古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

中川さんのノートと平井さんの10年日記 膝栗毛発端10

2016-02-25 18:35:44 | 膝栗毛発端

 今日は読み合わせ会。⒋ページ進みました。2時間分としては可成のスローペースですが、年齢構成及び読みの力をみればまあ順当なところでしょうか・・・変体カナに慣れてくればもっとスピードアップができると思っています。雑談で時間を消していますが、平井さんなどは毎回それを楽しみに来ていると言われます。また中川さんはこれ以上早くなると頭がパンクするなどと言われます。当分このペースということにしましょう。

  この画像は中川さんのノ-トです。会ではA4サイズのコピーをテキストにしていますが、このルーズリーフノートは26穴A3サイズで、テキストの倍の広さ、ページの書き込みなども手書きでなく、パソコン処理が施されていて大変手間をかけたノートになつています。これほどの努力をみれば講師冥利に尽きる訳ですが期待に報いなければと思う次第です。

平井さんの10年日記

 雑談の名手平井さんが雑談の時間に言われたことですが、今年から10年日記を付けているそうです。面白いのは10年後の2026年1月1日のところから逆に書き始めたとのことで、これを10年間書き続けると最後の日が2016年1月1日になります。

 平井さんには古文書を初めやりたいことがいくつかあって10年間でそれをやり遂げる大目標があるので、この方法を編み出したと言われました。この方法だと先送りが出来なくなり、また残り時間がデジタル表示されるので怠けられなくなると言って笑われました。平井さんには独特の死生観があってあと10年生きられたらそれでよいとはっきり言われます。10年日記と死生観無関係ではなさそうです。

 なるほど、逆転の発想とはこういうことなのかと皆さん感心していました。中川さんのノートといい、平井さんの発想といいこの会には個性的な人が集まったものです。

 


小田原宿の五右衛門風呂 膝栗毛発端9

2016-02-23 16:06:55 | 膝栗毛発端

  これは膝栗毛初編に出てくる挿絵でこの場面の読み合わせはもっと先になるのですが、ブログの表紙に使っている絵でもありここで簡単に解説をしておきます。

 まず、右側の2行の仮名書きのところがいわゆる変体カナで、翻刻したものを左にしめしました。古典落語に出てくる八っあん、熊さんたちはこれを読みこなしていたのですが、現代人には読めなくなっています。

 この文章の前後の弥次・喜多の会話の掛け合いが面白く、初篇前半の山場になっています。その解説は読み合わせ会がそこに至ったときにしますが、左にある一九の句について説明をしておきます。

 この句には季語がないので発句とは言わず連句のうちの長句と言われるものです。つまり575が長句でそれに続く77が短句です。これを百句連ねたものを百韻連句、36句で切り上げるのを歌仙と称しています。それにしてもひどい当て字ですね。これを現代文の表記に直せば

旅籠屋の湯風呂に浮かぶ風呂場かな

 となります。当て字がひどいとおもうのは現代人の感覚であって古文書にこの種の当て字は珍しくありません。当時の人は音さえ合っていれば平気で当てていましたし、むしろ奇抜な文字をあてて得意がっていたような節もあります。たとえば「必多度・・ひたと」、「鳥渡・・ちょっと」のような例がすぐに思い浮かびます。

 ところで、句の意味ですが、五右衛門風呂に入るのは弥次・喜多ともに初めての経験で入り方が分からずに、底板を蓋と間違えて取り除けて入ったために足にやけどをしてしまう。その後底板に乗って入ることを知って、丸くて狭い底板こそ風呂場だと洒落たわけです。

 さて、長句の意味が分かってみれば付句も浮かんで来ようというものですが、あなたなら何と付けますか・・明日は箱根の山路をのぼらねばならないのに足に火傷をしているのですから、そこに想いを致して

箱根の山は足を曳きずり

と付けてみました。このあとは又長句が詠まれますが、それは今付けられた句から連想されるあらゆる場面事柄であって、箱根山に触発されて鈴鹿峠の場面に転換してもよく、また箱根の関所から遠く安宅の関へと転換して義経主従の悲劇へ発展させてもよいのです。こうやって百句つづけて行くと否応なしにその時代の時代相が浮き彫りになってきます。連句の面白さはそういうところにあるのですが、それはまた機会があれば取り上げます。

五右衛門風呂と言っても今の人にはイメージがわかないとおもいますので写真とイラストを載せました。

 


熊本新老人の会俳句サークルへ出席しました。

2016-02-19 12:40:06 | 俳句

 熊本新老人の会には古文書の会の外にも多くのサークルがありますが、その中の俳句教室というのへ出てみました。出席人数6人というこじんまりとした会でしたが、なかなか気持ちのよい雰囲気の句会でした。以下にその報告をします。

