には西洋文物の持ち込み等肯定的評価がある反面、同時に「雑兵狩り」といわれる否定的な裏面のあったことが近年の研究で明らかとなりました。つまり雑兵として戦場へ駆り出された農民が負け戦の結果奴隷としてポルトガル商人などに売りつけられていたことが明らかとなったのです。
 
 雑兵狩りをするのは勝者側の雑兵でその楽しみがあるので戦場に出て来るのですが、負け戦となれば自分が雑兵狩りに合う訳ですから、雑兵にとっても、それは賭けであったわけです。また、領主の側はその事をけして良しとしていたのではありませんが、それを禁じたら雑兵が集まらないという事情があつたようで、見て見ぬふりをしていたのでしょうね。

 
 豊臣秀吉は自国の民が九州において大規模に奴隷として売買されていることを大変不快に感じ、1587年7月24日にイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を書き、ポルトガル人、タイ人、カンボジア人に日本人を買い付けて奴隷にすることを中止するよう命じていますが、これくらいのことで奴隷貿易がなくなるはずはなく、それが消滅するのは我が国の鎖国制度が完成するまで待たねばならなかったのです。

 
 城内より使者が来て五郎太夫は如水の許へ召し寄せられ、盃を賜り仕官の約束も取り付けて己れの幸運を喜んだことでしょう。下がって沙汰を待つようにと言われ、連絡を待ちますが、五郎太夫のところへ如水からの使者は来ませんでした。「はて面妖な・・」と訝しみながらも、仕方なく豊前手拭町の住居へ帰ります。五郎太夫の面白いところは自分の方から催促がましい事を一切言わなかったことです。こういう潔さが戦国武将の気質なのでしょうね。
 
 終わりの5行にその顛末の説明があります。なんと如水は五郎太夫との約束をすっかり忘れていたというのです。後日そのことに気付くのですが、そのとき五郎太夫は既に城下を立ち去っていました。逃がした魚は大きいと言う、「探せ・・!」ということになったのでしょう。やがて、森与三兵衛という武士が「千石之折紙と白銀拾貫目」を携えて五郎太夫を尋ねて来ました。その時の会話の遣り取りを想像すると一席の講談を聞くような心地良さを感じますが、意外にも五郎太夫はこの仕官の口を断ってしまうのです。ここがまた講談めいて面白いのてす。


※ 「千石之折紙と白銀拾貫目」について少し説明します。「折紙」というのは手紙のこと、千石というのは当時博多の町に「千石屋」という紙問屋があったと言われ、そこの和紙に書いた手紙と解釈されています。また、白銀拾貫目というのは銀貨の事で贈答に遣う場合は銀と言わずに白銀と言ったようです。拾貫目というのは銀の重さで、37.5Kgあります。これを金貨に換算すると200両になります。金200両は懐へ収納できますが、銀貨の場合は袋に入れて馬にでも載せて運んだことでしょう。

  
 黒田如水召し抱えの良縁を蹴った剛勇の武士がいるという噂は豊前城下にも伝わり細川忠興の耳に入りました。細川家と黒田家、いずれも関ヶ原合戦の論功行賞で領地の大加増を果たした大名家です。細川忠興は丹後田辺18万石から豊前国一国と豊後杵築を合わせ39万9千石に、中津藩黒田家は12万3千石から筑前53万9千石にこれまた大加増。両家とも急増した領地経営のために家臣団の補充が必要でした。五郎太夫のような豪傑は両家にとって垂涎の人材だったのです。

 
 細川忠興と黒田長政はともに東軍として働いた同僚武将でしたが、長政は忠興の恨みを買う事を仕出かします。国替えの時長政はその年の年貢を持ち去ったのです。そのためにあとから入国した忠興には年貢の徴収ができなかったのです。食い物の恨みは深いといいますが、両家の仲が悪かったのはそのためだと言われています。忠興には長政の鼻を明かしてやりたいという対抗意識があって、そのためにも五郎太夫を意地でも召し抱えたかったのでしょうね。 

