古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

明治42年頃の熊本の遊びどころ  料理屋 附 待合

2017-12-08 09:15:46 | 熊本の遊びどころ

一日亭  二本木町17番 電話162番 女将 三浦じん子

 熊本の地旗亭多けれども、最も古くして最も大なるものは、二本木遊廓内の一日亭本店と為す。一日亭といへるは、元熊本城内(今の予備病院の構内)に在りし、家老松井佐渡の別邸なりしが、明治4年廃藩置県の後、長崎生まれの緑屋栄造といへる者これを譲り受けて京町本町に移し、翁屋と称し初めて料理屋を営みしが、その後更に坪井の立町に移りて、旧称の一日亭を称へ、明治10年西南戦争にて、全市兵燹に罹りしとき、同亭もまた類焼し、戦い終はるの後、今の二本木町に遊廓を公許さるると同時に、同所に移り新たに巨屋を構へて盛んに営業し、引き続き今日に至れり。同亭は遊廓の内にあれども、境内広ければ喧噪ならず。開豁にして清雅なる後庭を控へて、大小十数の客室あり、その最も大なるものは多人数の集会に適し、小なるものは友朋三五浅酌するに妙に、別に数軒の離亭及び茶室あり、愛妓と真猫の楽しみもよからん。

(よろこぶ)亭  山崎町47番地 電話145番 主人 女将 三浦ゑい子

 調理の美と包丁の翠とを以て有名なるものにして、客室は左まで多からねども、四五十人位は集会し得べき席もあり、孰れも瀟洒たる庭園に望み、清潔にして典雅なり。仲居も丸髷姿の中年増を選み、はしゃがざるも懇切に、そのもてなしの雅にして万事俗に陥らざるは粋人の最もよろこぶところなり。同亭は一日亭の支店なり。

静養軒  手取本町55番地  電話31番  女将 東せい子

 当地第一流の旅館研谷支店に隣し、広大なる庭園を有せるはこの料亭なり。同所は元当藩の門閥家、俗に長塀有吉といへる旧邸なりしを以て、庭園甚だ広くして幽雅に、一方はこんもりとして昼なほ小暗き老樹を以て蔽はれ、中に大なる蓮池あり。池を還りて所々に小亭を構へ、本館また集会席、西洋室其他数室を有す。料理は和洋両種とも客の需めに応じ孰れも美味に、殊に西洋料理は当地においては此処に優るものなし。

三 浦 春日町799番地 電話 特長20番838番 女将 三浦やす子

 万事東京風の翠をこらして、凝りた料理を食わせるなり。客室も東京風の廊下風にしつらへ、床の懸幅や置物から食器類まで凝りに凝りて客をしてアツと言わはせんば止まず。庭園も坪井川の碧流に望み枕みて閑雅にして、諸般の設備大いに風流紳士に適し、門前車馬の響き絶たず。

一 休  京町2丁目132番地 電話158番 女将 森しげ子

 開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。

京常楼  山崎町20番地 電話139番 主人 山下常次郎

 熊本税務署の向ふに在り。主人京都の人にして、明治23.4ねん頃沖縄より来たりて、草葉町に料理を営み次第に隆盛に赴けるを以て、今の所に店構へしたるなり。主人自ら包丁を執り一意薄利を旨とし、諸事軽便を以て客を喜ばす。

八百九(やおく) 塩屋町10番地 電話163番 店主 、富森金三郎

 市内中流の旗亭にして、粋客の眷顧最も多く、京常と相若くものを八百九と為す。主人京都人にして、主人自ら調理に従ひ、只管客を喜ばんことを勉め、万事簡便を以て主義となせり。同亭は元西京において精進料理を営み知恩院、西本願寺等の御用を達せし縁故あれば、この度の清正公三百年祭には、本妙寺における客賄ひ一切を引き受けしめられたりといふ。

開陽亭  洗馬下1丁目4番地 電話68番 主人 丸尾政次郎

 洗馬橋に臨み清洒なる料亭にして、緑聲肉聲常に河をわたりて聞へ春夏の候最も宜し。同亭は元西岸寺町に初めて開業し、西洋料理を専門とせしが、其の後明十橋に移りて、傍ら日本料理の求めにも応じお手軽一方に勉強したれば客足日夜に繁く、遂に今のところに改築移転す。

梅 園  洗馬町下1丁目7番地  電話113番 主人 森谷平助

 当地第1の旅館研屋本店に隣し開陽亭の下45軒目に在り。市塵を避けて静かなる客室を有し、歓談に宜しく、暖酌に宜し。春雨蕭々たるの時妓を擁して一杯を傾けんか、雨聲絲音と相和してまた別種の興味あらん。

山海軒  船場町下48番地 電話135番 主人 楢崎傳次郎

 元都亭と称し当所有数の亭なりしが、その後幾度か主を易へ現主人の経営となれり。楼上の眺望は阿蘇の噴煙を望み快豁なり。

幸 軒  山崎町8番地 電話624番 主人 楢崎傳次郎

 山海軒の支店なり。閑雅なる庭と客室を有す。慶亭と後輩向ひに隣す。

若松屋  船場町下1丁目32番地 電話335番 女将 古江ねの子

 開陽亭と斜めに相対し、別に練兵町にも客の出入り口を設ける。

岡崎家  仲間町 主人 岡崎米八

 お手軽迅速を旨とし紳士にも学生にも適せる。愛子称する看板娘、客の間を周旋する。玉突き場の設けあり。

金 庄  紺屋町3丁目14番地 電話419番 女将 本田ねい子

 こじんまりとしたる料亭にて、先ず二次会的と言ふべきか。弦歌喧噪を厭ふ粋客に人気。

魚 茂  鷹匠町37番地 電話363番 主人 内野茂三郎

 元下通町にありて、生魚商を営み傍ら料理仕出しを業とせしが、その後今の所に移りて料理屋となし、依然仕出しにも応ずることにせしに、主人自ら材料の仕入れ料理の調進に勉め専ら軽便を旨とし、手軽と直安とによりて店運メキメキ隆盛に赴き、今は当地第1の大客室を有するに至り百2百の大集会も何なく為し得たり。

南山楼  水道町36番地 電話350番 主人 佐村利一郎

 熊本市警察署前にあれども、客の出入り口は別にその横町一本竹町に設けあり。ここも魚茂と同じく手軽料理をもって名あり。県庁、市役所その他の諸官衙に近く、またこの度開催の藤公記念共進会、教育品展覧会も手近なれば、会期中の繁栄思ひやらるるなり。

キリン亭  山崎新市街記念碑通 電話673番 主人 永田陽八

 熊本におけるビヤーホールの開祖はカブトビヤホールと称せしが今般現主人が引き継ぎ名を改名したるものなり。

吉野屋  塩屋町裏2番丁13番地 電話317番 主人 米崎中吉

 明十橋通りにありて手軽一方を以て鳴り、仕出しをも為す。地取引所に近きを以て同所に立ち寄る者はすべて同店にてにて食をとれり。其の低廉なることは他に比類なし。

鈴 屋  高麗門裏町15番地電話38番の甲女将鈴木多壽子

 新町3丁目青物市場の近傍にありて旅館なりしが、中頃席貸業に転じ、更に料理屋に改めたるものなり。

桃中軒 山崎新市街桜町 主人 森角菊平

 主人、浪曲師桃中軒雲右衛門の芸風を愛し遂に屋号となす。坪井川に添へるを以て夏時は河上に屋形船を浮かべて客室と為し納涼の便あり。

光島屋  山崎新市街桜町78番地 電話654番 主人光 嶋勝平

 桃中軒と軒を並べ同じく手軽料理にて聞ゆ。

石 倉  新町3丁目45番地 電話175番 女将 石倉としの子

 熊本の地はいかなる原因ありてか、待合の長続きせざる所なり。従来幾度か起こりて或いは倒れ或いは料亭に変じ、今日にいたるまで盛況を保てるものは独り石倉あるのみ。女将としの子は久しく馬韓大吉楼にありて貴顕紳士に接し、客の応対待遇にかけては、天晴れ場数を踏みし手練の者なれば粋客の雲集するも故あり。

