古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

迦南俳句を読む27  春光寺の迦南句碑

2018-05-01 10:34:00 | 横井迦南

 虚子、年尾、汀子句碑の建っている傍らに膝まづくように迦南句碑はありました。虚子、年尾の句碑が白御影の堂々たる石柱であるのに比べ、このへり下りようはいかにも迦南らしく思われました。しかし春光寺の句碑は迦南句碑が第一号で、虚子其の他はその後に建てられたものだそうです。

春光寺の迦南句碑

此処とてもまた仮の宿日向ぼこ  迦 南

 迦南は昭和16年に朝鮮竜山鉄道を定年退職して鹿児島市へ転居しますが、一所に定住できず鹿児島市から霧島市へ、さらに多良木町へと移転を繰り返し、昭和24年三角町へ移り死去までの5年間をそこに過ごしました。この句は鹿児島時代に詠まれたもので、流浪する老年を象徴するような句です。

 この句はよくよく味わってみると、しみじみとした迦南の感懐にこころ打たれます。

 


迦南俳句を読む26  坂本町西福寺の句碑

2018-04-30 11:48:57 | 横井迦南

 迦南句碑は戸馳島と多良木町の2カ所よりないと思っていたのですが、ある人から坂本町鮎帰西福寺と八代春光寺にも存在すると聞いたので早速拝観に行きました。

西福寺境内の迦南句碑

  月に訪ふ寺に宿かる心ぐみ  迦 南

 彫付けてある文字はちょっと見には判読できません。建立年代は昭和29年頃ですが、彫りが浅く摩滅も進んでいるようで簡単には読み取ることができませんが、右肩部の「月に訪ふ・・」の初5が読めたので以下は句集によりました。

 句にある寺はこの西福寺と思われます。住持のお話では先代住持が坂本俳句会の中心メンバーであったらしく迦南が坂本へ来たときはこの寺に泊まっていたそうです。

 この頃迦南は多良木町に住んでいたので「坂本阿蘇句会」へ指導に来る時は肥薩線坂本駅で降りて句会場の坂本会館まで歩いたものと思われます。当時の坂本村は十条製紙の景気のよい時代で、従業員数も多く活気あふるる村でした。また荒瀬ダムが竣工し藤本発電所が発電開始したのもこの頃です。

 ここまで作句背景が判ってみると鑑賞は易しいですよね。坂本の俳人たちと迦南との温かい人間的なつながりがこの句の縦糸で、横糸は西福寺宿泊です。句会が終われば鮎帰の西福寺まで月を観ながら歩くのも楽しみであるというのです。

 春光寺の句碑は別にアップします。

 


迦南俳句を読む25   田代ケ丘公園の迦南句碑

2017-06-30 10:09:51 | 横井迦南

多良木町田代ケ丘公園にある句碑を拜みに行ってきました。迦南句碑はここ多良木町と三角町戸馳島の2カ所にありますが戸馳島の方は既にアップしています。

ここはキャンプ場でもあるらしく

 

公園から多良木町を眺望する。球磨川もこのあたりでは大河のイメージはないですね。

球磨磧月にも飛ぶや石叩  迦 南

 

 

 


迦南俳句を読む24  横井迦南句集より

2017-06-24 23:46:24 | 横井迦南

写生自在22    朝鮮時代

 

音先だてて撫子に雨降り出せし   迦 南

林檎むくや音ささやける銀ナイフ    〃

  

 迦南の聴覚は鋭敏だったのですね。上掲2句は音を取り込んでいます。そして言われて見れば誰にも思い当たるところがあります。撫子は群生して咲いているので少しの雨にも音を増幅させ、その音を聴いて人は天を仰ぎなるほど降り出したとに気が付くのです。そういう細やかなところを表現するのが俳句の独壇場なのです。

 林檎を剥くときに音が出るものかどうか、これは指先に音を感じているのだと思います。オトササヤケル ギンナイフ このフレーズがいいですね。まるで林檎とナイフが親しく会話をしているような、こういう言葉の発見を一度でもものすることができたら、それこそ俳句は止められなくなってしまいす。


迦南俳句を読む23  横井迦南句集より

2017-06-23 12:13:11 | 横井迦南

 写生自在21  朝鮮時代

 