句会日時   2016-2-19  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   6人

指導者    山澄陽子(阿蘇同人)

出句要領  6句投句 6句選  兼題「野焼き」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次回兼題  「霞」

 

 

火走り野火守走る野焼かな     茂 子  (…走り…走るという畳込む叙法の効果、句に躍動感が出た。)

思い出す芝焼く父の老姿         〃

霜焼けに苦しむ姉の手の赤き      〃

 

病む妻の食の進むや春近し        武 敬 (病妻へのいたわりと快復への希望が伝わる。季題の働き)

口論の決着つかず春寒し         〃

ぴょんぴょんと雪解けの道歩きけり   〃

 

枯蘆の枯れ極まれる姿かな       礁 舎 (自信作ですが、講評は控えます。)

大いなる闇に向かひて鬼は外      〃

花びらにしべの影濃し梅の花      〃

 

立春や開け放ちたる農具小屋    安月子 立春と小屋とは関係があるようでないような、その距離感が絶妙)

白魚の潮の匂ひも啜りけり       〃

音たてて野を焼く炎走りけり      〃

 

寒風や青天一望鶴万羽        綾 子 (漢詩を読むような硬質の緊張感を季題寒風によって強めた。)

紅蓮の火勢子影走る野焼きかな    〃

独り居の夜半にアンカを引き寄せる   〃

 

山焼いて意気揚々と勢子帰る     陽 子 (ひと仕事終えた勢子たち、山焼きならではの達成感。意気揚々の

                                措辞が利いています。)

 わたしの号は礁舎、亡父の号を引き継いで2世礁舎です。

 さて、6句投句6句選というのは、この句会の出席者は6句を投句し投句された句の中から自分の句を除く6句を選抜して選句用紙に書き出して提出することをいいます。また兼題がある場合は投句6句の中に1句以上兼題の句をいれるという約束事もあります。選句が終わると披講に移り披講者が選抜された句を順に読み上げます。読み上げられた句の作者は名前を言って応え、披講者は句の下にその名前を書き入れます。

 このようにして6人の句会ならば36句が読み上げられ、最も点の入った句はどれであるとか、1番多く採られた人はだれであるとか、そこに一喜一憂するのも句会の面白さです。最後に指導者から全体の講評と秀逸の句の発表があって句会は終了。上掲の句は1段目が秀逸2句はそれに次ぐ句です。


熊本市コミニティボード貼り出し抽選会

2016-02-17 20:42:38 | 日記

 今日の抽選会で当選しました。先月は悔しい思いをしたので今回はかなりテンションを上げて臨んだのですが、応募数35/36で1人を余して全員当選でした。

 

 午後から市電で貼り出しに回りました。最初に貼ったのは最も遠い春日小前のボード、そこから引き返して辛島公園、花畑公園と順次健軍方面へ・・写真(上段左)は辛島公園のボードです。交通局前、市立体育館前、熊商前と順に貼り出しました。市電で回れるのはこの6カ所だけ、残り14カ所は世話人の今村さんと手分けして明日中には貼り出してしまう予定です。


2/11読み合わせ会 膝栗毛 発端 8

2016-02-12 09:39:56 | 膝栗毛発端

 今日は中川さんが所用で欠席、4人での輪読となりました。1人欠けただけでさびしい会となります。あと2,3人会員を増やしたいものです。

 若衆であった鼻之助は元服して喜多八と名を改め、相応の商家へ奉公に出ますが 「元来(もとより)才はじけものにて主人の気に入り忽ち小銭の立ちまハる身分となり・・」 とこの間の暮らしぶりを説明。

 一方念者の弥次郎兵衛は「田舎より着つづけの布子の袖綿がでても、洗濯の気をつけるものもなく是ハあまりなるくらしと近所の削り友達が内寄って、さるお屋敷におすゑ奉公勤めし女年かさなるを媒して弥次郎兵衛にあてがへバ破鍋に綴蓋ができてより・・」と長家の住人におさまっていく境遇を巧みに説明。

 ここで語句の解説 「削りともだち」 財産を削る友達、つまり悪友のこと。「おすゑ奉公」これ以上の下はないという文字通りお末の女中、次に雇ってくれる口はないと言う意味。年かさとありますが、30代後半の設定か・・名をおふつという。

 「諸事にてまめに人仕事などして弥次郎を大事にかくる様子。この女房の奇特なる心ざしに弥次郎夜もはやく寝て随分機嫌をとりくらしける。」この生活描写はいいですね。このあたりの記述は次に展開する筋書きの伏線部分ですから、変化のとぼしいところで、話のおもしろさはなく、文体の味わいで読者の興味をつないでいるところです。