舞 鶴  二本木町38番戸 主人 森 軍次

 廊中の大旗亭一日亭本店の向かいにあり。台物屋中料理美味を以て称せら、殊に鮓飯及び親子丼のごときは熊本第1といふ。

 

 


明治42年頃の熊本の遊びどころ  著名旅館

2017-12-06 20:39:12 | 熊本の遊びどころ

研屋本店  船場町下1丁目8番地 電話 長10番 店主 岡本次八郎

 熊本第1流の旅館にして、亦同業者中の老舗なり。水に臨んで2層或いは3層の高楼を構へ、仰げば花岡の翠緑近く眸裏に収め、俯せば坪井川の碧流溶々として館下を流る。大小数十の客室を有し、設備は完全に、待遇は懇切に、調理また美味にして口に適し、最も衛生を重んず。地、当地第1の繁華街唐人町通りに近く、以て高等の旅客に適すべく、以て中流の紳士を迎ふるに足る。熊本停車場より車行15分にして達すべし。

研屋支店  手取本町61番地 電話長 11番 店主 岡本次七郎

 諸般の設備、待遇、調理等本店と兄たり難く弟たり難くともに当地一等の客桟たり。地は熊本城に近ければ、坐ながらにして藤肥州当年の偉蹟を観望することを得べく、県庁、市役所その他の諸官衙公署亦附近の地に散在し、出入りに便なり。別に店内に玉突場及び物産陳列場を有し旅客の便を謀れり。店主は本店次八郎の兄にして、熊本宿屋業組合の頭取たり。

寶来屋  小沢町1番地 電話331番 店主 沢福次郎

 熊本停車場より車行7.8分ばかりにして、細工町通りを極め、将に右の方当地第1の大通り唐人町通りに折れんとする所の左正面に在り。当地屈指の旅館なり。館は坪井川にに臨める二層楼にして、川を隔てて青物市場と相対しし、楼上より望めば花岡の青嵐近く目睫の間に迫り呼べば応へんとす。

丸小旅館  上林町14番地 電話354番 店主 小山吉五郎

 当市北部の上林町一丁目より東に折れたる小路にあり。大通りより少しく入り込みたる所なれば、土地閑静にして喧噪ならず。

玉名屋  櫻井町17番地 電話469番 店主 伊形清次

 上通5丁目の角より東に入る櫻井町の右側にあり。研屋支店と相去ること遠からず。


明治42年頃の熊本の遊びどころ 劇場

2017-12-05 11:15:13 | 熊本の遊びどころ

東雲座・・紺屋阿弥陀寺町411番 電話248番 座主 中島茂七

 明治40年に東京から尾上梅幸、市川羽左衛門が来て歌舞伎を演じたとき劇場の結構に感心して、帰路大阪の新聞記者に「熊本の東雲座のやうな劇場は東京にも余計はありません。」と語ったとか。また42年3がつには川上音次郎が壮士劇を演じ貞奴なども来演している。

旭座・・川端町23番地 電話644番 座主 脇坂乙熊

 元は下河原公園内にあって末広座と称し、黒田茂八の経営であったのを今の座主譲り受け場所を川端町へ移し新築したものである。熊本の劇場ではこの旭座がもっとも古く、老舗の面目にかけて東雲座と対抗して相譲らぬところがあった。大阪から壮士劇などを呼んで上演していた。

大和座・・山崎練兵町78番 電話744番 座主 古城卯三郎

 明治41年の開業。「結構堅実にして設備巧妙を極め」と紹介されている。大阪の歌舞伎役者中村福圓などが舞台をつとめている。

 以上が明治42年頃の熊本の劇場ですが、このほかに手頃な木戸銭の敷嶋座という小屋が新鍛冶屋町にあり、また下河原公園内にも喜楽座という寄席がありました。


稲田栄作氏の墓発見

2017-11-23 16:55:36 | 熊本の遊びどころ

 先に二本木神社鳥居の寄進者稲田栄作氏のことをアップしましたが、稲田氏の墓が見付かり更に詳しいことが分かりました。墓は二本木神社前にある常通寺墓域内にあり、墓碑は転倒していましたが、幸いにも文字の読み取りはできました。墓誌から書き写したものをここに再録しておきます。

 茲照院釈峰月信士 大正十年九月一日 九十一才  稲田栄作

 照定院釈受峰信女 大正九年八月九日 七十九才  稲田波津

 上記から稲田氏の生年は天保元年となり妻ハツと結婚したときの年齢は栄作26才、ハツ15才ということになります。年若い妻を娶り共に苦労を重ねたことでしょうが、11年も若い妻の方が先に逝き、その翌年後を追うように栄作氏は亡くなっています。人生の哀れを感じさせます。また栄作氏が古町小学校に入学して子供たちに交じって文字を憶えた時期は明治23,4年頃と推定されます。

 

 


二本木神社と稲田栄作

2017-11-10 21:33:46 | 熊本の遊びどころ

 二本木神社がいまのところに遷座したのは明治39年10月のことです。どこから遷って来たのか、それは同じ町内のどこかとなりますが、その場所ははっきりしません。ご祭神は健磐龍命(阿蘇神社)です。神社の基本情報はこれくらいにして、稲田栄作について述べようと思います。

 鳥居の向かって左側の柱の中間部に文字のようなものが見えますが、稲田栄作と刻んであり、また、右側柱の背面高所には「妻ハツ結婚50年記念」と刻まれています。つまりこの鳥居は稲田栄作という人物が妻ハツとの結婚50年を記念して寄進したものということになります。

 では、稲田栄作とはいかなる人物か、以下の文章を読んでください。

 「戸浪さん その頃六十才位のお爺さんが一年生と一緒に勉強しておられた。この人は稲田栄作という人で字が読めない為に苦労したから今から六十の手習いをしょうと、学校にお願いして入学されたそうであった。そして新聞も読めるようになり、お礼にといって学校に図書室を寄付された。今の給食室のところに終戦まであったが、今は取り壊されて無い。其の上二本木神社に鳥居を寄進されたが字の読めるようになった事がどんなに嬉しかった事か、想像される。私は偉い爺さんだったと今も思っている。」(「わたしたちの古町」古町小学校編・1976年)

 これは上記本に記載されている古老たちによる「座談会」から引用したものです。この記事によると、戸浪さんという古老は子供の頃に稲田栄作を見知っていたことになります。彼の言う「その頃」が明治何年のことなのかはっきりしないのが今となっては惜しまれます。