畳む手に重なる紅や秋の㡡     迦 南

沈みゐる岩紫や熱帯魚         〃

内陣に護摩の火紅し山桜        〃

春葱を掘りゐる少婦(カシナ)赤ズボン  〃

 1句目、蚊屋という生活用具が姿を消したのは1960年代以降の事でしょうか。ずいぶんと久しくなったものです。往時はどこの家にも部屋の四隅に吊り手がぶら下がっており、夏になるとそれへ蚊屋を吊ったものです。6畳用、8畳用、10畳用と蚊屋にもサイズがあり、へりには赤い布で仕切りがあって、畳むときはそのへり布を重ね合わせました。この句はそこを詠んでいるのですが、もうすぐ御用済みとなる蚊屋に愛惜を感じているのです。

 2句目、水槽に泳いでいる色鮮やかな熱帯魚。底に沈めてある岩の色がくすんだような紫。その岩がこの句のポイントです。沈みゐる岩という叙法は無機物の岩に意志があるかのような詠み方になっています。これを擬人法と呼んでいますが、それが成功しています。

 3句目、作者が山寺を訪ねたとき住持は祈祷の最中で、内陣が薄暗いために燃え立っている護摩の火が作者の眼に強烈に印象付けられました。この山寺はあまり知られていない寺とするよりは、天台とか真言とかの古刹としたほうが僧侶の袈裟の色なども見えてより味わい深くなります。

 4句目、カシナとルビを振ってありますが、これは朝鮮語なのでしょう。葱を掘るというのですからこの畑は雪に埋まっているのです。その雪の上に赤いズボンの少女を配して印象明瞭な句になりました。

 以上 4句に特徴的なのは迦南の色彩感覚です。朝鮮時代の句で色彩を意識して詠んだ句はこの4句よりなく、色彩豊かな句を詠むのはあまり得意ではなかったようです。

 


迦南俳句を読む22  横井迦南くしゅうより

2017-06-21 22:11:51 | 横井迦南

写生自在20     朝鮮時代

 

蛙藻を掻き分けて目をつぶり開きし  迦 南

 

 俳句初学の頃先生からよく注意された事の一つに動詞は一つというテーゼがありました。それは句中に動詞がいくつもあると句が賑やかになって焦点がが定まらず散漫な句になって失敗作となるからだ、と云われました。それをずっといまだに守っているのですが、そのこと自体は正当であり有効です。

 ただ例外ということがあります。上の句は「掻く」「分く」、「つぶる」、「開く」等動詞ばかりでできているような句です。先生ずるいよ、と云いたくもなるのですが、一句はにぎやかなところがかえって面白く、ユニークな句に仕上がっています。とくに前にも云ったことですが、字余りになっても助動詞「し」を配して語尾のところで引き締めているのです。


迦南句を読む21  横井迦南句集より

2017-06-20 21:34:14 | 横井迦南

写生自在19  朝鮮時代

韓衣似あふ夫人やさくら餅      迦 南

金巡査椅子にひかへし種痘かな   〃

花梨に乳房たらせし水汲み女     〃

 

1句目、民族衣装のチョゴリを着ている上品な朝鮮婦人をデツサンしたもの。さくら餅とあるからといって、それを食しつつある女性と解釈するのは不適当。さくら餅は季題であってこれは取り合わせの句なのです。「桜餅」という題にこのような取り合わせをひねり出す才が出色なのです。「か・き・つ・は・た」を折り句に歌を詠めと言われて、即座に「唐衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞおもふ」と詠んだ伊勢物語の故事を思い起こします。

2句目、金巡査は明らかに朝鮮人。その人が日本の巡査に取り立てられるには、それなりの事情があるのでしょうが、それが句の背景にあります。新1年生の種痘の場に立会人として控えている金巡査。恐らくにこにこと笑顔を作って子どもたちを優しく見守っているのでしょう。読者もつられ微笑をもらすことになります。この句で最も働いている語は「し」です。完了継続の助動詞「し」の働きで佳句になりました。

3句目、これはさくら餅の句とは違って実景と思います。若い朝鮮人女性に対する迦南の視線が優しいですね。季題「梨花」がよく利いて柔らかな佳句に仕上っています。

 

 


迦南俳句を読む20  横井迦南句集より

2017-06-03 23:26:43 | 横井迦南

写生自在18  ツルマギ

 

周衣(ツルマギ)の垂れ紐吹くや青き踏む 迦 南

牛曳いて来る娘は跣足落椿                   〃

海見えず潮騒ちかし薮椿                      〃

 ツルマギとは辞書によればチョゴリのような衣服の上にまとう外套の

うな衣服とあり、帯でなく紐があるだけとあります。その紐が垂れ

下がって春先の風に吹かれているというのです。ただそれだけを

作者はいっているだけなのに、物が民族衣装であるために読み手

には色々の想像がが広がります。わたしにはしわくちゃの老婆の

姿が目に浮かびます。

 2句目三句目は落ち椿の句ですが、牛曳きの娘は跣であるというとこ

ろに現地人の貧しさがあり作者の同情もあります。あたりに椿が繁茂し

ているために見えないけれど潮騒の音ですぐそこに海があることが分

かるというのです。簡潔な言葉遣いで気持ちの良い句です。

 