 
 寛永9年(1632)細川忠利は加藤家改易の跡を襲って熊本藩54万石の太守となりますが、清田家も主家に従って肥後に来ました。

 五郎太夫は正保5年(1648)病死しましすが、その時何歳になっていたか文中に記載がないので分かりません。第12代当主の清田泰興氏にお尋ねしましたが、70歳代の高齢になっていただろうと言われるだけで正確な年齢は分かりません。墓所は坪井流長院にあります。

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鶴亀句会 7月例会   2018-7-20

2018-07-20 14:37:13 | 鶴亀句会

会日時   2018-7-19  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   8 

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  5句投句 5句選   兼 題  晩夏

世話人    近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左

次 会   7月20日(金)10時パレア9F 兼題 鳳仙花

山澄陽子選

終列車までの約束盆踊        小夜子
日盛りのぴたりと止みし蝉時雨     〃

夏休みふるさと思ひつつバイト    武 敬
敗退し合宿たたむ晩夏かな       〃
くちなわの通せんぼするたんぼ道    〃

青田風雨の暗さを払ひけり      安月子
鷺降りて青田の色を深めけり      〃

漁協の灯点る晩夏の入江かな     礁 舎
鴉かあーと啼いて梅雨明けにけり    〃
涼しさや覆とれたる天守閣        〃

炎天下色鮮やかな葉鶏頭       優 子
入院の吾子のまなこに大文字      〃

車椅子きしむ廊下や夏深し       興

打水やサンダル濡らす不調法     綾 子
本閉ぢる眼鏡を外す夜の秋       〃

先生の句

無残やな四葩豪雨の泥に伏す     陽 子
遠近の地震や出水や方丈記       〃
大地ある限りは生るる蝉の穴      〃
白南風や憂ひを忘れゐる一日      〃
青葡萄悩みし頃の懐かしき       〃

 

 

 

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熊本の夏

2018-07-19 18:17:30 | 日記

 通町筋電停から熊本城を撮りました。気温37℃超、熊本の夏です。熊本の夏が暑いのは日中の高温だけを云うのではありません。日没後の蒸し風呂のような暑さが余所と違うのです。それは西側に金峰山山系が屏風のように立ちはだかって有明海の海風を遮っているからです

  炎帝にまみえて白き天守かな  礁 舎

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俳誌「松」 向日葵號 平成30年7月

2018-07-14 18:51:01 | 

  主宰5句    村中のぶを

帰るさの櫻蘂ふる月夜かな

夏立ちし白帷子の宮司かな

断崖に車輪梅に海の明け

桐の花はかなき色を流しつつ

ゆく雲の方へ咲きけり竹煮草

   松の実集

五月雨るる      柿川キヨ子
五月雨るる阿蘇のお宮の新松子
復旧の進まぬ社さみだるる
梅雨晴の錦江湾や火山灰曇り
三日月を映す代田や蛙鳴く
よく揃ふ蛙の声や夜の植田

口 笛  釘田きわ子
新緑に眼を洗ふ朝かな
木洩れ日の若葉トンネル九十九折り
口笛を吹きつつ自転車麦の秋
枇杷うるる椀ぐ人もなき刑場址
滝音に憂ひ一気に流さるる

 花 冷        中山双美子
黒南風やあらがふ園児誕生会
花冷や学生街に古書積まれ
露天風呂駿二両来たれる五月尽
一汁は手摘みの芹や人膳
弟の生まれたと告ぐ兄の夏

雁回山の初夏      西村泰三
万緑や地震崩え告示谷ごとに
よみがへる万緑の照り陽ざしきて
ひねもすの乱鷺庭に墓を守る
雁を射る絵を天井に堂涼し
不如帰正午のチャイムに応へ鳴き

雑詠選後に のぶを

蟻生まれ蟻の死ぬ時誰も知らず     小鮒 美江
 歳時記の「蟻」の例句に (蟻の国の事知らず掃く箒哉 虚子)がありますが、掲句はその境涯を詠んで、つまり作者の内なる、いのちへの思ひと共に、ひいては人の生涯をもきびしく見据ゑた表出だと私は強く思ひます。