 さて、これだけではまだ稲田栄作の全体像は浮かんで来ませんね。ここで「熊本の遊びどころ・二本木遊廓」の記述を引用することになります。

一 楽 同亭は一流の大店にして稲田栄作氏之を経営し其孫女とし子女将たり、諸事親切を旨とし能く勉強すとなん。

新一楽 同楼は一楽亭の支店にして稲田とし子女将の支配にして愛嬌と親切を以て評判宜し。

 稲田栄作氏は上記2店で娼妓35人を抱える遊廓の経営者だったのです。学校関係の文書に遊廓経営者とは流石に書けなかったのですね。ここで氏について少し立ち入った考察をしてみます。

 はじめに明治39年に結婚50年とありましたね。ここから逆算すると氏が結婚したのは安政3年(1856)であり、その時の年齢が20才だと仮定すれば生年はさらに20年を遡って天保7年(1836)となります。これは西郷や桂とあまり差のない年代ですね。氏もまた幕末動乱期の人です。しかも氏の場合は無学文盲の徒として生きたわけで生きるための格闘は厳しいものがあったはずです。しかし氏は困苦の末にそれを乗り越え二本木遊廓にたどり着いたことになります。氏もまた一個の英雄であったと私は思う。

 こういう人物は信用できるし尊敬にあたいします。また親しみをも感じます。「私は偉い爺さんだったと今も思っている。」と座談会で発言された戸浪さんの真意もそこにあったのではないでしょうか。

 二本木遊廓で名を遺した人物は中島茂七と稲田栄作になるようです。


熊本の遊びどころ 明治42年頃の二本木遊廓(3)

2017-11-05 13:29:03 | 熊本の遊びどころ

遊廓三橋楼が私財を投じて架けたといわれる三嬌橋

 いかにも殺風景な図面ですが、二本木遊廓の地図です。パソコンへ落として拡大すれば文字を読むこともできます。市電が田崎橋まで延びたのは昭和34年、二本木遊廓の灯が消えたのはその前年でした。なお白川左岸を川尻電車が走っていますが、これは昭和40年頃までありました。

古場田博 二本木遊廓を描く ←左の文字をクリック


熊本の遊びどころ 明治42年頃の二本木遊廓(2)

2017-11-05 12:15:21 | 熊本の遊びどころ

 二本木町本通りをまっすぐ南へ20分ばかり歩くと白川のほとりに浄土宗西山禅林寺派の古刹蓮台寺建っています。蓮台寺は檜垣寺とも呼ばれますが、この寺と二本木遊廓となにか関係があるのかというと、それは特にないようです。しかし、

 檜垣は白拍子だったといわれることから遊芸の大先輩という尊崇の念が娼妓たちの心の中にあって、それが彼女らの生きる支えにもなっていたであろうことは次の事実からも窺い知ることができます。

 境内に檜垣の塔が祀られていますが、それを囲む玉垣の2本の石柱には二本木遊廓の楼名がびっしりと彫り込んであり、この玉垣が遊廓の楼主たちによって寄進されていること、つまり娼妓たちの信心の対象が檜垣にあったことが推定できる訳です。建立年は昭和10年(1935)とあり、この年は熊本振興大博覧会があった年で、二本木遊廓ではその記念行事として花魁道中を挙行しています。

 現在の二本木本通りは、黒亭ラーメンに時々行列ができることもありますが、震災以降は更地の目立つさびれた感じの町並みになっています。この通りを歩いていると、かって華やかな花魁道中が練り歩いたという、その繁栄のさまが偲ばれていよいよ今昔の感を深くします。

★三橋楼 二本木町44番戸 電話306番 楼主 牛島米太郎

☆朝霧(水田ゆきの、深江)☆呉羽(大塚政代、大阪)☆篝火(上野いせ、兵庫)☆都(安達をいち、愛媛)☆峰吉(若狭よね、下関)☆吉野(大野よし、大分)☆小町(池田ひさ、京都)☆手枕(松原かき、名古屋)☆朝日(入江で、宇土)☆葵(伊藤はよ、神戸)☆名古屋(星野てつ、名古屋)☆玉垂(中尾あき、長崎)☆文明(藤山さた、佐賀)☆三笑(山崎さきゑ、和歌山)☆八ツ橋(中村きみゑ、和歌山)☆力弥(森本すゑ、大阪)☆川竹(錦ひで、大阪)☆思君(溝井とめ、大分)☆東洋(城みゆき、佐敷)☆音羽(藤澤保、大分)☆玉章(山本すゑ)☆柵(田中とく、日田)☆敷妙(山本きみ、京都)☆久松(角田たけ、大分)☆文路(小田あき、大阪)☆寶君(力永ちの、嶋原)☆お多福(高橋りう、大分)☆夜桜(永井きと、大分)☆薄墨(春田せき、浦上)☆泉(勝野とめ、熊本)☆菊枝(橋本きち、日田)☆金龍(富嶋ちよ、大阪)☆花里(小杉まき、長崎)☆三橋(清水とみ、京都)☆山科(田中なをゑ、和歌山)

★松花楼  二本木町31番戸ノ1 楼主 飯橋忠八(郡会議員)

☆千草(若松すその、出水)☆君子(阿南しつ、飽託)☆秋月(矢住つる、熊本)☆花雲(畠中いね、出水)☆青梅(中野うめを、嶋原)☆初音(土田まさ、平戸)☆緑(田口いと、玉名)☆紅葉(谷口じゆき、日奈久)

★嬉野楼 二本木町199番戸 電話734番  楼主 内野久米吉

☆文之助(寺本きじゆ、宇土)☆文子(吉井きよ、飽託)☆一福(新川ちよ、佐賀)☆忍(角田ふい、飽託)☆常野(松谷つねの、和歌山)☆浪花(椎原うめの、飽託)☆琴浦(木村とみの、和歌山)☆若里(平田とわ、佐賀)☆秀(野村ひで、山口)☆明石(中村きよ、和歌山)☆秋月(久井いと、福岡)☆玉壺(鎌田るい、大阪)☆雲井(増本りの、大分)☆美笑(大橋まつ、大分)☆八重鶴(坂田みと、飽託)☆艶葉(宮野しも、玉名)☆桔梗(中村とう、長崎)

★幸楼(本店) 二本木町12番戸 電話821番 楼主 倉岡幸作

☆八房(鹽田こよ、鹿児嶋)☆村雨(上田はな、山口)☆小菊(川上はつよ、飽託)☆勝子(平岡つね、福岡)☆恋衣(辻田きん、福岡)☆米子(松山まつ、玉名)☆朝露(中江きよ、鳥取)☆幸(中道しな、下益城)☆三ツ扇(徳永ゆき、飽託)☆千菊(喜多村とら、福岡)☆姿野(土肥きの、佐賀)☆花里(一ノ谷まき、京都)☆一二(後藤みねを、飽託)☆雪友(山下さよ、芦北)☆栄(古川とく、佐賀)☆英(大久保みき、飽託)☆千鳥(東きく、菊池)☆花衣(なかがわき、大分)

★相生楼  二本木町52番戸ノ2 電話565番 楼主 雨森あい子

☆小鶴(濱田つる、八代)☆若里(多いしな江、出水)☆千鳥(界はな、大分)☆栄(鈴木はな、大分)☆小梅(相模つる、飽託)☆丸子(小佐井加代、植木)☆小桜(田中よしを、嶋原)☆一松(栄田こう、福岡)☆都(井手口いし、長崎)☆朝妻(枝木くに、熊本)☆若蝶(川村ちよね久留米)☆早吉(盬見うめ、大川)☆繁香(小早川たみ、山が)☆敷嶋(和田喜代、熊本)☆花蝶(菅本きく、廣嶋)☆花子(中川とめ、宇土)☆小房(南喜壽、熊本)☆花の井(池田きん、岐阜)☆菖蒲(宮本かつ、福岡)☆静子(橋本静子、門司)☆福助(雨森すゑ、熊本)☆花紫(百瀬なか、延岡)☆玉糸(清水とく、鹿児嶋)