 この伏線を過ぎて奇想天外の面白さに話は発展します。それは次回に・・

記事に関係のない画像を載せますが、Body Make Seat Style を購入しました。ハソコンに向き合っている時間が長いので姿勢の崩れを矯正するための補助器具です。腰にぴったりフィットして使い心地はまずまずかな・・どの程度効果を発揮するか半年~1年かかると思いますがそのときにまた載せます。

 

 

 


下江津公園に春を探る

2016-02-10 17:05:05 | 日記

ずいぶん春めいて来ましたね。今日は朝から上天気カメラを持って下江津公園へ・・弁当持参の家族連れが何組か来ていました。

 途中泉ヶ丘公園の榎か椋の木かですが、梢の先がなんとなく色づいてる感じです。

 白鷺がいましたが接近不可なのでアップが撮れません。

 枯れ蘆の枯れっぷりがいいですね。根元の緑は下萌えです。後方の青い連山は金望山山系です。

 蘆間に隙間ができました。夏場はけしてこういうアングルでは撮れません。

 枯れ蘆の風情もここらが限度でしょうか。これから日を追って形が急速に崩壊します。

 ここは置石の間から湧水しています。早くも芹が伸び始めています。

 


JA熊本植木市へ行ってきました。

2016-02-08 18:18:31 | 日記

天気は好かったのですが農業公園は寒いですね。午前11時ぐらいでしたが熊本市内より随分低いと感じました。

おいしそうですね。これ1パックを昼食としました。

笊ばっかりのお店がありました。

こういうお店もありました。

ヤマメの串焼きおいしそう。店員のお兄さん渡瀬恒彦に似てますね・・

きれいですね。はなの名は忘れました。

福寿草、またあとにも出てきます。

烏賊の塩辛と付け網どちらも大好物

キムチおいしそう・・

春に魁けて咲く椏(ミツマタ)の花。楮とともに和紙の原料になります。

400年の伝統をもつ熊本市の植木市。帰りに通り道なので立ち寄りました。出店数等JAに押されているようです。がんばれ伝統。

色鮮やかな金魚。なんでも出てますね。

福寿草

きれいですね。これは椿です。

先にもありましたが、イカの塩辛。

甘塩の鰯田崎市場さんの出店です。

これは蛸鰯と同じく田崎市場さんです。カメラを向けていたらオバちゃんにネットに公開してねと声をかけられました。オバちゃん約束守ったよ・・・。

ボケです。きれいに咲くものですね。

旧泉村のお茶お土産に買いました。


立春の熊本動植物園

2016-02-04 18:49:15 | 日記

朝から好天に恵まれたので探梅のつもりで標記のところへ行きました。梅は紅梅が咲きはじめたところで、白梅は莟みが少しふくらんでいました。

肥後椿も咲いていました。

 

この梅には鶯宿梅と名札がありました。

 

紅梅は白梅より早いです。

 

噴水は少し涼しすぎますが清潔感があってきれいです。

 


ブログ考・・・増え続ける癒やし難民

2016-02-04 11:24:24 | 日記

 ブログを書くようになってはじめて知ったことですが、わが国のブログの総数は2百万を超えているのですね。この数字が大きいのか小さいのか比較の資料もなく私にはよく分からないのですが、これを人口との割合で見るとですね約2%になります。ビジネスチャンスとして見れば可能性を秘めた大きな市場なんて゛しょうね。

 私は古文書の会の会員募集を目的に始めたので、多くの人に見てもらいたいのに現実はなかなかきびしいです。訪問者数は多いときで40、50人少ない時は1桁、平均すると10、20人くらいです。コメントなどはこれまで付いたことはありません。それでも順位は6万位くらいですから、2百万中の6万といえばそれほど悪くないと思います。

 ところで順位が付くからには当然1位のブログがあるわけです。どんなブログなんだろう、興味がわきますよね。開いてみてうなりました。そして表題のような感想を持ったのです。

 訪問者数は7万人~8万人、百を超えるコメント、これが1日の数値ですから年間の延べ閲覧者数は2,500万人を超えます。これは恐ろしいことではないか、世論誘導・操作が充分成り立つ数値です。ブログの中身たるや可愛らしいペット(犬&猫)の写真の羅列で、発信者の主張らしい言葉はありません。ひたすらにペットの写真・・・それだけを提供するブログです。

 このブログを押し上げている人たちの心情を推し量ってみれば多分、癒やされたい、癒やしがほしいというのではないでしょうか。なんと単純な、なんと素朴な要求ではありませんか・・・。しかし生活の場にはそれがない、生きるためには難民化せざるを得ない。バイトをすればブラックバイト、職に就けばブラック企業あるいは非正規・・・痛めつけられながら日々を生きている人たちには癒やしこそ活力のみなもとなのでしょう。無理もない・・・・。

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214

 

記事に関係ないがぞうですが、熊本動植物園に咲いている肥後椿です。