迦南俳句を読む19  横井迦南句集より

2017-05-30 10:41:06 | 横井迦南

写生自在17  朝鮮時代3

 

大根を洗ひ今度は甕洗ひ    迦 南

両手添へし頭上の甕や花杏    〃

甕に汲み頭にかつぎ春の水    〃

芽柳や岸もせに甕舟に甕     〃

 頭に物を載せて運ぶ運搬法を頭上運搬と呼ぶらしい。内地では京都

大原女などに遺っていますが、一般には廃れてしまってこの時代

には殆ど見られなくなっていましたが、朝鮮には広く遺っていたので

す。作はその習俗に興を覚えたのです。

 一句目は頭上運搬を詠んでいる訳ではないのですが、甕というのは

縁語なので採り上げてみました。ここは「今度は」という措辞が新しいと

いうか、変わっているところです。普通には「次には甕洗ひ」でつうじる

ところを、口語体にして意外性を出して成功しているのです。

 

 技術的なことをすこし言っておきましょう。泥のついた大根の入れてあ

る甕を抱えてきて、水辺にしゃがみ込んで、女がそれを洗い始めた。見

ているうちに、実にてきぱきとした身のこなしで小気味よく大根を洗って

しまい、今度は甕を洗いはじめた、これも軽快な動きで洗ってしまった

と言うのです。作業の一部始終を見ていて、若い女の手馴れたその仕

事ぶりに作者は感動しているのです。この感動をいかにして俳句に表

現するか、流石に迦南は手錬です。

 ~ひ~ひ という畳句の手法を用い語尾を連用止めとしました。連用

止めは句が軽くなって締まりが悪いので終止形で止めるのが普通で

す。この句で言えば「甕洗ふ」となります。ところが、それでは重いので

すね。ここを連用止めとし畳句の手法と組み合わせたために上記のよ

うな句解となるのです。

 このように俳句は叙法の力を借りて意を運ぶということがあります。

 

 二句目、「李下に冠をたださず」の諺をすぐに思い起こしますが、杏が

実になる前の花の咲いている時節、頭上に甕をかついで手を添えてい

る朝鮮女性の図です。

 三句目、これは水汲み女です。甕に汲んだ水が「春の水」であるとこ

ろに外の季節とは違う瑞々しさが感じられます。これも朝鮮女性を美し

く描いています。

 四句目、この句は「せにも甕」という表記がすこし判然としませんが、

わたしは「背にも甕」と解しました。甕を背負って岸を歩いている人がい

る、甕を積んだ舟が進ん行く、そして柳が芽吹いている。そういう春先

の風景を詠んだものでしょうか。甕という生活用具が朝鮮においては必

須のものだったように思われますが、これには何を入れていたものか、

今となっては考証物ですね。詳しい方がいたら教えてください。現代は

こういう用具もポリ容器なに取って代わられて甕などは骨董店に並ん

でいるだけかもしれませんね。


迦南俳句を読む18 横井迦南句集より

2017-05-29 17:41:30 | 横井迦南

写生自在16  朝鮮時代2

 

仲秋や市人の肩の冠影   迦 南

杖つきて扇かざして冠翁    〃

冠置く酒幕の窓や春の山    〃

 上記三句「冠」がキーワードです。李氏朝鮮時代に材を取った韓流テ

ビドラマが盛んに放映されていますが、そこに出て来る男優たちの

被っている帽子が「冠」のようです。位階によって形や飾り物が違うよう

ですが、詳しいことは分かりません。わたしの印象では鍔が広く透けて

いて屋内でも被っているようです。

 一句目、植民地時代の朝鮮でこれを被っていのは朝鮮人だろうと

思われますが、仲秋の強い日差しの中で「冠」の影が肩に落ちていると

いうのです。市人とあるので市中を歩いている朝鮮人の男となります

が、男たちは皆申し合わせたように肩に「冠」の影を落としている、それ

が注意を惹くというのです。内地では見られぬ光景だけに興趣を覚え

たのでしょうね。

 二句目、5・7・7と字余りになっていますが、接続詞の「て」がよくはた

らいて軽快です。座五は「カンムリオキナ」と読みたいですね。白い顎

髭なども想像されて朝鮮老人が活写されています。

 三句目、現在も酒幕というような形式のお店があるのかしりません

が、これは宿泊もできる大衆食堂らしいです。そこの窓に「冠」が置か

れてその先に春の山が見えるというのです。静物化した「冠」と明るい

春山の対比です。前二句は人物が詠まれ、三句目は朝鮮の春が詠ま

れています。いずれも佳品です。

 