★松緑楼  二本木町13番戸 電話634番 楼主 松谷子之吉

☆濱松(江口みつ、飽託)☆三幸(大原よし、和歌山)☆明濱(森くま、飽託)☆春子(米田なつ、八代)☆三鶴(金山みつる、熊本)☆二見(渡辺つね、熊本)☆花雲(井阪ふでね飽託)☆錦野(松岡むめ、飽託)☆鈴成(吉沢うめ、飽託)☆篠田(平田ちよ、飽託)☆奴(金重きく、山口)☆桐嶋(比義とも、福岡)☆金誌(川口つえ、上益城)☆花枝(田村しん、熊本)☆福島(福島はつ、飽託)☆起想(下田たまき、飽託)

★華山楼  二本木町133番戸 楼主 杉山庄平

☆西海(矢野きく、大分)☆花山(浦上よしね宇土)☆秋月(濱さだ、天草)☆文月(米来加壽、熊本)☆行末(三原たけ、飽託)☆花松(吉田まつ、伊万里)☆する墨(山川しま、上益城)☆初雪(園田たつの、飽託)☆花子(萩原はる、飽託)

★玉新楼  二本木町279番戸 電話161番  楼主 女将 荒木あき子

☆関ノ戸(宮口たまき、飽託)☆金次(轟そで、八代)☆喜京(中村つる、廣嶋)☆葉山(改働きと、松橋)☆呉竹(岩崎ますゑ、和歌山)☆千里(伊藤なか、柳川)☆武蔵野(川上たつ、上益城)☆司(服部民、熊本)☆新(右田とみ、福岡)

★豊遊楼  二本木町25番戸 楼主 山本重太郎

☆清葉(松山まさ、日奈久)☆玉龍(中島みか、馬見原)☆要(辻たつ福岡)☆艶菊(佐藤やす、長崎)☆千代松(柴田いね、深江)☆春香(中山ちよ、時津)☆満龍(松野まじうね熊本)☆文子(一ノ瀬だひ、佐賀)

★松濱楼  二本木町23番戸 楼主 松谷子之吉

☆秀吉(原本ひでねやつしろ)☆小濱(沖津さよ、天草)☆小春(東すか、八代)☆金丸(牛島とじゆ、飽託)☆若子(川本ゆき、玉名)☆日吉(小山ひろ、下益城)☆大和(井嶋つる、上益城)☆若櫻(高木たつ、やつしろ)☆小竹(山下たけ、熊本)☆櫻木(濱田きそ、飽託)☆丸山(高田るみ、飽託)

★住吉亭  二本木町29番戸ノ弐 楼主 樺嶋以徳

☆墨染(金丸なみ、飽託)☆畏服りき(嶋原)☆小櫻(中村のぶ、八代)☆戻吉(大石ふさ、佐賀)☆小三(今井やす、嶋原)☆勇喜(松永もと、飽託)☆敷江(村井とめ、飽託)☆松嶋(木村かと、佐賀)☆愉快(佐藤つね、佐賀)☆道助(三岡美千代、山鹿)☆九重(横田まつ、隈庄)☆八嶋(徳村たよ、大分)☆米八(大曲きく、飽託)☆桂木(米光みしえ、上益城)☆小柴(山田つも、佐賀)☆小糸(元木ふし、大分)☆若子(安部りか、熊本)☆初春(天田とし、天草)

★双玉  二本木町117番  楼主 内村武兵衛

☆司(佐伯つぎ、阿蘇)☆力弥(河野もの、阿蘇)☆鶴吉(田中つるえ、福岡)☆小富(永野こと、八代)☆富吉(野口とめ、出水)☆薄墨(未雀とく、時津)☆実吉(武石しつ、阿蘇)☆妙嶋(川崎かの、鹿児嶋)

★港川楼  二本木町30番戸ノ1  楼主 中川直人

☆吾妻(吉田はつ、熊本)☆菊野(住江つき、飽託)☆千代子(野原のい、嶋原)☆筆吉(鍋嶋さは、宇土)☆港(山田たね、東京)☆錦野(平川しげ、飽託)☆敷嶋(田上きよ、飽託)☆茂ノ井(伊達やす、訪宅)☆綾絹(牟田口はつ、訪宅)☆曙(田尻たけ、天草)☆君子(松本しか、飽託)☆福助(西崎とじゆ、宇土)☆初子(吉田はつ、玉名)☆玉千代(猪口とち、宇土)☆みどり(平野すな、玉名)

★大藤屋  二本木町27番戸  楼主 女将 酒井たよ子

☆藤浪(片山たきの、長崎)☆梅香(川迫しめ、球磨)☆菊次(佐藤きく、大分)☆小鹿(田上しか、熊本)☆出水(松下のし、鹿児島)☆遊月(泉まつの、長崎)☆玉菊(木山たつ、天草)☆常次(犬井つね、飽託)☆君子(高木わき、長崎)☆藤子(飯田かね、長崎)☆清香(菊池せい、大分)☆筆助(白木うた、飽託)☆三好(高原わせ、長崎)☆千里(中西計佐、鹿児島)

★萬屋  二本木町31番戸  楼主 津野みす子

☆初菊(竹下はる、山鹿)☆式部(村上かね、八代)☆住江(水田すみ、八代)☆君代(内田さよ、飽託)☆吉子(西村とめ、芦北)☆三子(林田はつえ、飽託)☆静(宮田てる、飽託)☆小春(戸川きま、宇土)☆小桜(田中よね、福岡)☆大葉(杉谷とき、山鹿)☆一瀧(杉中しま、愛媛)☆若子(松石ちよ、熊本)☆小櫻(羽田りす、阿蘇)☆小花(濱田その、飽託)☆清香(山本継、熊本)☆圩み(飽託)☆三原かを(飽託)☆吾妻(牧瀬みつ、嶋原)☆八重松(櫻井なせ、佐世保)☆馬場みさ、(飽託)

★新菊水  二本木町36番戸  楼主 女将 吉川かつ子

☆静香(服部きく、福岡)☆明石(清水かよ、飽託)☆芳野(堀内よし、愛媛)☆廣吉(川越ひろ、鹿児嶋)☆松風(岡林はや、天草)☆八ツ橋(吉田キきよの、福岡)☆花蝶(岡田とめ、愛媛)☆轟(門田とら、山口)☆ポンタ(山本きく、飽託)☆綾衣(高倉もり、大分)☆勝山(鶴田つる、大分)☆末安わか、(鹿本)☆白菊(河津いえ、大分)☆春雨(山中むつ、飽託)☆政子(倉本まさ、上益城)☆福助(齋藤しめ、福岡)☆茂(道上ちよ、長崎)☆ウタハシ(山口まる、玉名)☆藤丸(永井じゆき、宇土)☆桃栄(新谷しか、福岡)☆梅子(武石いせ、大分)

★湊屋  二本木町105番戸  女将 樺嶋すが子

☆朝妻(藤本さた、武雄)☆品川(武田みや、隈庄)☆大吉(古田かよ、小川)☆相吉(重松さき、福岡)☆朝妻(平田すえ、飽託)☆入船(倉川たき、佐賀)☆都(堺よし、飽託)☆艶子(岩田ます、飽託)☆若龍(永田きよ、熊本)