水中のめだかや水面のあめんばう   白石とも子
 前に芭蕉林の句があって、作者は熊本の方ですので、熊本近代文学館に隣接する芭蕉林嘱目の詠句でせうか。その池水の情景をよく詠み取って、童心を覚ます一句です。因みに芭蕉林は、私の本貫の地より歩いて数分の所です。

壇ノ浦ゆたかに迅し青葉潮   温品はるこ
 地名がよく生かされた旅吟です。そして読者には改めてその史実が甦つて来て、中七の措辞がそれを余すところなく伝へてゐます。

大雅展へ京七条の夏   菊池洋子燕
 「大雅展」とは、池大雅展の事なのです。「京七条」とあれば作者は大雅展が開催されてゐる京都国立博物館へ向かってゐるのです。「夏燕」は鴨川を渡る七条大橋が想起されてその風光をよく叙してゐます。橋を渡ると左手に博物館、右手に三十三間堂の長い屋根が見えて来ます。またこの東山七条は著名な多くの寺社が点在してゐます。一句は以上の風致を物語ってゐるのです。

人生をふはふは生きて蚊を叩く  金子知世
 「蚊」が飛ぶやうに、自分も心許無く今までを過ごして来たが、その我と同じ様な蚊を今は叩いてゐると、自省的な思ひの一端を綴った詠句です。しかし「ふはふは」と叙したオノマトペになにか明るさが感じられて、読者は救はれます。興味ある句です。

万緑となりし集落静もれり   柿川キヨ子
 「万緑」といふ季語がみごとに把握され、表現された句です。描写に一点の無駄もなく、読者にとっては懐かしい風景であり、作者もまたご自分の里曲に更めて挨拶をしてゐるやうな、そんな情緒の句です。高浜虚子の言葉を借りますと(句に光)があります。

人影も身の寄りどころ黒揚羽   鎌田正吾
 「人影」は作者自身の影でせう。「身の」とは「黒揚羽」そのものを指してゐます。つまり句意は作者自身の人影に黒い揚羽が寄って来たと言ふのです。然しそれも「身の寄りどころ」と詩的に表白してゐます。ここに句の眼目があって、達意の一句と評してよいでせう

励ましは子にも我にも蝸牛  勝 奇山
 好きな句に(かたつむり日月遠くねむりたる 夕爾)がありますが、「蝸牛」には何故か星辰的な印象があります。
 一句の「励ましは子にも我にも」とは、将来へ向かって努力することの、それは作者自身にも共通する事であるといふ。その対象にかたつむりとは別に不可解なことではなく、むしろ成句として面白い表現だと恩ひます。そして句の背景には作者の人生観が窺へます

ゆく春や医師淡淡と癌を告ぐ    安永 静子
 前句に「春愁や癌に片肺無くすやも」がありますが、作者は実に冷静にご自分の病息を吐露して、反面、病に対するその身構へが伝はつて来ます。 唯唯、ご本復を願ふばかりです。

花も名も芝居気取りの菖蒲園  福島公夫
 一句の「芝居気取り」とは直ぐ歌舞伎のことを恩ひ出しました。朝顔には団十郎とか名の付いたものが店頭に並び、歌舞伎では朝顔日記といふ場面を思ひ出すのですが、花菖蒲では直ちに思ひ付くものはありませんでした。所が勝手なことですが、「花も名も」 の措辞に、いはゆる歌舞伎のきらびやかな、菖蒲にも名優の名が付き、それにあの見得を切る場面が浮かんで来て、都内に住む作者であれば、堀切菖蒲園辺りの嘱目の風景かと思ひ出しました。見得を切って居並ぶ場面に市相羽左衛門などの弁天小僧がすぐ浮かんで来ました。
 先師の (己の感性を養ふために、何でも観ておく事が大切です)と。常々聞いてゐましたが、未だ私の胸に残ってゐます。

臨終の猫に添ひ寝の明易し  赤山則子
 生命の尊厳といふ言葉がありますが、人も猫にしても全く同じと思ひます。「猫に添ひ寝」は私も経験があります。

夏帽に笑まふ遺影の母抱き  吉永せつ子
 誰もが一度は経験する悲しみですが、「夏帽に笑まふ遺影」の明るさが況して哀感をそそってゐます。「母抱き」は母その人を抱いてゐる様です。

 

 

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