 


迦南俳句を読む17  横井迦南句集より

2017-05-26 23:45:59 | 横井迦南

写生自在15 朝鮮時代1

 戦前の朝鮮は日本の植民地にされて朝鮮の人達は民族的苦難を余儀なく

た時代であったでしょうね。しかし此処ではそういう事には深入りしません。

わが南はその時期の朝鮮に職を得てその地に35歳から60歳までの25年間

を過ごています。龍山鉄道で管理職にまでなった人のようですが、職歴等につ

いては年譜にも詳しい記載がなく、職業人としての迦南像は不明確です。ただ、

俳人としての迦南なら相当数の俳句が残っており、作品を通してその人となりを

窺い知ることができ、また句に詠まれた風物をとおして朝鮮の往時を偲ぶことも

できます。しばらく、朝鮮時代の句を鑑賞していきます。

 ここにいう朝鮮とは李氏朝鮮以来の朝鮮のことで南北に分断される以前の朝

のことです。

 

旅かさね来し国境の春の雪    迦 南

 こういう句の面白さを俳句初心の方へ説明するのはなかなか骨の折

ることですが、わたしは得も言われぬ叙情味を感じています。

 国境というからには日本国内ではなく、朝鮮とか満州とか、或いは

もっと遠くモンゴルのことかもわかりません。要するに当時の言葉で言

えば外地における国境なのです。

 そういうところへ内地から遙々と旅を重ねて来たものだ、という感慨が

まず感得され、もとより観光などではなく、何か任務を帯びた旅行のよ

うに思えます。ある国境の駅へ降り立ったら春の雪が積もっていて、そ

れを目にしてちょつとの間だけ緊張感から解放されたというのです。

ぜそう言えるのかと言えば、それは季題「春の雪」の働きで、これ「吹

雪」、だったらそういう効果は生まれないでしょう。

 また、駅へ降りた場合ではなく、国境を通過する車窓の雪景色かもし

ません。それはどちらであってもこの句の趣に影響はないのです。し

かし初めの解の方が作者の思いによく寄り添えるものと思います。

 そしてもう一つ、これが最も重要なことですが、叙法のことです。 こ

の句には「切れ」がありません。「旅かさね来し国境の」まで一気に読ん

で、このフレーズ全体が「春の雪」の連体修飾語となっています。

 この叙法によってこの句に力強さが付与されました。ここは見逃すこ

のできぬところです。


迦南俳句を読む16     横井迦南句集より

2017-05-13 16:07:27 | 横井迦南

写生自在13     優しい視線

 

子を抱いて母となり来ぬ初句会         迦 南

出迎へし児の手をひいて草の花     〃

島の娘等葛を刈りつつ唄ひつつ     〃

花嫁と乗り会ふバスや麦の秋       〃

子を負ふて梅の門辺に出てはまち       〃

眉目かたち五家の娘らしく葛の花    〃

金魚飼うて藤間の名取女住み      〃

草刈女憩ひ帯飼ふ話など         〃

製作年次が昭和20年代ですから、時代の古さが当然ながらあります。

路線バスに花嫁と乗り会う句など頰笑ましい情景ですね。今日では絶

対に見られな光景です。

テレビ、パソコン、携帯などのない時代ですが、それなりの暮らしのあっ

たことが窺えます。迦南の女性を見る視線が優しいのですが、ただ優し

いだけでなく人物の把握が深いですね。眉目かたちの句など、季題葛

の花の働きがすばらしいです。

 

 


迦南俳句を読む15  戸馳島の句碑

2017-05-10 18:26:20 | 横井迦南

不知火をまつかゞり火にうしほよせ 迦 南

 

時々雨の落ちてくる生憎の天候でしたが午後から上がるという予報をを当てにして戸馳島まで句碑を拜みに行ってきました。

 案内板は少し大きめの写真にしましたので説明文は読めるはずです。

 