★龍野亭  二本木町105番戸  楼主 女将 田上まさ子

☆鹿子(池田しか、佐賀)☆市子(金子りき、口之津)☆浪尾(中村くに、熊本)☆初栄(川本はつ、熊本)☆清子(宮崎しづ、三池)☆千代鶴(矢野ちさと、牛深)☆谷枝(山下きつ、登立)☆谷龍(入江まるえ、阿蘇)☆松子(上野まつ、松尾)

★第二幸楼  二本木町37番戸 電話453番 楼主 倉岡幸作

☆要(名倉はま、京都)☆君子(東みつえ、菊池)☆雛子(高森すえ、飽託)☆緑(宮崎いちね大分)☆艶葉(中川しかね大分)☆鈴子(上津原むめ、飽託)☆玉房(楠山のぶ、玉名)☆三笠(河野すえ、下益城)☆若駒(大保みつ、飽託)☆信夫(鷲頭すえ、熊本)☆若糸(松尾いと、福岡)☆てるは(鬼頭さの、宮崎)☆鶴子(長尾やす、福岡)

★松屋  二本木町125番戸 楼主 女将 岡崎かつ子

☆松代(栄いし、飽託)☆富士嶋(吉村くら、下益城)☆松嶋(福永ひさ、嶋根)☆花子(草野すた、長崎)☆鶴子(稲田とり、玉名)☆米松(森つわ、天草)☆竹松(鵜口梅、球磨)☆金時(本蔵そよ、鹿児嶋)☆玉助(西富江じゆ、宇土)☆緑(江口こみつ、球磨)☆金松(末長満、熊本)☆若春(土木あきよ、廣嶋)☆若千代(浦田きの、天草)☆若藤(姫野てい、大分)☆大和(荒木)

★蔦屋  二本木町37番戸  楼主 女将 松田てい子

☆若勇(朱雀しつ、長崎)☆敷嶋(三道まき、芦北)☆色香(嵩下たき、長崎)☆五月(宮崎しお、長崎)☆十六夜(藤川せき、久留米)☆一筆(蓮尾ひさ、大牟田)☆青柳(中本のし、長崎)☆玉菊(米原とじゆ、下益城)☆花子(樋口はな、鹿児嶋)☆重松(松本まる、上益城)☆式部(泉こと、長崎)

★角肪屋二  本木町37番戸  楼主 下田 一 

☆松枝(柴垣みつ、下益城)☆千代松(堀川ちを、福岡)☆若玉(義原かね、下益城)☆若春(田中そま、鹿児嶋)☆東(寺原いち、宮崎)☆誠(市村すゑ、飽託)☆梅吉(宮崎うめ、下益城)☆三津丸(濱田こと、下益城)☆小蝶(藤本つる、佐賀)☆若鶴(山口つる、長崎)☆一丸(緒方さゑ、紙益城)

★松琴楼  二本木町37番戸  楼主 女将秋 田きく子

☆玉菊(杉本さく、出水)☆千代賀(永井みよ、飽託)☆東(杉本あぐり、京都)☆政子(徳永やゑ、隈府)☆彌生(杉野菊松、飽託)☆花賀(水上むめ、京都)☆薫(田原むめの、宮崎)☆花鳥(清水そで、愛媛)☆桃子(高杉さの、宇土)☆梅子(椎葉なか、熊本)☆松江(星子かず、飽託)☆若子(堤とし、佐賀)

★日ノ出楼 二本木町37番戸電 話839番 楼主 女将 萬屋せい子

☆小糸(宮本とも、長崎)☆初音(吉村はつ、玉名)☆若葉(河野みち、愛媛)☆小萬(奥やえ、福岡)☆八千代(下川えち、八代)☆重子(結城やゑ、八代)☆若子(足塚ふさ、大分)☆有明(蓑田とま、天草)☆一鶴(楛さめ、八代)☆明石(水田いね、八代)☆若浦(井手口きと、鹿本)☆小蝶(岸田まき、福岡)☆小金(藤森きみ、飽託)☆大和(山崎もと、福岡)☆繁子(富松よね、福岡)☆都(上田すぎの、福岡)☆小菊(蓮尾まつ、福岡)

★金華楼  二本木町37番戸 楼主 名和範弘

☆愛子(永井さよ、)☆歌浦(有本ゑい、和歌山)☆末廣(松永もさ、飽託)☆竹夫(西嶋す江、飽託)☆加嶋(中村つよ、飽託)☆初恵(岩桐はつ、阿蘇)☆照子(佐伯みす、大牟田)☆玉子(山本つよ、木山)☆福次(園田みさ、内牧)☆玉菊(久保田ちき、嶋原)☆小龍(原田たけ、八代)

★三代喜楼  二本木町191番戸  楼主 釣船三平(侠客)

☆千年(西岡つる、大阪)☆小金(尾崎せん、長崎)☆美瀧(瀧本のよ、佐賀)☆薄雲(船村まさ、長崎)☆千代春(相良ちよ、小倉)☆人気(飽本ともゑ、熊本)☆村爾(合原さと、福岡)☆アコヤ(吉田ゑつ、葦北)☆早子(糸田しげ、飽託)

★稲本亭  二本木町37番戸  楼主 岡田つる子

☆十九八(松山つる、玉名)☆瑞穂(村山やゑ、飽託)☆久子(堀久枝、和歌山)☆敷妙(秋山きくの、飽託)☆舞(大浦はつの、和歌山)☆相子(相川くさ、飽託)☆名龍(青木まき、上益城)☆藤野(久保田ふじの、和歌山)☆梅吉(松村ちよ、大阪)☆菊路(高橋きく、天草)☆明石(甲斐とき、福岡)☆若竹(池上かと、熊本)☆勝利(園田みじゆ、八代)☆有明(轟しま、福岡)☆万歳(赤松しめ、飽託)

★高砂楼  二本木町41番戸  楼主 女将 武内さを子

☆ミナコ(藤崎よし、鹿児嶋)☆綾女(木村ひさ、阿蘇)☆八重子(秀島すき、佐賀)☆君子(奥村なら、飽託)☆末子(大鶴すゑ、飽託)☆九重(森山そで、隈府)☆茂子(藤谷さよ、下益城)☆高砂(永友もと、飽託)

★常盤楼二本木町184番戸楼主岡田千太

☆若子(大山さえ、大津)☆小菊(山口なつ、二本本)☆花遊(園田とじゆ、池上)☆春吉(佛阪ふち、佐賀)☆満潮(福岡なを、佐賀)☆若竹(尾形とらの、熊本)☆三助(若松つね、八代)☆小花(田中たま、長崎)☆鶴香(浅尾すえ、飽託)☆サツキ(吉武かよ、池上)☆仇吉(坂口ゆき、飽託)☆秋月(中村はつ、玉名)☆丸子(藤本やす、大分)

★清月楼  二本木町新14番戸  楼主 女将石 原壽の子(清川亭支店)

☆松子(若田まつ、嶋原)☆半八(米東加壽、熊本)☆龍子(加々見まつ、熊本)☆小福美(江川ゆみ、松合)☆近松(永田よしの、口之津)☆五月(竹下ふしを、山鹿)☆小雪(北野ゆき、宇土)☆駒勇(青木こま、京都)☆雪枝(雪水まき、八代)☆芳野(稲森はつ、砥用)☆小櫻(久地かつ、長崎)☆壽(本庄はつ、春日)

★三遊楼  二本木町34番戸  楼主 成田屋亀太郎(今は黒亭ラーメン)

☆一龍(一村つよ、下益城)☆糸吉(森下いと、球磨)☆君子(堀内ふた、大分)☆相吉(田中はな、佐賀)☆金子(金子うめの、福岡)☆小金(髙石ふい、天草)☆初音(木村あい、飽託)☆岬(垣瀬はつ、熊本)☆若春(前田じゆか、飽託)☆紅葉(江藤かねを、大分)☆ツボミ(植田みよ、下益城)

★菊水楼  二本木町188番戸  楼主 吉川栄造

☆福助(宮崎つる、熊本)☆市福(武田いち、愛媛)☆高砂(寺岡ちよ、熊本)☆入舟(横尾いそ、長崎)☆小米(尾形もゑ、葦北)☆鶴羽(浦本ゑつ、鹿児嶋)☆春吉(桑原もつ、葦北)☆若子(坂上もと、宮崎)☆小桜(堀たけ、佐賀)☆艶菊(岩吉たけ、熊本)

★梅ケ枝  二本木町188番戸  楼主 清田六次郎

☆園八(城すゑも、鹿本)☆呉竹(遠矢りの、鹿児嶋)☆九(高木多津、熊本)☆茂男(中川なつ、球磨)☆若梅(牛島よね、大分)☆吾妻(北川初、飽託)☆花園(古閑りつ、飽託)☆照葉(村山てる、球磨)☆玉吉(本田なつ、鹿本)☆三ツ港(三浦龜、熊本)☆三ツ橋(森尾とめ、熊本)☆遊會(山東小龍、和歌山)

★丸福亭  二本木町185番戸  楼主 石原壽野子(清川亭第三支店)

☆紫(赤崎みせ、出水)☆重松(津原ゆく、山鹿)☆小稲(堤いね、天草)☆市子(大鶴まつ、川尻)☆若龍(松嶋くの、八代)☆谷駒(林田わい、嶋原)☆糸柳(松下かと、本渡)☆歌子(伊藤うた、佐賀)☆豊(豊増きじゆ、嶋原)☆小糸(小田きの、出水)☆嶋子(草道しま、出水)☆千代春(荒尾はつ、二本木)☆福次(藤田佐代、松尾)☆愛去(住井あい、二本木)☆丸重(西本しき、長崎)

★清漣亭  二本木町50番戸  楼主 森永彦次郎

☆時汐(土尾いし、阿蘇)☆小鶴(林田よしの、嶋原)☆花里(山下ちの、天草)☆香(山ノ内とめ、出水)☆竹次(奥村ちき、)☆若玉(光瀬かね、天草)☆米吉(後藤とよ、唐津)☆有明(中村ちよまつ、出水)☆藤枝(宮岡かめ、出水)☆重の井(重田きく、八代)☆小金(木村わき、飽託)☆琴春(森とよ、飽託)

★翁亭  二本木町189番戸  楼主 女将 稲原くに子

☆若紫(野村むめ、八代)☆緑(藤本はつ、大分)☆彌生(山田むめ熊本)☆千代野(河野ちじゆ、熊本)☆貞與(船津ゑじゆ、鹿本)☆満汐(前田ことの、福岡)☆元吉(齋藤もと、飽託)☆鷹取(後藤いち、飽託)☆翁(矢野やい、飽託)☆大和(赤星くま、鹿児嶋)☆糸島(中原さき、福岡)☆敷嶋(田中ふじ、下益城)☆文明(田口つね、飽託)☆綾子(手島あたえ、飽託)☆富士浪(萩原きく、佐賀)

★菊栄楼  二本木町3番戸ノ1  楼主 古川仙蔵

☆小櫻(坂元ちか、出水)☆福助(福島節代、愛媛)☆櫻木(大塚とく、佐賀)☆好子(青木よし、出水)☆花枝(福嶋まつ、飽託)☆日野(岡田きく、玉名)☆小米(山根さち、嶋根)☆松子(萩本まつ、飽託)☆菊松(徳永壽か、宇土)☆すなを(久保田たま、熊本)

★清住亭  二本木町14番戸  楼主 森川直舎

☆初恵(平嶋はつえ、山鹿)☆芳子(福嶋よし、横手)☆春次(加藤かつの、筑後)☆玉吉(山守せす、大分)☆雪枝(濱崎たか、飽託)☆若子(杉田なつ、天草)


熊本の遊びどころ 明治42年頃の二本木遊廓(1)

2017-10-20 23:26:24 | 熊本の遊びどころ

二本木東雲楼は「東雲のストライキ(東雲節)」で有名な遊廓です。東雲節の元歌は次のような歌詞だったそうです。

祇園山から二本木見れば

倒るるナントショ

金はなかしま(中島)家も質(茂七)

しののめのストライキ

さりとはつらいね てなこと仰いましたかね

 少し解説をすると祇園山は花岡山、中島茂七というのは東雲楼の主人、帳場の責任者が斉藤。この時代熊本では斉藤を「さりとう」と発音していたらしい(ホントカナ・・?)。この元歌がさまざまに歌詞を変えて大ヒット曲になったのです。

東雲節 YouTubeにリンク 唄 市丸

 

東雲楼庭園

東雲楼庭園

 二本木に遊廓が許されたのは西南戦争直後の明治10、11年ころと言われます。それまで熊本市に遊廓がなかったのかというと、私娼の売春宿が京町台にあって繁盛していました。明治4年に熊本鎮台が置おかれると、そこに全国から4千人の兵士が駐屯するわけですから、それを目当てに大小の遊廓、料理屋が、現在の裁判所付近一帯に軒をならべていたそうです。

 その遊廓も西南戦争の時に官軍によって焼き払われて消滅、一時的に姿を消しますが、戦後にまた復活します。このときは私娼制ではなく官が許可を与える公娼制となり、遊廓は二本木以外の所で営業してはならないことになりました。爾来1958年の売春防止法成立の年まで80年余にわたって繁栄します。

 以下に二本木遊廓の楼名と娼妓の嬌名及び実名並びに出身地を記します。これは清正公300年祭があった明治42年発行の「熊本の遊びどころ」より引用しています。

★梅花楼 二本木町1番戸電話527番 経営者 田中新吾

☆糸鶴(松本しつ、八代)☆若龍(石塚はる、鹿児島)☆老松(藤芳まつ、熊本)☆菊治(増田きわ、飽託)☆若駒(小形そやそや、芦北)☆鶴子(真開とき、熊本)☆若里(星子ちじゅ、玉名)☆右近(立川なつ、飽託)☆菊蝶(菊池てつ、愛媛)☆米次(朝永なお、長崎)

★益城屋 二本木町3番戸  女将 小梅

☆若浦(高木うら、やつしろ)☆市子(神谷すゑ、飽託)☆常磐(阿蘇品きと、飽 託)☆雛嶋(豊田はつ、福岡)☆大和(田中はつ、飽託)☆大吉(片江かの、飽 託)☆龍子(藤本たつの、飽託)☆朝日(徳永かよ、宇土)☆相(松藤かね、福 岡)☆朝鶴(上津原あさの、飽託)☆玉子(養父さち、福岡)☆若子(梶山はる、 飽託)☆澤野(萸木かな、球磨)☆小春(松江はる、長崎)☆此花(能登原いう、 飽託)☆朝子(高木たけを、菊池)☆駒吉(福本いし、八代)