句碑の建っているのは若宮海水浴場の一角で、海水浴場はきれいに整備されていました。この海が不知火海で対岸は八代市です。

さて、迦南の句ですが、海岸に大勢の見物客が押し寄せて不知火の顕れるを待っています。空に月の無いときで、篝火が何本も焚かれ燃え盛っています。

この時は満ち潮だったのでしょう。沖合いから潮が寄せてくる、その波頭が篝火に照らし出され、また、群集の姿もその灯りのなかにあります。

これから見ようとするものが、怪火であるだけに独特の雰囲気もあるのでしょう。それらを省略の利いた見事な句に仕上げました。

何が省略されたかと言えば群集。不知火を主体とすれば群集は客体なわけで、いわばその場における主役のはずなのに、それを篝火を掲示して省略するのですから、写生の冴えを見て取るべきです。

 


迦南俳句を読む14   横井迦南句集より

2017-05-09 16:21:29 | 横井迦南

 写生自在12  老いを詠む

せめて世に交はる流行風邪をひき  迦 南

此処とてもまた仮の宿日南ぼこ     〃

寒梅の咲いて何やらはげまされ      〃

移り来て球磨の夕野火見ることも    〃

老人とみられたくなく日記買ふ      〃

老いぬれば何あてもなき冬至まち    〃

布団敷きに来し宿の婢に年問はれ    〃

起き臥しの老いの布団のあげおろし   〃

 

われ老いたり、という句をならべてみました。どれも平明で解釈の難し

い句はありませんね。しかし切々として読み手のこころに迫るものがあ

ります。

年を取って生を終える問題は誰にとっても重大事です。しかし、俳句は

そのような問題に関わるには最も不向きな文芸なのです。季題を通し

てわずかに想いを吐露する、それで精一杯なのです。

しかし上掲句などを読めば哀情惻々たるの感を否み難いのも事実で

す。


迦南俳句を読む13   横井迦南句集より

2017-05-08 07:46:46 | 横井迦南

写生自在11  女性を詠む

  

  向島水神八百松

水鶏なきかへしてほしくをんな居り  迦 南

 

迦南年譜の記述に「昭和17年5月13日、東京向島水神八百松に韮城・胡藤・木村氏に誘はれて水鶏を聞きに行く。」とあり製作年次が分かります。

また迦南を誘った3人のうち、韮城というという俳人について、虚子句集「五百句」の中にその名を見付けたので参考までに以下に記しておきます。

秋の蚊の居りてけはしき寺法かな 虚子

大正十三年 鮮満旅行の途次、十月十四日平壌にあり。華頂女学院に於ける俳句会に臨む。正蟀、帆影郎、沼蘋(しょうひん)女等来る。韮城(きゅうじょう)、橙黄子、雨意等同行。

八百松というのは向島水神の松林の中に江戸期からあった高級料亭のことで、迦南はそこに居合わせた芸者もしくは仲居のなかの一人に感興をおぼえたものと思います。そしてできたのが掲句です。

わたしはこの句をみる度に黑田清輝の洋画「湖畔」を思い起こします。

「湖畔」は芦ノ湖で納涼をしている女性を描いた絵ですが、人物の表情は浮世絵などの美人画と違って理知的な近代女性の眼差しをしています。絵のモデルは当時26歳の芸者だったといわれています。

迦南が八百松で見た芸者もこのような女性ではなかったかと想像します。背景になっている湖が迦南の場合は隅田川。

絵の趣としては「湖畔」には時鳥が似合い迦南の方は水鶏(くひな)です。「湖畔」は和歌的で貴族趣味。迦南の方は俳諧的で庶民趣味。そういう比較でこの句を鑑賞できると思います。

「迦南俳句を読む11」でわたしは「麦秋の医者を床屋に探しあて」という句について類句は句集中に1句もないと書きましたが、そのときは気が付かなかったのですが、この水鶏の句はその類句ですね。

両句に共通するのは1句に切れ目がなく散文的であるということ、こういう作り方をすると、句の印象を曖昧にすると言って初心の頃は注意されたものです。迦南のような超上級者になると、そこをきわどいところで残して佳句に仕上げてしまいます。

 

水鶏は今ではほとんど見られなくなっていますが、昔はどこにでも居た水鳥です。虚子編歳時記より季題「水鶏」を引用しておきます。

「夜鳴て旦に達す。声人の戸を敲くが如し」といはれる鳥である。「蓋し水辺にあつて、晨を告ぐ、故に水鶏と名く」と三才図会に書いてある。春来て秋去る候鳥で、水辺、沼沢の雑草中に夏を越す。叢中を潜行して滅多に飛ばないので姿を見ることは稀である。カタカタと連続して聞こえるのは緋水鶏といふ類で、六月頃の交尾期によく鳴くといふ。動物学上では水鶏は誤用として、秧鶏と書く。