★寶亭  女将  井上康子

☆衣子(金子だい、天草)☆八千代(松村よし、宇土)☆小櫻(川上みさの、鹿本)☆大見(西村やゑ、下益城)☆富子(瀬戸うさ、大分)☆曙(荒木てい、長崎)☆桃咲(吉永かき、飽託)☆花實(井上ゆき、八代)☆梅子(前田ます、八代)☆成駒(金田ゆき、下益城)

★東京亭  二本木町7番戸  電話737番  楼主  井黒弥助

☆小三(武田さだよ、愛媛)☆芳野(二田ふさ、佐賀)☆かしく(川上はる、飽託)☆鹿の子(上村ちさ、上益城)☆まさの(北本とし、飽託)☆霧嶋(米光さき、上益城)☆金八(志岐ます、飽託)☆君子(熊谷ます、福岡)☆静子(松本しつ、長崎)☆丸子(橋本すゑ、熊本)☆吉野(丸山きも、下益城☆乃花(佐田壽ゑ、うと)

★布袋  二本木町103番戸  女将 父母とめ子

☆子ノ日(高橋よし、飽託)☆金剛(圓山くに、京都)☆敷嶋(武田はる、下益城)☆對嶋(泉つや、長崎)☆常磐(齋藤ふき、飽託)☆鹿嶋(箱崎かと、飽託)☆有明(奥村さよ、長崎)☆菊月(内田つや、飽託)☆白砂(坂中なみ、愛媛)☆生駒(川野ゆき、大分)

★松龜亭  二本木町144番戸 電話736番  楼主 増山勘太郎

☆式部(緒方まる、飽託)☆照葉(古閑みつ、八代)☆常磐(佐藤つね、熊本)☆志信(村上のぶ、八代)☆巴(倉原ふじ、長崎)☆友恵(新見たけよ、広嶋)

★清川亭二本木町9番戸 電話423番  楼主 石原壽の子(8余歳の老婦)

☆鳴海(山田やよ)☆雲鶴(高濱きわ、飽託)☆玉里(中園きく、大川)☆花衣(大濱すゑ、熊本)☆小柳(阿部とき、筑後)☆橘(吉村まち、長崎)☆芳子(樋口さの、福岡)☆アダカ(佐々木きん、天草)☆三國(富永はるの、飽託)☆墨染(早瀬すみ、上益城)☆名月(南部きみ、熊本)☆小さん(新庄りき、飽託)☆霧嶋(津田きの、長崎)☆若花(小中りよ、福岡)☆若富(古川とち、鹿本)☆綾子(北方さん、佐賀)☆愛吉(村上みね、馬関)☆若吉(金子さと、鹿児島)

★清多楼 二本木町11番戸  楼主 石原壽の子(清川亭の支店)

☆菊鶴(岩佐はつ、飽託)☆有明(荒木かつ、長崎)☆鶴羽(中村一重、飽託)☆糸鶴(林田つよ、口之津)☆初枝(西牟田ゑみ、いづみ)☆友鶴(吉本しを、八代)☆玉鶴(井川そよ、大分)☆花ぞの(園田千代喜、上益城)☆房子(奥野ふさ、和歌山)☆琴次(松永きの、飽託)☆八重鶴(美林ちか、福岡)☆吾妻(藤本とり、飽託)☆泉(岡崎すみ、飽託)

★東雲楼  二本木町134番戸の1 電話246番 楼主 中島茂七 郭内随一の大籬

☆友江(中岡こすみ、愛媛)☆静香(土井ひろ、さが)☆妻吉(内田つま、)☆不知火(山内つま、大牟田)☆小菊(中嶋ゆく、飽託)☆京香(八木田つる、京都)☆梅幸(中嶋むめ、飽託)☆金糸(郡野きた、八代)☆花紫(安部田いわ、福岡)☆君子(内村みわ、飽託)☆仇吉(林田千代、飽託)☆青柳(末光みか、長崎)☆花衣(高濱はつ、熊本)☆浦里(那須野そよ、大分)☆東雲(船津きく、東京)☆常磐(中嶋かの、飽託)☆初菊(緒方はじめ、山が)☆日の出(横山ちか、佐賀)☆君勇(西嶋ひで、福岡)☆信夫(松本もと、宇土)

★新一楽  二本木町158番戸  女将 稲田とし子 一楽支店

☆千島(阪本けし、飽託)☆梅子(柴垣のぶ、飽託)☆一枝(吉沢かめ、飽託)☆福次(佐伯げん、天草)☆津山(武田たき、飽託)☆重子(木下ちく、広嶋)☆花子(内村たじゆ、飽託)☆明石(村上かね、熊本)☆千代子(里井たみ、大阪)☆若糸(古賀さだ、熊本)☆小花(大磯なと、宇土)☆村治(石川むら、島原)☆若春(中嶋じゆの、八代)☆徳八(関つな、福岡)☆富助(山城きま、飽託)☆鶴吉(立石ちま、牛深)☆千代子(上野つな、福岡)☆八重野(木村やゑの、和歌山)☆徳八(清井ちよの、筑後)

★我妻屋  二本木町188番戸  女将 野村ちき子

☆朝日(大久保きよう、直入)☆床本かね(床本かね、大阪)☆辻村ふさ(辻村ふさ、大阪)☆香取(松野すえ、水俣)☆太助(紙志奈しけ、大分)☆敷嶋(原田やをよ、福岡)☆香蝶(平嶋いせ、久留米)☆笹波(佐原いね、出水)

★一楽  二本木町160番  電話73番 楼主  稲田栄作

☆都(本多すゑ、長崎)☆藤松(栖川八重、飽託)☆福助(佐藤てい、飽託)☆お多福(矢倉きみ、大阪)☆今里(森口つま、牛深)☆おもちや(佐伯とよ、広嶋)☆東雲(嶋千代、長崎)☆叶(城戸かね、福岡)☆桃助(吉田たけ、広嶋)☆大吉(久保田むつ、飽託)☆不知火(西田ゑい、京都)☆沼津(大楢ふさ、長崎)☆若葉(田口とよ、長崎)☆かしく(石原しげ、熊本)☆米葉(大賀ゑき、福岡)☆若龍(山根てる、嶋根)☆君子(山口やい、長崎)☆いろは(金森しげ、長崎)

★鶯楼  二本木町161番戸  電話368番  楼主 竹下彌次郞

 ☆君鶴(山田のか、芦北)☆登(徳瀬なか、佐賀)☆お多福(安部いその、飽託)☆三福(久保田ふい、飽託)☆唐崎(有本ふさ、和歌山)☆一声(橋本とめ、筑後)☆勝勇(山田しげ、大阪)☆若子(園田しず、熊本)☆遊喜(岩崎まつ、阿蘇)☆早子(赤松つき、熊本)☆花恵(中村つも、熊本)☆大吉(池田くま、筑後)☆小櫻(住友ゑい、徳島)☆紫(清田いと、熊本)☆若竹(江崎いね、佐賀☆カナタ(境木のく、大和)☆雲鶴(田中きく、)

★第二日本亭  二本木町37番戸 電話771番  楼主 中嶋茂平 東雲楼

        支店

☆初枝(田中はつ、熊本)☆都(芦塚すへ、熊本)☆絹栄(清田登壽、上益城)☆敷嶋(坂井とき、大牟田)☆宮城野(大川つる、福岡)☆白川(江崎みす、筑後)☆花子(吉黒はな、熊本)☆初根(中村ゑい、熊本)☆芳子(杉森よし、下益城)☆小米(本田ちじゆ、飽託)☆政治(佐藤さの、福岡)☆すみ江(山本澄江、愛媛)

★青玉楼  二本木町132番戸清  川亭支店

☆松嶋(飯田つる、飽託)☆春芝(志波はる、佐賀)☆仇吉(長多あやの、天草)☆若葉(うちだまつ、飽託)☆如月(向井茂登、熊本)☆小春(鹿尻ふい、八代)☆生駒(内田りつ、鹿本)☆福龍(小野田すて、和歌山)☆白藤(河野みね、長崎)☆初子(澤田まさ、八代)

★松鶴楼  二本木町39番戸 電話244番  女将 川嶋壽加子

☆秀子(児嶋ひでの、出水)☆美津子(井手口みつ、出水)☆松嶋(三村きく、宇都)☆市松(加藤とめ、佐賀)☆千代子(中川みき、八代)☆松島(池田きく、島原)☆若治(石川りつ、福岡)

★悦亭  二本木町32番戸  楼主 梅田熊喜

☆色葉(濱田たみ、天草)☆豊橋(山本つき、飽託)☆若子(野田ちよも、上益城)☆五月(福田ひと、飽託)☆金時(立石ちよ、佐賀)☆二三子(甲斐さよ、隈庄)☆常盤(武内わ、飽託)

★芳野亭  二本木町39番戸  電話539番 楼主 與縄由太郎

☆大分(長瀨きくえ、飽託)☆東洋(船瀬さき、飽託)☆関弥(藪みつ、八代)☆若春(山崎さと、八代)☆旭(森山きみの、嶋原)☆達磨(難家なみ、飽託)☆不知火(本田ふく、嶋原)☆右近(小川春、熊本)☆吾妻(河嶋すえ、熊本)☆左近(小川梅、熊本)☆若葉(長田さよ、飽託)☆朝妻(松村すえ、八代)☆宮城野(松本とく、嶋原)

★末広楼  二本木町130番戸  楼主 木村光太郎

☆市助(小嶋とめ、熊本)☆力弥(重松こと、福岡)☆室町(板橋ちき、嶋原)☆一鶴(中山くら、飽託)☆小櫻(吉村りき、熊本)☆花衣(北里ふい、八代)☆文明(緒方ちか、宮崎)☆伊達吉(山本くら、飽託)☆金六(江川りん、宇土)☆小春(笠原さく、飽託)☆大吉(梅田すかね熊本)

★榊楼 二本木町124番戸 楼主 林鶴松

☆壽(加川とめ、飽託)☆敷嶋(角谷くめ、飽託)☆花扇(永延ふい、福岡)☆八嶋(田熊とよ、福岡)☆月岡(村上と壽、上益城)☆久子(上野ひさ、愛媛)☆花小(尾野けさまつ、鹿児嶋)

★園木屋  二本木町27番戸 電話717番 楼主 女将 園木はま子 

☆藤浪(角はな、鹿児嶋)☆千里(中村せき、長崎)☆小民(坂井あきの、福岡)☆浦嶋(角田はま、東京)☆小玉(石松せき、大分)☆野菊(井上とよ、飽託)

★若木楼 二本木町21番戸 電話402番 楼主 川嶋壽加子(松鶴楼支店)

☆曙(山下ゆき、天草)☆春次(鵤はる、熊本)☆若駒(水田かそ、芦北)☆泉栄(宮本ちぎ、菊池)☆卯月(定盛みね、玉名)☆津保美(赤松かよ、熊本)☆雲晴(福島もせ、八代)☆左右(嶋崎きよ、長崎)☆景色(福岡ねよ、下益城)

※一度には収まらないので二度に分けて掲載します。 


熊本の遊びどころ 明治42年頃の芸妓

2017-10-02 22:09:30 | 熊本の遊びどころ

  熊本の遊びところ 明治42年刊

 今月の読み合わせ会に平井さんが珍本を持参されました。例のヤフーオークションで購入されたものです。明治42年という年は清正公300年遠忌にあたり、熊本市ではそれを記念して商工会議所などが中心になって種々の記念行事を行ったようです。この本は県の内外から本妙寺等へ参詣に来る人たち向けのガイドブックとして出版されもののようです。

 ページをぱらぱらと繰っただけでこの本が珍本であることがすぐに見て取れます。芸妓26人の顔写真がグラビアとして冒頭を飾り、きれいに結い上げた日本髪と豪華な衣装姿の芸妓を見れば一流の写真場で撮ったものであることが分かり、熊券と西券という所属が記してあるので、当時二つの券番があったことも分かります。

(西券)友子 茶羅 初子 孝龍

 西券番は二本木遊廓内にあり、熊券番は塩屋町裏一番丁にあった。ここは俗に裏小路と称していたらしい。芸妓の数は合わせて80人ほどとあります。二本木遊廓の娼妓は800人いたそうですから、それに比べると芸妓は少ないのですが彼女たちには芸は売っても身体は売らぬという芸妓としてのプライドが写真にも顕れていますね。玉代は1時間60銭ばかりと書いてあります。 

 この本が貴重だと思うのは芸妓の紹介の仕方がとても詳しいというところです。先ず源氏名(お座敷名)と本名、出身地の記載に留まらず得意芸や、座持ちの特徴にまで紹介が及んでおり、この妓を宴席に侍らせてみたい、と読者に思わせるような紹介の仕方になっていることです。一例を下に記しませば

★西券番 二本木町百七十一番戸 電話百二十七番

 この券番は芸妓の線香所又は集会所といふを当れりとす。即ち芸妓一同の申し合せを以て組織せるものにして、別に営業主なるものなし、此券番に於て寧ろ芸妓が主にして券番は従たるなり。同券は前にも記せる如く、歴史の古きと、名妓と美姫とに富むを以て毎夜箱切れの有様なりといふ。今籍を同券に有し、歌舞の喜見城に、翩々細腰を誇る歌妓の芸名、まつた少々野暮の嫌ひあれども、御慰に其の本名と出身地とをも列挙すれば左の如し

★ 一龍(立石いち長崎)は相撲ならば年寄株といふ所にて、ジッとしたる所に貫目あり。

 以下35妓をこのような調子で紹介しています。

★熊券番 塩屋町裏一番丁十三番地 電話百四十八番

  同券番は前に記せる如く、元熊本券番合資会社と称し、会社組織なりしが一咋四十年解散して現今は八百九、京常、開陽亭、及び神山某四人の名義を以て経営しつつあり。古き歴史と遊郭の後援とを有せる西券番と相拮抗して下らず、大小の歌妓孰れも研を競ひ美を誇り、招聘常に絶えずといふ。所謂花の真味を知らんとするの風流の才子は百聞一見に如かず、一度同券の妓を招いて座興を扶けしめらるべし。今同券に籍を有せる白拍子を、前例に依りて左に載録せん。

★ 三吉(竹本はつの福岡)変生男子と称せらるる老妓、三味も座持ちも達者

 以下23人の紹介

 著者は鉅城紅豆陳人という人ですが、文章の書き方などから見て新聞記者ではないかと思われますが、よくわかりません。明治42年から今年は108年になりますが、今の熊本市に券番などはありません。